碁盤の首 (池波正太郎短篇コレクション 15)

  • 立風書房 (1992年6月30日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784651502953

感想・レビュー・書評

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  • 徳川時代となり真田の武士や藩は徳川から豊臣と真田は二手に分かれ天秤にかけ真田家を存続させた武士というレッテルを貼る者も多々あったらしく、その一挙手一投足が幕府の隠密に常に監視されていた。その中で藩を守るために活躍した当主や藩士など侍たちの物語。
    真田という家にあってその武士たちの苦労や苦悩そして幕府との駆け引きなど真田武士たちの生きざまが面白い。

  • 錯乱(堀平五郎)、碁盤の首(小川治郎右衛門)、この父その子(真田信安)、角兵衛狂乱図(樋口角兵衛)、信濃大名記(真田信之)のみ読了。直木賞受賞作にして、最晩年の真田信之が、お家騒動を目の当たりにして一時は何もかも捨てて京都で暮らしたいと思いつめるも、思いとどまり、幕閣を怒らせてのちのちにたたることは危惧しつつも、目の前の騒動を片付けるためにはと窮余の一策で、幕閣の隠密を手玉に取って、老中をおどすようにして、決着をつける一編。隠密の「今に見ておれ。殿もおれに兜を脱ぐことになるのだ」という暗い情熱。酒井忠世に真田の兵法如何?と問われ、「家来領民を不憫に思い万事に礼儀正しく。士卒も領民も下知ばかりでははげまぬもの。金銀を快くつかわした上での下知命令でなくては」と応えた真田信之。「信濃大名記」の底流にも流れる思想。「人はわしを名君と呼ぶ。名君で当たり前なのじゃ。少しも偉くはない。大名たるものは皆、名君でなくてはならぬ。それが賞められるべきことでも何でもない、百姓が鍬を握り、商人が算盤をはじくことと同じことなのじゃ」(真田信之)/激しい思い込みから、「今に見ておれ」と、自分を認め重用しない真田家への憤懣をためるだけためこんで爆発してまわっていた角兵衛だったが、その最期の切腹は…狂気だったのか母の言葉を肝に命じた信之への最後の奉公だったのか、角兵衛を公儀隠密にみたてた「角兵衛狂乱図」。大阪の陣の和睦中での信之と幸村の対面、それをとりはからってくれた小野お通への果たせなかった恋慕、最後は松代へ移るまでが描かれた「信濃大名記」。わたくしは今御公儀からどう見られているか、将軍様がどう思っているか、それが上田に行くということは…。そしてあなたこそどうして何もかも捨てて京に来てくれないのですか、というお通の激情。お互いの背負うものの重さと相手の思いを感じつつ、すれちがうお通と信之。右近の「でき得ることなれば、殿を京へ、お通殿の許へ差し上げとうござる」という言葉にこめられた万感。

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著者プロフィール

大正十二(一九二三)年一月二十五日、東京市浅草区聖天町生まれ。昭和十(一九三五)年、下谷区西町小学校卒業、株式仲買店勤務。昭和十四年より三年ほど証券取引所にあった剣道場へ通い、初段を得る。旋盤機械工を経て昭和十九年、横須賀海兵団入団。敗戦の翌年、東京都職員として下谷区役所の衛生課に勤務。昭和二十三年、長谷川伸門下に入る。昭和二十五年、片岡豊子と結婚。昭和二十六年、戯曲「鈍牛」を発表し上演。新国劇の脚本と演出を担当する一方、小説も執筆。昭和三十年、転勤先の目黒税務事務所で都庁職員を辞し、作家業に専念。昭和三十五年、『錯乱』で直木三十五賞受賞。『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』の三大シリーズや『真田太平記』等、数々の小説で人気を博す一方、食や映画、旅に関する著作物も多く上梓した。受賞歴はほか吉川英治文学賞、大谷竹次郎賞、菊池寛賞等。平成二(一九九〇)年五月三日、入院していた東京都千代田区神田和泉町の三井記念病院で死去。小社では同じく単行本未収録のエッセイ集『一升桝の度量』(二〇一一)と初期戯曲集『銀座並木通り』(二〇一三)を刊行している。

「2022年 『人生の滋味 池波正太郎かく語りき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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