だれかののぞむもの: こそあどの森の物語7 (こそあどの森の物語 7)

著者 :
  • 理論社
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  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784652006177

作品紹介・あらすじ

フー、きみはだれなんだい?フーは…遠くの村からやってきたらしい。フーは…自分のことがわからないようだ。フーは…バーバさんも旅先で会ったという。こそあどの森にやって来たフーをめぐる物語。

感想・レビュー・書評

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  • 人から望まれる姿だけをしていたら、自分のことがおざなりになってしまう。相手のことを考えることも大切だけど、自分のことも考えてあげましょう。そんな大切な当たり前のことを教えてくれる一冊。こそあどの森の住人たちも望むものは各々あって、それに応えてくれるフーに感謝しながらも、元の姿に戻ってほしいという思いを全員が団結して一生懸命説得する場面がとても好き。あたたかくて切ないお話。自分を大切にしてあげることが難しいくらいに忙しい人や、人に気を遣いすぎて疲れてしまった人に読んでほしい。フーは架空の生き物で、不思議だと思ったけれど、周りに求められ、望まれた姿になって自分の姿がわからなくなってしまっている人ってたくさんいると思う。

  • こそあどの森シリーズ・7


    バーバさんから届いた、珍しく長〜い手紙。しかも、森の皆全員に同じものを。

    それは、旅先の村長さんから聞いた、フーという生き物の話。
    その生き物は、人の心を読み、人の望みのまま望まれる姿に変身できるという...その人に喜んで欲しいから。

    そんなフーを助けて欲しい と、バーバさんが皆に書いたのだった。

    その手紙が届く少し前から、森では不思議なことが起きていたのだった。


    純粋に、その人に喜んで欲しいから、望みの姿になる。望みのことをする。心から喜んでもらえるのが、なによりも嬉しいから
    そんな、純粋で清らかなフー
    そして、自分を見失ってしまったフー


    嗚呼...すごく深い深いお話だったと思う

    あと、昔のトマトさんについての、トワイエさんの説明がとっても好き。
    ポットマ夫婦のラブラブ度↑↑

  • 連作短篇風に始まり、バーバさんからの長い手紙をはさんで、ふしぎな生きもの「フー」とこそあどの森の仲間たちの交流を描く。
    前作の壮大さに比べるとずっとこぢんまりした物語だけれど、問いかけてくる内容は負けないくらい重い。ゆたかで深い余韻のある結びの数ページ。みじかくとも充実したひとときだった。
    自分を取り戻すために苦しむフーの姿を見守るのはせつなかった。ひとの心なんて読めなければ、変身なんてできなければ、とフーが自分を責めたときの、こそあどの森の仲間たちの言葉が心に染みた。
    スキッパーたちの励ましで、フーはずいぶん前向きになってこそあどの森を去ってゆくけれど、フーの「本来の姿」も明かされないし、ほんとうに自分を取り戻して、そしてしっかり生き続けていったのか、あとのことななにもわからない。私たちの「本来の姿」とか「自分らしさ」「なりたい自分」というのも、そういう途方も無い問題を抱えているのだと思う。

  • >こそあどの森のみんなに,バーバさんから長い手紙が届きました。
    「フー」という名前のふしぎな生き物がいるらしいのです。

    こそあどの森の物語、第7巻。


    今回は謎の生き物フーが登場します。
    スミレさんが出会った詩の登場人物モリナカノタビト、ギーコさんの作った人形キキィ、ポットさんとトマトさんが出会ったポットさんとトマトさんも全部フーだったことが後で分かります。

    誰かの望むものにばかり変身していると自分でも気づかないうちに自分の心を傷つけてしまうフー。
    だんだん自分を見失い、完全に心が閉ざされた時に死を選ぶ・・・というのはとても怖いと思いました。
    でもそんなにひどくなくても私達人間にもあてはまることがありそうです。

    人を喜ばせるのは素晴しいこと、でもそれがいつもいいこととは限らない・・・というスミレさんの言葉が心に残りました。

    あとギーコさんの「木目を読む」という言葉も深いなと思いました。

    不思議な余韻の残る物語でした。

  • こそあどの森 第7作

    こそあどの森の住民たちがそれぞれ経験した、
    少しだけ不思議な出来事。
    スキッパーのもとに届いたバーバーさんの手紙。
    そこに綴られていたのは、「フー」という存在のこと。

    回を増すごとに、深みを増す住民たちの個性。
    住民たちそれぞれのお話しを読むことで、
    ますます引き込まれます。

    そして後半はとても心あたたまるお話し。
    「フー」という存在に、考えさせられるものもあります。

  • シリーズ7巻目。6巻のキツネも登場する。
    「フー、きみはだれなんだい?フーは…遠くの村からやってきたらしい。フーは…自分のことがわからないようだ。フーは…バーバさんも旅先で会ったという。こそあどの森にやって来たフーをめぐる物語。」

    こそあどの森シリーズで、いちばん難しい話かな?と思い、娘たちには1巻からずっとシリーズを読んできたけれどこの本は飛ばしていた。小5になって読んだ。
    すると、娘たちはよく聞いていた。話、わかったみたい!
    他人の望む姿になり続けたことで自分を見失ってしまったフー。そんなフーを心配する、こそあどの森の人たちの気持ち。
    スキッパーがポロポロと泣いたわけ。すみれさんの気持ち。フーの悲鳴。
    最後、フ―はどうなったのか。これからどうやって生きて行くのか。そこまで、想像しながら娘たちは聞いていた。自由に楽しく生きれたらいいね。どんな姿なのかなぁ。って、話していた。
    娘たちの会話を聞きながら、親子で本を読んできてよかったなとジーンとした。
    うまく言い表せないけれど、いい読書体験だった。

  • ひとの希望に応えて、喜んでもらえることは嬉しい。
    けれど、人に合わせて自分を見失うのはなんだか違う気がする。
    本当に自分がやりたいこと、なりたい姿とはどんなことだろうと考えました。
    自分を見つめ直して、心の声を聞いてみようと思いました。

  • フー、なりたいものにおなり。この世で1番優しい言葉。
    シリーズを読み進めていくほどにスミレさんが好きになる。

  • こそあどの森の物語、深いなー。
    自分以外の望みを叶え続けることは、楽な生き方だよね。ある意味自分がない。でもそれは、人に言われたからやってることなので、人からの信用も失ってく。のではないかと思う。
    こそあどの森の住民たちは皆んな優しい…。

  • 彼の名前はスキッパーだった!挿絵がまた素敵。

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著者プロフィール

1947年兵庫県生まれ。神戸大学教育学部美術科在学中の1966年に「星泥棒」を自費出版。西宮市内で小学校教師をつとめながら1979年に『ムンジャクンジュは毛虫じゃない』(偕成社)を発表。1981年『放課後の時間割』で「日本児童文学者協会新人賞」を受賞。教壇に立ちながら1年に約1タイトルのペースで作品を発表。数々の賞を受賞する。「こそあどの森」シリーズ(理論社)は国際アンデルセン賞オナーリストとなる。アジア各国では翻訳本も出版されている。岡田淳作品で読書嫌いが治った、本好きになったという人は多い。

「2008年 『人類やりなおし装置』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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