僕は、そして僕たちはどう生きるか

著者 :
  • 理論社
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  • Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784652079799

作品紹介・あらすじ

やあ。よかったら、ここにおいでよ。気に入ったら、ここが君の席だよ。コペル君14歳、考える。春の朝、近所の公園で、叔父のノボちゃんにばったり会った。そこから思いもよらぬ一日がはじまり…。少年の日の感情と思考を描く青春小説。

感想・レビュー・書評

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  • 1930年代に、若い読者へ向けて書かれた本書は吉野源三郎氏の「君たちはどう生きるか」の15歳のコペル少年と錯覚してしまう。本作は、主人公・コペルが染織家の叔父ノボちゃんと共に疎遠になっていた親友・ユージンの庭によもぎを取りに行った一日のことが物語となっている。

    そして、その一日を共有した人たちが、それぞれの心に秘めている想い、考えを通し、作者が私たちに生きていく上での環境、社会について問題定義をしている。
    それは、弱いものを従わせる力。リーダーの存在意義。集団の中での無言の強制力などを戦争、性犯罪、環境保護などの社会問題を背景に、自分たちの立ち位置を常に考えるように、また考えて続けることの重要性に訴えかけている。

    つまりは、人が生み出す力の方向性を常に個々人がしっかりとした信念を持ち、理解していなければ、環境は、社会は想定外の方向に進んでしまうということを認識すべきであるということである。

    本作の中に主人公・コペルの友人であるユージンが小学生の時に、飼っていたニワトリを担任というリーダーの力、クラスという集団の力に屈して、自分の意とは異なる経験を強いられた回想のシーンがある。この時、経験が、ユージンの居場所を閉鎖してしまう。また、それを意識していなかったコペル自身も、この日、過去の自分を悔いることになり、自分居場所を考えることになる。

    ユージンの従姉妹のショウコが参加していたボーイスカウトでの先輩が犯罪をうける。その先輩も、それから自分の居場所を、閉ざしてしまう。

    それでも、人間は群れの中でないと生きていけない。時に群れから離れたいと感じこともある。が、いつでも受け入れてくる群れ、自分の存在を認めてくれる群れを作ることが大切なのである。
    そのことを考える続けることが、大切なのである。

    そして最後の言葉に繋がる「生きるために、群れは必要だ。強制や糾弾のない、許し合える、ゆるやかで温かい絆の群れが。人が一人になることも了解してくれる、離れていくことも認めてくれる、けど、いつでも迎えてくれる、そんな『いい加減』の群れ。…『群れの体温』みたいなものを必要としている人に、いざ、出会ったら、ときを逸せず、すぐさま迷わず、この言葉を言う力を自分につけるために、僕は、考え続けて、生きていく。
    やあ。
    よかったら、
    ここにおいでよ。
    気に入ったら、
    ここが君の席だよ」

    いつもとは異なる梨木香歩氏を感じる作品であった。

    ここ以降は余談であるが、「ボーイスカウト」の起源には、びっくりした。「ボーイスカウト」は、野外での活動を通じ子供に自主性、協調性、社会性、貢献性、リーダーシップの育成を目的とした集団活動の重要性を掲げているイメージで、その起源が組織軍隊であるとは、考えても見なかった。
    確かに、言われてみれば、カーキ色の制服や野外での活動、キャンプなど軍隊での生活に通じるものがある。では、なぜ、「スカウト」と言うのかと不思議に思い調べたところ、このスカウトという言葉も軍部本隊との連絡を取り合う偵察隊役を意味する軍隊用語のようで、スポーツの世界で使用される「スカウト」とは、かなり異にする起源があり、驚いた。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      kurumicookiesさん
      年末にバタバタと整理したのですが、、、梨木香歩本に辿り着けず。いったい何所にあるんだ?
      「君たちはどう生きる...
      kurumicookiesさん
      年末にバタバタと整理したのですが、、、梨木香歩本に辿り着けず。いったい何所にあるんだ?
      「君たちはどう生きるか」は購入。お正月に読んじゃう予定、、、
      2021/01/01
    • kurumicookiesさん
      猫丸さん

      明けましておめでとうございます。猫丸さんの感想を楽しみにしております!(見つかりますように!)
      猫丸さん

      明けましておめでとうございます。猫丸さんの感想を楽しみにしております!(見つかりますように!)
      2021/01/01
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      kurumicookiesさん
      にゃー
      kurumicookiesさん
      にゃー
      2021/01/01
  • 本を読んで感想を書くというのは思った以上に難しいことだと感じています。もちろん、感想を書きやすい作品というものもあります。その作品を読んで共感を強く抱いた時、そんな時は心のままに感想がすらっと出てきます。その一方で、書きにくい作品というものもあります。共感が得られるかどうかはもちろんのこと、それ以上に自身の理解が十分でないという自覚がある時、これは感想を書くこと自体辛い時間になります。そんな思いを抱くことになった初めての作品。「僕は、そして僕たちはどう生きるか」、そういう意味でも忘れられない作品になりました。

    『世界って、そもそも物に名前を付けようとしたことから始まるんじゃないか。でもその前からも、名前なんて関係なしに世界はあったはずだよなあ、ふと声に出して呟いた』という主人公・コペル。そのあだ名はその呟きを聞きつけた叔父が『お、コペルニクス的「反」転回』と言ったところから付けられたものでした。大学で教鞭をとる病弱な母と、それに付き添う主夫である父、結果的に14歳で一人別居することになったコペル。この作品はそんなコペルと染織家である叔父のノボちゃんがゴールデンレトリバーのブラキ氏と共に、不登校になっている友人のユージンの家に出かけるところから物語は始まります。ユージンの従姉妹のショウコも交え、二階で見つけた『時局本草』という『スグ役に立つ薬用食用植物』を参考に庭の草を採取し、『葉っぱごはん』を作る過程が描かれます。非常に細かい草木の描写が強く印象に残る一方で、ストーリー自体はあまりに起伏のない、のどかとも言える展開に、この作品は一体なんなのだろうか?と途中で集中力が途切れそうになりました。

    ところが後半に入って、そもそもこの作品の本題はそんなところには全くないんだということかはっきりしてきます。油断の読書に唐突に降りかかる『万が一、徴兵制度が復活するようになったら』『ヒトラー・ユーゲント、って、ナチス青年団?』『こういうのって、つまり、全体主義の「初めの一歩」なんだろう』というようなこれが14歳の日常会話なのかという圧倒的な違和感が次から次へと襲ってくる中、『人間は、どうしたって、群れの動物なんだ。群れから遠ざかることはできても、全くの一人で暮らしていくなんてできないんだ』ということが繰り返し繰り返し語られていきます。14歳の会話の中に圧倒的なまでの説得力を持って語られる人間の本質を問う展開に、逆に本を前にして一人取り残されるような強烈な不安感が襲ってきました。そもそもこんなありえないほどの重さをもった展開は全くの想定外だったこともあり、息苦しささえ感じました。

    言葉にできないという立場は弱いものです。言葉は力を持つが故に、そのこと自体に自分としては正しいとは思わなくても、自分がそれを否定する言葉を持てないために付き従ってしまう。こういうことって日常生活の場面でもよくあるように思います。『日本人として、日本のために何ができるのか?』このように問われた時になんと答えるでしょうか。その言葉自体は間違っていないでしょう。その国に暮らす者が、その国のために何かすべきというのは全くもって正しいことなのだと思います。でも、そこで言葉を持たなければ悲しい歴史は繰り返されます。でも、上手く答えられなければ大勢の声に飲み込まれざるを得ません。社会には色々な集団がつくられます。そして、その中でのルールが作られます。その時に言葉を持たなければ、これはもうその大勢に従うしかありません。個と集団、このバランス、人間として生を受けた以上、このバランスをどう捉えていくか、普段、時間をとって考えることもない問題ですが、実は日々の生活の中でこのバランスをとる日々を我々は無意識のうちに送っているのだと思います。思いもよらず、そういったことをど真ん中に捉えた作品に出会って、逆に戸惑っている自分がいます。

    『命は本来、その命を呑み込む力のある別の生命力によって奪われるもの』『泣いたら、だめだ。考え続けられなくなるから』というような今まで見たことも、聞いたこともないような視点からの言葉が次から次へと投げかけられるこの作品。巻末の参考図書に並ぶ『学徒出陣』『兵役拒否』『教育勅語』などの言葉の重さが、梨木さんのこの作品執筆への強い思いを感じさせます。

    ということで、冒頭に書いた通り、残念ながら私にはこの読書だけではとても整理をつけることができない圧倒的なインパクトを受けたこの作品。もっと読む力をつけて再読したい、そう感じた初めての作品になりました。

  • 梨木さんのファンタジーの凛とした強さが大好きなのだけれど。これはなんと言うのだろう…一応はフィクションの形をとっているけど。

    14歳のコペルくん、訳あって一人暮らし。叔父のノボちゃん(染色家)と材料採集のため、登校拒否中の友達 ユージンの家の庭に入らせてもらうことになり…

    草木染め、野草摘み、カニムシなど微小な生き物たちなど、梨木さんらしい要素がふんだんに盛り込まれている。
    スベリヒユのベーコン炒め、ウコギご飯、ヨモギ団子のところなんかわくわくしてしまう。

    でもこの本のテーマはもっと重たくて、集団の心理だったり、自分の意見を言えなくなる恐ろしさだったりする。
    ユージン宅の敷地内に隠れ住むインジャ、彼女にその場所を提供したショウコ。大人の巧妙な罠にかかり、追い詰められたインジャや、教師にのせられてしまう生徒の群れ、ペットとして可愛がってきたコッコちゃんを犠牲にしなければいけなかったユージン。

    面白かった、とか感動した、という感想はないのだけれど読んで良かった。
    それはおかしいと思ったとき、誰かが傷つけられそうになっているとき、私は集団心理に飲み込まれずにいられるだろうか。自分を持っていたい。

  • この本の題名を知って、先ず思ったことは二つ。吉野源三郎の名作「君たちはどう生きるか」をちゃんとリスペクトしているか。もししていたならば、現代の課題に応えているか。

    結果は二つともマルだった。主人公はおじさんがつけたあだなの14歳のコペルくんである。それでもう一番目の答は十分。二番目については以下に述べる。

    梨木さんらしく、ガーデニングの薀蓄はたっぷり出てくるし、登場人物はちょっと14歳にしては大人びすぎているが、後半辺りからそんなことはどうでもよくなる。

    僕は軍隊でも生きていけるだろう。それは「鈍い」からでも「健康的」だからでもない。自分の意識すら誤魔化すほど、ずる賢いからだ。

    「いじめ」の問題から、「全体主義」の問題まで通じるような「問いかけ」が、このコペル君の痛切の呟きの中に含まれている。

    この小さな本の中に、性の商品化も、命の価値も、自然保護の問題も、良心的懲役拒否の問題も、言葉の両義性の問題も、ジェンダーの問題も、忍び寄る軍靴の響きの問題も、大きく小さく「問いかけ」られている。
    「……泣いたら、だめだ。考え続けられなくなるから」コペル君は決意する。

    戦時中に、徴兵拒否で洞穴に隠れて暮らしていた人がいた。その人が当時を振り返って言うのである。

    ずっと考えていた。
    「僕は、そして僕たちはどう生きるか」
    「戦時中だったからね、自分の生き方を考えるということは、戦争のことを考える、ってことと切り離せなかったんだね。でも人間って弱いものだから、集団の中にいるとつい、皆と同じ行動をとったり、同じように考えがちになる。あそこで、たった一人きりになって、初めて純粋に、僕はどう考えるのか、これからどう生きるのか、って考えられるようになった。そしたら、次ぎに、じゃあ、僕たちは、って考えられたんだ」

    平成の時代に相応しい中学生、高校生向け「問いかけ」本が生まれた。今年の四月に刊行されたばかり。これからじわりと読まれていくだろう。もちろん大人にも。

  • あまりにも申し訳ない気持ちになったとき、謝ることすらできないことがある、という、自分の子供の時の体験を思い出した。その体験は、ここで語られるような深刻なものでは全然なかったのだけど、つまり、子供の時の、普段忘れているような感情が想起される作用がこの本にはある、ということなんでしょう。

    まっすぐに生きようとすると、この世界は時にとても生きづらい。
    曲げるか。
    気づかずに曲がるか。
    曲げずに隠れるか。
    相手を曲げるか。
    自分を貫くか。
    特に、子供から大人になるとき、これらどの道を通るのか、でずいぶん悩む(道は一つじゃないし単純じゃないのだけれど)。大人になった時、そのことを忘れ、鈍感になることでどれだけ子供を傷つけるか。あるいは、子供ならではの残酷さで、傷つけあうこともあると思う。

    この本は、そういう只中にいる子供たちの物語。
    自然が好きで思慮深い男の子。
    不登校の友達。
    竹を割ったような性格の女の子
    隠れて暮らしている女の子。
    飄々としたおじさん。
    オーストラリア人の青年。
    これらの人たちが偶然出会った午後の出来事が、これまでのわだかまりをそっと溶かすきっかけになる。

    みずみずしい自然と、懐の広い大人たち、そして考え続ける子供たちが迎えるラストは、じんわりと温かい気持ちにさせてくれます。

    追記:野趣あふれるおいしいご飯が、実は大きなエネルギーだったんじゃないか、とも思う。人間は食べるものから作られるからね!

  • 14歳の少年による、ある休日の記録。

    自然や植物の豊かな描写の中で、
    「僕は、僕たちはどう生きるか」について考えられている。


    梨木さんの書く少女も女性も青年もすてきですが、
    中性的で落ち着いた表現だから、少年の主人公をいつか読んでみたいとおもっていたんです・・・

    そして、自分の存在意義とか哲学的なこと考えるならやっぱり、少年でなければと、おもうし、
    理想や正しさをいやらしさなく語れるのは、少年の特権な気がする。

    そんな象徴的少年に、コペルとユージンはぴったりでした。

    たくさんの問題提起があって、
    梨木さんから『あなたはどう考えますか』と言われている気分。

    流されて、その他大勢で生きることは楽だしとても安全で、
    でもそれに甘んじていると、なにも考えなくなる。

    考えなくなることは、一番、怖い。


    わたしがいま、この作品から受け取ったメッセージは、
    「考え続けなさい」ということ。

    読む時々によって、いろんな読み方ができそう。

  • 言いたいことは沢山あるけど、まず最初に感嘆したのは人物描写の豊かさ。ちょっとした会話の間や視線の動かし方、とりとめもな(いように描かれてるけどきちんと読者に効果的に伝わるようおそらく計算されている)く展開し連鎖する人間的思考、それら全てが事細かく表現されているけれど全くくどく感じない、絶妙なバランスによって登場人物たち(会話や回想にしか登場しない母親たちでさえ)に"生身"を与えている。
    だからこそこの本の主題が"生きる"。なんでもない「普通の」男子中学生の一日(この分厚さで一日!)を何気なく描いているだけなのに、彼に(そして彼らに)舞い込んでくる"精神的主題"の多いこと多いこと!でもそれら"主題"を問題別として扱うわけでもなく、だからといって一緒くたにするわけでもなく、うまい具合に帰結させて「どう生きるか」に繋げる鮮やかな手腕は天晴!の一言。
    考えてみれば我々が生きる今だってきっと同じように怒涛の毎日のはずで、それでも昨日と今日と明日で特になにも感じないのは、コペル風に言うと「自分の意識すら誤魔化すほどずる賢いから」に相違ないだろう。そういうスキルはもちろん悪ではないし、集団の中では円滑油になる、むしろ人を生きやすくするものだ。けれど確かに、他人を(もしかすると自分も)容易く踏みつけ傷つけるものでもあるだろう。だからコペルが最終的に結論を出したように、我々は常に「どう生きるか」考え続けて生きていかなければならないんだ、と強く思った。
    参考文献の多さからも感じたけど、本当に考えて、考え抜かれて産まれた本だと思う。一応子供向け(なのかな?)みたいだけど、大人にも是非読んでほしい一冊だった。梨木香歩さんほんと好きだわ、、、

  • 作者がどうしてこの本を書こうと思ったのかが知りたくなる作品だ。
    作家によってはあとがきがあって、「なぜ、今これなのか」が分かりやすい場合もある。でも梨木さんはあとがきを書かない人だから、そこも読者の受け取り方によって違ってくるという遊びがある作家のように思う。

    タイトルの通り、「僕は、そして僕たちはどう生きるか」がテーマだ。

    人は時として、AじゃなくBが本当は正解だとしても、それを集団がAでよしとすればそれがあたかも正しいかのように主張する。
    それをBだと主張する人間ははじかれるし、おかしいと判断されてしまう。
    出る杭はうたれる。

    それを、周りに流されずに自分が感じたアンサーを答え続けられる人が先駆者になったり、一握りの特別な人になっていくんだろう。

    本にも書かれていたが、人は1人では生きていけない。
    それは正しい思う。ただ、生まれてくる時も死ぬ時も人は1人だとも思う。
    今の私にとっては、群れのなかでしか人が生きられないということは残酷な真実のように感じた。

    追記:児童文学だけど大人向けの本だと思う!

  • 学校へ行かなくなった子にはきちんと理由があって、
    でもその理由を言ったところでどうにもならないから
    「行かない」ということを続ける。
    それは一見あきらめとも見えるけれど本当は別のものもあるんじゃないかと
    思いながら読み進めた。

    それはとても繊細なことで、でもそれがわからない担任が・・・。

    言いたいけれど言えない、という状況は誰にでもある。
    言えないような状況を作ってくる人もいる。

    **
    一歩外にでれば大変なことがたくさんあって
    もし足を踏んでくる人がいれば「痛い」といえばいい。
    踏んでる方は気がついていないかもしれない。
    知ってて踏んでいてもちゃんと痛いと叫ぶ。
    それでも踏むなら怒る。
    それでも踏むならもう相手の抱えている問題で、こっちに非はない。
    **

    非はないとわかっていても、じゃあその踏まれている足はどうすればいいのだ。
    逃げたとして、逃げられたとしてもすっきりしないだろう。

    そんなことを考えた。
    とても深くて、いい一冊だった。

  • 今読むべき本だと思う。子どもたちに薦めたい。

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著者プロフィール

1959年生まれ。小説作品に『西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集』『丹生都比売 梨木香歩作品集』『裏庭』『沼地のある森を抜けて』『家守綺譚』『冬虫夏草』『ピスタチオ』『海うそ』『f植物園の巣穴』『椿宿の辺りに』など。エッセイに『春になったら莓を摘みに』『水辺にて』『エストニア紀行』『鳥と雲と薬草袋』『やがて満ちてくる光の』など。他に『岸辺のヤービ』『ヤービの深い秋』がある。

「2020年 『風と双眼鏡、膝掛け毛布』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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