玉の井という街があった

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  • 立風書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784651710242

感想・レビュー・書評

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  • 私娼街であった玉の井について、郷愁とともに書かれた随筆。
    写真や地図等が比較的充実している。写真・資料協力は墨田区立緑図書館とのこと。労働運動の闘士・南喜一が組織した娼婦の親睦会「女性向上会」の機関紙『玉ノ井戦線ニュース』の紙面は珍しそう。
    ・p92以降に、大正15(1926)年当時、寺島警察署が管内の私娼653人に対して行ったという調査結果の引用あり。前職、年齢、出身地、教育等。
    ・浅草界隈で、新聞縦覧所が娼家のカムフラージュになっていたという記述あり。時期がはっきりしないが、前後から関東大震災以前だろうか。「浅草寺にしてもそういう職業を知って最初から彼らに土地を貸したわけではなく、知らぬ間に矢場とか射的屋とか、新聞縦覧所等、いろいろの職業にカムフラージュされて、次第に増えていったのだから始末がわるかった。/浅草の新聞だけは紙がない/新聞なら家で読めよとおやじ言い/こんな川柳も流行したくらいで、新聞とは名ばかり、実際は新聞縦覧を表看板にする売春窟の世間体をはばかる名目なのであった。(p83)」
    ・昭和20(1945)年8月21日、敗戦後の進駐軍の行動を警戒した内務省により、売春業の再振興が進められた。同年8月28日にRAA(国際親善慰安協会)設立。しかし病気の蔓延が問題となり、同年9月に慰安所一斉検診、その結果を受けて全施設立入禁止となる。昭和22(1947)年勅令9号で売春取締り、これは昭和30年(1955)の売春防止法に至る。
    ・鳩の街について。昭和20(1945)年3月10日の空襲で玉の井が全焼したあと、罹災した女性を吸収して同年5月19日に5件の娼家が建てられたのが始まりで、その後急成長した。業者は玉の井と同じ者が多かった。

  • 生きた空気感が伝わる
    もう3、4年前なのかしら?読みたい本リストに入れていて、
    ここ最近のぼく東綺譚を読んだ勢いでこちらも読みました。

    雑誌の連載ということで、短い、関連性のあまりない文章が脈々と続いて行く感じ。
    その見通しの悪さがまさに玉の井ラビリンスにお似合いなのではないでしょうか。
    昔の玉の井を知っている著者による生きた空気感が伝わってくることが収穫でした。

    もうすでにその姿を残さない街の空気に触れたい方は一読をお勧めします。

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著者プロフィール

1941年兵庫県生まれ。大阪大学工学修士、繊維化学会社にて
炭素繊維技術研究開発に従事。不思議現象の発現メカニズムと
意識科学に関心をもつ。
サトルエネルギー学会学術委員長、エネルギー資源学会会員、
イワクラ学会理事、神奈川徐福研究会理事、国際縄文学会会員、
歴史研究会会員。
著書『古代神都 東三河』、『倭国の真相──古代神都 東三河2』、
『消された古代東ヤマト──蓬莱の国 東三河と徐福』、
『徐福王国相模──古代秘史・秦氏の刻む歴史』(以上、彩流社)、
『炭素繊維の最先端技術』、
『炭素繊維の製造・応用技術の最前線』など多数。

「2016年 『徐福と日本神話の神々』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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