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Amazon.co.jp ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784642084000
作品紹介・あらすじ
古い由緒をもつ伊勢神宮や出雲大社、磐座祭祀で知られる沖ノ島、地域の氏神として祀られる隅田八幡宮、柳田國男の紹介により有名になったニソの杜。こうした大小さまざまな形態の神社が、全国に存在することになったのはなぜか。民俗伝承学に考古学・文献史学を織り成し、新視点から神社祭祀を比較検討。神社が歩んだ歴史とその重層性の解明に挑む。
感想・レビュー・書評
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民俗伝承学・考古学・文献史学の複数の視点で神社祭祀を比較検討。
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民俗学者である著者が、考古学と歴史学の成果を参照しつつ、日本における神社の歴史の種々相を解説している本です。
神社の歴史を解明するにあたって、もっとも頼りになるのは文献資料と考古遺物であり、歴史学と考古学ではこれらの証拠にもとづいて実証的な研究が進められています。しかし著者は、それらにくわえて民俗伝承の比較が重要な手がかりを提供しうると主張します。
パソコンのハード・ディスクには、データの上書き保存がおこなわれても、過去のデータが完全に消去されることのないままのこされています。著者はこれと同様に、民俗伝承も次々とあたらしいものに書き換えられつつも、過去の伝承がのこされており、比較という方法によってそれらを明らかにすることが可能だと述べています。
本書では、伊勢神宮や出雲大社、あるいは沖ノ島など、神社の歴史を知るうえで重要な手がかりとなる事例とともに、比較的知られていない神社の歴史も参照し、たとえば荘園の鎮守社から地域の氏神へと性格を変えていった事例が紹介されています。こうして神社の歴史は、古代律令国家による中央からの画一的な働きかけがありながらも、多様な歴史の相を積みかさねるしかたで形成されてきたことが明らかにされています。
ただひとつの「起源」と単線的な「歴史」に還元されることのない、「神社の起源と歴史」の見かたが示されているという点では、興味深く読むことができました。 -
神社の語が使われるようになるのは725年の詔や777年の太政官符。
古くからの和語では宮(みや)と社(やしろ)。神の宮、神霊を祀る場所や建物。
「稲の王」である天皇の祈年祭と新嘗祭など豊作祈願の髪まつりの対象の定置。
古墳時代に各地の「稲の王」が磐座、禁足地、聖樹などを目印として神籬、注連縄、仮設の宮や社を設けて祀る形で4世紀中期頃を起源とする。
日本の神事祭礼が稲作だけでなく狩猟にも関係する収穫感謝のまつりでもあった歴史が重層している。
律令制神祇祭祀の形成は600年の遣隋使派遣による文化衝撃を起点とする。沖ノ島遺跡の22号遺跡出土の金銅製紡績具や金銅製人形が神宮祭祀や大祓の神事に通じる祭具であることから推察できる。
律令制神祇祭祀の整備は天皇のシャーマン的な性格からの脱却とイミビト的な性格からの脱却と洗練の実現。神祇伯が管掌する御巫や卜兆の職掌。
伊勢神宮、天武の皇女、大来皇女が673年泊瀬の斎宮にこもり、翌年に伊勢へと出発した時点。
内宮が北緯34度27分、外宮が北緯34度29分、持統天皇が造影した新益京の大極殿のは北緯34度30分、神宮の天照大神が宮都の持統天皇のまつりごとを守る。
20年ごとの遷宮は神鏡の東西軸の往復運動であり、動き続ける神としての性格であり、太陽の運行に沿う東西軸の往復運動の継続。
出雲大社の祭具は弥生時代の翡翠の勾玉と青銅器の祭具(銅鐸、銅戈、銅矛、銅剣)であり、淵源は古い。巨大な社殿の造営は6世紀なかばの欽明朝であった可能性が高い。
磐座祭祀、禁足地祭祀、動態祭祀(社殿や柱が祭祀の中で更新される)
春日社の祭地は756年には神域はあったが社殿はなかった。社殿は768年に左大臣藤原永手が創建したという伝え。祭神は777年の藤原良嗣の病気平癒を祈った段階では常陸国の鹿島神と下総国の香取神の2柱。
836年の藤原常嗣の公開安全祈願では2柱に加え天児屋根命と比売神の四柱大神へと変わっていた。
律令制神祇制下では延喜式の神名帳に載せられている式内社を基礎とする。
畿内658座と王権の基盤的な範囲に多く、それ以外では陸奥が100座と多い。
畿内の安全祈願、蝦夷征討、朝鮮半島に対する防衛と安全保障という配置。
平安祭祀制下では王城鎮守としての22社、国鎮守としての一宮という体制が成立。 -
執筆者の「たくさん書きたいんだ!」という気迫を感じる本。
読み手も一定以上の知識を求められる。
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