相馬一族の中世 (歴史文化ライブラリー 608)

  • 吉川弘文館 (2024年9月25日発売)
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本 ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784642306089

作品紹介・あらすじ

奥州の名族、相馬氏。下総千葉氏の一族で、常胤の子師常が下総国相馬御厨を本領として相馬氏を称する。奥羽合戦で陸奥国行方郡を得て移住。南北朝期は北朝方として戦い、その後も、白河結城氏や伊達氏との抗争を経て中村藩六万石の藩主となるまで、相馬一族は激動の中世をどう生き抜いたのか。支配圏の拡大や戦略を通して一族の歴史を描く。

感想・レビュー・書評

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  • 相馬氏の歴史に関する要点
    1. 相馬氏の故地と出自

    「相馬」という地名は下総国相馬郡(現千葉県北西部、茨城県南西部)と奥州行方郡・標葉郡(現福島県浜通り北部)に存在
    相馬野馬追は奥州相馬氏の旧領で行われる祭事で、平将門の軍事調練に由来すると伝えられる
    下総相馬氏は古河公方や後北条氏に仕えたが、小田原落城で没落
    奥州相馬氏は明治維新まで大名家として存続
    相馬氏の祖は平師常とされ、相馬御厨(伊勢神宮の荘園)を巡る紛争で勢力拡大

    2. 鎌倉幕府と御家人相馬氏

    師常は源頼朝の挙兵に加わり、御家人として幕府に仕えた
    奥羽合戦の功績により所領を安堵された
    幕府の儀式や「浣飯」役、馬引きなどの役割を担った
    承久の乱にも動員され、相馬御厨を巡る伊勢神宮との訴訟も発生
    北条氏の勢力拡大とともに、その影響下に入った

    3. 南北朝期の争乱と相馬一族

    建武の新政期、相馬重胤は後醍醐天皇に仕え、公的地位を得た
    北畠顕家の下で南朝方として活動するも、顕家戦死後は苦境に
    観応の擾乱では尊氏・師直派と直義派の双方から参陣を求められ対応に苦慮
    一族内でも意見が分かれ、抗争も発生
    奥州の南朝方(結城氏・伊達氏)との連携もあったが、北朝方の勢力増大で立場は微妙に

    4. 戦国期の争乱と相馬氏

    室町幕府の弱体化と鎌倉府の動揺の中で自立を模索
    享徳の乱では鎌倉公方足利成氏の追討に動員
    一族内対立や周辺勢力との抗争が激化
    相馬高胤は一族の大悲山氏継承問題に介入するなど惣領権力を強化
    伊達氏との抗争が頻発
    宇多郡中村に本拠を移し、戦国大名としての基盤を固める
    盛胤・義胤の二頭体制が見られた
    豊臣秀吉の奥羽仕置後、所領を安堵
    関ヶ原の戦いでは徳川家康・秀忠に臣従し、近世大名への道を歩む

  • 下総国を出自とし、奥州移住後、中村藩藩主として近世大名となるまでの中世における相馬一族の歩みをたどる内容。特に室町から戦国期にかけて旧来の秩序が崩れる中での苦闘の様子が印象的だった。

  • 【本学OPACへのリンク☟】

    https://opac123.tsuda.ac.jp/opac/volume/720346

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著者プロフィール

1947年茨城県生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。東北福祉大学大学院教育学研究科嘱託教授。専門は日本中世史。博士(文学)。著書に『鎌倉幕府と東国』(続群書類従完成会)、『中世東国の地域社会と歴史資料』(名著出版)、『相馬氏の成立と発展』(戎光祥出版)、『北条義時』(ミネルヴァ書房)など。

「2021年 『鎌倉殿と執権北条130年史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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