「美しい」ってなんだろう?―美術のすすめ (よりみちパン!セ 26)

著者 :
  • 理論社
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本棚登録 : 279
感想 : 44
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  • Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784652078266

作品紹介・あらすじ

あたまのなかをまっしろにして、よのなかのいたるところにある「ふしぎ」をみつけよう。…それが「美しい」と出会うための、まずさいしょの一歩です!じつはこの本、ふだん想像もつかないような、とてつもなく広く大きく奥深い「美」の世界をたくさん用意して、あなたを待っているのです。ちょっとドキドキしますか?でもだいじょうぶ、そこへ連れていってくれるのは、登校拒否教師のモリムラ先生ですし、「美しい」と出会えれば、あなたの人生、かならず大きく変わるんですから。

感想・レビュー・書評

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  • ぼくも「美しいってなんだろう」って考えてみた。
    ぼくにとって美しいというのは、見ていてうれしいとか、いい気持ちになれるもの。今だったら、遠くに見える山に、雪の積もっているのとか。絵にも美しいものがある。
    ことばは見えないけど、優しい感じのことばが美しいような気がする。これっていうのは思いつかないけど、言い方で、美しくなったり、そうじゃなくなったりするかもしれない。(小6)

  • 美しいとは何か?というのは知りたいものだ。漢字の成り立ちからいうと、「美」は、「羊が大きい」と書き、羊が大きいのを美しいと言った。ちなみに、美味しいも、同じ美である。
    著者森村泰昌は、少し変わった美術家である。どんなことを書いているのか、私の問題意識と関連していたので、読んでみた。一言で言えば「我田引水」だった。美しいをそっちの方に持っていくのかと驚いたが、LBGTという世界を理解するのも、いいかもしれない。大阪人特有のユーモアとくらさがあって、なんとも言えない作品を生み出している。
    確かに、美しいという前に、カワイイ、カッコイイ、キレイというものがある。森村は、盛り土した墓を美しいと感じるのだ。ふーむ。
    そして、森村泰昌の出世作、ゴッホの自画像の作成に入る。美術とは、「見る、作る、知る」があるが、「自分の道を探し出す」ということから、「なる」をあると言って、名画になるのだ。
    そのことで、違った世界が生まれるという。またしても、違う方向に連れていかれる。ふーむ。
    次々に、いろんな名画になっていく。それが、質問に対して答えていくという手法で、最後まで続いた。表題の『「美しい」ってなんだろう?』とは、人によって、全く違うのよと言っていることだけわかった。ますます、美しいってなんだろうと考えざるを得なかった。

  • 金言が多すぎて付箋とメモが追い付かない。借りてよんだので、ぜひ購入して手元に一冊置きたい。

  • ■ナメテました。やばい、いいです。欲しいです。この本。
    もっと絵のことを知りたくなりました。

  • 家族の蔵書を盗み読み。森村さんの美術展は何回か見ています。著書もなかなか面白いね。

  • 芸術家と芸能人の違いは何か? と本書の中で疑問が提示される。

    そこについて明確な差はないと著者は語るが、そのこと答えは本書表題に既にあるのではないか。

    つまり、美しい(あるいは面白い、もしくはカッコいい)とはなにか答えを問うのが芸術家で、大衆の中にある答えに寄り添っていくのが芸能人ではないだろうか。

    森村泰昌は中学生に対して自らの作品を通じて、多彩なモノの見方を提示する。
    つまり、ある絵があったのだとしてその絵が美しいのではなくて、その絵を美しいと思う心が美しいのだ、と。

  • ビブリオバトルで紹介されていた本。
    この本を通じて、自分にとって美しいものが増えた気がして嬉しい。

  • 自分か絵を描く意味を考えた本

  • 世界が窮屈になって、ルールが厳格化されると、
    人間は、その常識やルールを頼りにして
    真面目に生き抜いているが、
    一方でそういう思考をひっくり返されることを
    期待している面がある。

    男性用の便器をひっくり返しただけの
    マルセル・デュシャンの『泉』(1917年)だったり、
    身近にあった大量生産品であるスープ缶を描いた
    アンディ・ウォーホルの
    『キャンベルのスープ缶』(1962年)など、
    現代美術は「芸術の概念や制度自体を問い直す、固定概念を壊す」
    ことに主眼が置かれているように思える。

    森村泰昌もまた、自分自身を被写体にして、
    世界的に有名な絵画や有名人などを
    表現するアートで有名になった。
    自分自身を作品の一部に組み込んでしまうという発想や、
    美しくなりたいというナルシシスムを感じる
    作風の数々は、どこか三島由紀夫を彷彿とさせる。

    「抽象画というのは一種のレントゲン写真なんだ」
    という考え方は、とても参考になった。


    浄土真宗の親鸞の『歎異抄(たんにしょう)』
    「善人なおもて往生をとぐいわんや悪人をや」の解釈について。

     善人が救われるのは当然だが、
     宗教とは全人類を救うためのものだから
     悪人が救えなくて、どうして宗教といえるんだ。
     何故、他のお坊さんは「悪人は地獄行きも当然」と
     何の疑いもなくとらえて、
     それでよくもまあ平気でいられるもんだ。

    「悪人は罰せられる対象ではなく、
     救うべき大テーマである」という解釈をしている。

    自分は、ものごとは善人と悪人で
    ハッキリと分けられるものではなく、
    モノの見方を変えたら善人は悪人にもなるし、
    悪人は善人にもなる。
    今まで一度も悪いことをした人間などいるのだろうか。
    己の正義を貫こうとすれば、
    現行の法律も犯してしまうこともあるだろうし、
    己の欲や保身のためには、
    悪にも手を染めてしまうこともあるのではないか。
    要するに、悪人とは、
    すべての人間を指した言葉ではないか、と解釈した。

    それだからこそ、
    「悪人は罰せられる対象ではなく、救うべきである」
    という結論に至るのは自分も同じ。
    物の見方をちょっと変えただけで
    こんなに世の中に対する姿勢が変わるのが面白い。

     酒が人間をダメにするんじゃない。
     人間はもともとダメだということを教えてくれるものだ。

     女子大生が売春してるのを嘆く無かれ、
     売春婦が大学で学ぶようになったんだから。

    は立川談志の言葉。
    これもまた同じようなことを言っている。
    こんな風にして、視点を変えてみるならば、
    世の中はもう少し寛容な社会になるかもしれない。

  • とても読みやすかったです。
    とはいえ侮れない本です。

    美しさの捉え方は個々自由でいいんだと、やさしい口調で語りかけてくださいます。

    しっかたぶりせず、単語や知識で語らず、感じたことの本質はなんなんだろうと考えることが、大事。

    そういえば過去の戦争に置いて、アートは制限されてきました。
    心の自由を縛るために。

    裏返せば、アートがある限り、人は人を認め、国際的な争いに至ることも少ないのかもしれない。

    食べず嫌いにならず、関心の種を蒔き、いつその関心が咲くのか。
    無駄なことなんてないのかもしれません。

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著者プロフィール

1951 年大阪市生まれ。1985年にゴッホに扮したセルフポートレイト写真でデビューして以降、国内外で作品の発表を続ける。近年の個展に「森村泰昌:自画像の美術史——「私」と「わたし」が出会うとき」(2016年、国立国際美術館)、「Yasumasa Morimura: EGO OBSCURA」(2018-19年、ニューヨーク、ジャパン・ソサエティ)、「M 式「海の幸」——森村泰昌 ワタシガタリの神話」(2021-22年、アーティゾン美術館)等。ヨコハマトリエンナーレ2014「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」では、アーティスティック・ディレクターを務めた。2018 年には大阪・北加賀屋に自身の美術館「モリムラ@ミュージアム」が開館。執筆活動も精力的に行い『自画像のゆくえ』(2019年、光文社新書)をはじめ多数の著書がある。

「2022年 『ワタシの迷宮劇場』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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