- 本 ・本 (161ページ)
- / ISBN・EAN: 9784652078174
感想・レビュー・書評
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子どもと一緒に障がいについて考えたい本。「合わないサイズの服でも我慢しろ!?」の箇所が目からウロコでした。点字について前からずっと疑問に感じていたことが書かれていてスッキリ。
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著者は,20代前半まで弱視ですごし,現在はほぼ全盲に近いという。そんな自分の人生を振り返りながら,「ふつう」とはなにかについて,とってもわかりやすく解いてくれる。
子どもの頃の野球の想い出。友達は,著者のためによかれと思って考えてくれたルールであったが,本人は,あまりおもしろくなかったという。それは,他のメンバーにはある「失敗」がないからだった。いろんな失敗も準備されていて初めて,いっしょにゲームをやっていることになる。そういうことだ。
「ふつう」については,次のように言う。
なにが「ふつう」であり,誰が「健常者」であるかは,実は,絶対的なものではなく,相対的に決まるものなんですね。ぼくたちのくらす社会では,階段はあることが「ふつう」であり,階段を昇り降りできるからだこそが「ふつう」のからだということになっているけれど,鳥人間たちの社会では,階段はないことが「ふつう」であり,階段などなくても上下階への移動に支障のないからだこそが「ふつう」のからだであるとされるわけです。(p.62)
おっしゃるとおり。「ふつう」は相対的なもの。だから,集団の様子が変われば「ふつう」も変わる。簡単なようで,なかなかそう思えないのが子どもの世界だんだけど。
障害者に向き合うときに,われわれに必要な態度とはどのようなものなのかについては…,
問題は,「向き合うべきは誰なのか」ということなんですね。本で読んだり,授業で聞いたり,経験を積むなかから得られるものはもちろんたくさんあります。けれど,向き合うべきは,あくまで,他ならぬ目の前にいる「その人」なんです。教科書でも,先生の話でも,ボランティアのマニュアルでも,過去の経験でもない。(p.125)
と述べている。これは障害者だけではなく,他人と向き合うときに必ず言えることだ。自分のこれまでの経験(直接も間接も含めて)を大いに参考にして向き合うのは当たり前だけれども,一番大切なのは,あなたの目の前にいる〈その人〉なのである。日々,子ども達とつきあっている先生方にも,こういう姿勢は持っていてほしいものだ。ベテランと言われる先生ほど,経験則で推し量ろうとしてしまうのではないか。それが,帰って学級崩壊を生んでいる可能性もなきにしもあらず。一人一人とじっくりと向き合うことからしか,教育も人間関係も始まらないと思う。
知識でもって現実を解釈するのではなく,現実と照らすなかで,知識に修正を加えていくことが大切です。そのためには「自分はわかっていないんだ」ということをわかっている必要がある。でなければ,虚心に目の前の現実とは向き合えませんから。/この本についても同じですよ。(p.126)
他人のことはよくわからないんだ。だから,失敗を繰り返しつつもひとつひとつ確かめていくんだ。そのような,人と接する際のごくあたりまえの態度さえ忘れなければ,障害をもった人間とつきあっていくことは,とりたてて難しいことでも,特別なことでもないということです。(p.145)
恐らく中高生に向けて書かれた本ですが,人間関係のど真ん中にいる大人たちにとっても,きっと,再確認できる話がいっぱいあると思うよ。 -
「たとえ時と場所をおなじくし、遊びや仕事を一緒にしていたとしても、よろこびをつかむチャンス、失敗をおかす危険性に、あらかじめ大きな格差があったのでは、「共に生きている」とは言いがたいわけです。」
「共生」をテーマに、障碍者についてを書いているのだけれど、すごくすごく難しいと思うのだ・・・。
この人一人だけの意見を聞いていると非常に偏る。これだけではない、ということに気付かないととても寄ってしまう。
だからといって、ここに書いていることが間違っていると言うわけでもなく、何をどの状況を「共生」というのか、そこに答えはないのではないだろうか。
ただ、私は、この著者の考えにあまり寄り添えれない。
その違和感を言葉にするのが難しくもどかしい思いでいっぱいだ。
【8/19読了・初読・市立図書館】 -
こういった障害を持つ人からの言葉を読む度に自分に貼り付いている偏見に改めて気がつかされる。
けれどもこの本はその偏見に対して気がつかせてくれて、その後にではどうしたらよい方向にできるかに関しても自然に考えさせてくれる。
健常者だろうと障害者だろうと、「その人」に向き合うことをきちんと覚えていたい。
どんな人にでも読んでほしい。 -
結局、人間は実際に出会って、見て、触ったもののことにしか、思いを巡らせることが難しいのではないかと、最近思います。
レッテルを貼って、その枠でものを考えてしまうというというのはやめるべきだし、差別意識なんてものはもってのほかだけれど、そうした気持ちをもっていなくてもなお、お互いのニーズとサプライが噛み合わず、「すれ違って」しまって、どうにも生きにくくなってしまうというのは、世の中多々あることだと思います。
おそらく、お互いのことを「知る」のではなく、お互いに「出会う」ことが大切なのではないでしょうか。 -
わたしがいちばん
みんなもいちばん
そういうひとに
わたしはなりたい -
題名に惹かれて衝動買いしたのだけど、期待していた中身ではなかったな。割と普通な作品。
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100%orangeのイラストがカワイイ「よりみちパン!セ」シリーズ17冊目。障害者も健常者も「わからない」ということを知る事がまず大事?
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視覚障害者による障害の本。
p.28
「共生」は簡単じゃない
野球 変則ルール
p.65
どっちつかずである生きにくさ
障害の重さ、軽さ
p.106
かたまりとして見るという暴力
とどのつまり、障害者であれ健常者であれ、
目の前の人を大切にする。
想像力を働かせる。礼儀正しく接する。
p.154
「共生」は、決して「タダ」ではすすまない
会ったことのない誰かのためにも、想像力をはたらかせて積極的に負担を行える人たちがどのくらいいるのか、そのことに大きく左右されるのではないか
教育者としてやるべきは、、、
ふつうを広げること?ある程度の知識をもつこと?