僕は、そして僕たちはどう生きるか

著者 :
  • 理論社
4.03
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  • Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784652079799

感想・レビュー・書評

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  • 植物と、それを食べることへの視線が真摯で優しい作品が多いけれど、今回もそれが遺憾なく発揮された作品。山菜が美味しそう。
    大勢に流されることの安易さと残酷さ、その中で自分の意志を貫くことの難しさと尊さを描いていて、身につまされる部分が大きい。
    ただ、これからのことを考える作品だから仕方ないのだろうけど、なんとなく尻切れとんぼ感があるのが残念。

  • ×

    perho

    本は必要なときに出会えると、誰かが言ってたとおもうけど、この本にはそういうふうに出会いました。
    コペルくんみたいに素直に、謙虚に生きていけるよう、がんばろう。
    なんとなく、傷つきたくなくて考えるということを避けてきたことが、やさしい言葉でまっすぐ伝わってきて、このままでいていいの?と問いかけられたという気がします。
    これから何度も読み返す、大事な本になりそうです。

  • タイトル通りの物語。どう生きるかということが書かれた作品。なんだか小難しいなぁという印象。多感な時期に読むとなんだか影響が大きそう。梨木作品はなんだか文章が硬質な感じがして私は少し苦手かも。2012/583

  • まわりの「普通」に流されないで生きていく事
    自分を見失わないように
    がんばっていた人、がんばっている人がいる

    コペルくんのある一日が平凡に過ぎるお話っぽいけど
    なかなか印象が強い内容でした
    いろんな人が出てきたなぁ

    ノボちゃんは、染色をやっている
    安定した生活には結びつかないけど
    「好きなことやってるんだから、それは覚悟の上さ。精神が安定していることの方が、いいんだ」

    コペル君は
    いま、僕に必要なのは、気持ちをすっきりさせることじゃない。とにかく、「考え続ける」ことなんだ。
    …泣いたらだめだって事。甘い自己憐憫に浸る心地よさなんか、いらない…そんな自分でありたい

  • これまで梨木作品はその大半を読んできたけれど、この作品はこれまでの作品とはどこか一線を画している印象です。  梨木さんは常に現代社会にある種の不安、危うさのようなものを感じ、それをどちらかというと刺激は強すぎず、でも心にはずっしりと残る文体、語彙で語りかけるタイプの作家だと KiKi は思っていたのですが、この作品ではそんな確信犯的に自ら纏い続けてきたオブラートをばっさりと脱ぎ捨て、ある種の意志表明をした・・・・・そんな印象です。

    タイトルからして吉野源三郎さんの「君たちはどう生きるか」を念頭に書いた作品であることが容易に察せられるのですが、主人公の名前(呼び名)も同じコペル。  でも2人のコペルの生きた時代の違いはエピソードの数々から明らかです。  その時代の違いが「生きる」ことに対する姿勢の安易さや、欺瞞の数々の1つの要因なのかもしれません。

    14歳の少年の1日の出来事の割には重いテーマが満載・・・・なのですが、逆に言えばある種の「気づき」が、そしてその気づきに誘発された「思考」が、それまで他人事、どこか自分とは関係ない世界の出来事として見聞きしつつも無視してきたようなことにあらためて真剣に目を向けてきた、その証だったのかもしれません。  とは思うのですが、このコペル君。  どこか不自然な気がするのは気のせいでしょうか??  言い訳のように「子供らしくない子」であることを、そう言われていることを自覚している子であるというのも、う~ん・・・・・。

    まず、土壌研究を趣味とするコペル君と草木染作家のおじさん、さらには小学校時代の親友だったユウジン君のおばあちゃんの自然保護運動(と、こんな安易な言葉で語るようなものではないけれど)あたりのエピソードではサラリと環境問題を語ります。  でもそれはこの物語のメインテーマではなく、もっと重いものがこの後続々と出てくるんです。

    戦時中に兵役を逃れ山に隠れ住んでいた米谷さんのエピソードでは「個と集団」に関する1つの視座を、ユウジン君が小学生時代に可愛がっていたコッコちゃんのエピソードでは教育問題と米谷さんエピソードに通じる「個と集団」に関するポイントを。  そしてコッコちゃんエピソードとユウジン君ちの敷地の片隅に隠れ住んでいたインジャのエピソードでは「耳触りの良い言葉に隠された悪意」を・・・・と、アプローチこそ異なれど KiKi が日頃から感じていたある種のこの社会の危うさをこれでもかっていうぐらいストレートに語り始めます。



    個人的にはこの物語にある種の共感を覚えたのもまた事実なのですが、正直なところ「よい読後感だった」とは言い難い、それこそ何かひっかかりのようなものを感じるんですよね。  何ていうか、エピソードの1つ1つにある種の作為的なもの、もっと言えば作者の結論が先にありきで、それを無理やり14歳のコペル君の悩みの中で納得させていくかのような性急さのようなもの・・・・・を感じてしまいました。  もちろん、梨木さんがこれらのエピソードと同種のものに接し、こう考えた・・・・という真摯な思考プロセスの末に書いた物語だったのかもしれないとは思うんです。  でも・・・・・・。

    何故、これを14歳の少年の思考として描いたのか?さえどこかぼけてしまっているような・・・・・。  これは特にインジャのエピソードがどこか全体から浮いてしまっていることによるものもあるかもしれません。  そしてその部分に関しては、梨木さんの怒りの感情があまりにも剥き出しになっているが故に「コペルらしさ」が感じられないのかもしれません。

    ただ、1つ強烈に共感できるのは

    「泣いたら、だめだ。  考え続けられなくなるから。」

    と言う言葉でした。  これ、KiKi も時々感じるんですよ。  泣く、感動する、笑うってとっても大切な感情だし、そこから得られるものも数多くあるわけだけど、時に、それは自己憐憫やら自己満足、さらには自己陶酔に通じるものがあって「泣けた、感動できた、笑えた自分に満足して、それで終わり」というようなところがあるのも又事実だと思うんですよね。  で、せっかく掴みかけた思考のきっかけを棚上げしちゃうような・・・・・。

    多くの日本人は自分は「弱い立場」にいると、ある種手前勝手に考えています。  自分から「私は強い立場の人間です。」な~んていう風に考えているのは、権力の近く(国家権力とか会社の役員とか)にいる人ぐらいでしょう。  そしてどこかで「弱い立場≒善人」と思い込んでいるようなところもあるような気がします。  多くの場合、それはその通りだったりもするでしょう。  でも、集団の中に埋もれた時、「自分よりさらに弱い立場の人を振り返らない傾向がある」のも又事実。  安全な所に自分の身を置いた安心感も手伝い、「みんなもこれでいいんだから、間違っている筈がない」と思考停止に陥る可能性も高い。  この物語はそんなことに対する1つの警鐘にはなっていると感じました。  

    全体としては、「自分の言葉で考えようよ。  表向き綺麗そうな言葉を鵜呑みにするのはやめようよ。  協調することは人が社会で生きていくうえで大切なことだけど、それを大切にするあまり、思考停止に陥らないように気をつけようよ。  そして、自分の想いに囚われどこか協調性を失っているように見える人を排除するのはやめようよ。」というようなことが言いたい物語なんじゃないかと思うんだけど、そしてその主張にはすこぶる共感する KiKi なんだけど、でも、やっぱりどこか居心地が悪い・・・・・・。  これ、図星をつかれたから・・・・なのかな?  それもあるかもしれないけれど、それだけじゃないような気もする・・・・・。  う~ん、うまく纏まりません。

    何となく、何となく・・・・ではあるけれど、本全体から梨木さんの焦りのようなものが発散されているようで、どこか「らしくない」と感じ、落ち着かない気分の KiKi なのです。

  • これだったんだ。

    そう思った。


    どこまで、どれほど日々のなかでとことん突き詰められるか。
    見て、聞いて、かならず何かを感じているのに、うやむやに、なんとなくいやだな。これはなんかいいかもしれない。そんな程度で済ませてしまっている。

    ユージンは、世間から、現代から半ば切り離した(けれど完全には離れていない)場所で、時間をかけて考えて考えた。

    いそがしいから? だからここまで考えられないのだろうか。違う。そこにつぎ込むエネルギーを捻出できない集中力のなさ、真剣味の欠落。考えなければ、巻き込まれる――その不安の欠如。

    空気で、雰囲気で伝える――そんな曖昧さに一石どころか巨岩を投じた一作。

  • 梨木さんの小説は「西の魔女が死んだ」以来、2冊目です。

    この本の主人公は14歳の少年。男の子だけど中学生だし、土と植物に触れる暮らし、手を動かして食べ物を作るところ、など、共通したテイストを感じました。

    ただ、こちらのほうが、個を超えている感じ。2011年の4月に刊行されたようですが、今のご時世を予感していたかのように読めました。ふだん気づいてない(または無視してる)心の中のざわざわするものを刺激されて、読後も考え続けてしまいます。

  • 男子目線って梨木香歩にとって初めてではないだろうか。植物、動物への造詣はいつも通りだったが、なにか新鮮なものを感じた。権力とは同調圧力を巧みに使う。なにより重要なのは良心の問題とその守り方、発揮の仕方。色々な時事問題はほぼ分かる形だったが、こういう扱い方としては珍しく空振りしていなかったと思う。

  • 人間は社会性のある動物で、群れを構成して生きることを本能としている…んだけど、その群れの中で複雑なコミュニケーションを要する上に、複雑な感情を有するからややこしい。

    全体主義とは、個人主義とはどういうものか。

    登場人物たちは、自分たちや家族や知り合いの経験を通じてその部分を深く掘り下げて考えていく。その過程を読むことで俺自身もいろいろと深く考えさせられた。

    群れの中でどう生きていくべきか、群れとどういう風にかかわっていくべきか、群れの中の各個人とどう関わるべきか、群れと違う考え方をする人をどう受け止めるか、自分が群れと違う考え方になったときどう受け止めるか、群れが自分を裏切った時どう対処するか…

    考えるべきことはとても深くて多い。そんな課題を突き付けてくれる良書だと思う。

  • 答えが簡単に出ないことってたくさんある。生きるってそういうことの連続、積み重ね。だけど、答えを急かされる。「本当は違うんだけど」と思いつつ、大勢の意見に流される恐ろしさ。そのうちもともとの自分の考えが麻痺してわからなくなってしまう。
    ときに唇を噛みしめ、涙を流してごつごつぶつかりながらも一瞬一瞬を一生懸命生きようと寄り添ってくれる(応援してくれる、とは少し違うように思う)本。

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著者プロフィール

1959年生まれ。小説作品に『西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集』『丹生都比売 梨木香歩作品集』『裏庭』『沼地のある森を抜けて』『家守綺譚』『冬虫夏草』『ピスタチオ』『海うそ』『f植物園の巣穴』『椿宿の辺りに』など。エッセイに『春になったら莓を摘みに』『水辺にて』『エストニア紀行』『鳥と雲と薬草袋』『やがて満ちてくる光の』など。他に『岸辺のヤービ』『ヤービの深い秋』がある。

「2020年 『風と双眼鏡、膝掛け毛布』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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