あばれはっちゃく (山中恒よみもの文庫 4)

著者 :
  • 理論社
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (483ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784652021545

感想・レビュー・書評

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  • 悲鳴のセリフが多かったが、そのバリエーションは少なく「ギャーオ」などのワンパターンである。章を重ねるごとに登場人物が増えてくるため、各章は独立しているようにみえて実は途中から読んだりすると、「この人誰?」となってしまうと思われる。

  • 登場人物が多すぎてちょっとこんがらがった。あばれはっちゃくみたいにはなりたくないなと思った。だってスカートめくりはできない。。。

  • KiKi の子供時代、腕白坊主が主人公の物語っていうのはどうも苦手でした。  どちらかと言うと優等生で大人好きのする子供だった KiKi にとって、男の子の「男の子らしさ」みたいなものは好感が持てるような類のものではなく(どちらかと言うと鬱陶しかった ^^;)、恐らくクラスメートにはっちゃくみたいな子がいたら、できるだけ関わらないでいようとしちゃったように思います。  

    でも月日の流れというのは恐ろしい(?)もので、昔だったらどちらかというと「関わらないようにしよう」と思っちゃっていたような子が今の KiKi には微笑ましくてたまらない・・・・・(笑)。  勉強ができないところも、いつもいたずらばかりしているようなところも、時に泥だらけ鼻水だらけという決して美しいとは言えないような風貌も、頭のてっぺんにあるはげに至るまで「可愛いなぁ」と思うのですよ。

    子供時代には見えなかった(というより見ようとしなかった)、はっちゃくの奥底にある優しさ、正義感みたいなものがしみじみと感じられるようになったっていうことなんでしょうねぇ。  はっちゃくがかっこいいのは弱い者いじめをしないところです。

    1970年代に書かれた作品なだけに、長太郎(はっちゃく)のあらゆる言動のモチベーションの源であるヒロイン、宮村ヒトミちゃんとの妄想に「ちゅう(チュウ);要するにキス」という言葉が続出したり、でべそと言う言葉(状態?)にちょっと拘りがあったり、万博な~んていう懐かしいイベントの名前が出てきたりと、ちょっと今っぽさには欠ける物語だとは思うけれど、KiKi にしてみればこれらは全て子供時代の現実世界であって、ちょっと甘酸っぱい懐かしさみたいなものを感じました。

    この本の表紙の絵がまたいいですよね~。  もうちょっと古い時代であればはっちゃくの足元は下駄だったんじゃないかと思うけど、このズック靴を彷彿とさせる足元といい、短パンといい、ランドセルの脇にさした竹の物差しといい、いがぐり頭といい、古き良き時代の小学生そのものという感じがします。

    もう1つこの物語を読んでいて楽しかったのは各章のサブ・タイトルなんですよ。  すべてのサブタイトルが「○○作戦」となっていて、このネーミングの精神が何ともあの時代を象徴していると思うんです。  ま、「○○作戦」な~んていうカッコつけた名前が必要なような用意周到・準備万端整ったいたずらは皆無なんですけど(どちらかというといきあたりばったりという感じ)、それでもお山の大将としてはちゃんと作戦名を名づけずにはいられないんですよね~。

    子供らしい毒とも呼べないような毒に満ちたこの物語。  昨今の引き篭もり系のゲームばっかりやっているような「おとなしい子供(特に男の子)」には是非読んで頂きたいと思うのですが、こういう男の子はイマドキ受け入れられるのかなぁ??  今の KiKi ならこういう男の子がいたら迷うことなくチュウしてあげちゃうんだけどなぁ・・・・・(笑)

  • 山中恒のこの古い作品を読んでみようと思ったのは、こないだ本屋で、中島京子の『ハブテトル ハブテトラン』が文庫になっているのを見かけて(やはり直木賞をとると、旧作がどんどこ文庫化されるみたいである)、その解説を山中恒が書いていたのがきっかけ。

    その立ち読みした解説の中で、山中恒は、自分の『あばれはっちゃく』が大人の文庫になったときに、解説を中島京子さんに書いてもらって、うわー、自分の作品をこんな風に読む人がいるのかと思った、みたいなことを書いていた。

    その大人の文庫は角川文庫らしかった。図書館にはこのバージョンは所蔵がなかったので、本屋をいくつかのぞいてみたが、斎藤美奈子が同じ角川文庫の『おれがあいつであいつがおれで』に解説を書いているのを見つけたきりだった。なので、中島京子は『あばれはっちゃく』をどう読んだんかな~と思いながら、古い読みものを借りてみたのだった。

    小学生だった私が愛読した本の筆頭ともいえるのが山中恒で、私は山中恒の「読みもの」を図書館の「や」の棚で片っ端から借りて読んでいた頃もあった。
    この人にはほんとにいろんな作品があるが、私が自分の本(文に、と与えられた本)として持ってたのは『クラマ博士のなぜ』(最初に読んだのは私の記憶では小2のとき)と『なんだかへんて子』(同、小4のとき)で、『青い目のバンチョウ』、『ぼくがぼくであること』、『サムライの子』などもウチにあった(『ぼくがぼくであること』と『サムライの子』は、大人の本=文庫だったので、私が読んだのはたしか高校の頃である)。大人になってからは『ボクラ少国民』など、少国民シリーズも読んだ(1931年生まれの山中恒は、いかに自分たちが少国民として育てられてしまったかを振り返った本もかなりたくさん書いている)。

    運動やケンカの腕はばっちり、いたずらのアイデアならじゃんじゃんわいてくるが、勉強はさっぱりという小6のはっちゃく=桜間長太郎。父ちゃんや母ちゃん、先生にも、「なんでだ!」と思ったら、ずけずけとモノを言い、いたずらをかまし、弱きをたすけ強きをくじく風のはっちゃくの言動は、小学生だった私にはすごくおもしろかったのだろうと思う。今読んでも、痛快だねえ、言うねえ、やってくれるねえと思うところがたくさんある。

    久しぶりに読んでみて、はっちゃくは、クラスのかわい子ちゃん=ヒトミちゃんのためならエンヤコラ的なココロが強く、何かっつーと「これをうまいことやったら、ヒトミちゃんがチュウでもしてくれねえかなあ」とモワモワ妄想したりするのがおかしかった(そんな妄想は実現しねえのだ)。

    山中恒には「エッチ」とか「ボイン」といった、子どもがうひひと興味をもつような言葉がけっこう出てくる読みものもあった(タイトルに「ボイン」が入ってた作品もいくつかあった気がする)。「かわいこちゃん」とか「ボイン」とか、今から見ればブーなところもあるのだろうが、私はとにかく山中恒の読みものが好きで、読みまくっていたのだった。

    小学生の頃みたいに、また山中恒を片っ端から読んでみたいなーと思った。中島京子の解説が入った文庫も、どっかで見つけて読んでみたい。

  • 小学生のころ大好きだった。本当に面白い。個性あふれる登場人物たちがとても魅力的です。

  • 今まで読んだ文庫の中で2番目に面白いに!!結構分厚い本なくせして、すらすら読めス!

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著者プロフィール

1931年北海道小樽市生まれ。児童読み物・ノンフィクション作家。戦時下を描いたノンフィクションに『ボクラ少国民』シリーズ(辺境社)、『少国民の名のもとに』(小学館)、『アジア・太平洋戦争史』(岩波書店)、『戦時児童文学論』『靖国の子』(大月書店)などがある。

「2019年 『山中恒と読む 修身教科書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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