僕は、そして僕たちはどう生きるか

著者 :
  • 理論社
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本棚登録 : 1469
レビュー : 274
  • Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784652079799

感想・レビュー・書評

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  •  梨木香歩は非常に批判精神の強い作家です。
     作品ごとにその傾向は強まって、というか、よりむき出しになって来ているように思えます。本作品でもいくつかの具体的な事例が、それと分かるように提示され批判されていました。
     しかもその内のひとつは、本書と同じ出版社が出す人気シリーズの一冊。批判の内容にはうなずける箇所もあり、「インジャ」の身に起きたことにはぞっとしたものの、しかしこのエピソードがあくまでも(おそらく)フィクションである以上、これを当該作品・著者へ批判の根拠とするわけにはいきません。エピソード自体が物語の中でも浮いているようで、ここは少しもやっとした部分でした。

     一方で、安易な「命の授業」への批判をあらわしたエピソードは、作品の根幹のテーマに関わるものとしてうまく組み込まれていたと思います。
     教室の中で、ふと顕現する集団と個人のパワーバランス。熱血教師の中にある無意識の嗜虐心。それらに違和感を覚えながらも受け流してしまったコペル君。自分がそうとは知らないまま「集団の圧力」に屈し友人を裏切っていたことに(そして自分が忘れている間にも、傷ついた友人の方はずっとそのことについて考えていたことに)コペル君は立ち直れないほどの衝撃を受けます。これは、もちろんコペル君が卑怯なやつなのではなく、「個人」の側につくことは誰にとっても難しいのだということでしょう。それだからこそ「大多数/個人」という構図ができるのですから。
     過去の闘争について聞いている時、ほとんどの人は(勇敢に闘った/集団の圧力に屈しなかった)個人の側に自分を重ねるのではないでしょうか。そして大勢の側についた人達を愚かと思うでしょう。すでに価値判断の済んだ出来事について、そう思うのはごく自然で簡単なことです。
     しかし、いざそのような対立状況に置かれたとき、私たちは個人として立つことはおろか、対立状況にあるということに気づくことすら難しい。それを、コペル君の小さな事例は教えてくれます。一人ひとりのこのような鈍さにこそ、戦争という悲劇を呼び込む危険がある、というところまで作者は主張を広げています。
     その点ではこれを「新しい戦争児童文学」(古田足日)として読むこともできるのではないか、と思いました。

     最後のBBQのシーンには救いがあります。コペル君と、「インジャ」の女の子と2人の人間がこの場面で回復の兆しをみせています。そういえばこの作者はくり返し、ある種の、体温あるコミュニティ(「許し合える、ゆるやかで温かい絆の群れ」)を描いて来てもいるのでした(『からくりからくさ』『村田エフェンディ滞土録』など)。その意味でも非常に「らしい」作品だったと言えるでしょう。

  • 単なる「群れ」の「一員」に過ぎない自分が、日常に紛れ、忘れそうになっていることを、見事に言語化してくれている。

    私が生きていくうえで、忘れてはいけないもの。

    ・「何かがおかしい」って「違和感」を覚える力
    ・「引っ掛かり」に意識のスポットライトを当てる力
    ・「正論風」にとうとうと述べられても、途中で判断能力を麻痺させてしまってはいけない
    ・「あれよあれよという間に事が決まっていく」その勢いに流されてはいけない
    ・そして、もし戦時中に生きていたら、私も愛国少年少女と同じように、「非常時」という大義名分の威力に負けて、自ら進んで思考停止スイッチを押し、個を捨ててしまうのだろう、という意識。

    だからこそ、
    大切なのは「考え続ける」こと。


    この小説が、今、出版されたってことが、危機的状況なんだろうな。


    そして、自分を保つためには、群れから離れることも必要…に激しく同意。

  • タイトル通りの物語。どう生きるかということが書かれた作品。なんだか小難しいなぁという印象。多感な時期に読むとなんだか影響が大きそう。梨木作品はなんだか文章が硬質な感じがして私は少し苦手かも。2012/583

  • まわりの「普通」に流されないで生きていく事
    自分を見失わないように
    がんばっていた人、がんばっている人がいる

    コペルくんのある一日が平凡に過ぎるお話っぽいけど
    なかなか印象が強い内容でした
    いろんな人が出てきたなぁ

    ノボちゃんは、染色をやっている
    安定した生活には結びつかないけど
    「好きなことやってるんだから、それは覚悟の上さ。精神が安定していることの方が、いいんだ」

    コペル君は
    いま、僕に必要なのは、気持ちをすっきりさせることじゃない。とにかく、「考え続ける」ことなんだ。
    …泣いたらだめだって事。甘い自己憐憫に浸る心地よさなんか、いらない…そんな自分でありたい

  • これまで梨木作品はその大半を読んできたけれど、この作品はこれまでの作品とはどこか一線を画している印象です。  梨木さんは常に現代社会にある種の不安、危うさのようなものを感じ、それをどちらかというと刺激は強すぎず、でも心にはずっしりと残る文体、語彙で語りかけるタイプの作家だと KiKi は思っていたのですが、この作品ではそんな確信犯的に自ら纏い続けてきたオブラートをばっさりと脱ぎ捨て、ある種の意志表明をした・・・・・そんな印象です。

    タイトルからして吉野源三郎さんの「君たちはどう生きるか」を念頭に書いた作品であることが容易に察せられるのですが、主人公の名前(呼び名)も同じコペル。  でも2人のコペルの生きた時代の違いはエピソードの数々から明らかです。  その時代の違いが「生きる」ことに対する姿勢の安易さや、欺瞞の数々の1つの要因なのかもしれません。

    14歳の少年の1日の出来事の割には重いテーマが満載・・・・なのですが、逆に言えばある種の「気づき」が、そしてその気づきに誘発された「思考」が、それまで他人事、どこか自分とは関係ない世界の出来事として見聞きしつつも無視してきたようなことにあらためて真剣に目を向けてきた、その証だったのかもしれません。  とは思うのですが、このコペル君。  どこか不自然な気がするのは気のせいでしょうか??  言い訳のように「子供らしくない子」であることを、そう言われていることを自覚している子であるというのも、う~ん・・・・・。

    まず、土壌研究を趣味とするコペル君と草木染作家のおじさん、さらには小学校時代の親友だったユウジン君のおばあちゃんの自然保護運動(と、こんな安易な言葉で語るようなものではないけれど)あたりのエピソードではサラリと環境問題を語ります。  でもそれはこの物語のメインテーマではなく、もっと重いものがこの後続々と出てくるんです。

    戦時中に兵役を逃れ山に隠れ住んでいた米谷さんのエピソードでは「個と集団」に関する1つの視座を、ユウジン君が小学生時代に可愛がっていたコッコちゃんのエピソードでは教育問題と米谷さんエピソードに通じる「個と集団」に関するポイントを。  そしてコッコちゃんエピソードとユウジン君ちの敷地の片隅に隠れ住んでいたインジャのエピソードでは「耳触りの良い言葉に隠された悪意」を・・・・と、アプローチこそ異なれど KiKi が日頃から感じていたある種のこの社会の危うさをこれでもかっていうぐらいストレートに語り始めます。



    個人的にはこの物語にある種の共感を覚えたのもまた事実なのですが、正直なところ「よい読後感だった」とは言い難い、それこそ何かひっかかりのようなものを感じるんですよね。  何ていうか、エピソードの1つ1つにある種の作為的なもの、もっと言えば作者の結論が先にありきで、それを無理やり14歳のコペル君の悩みの中で納得させていくかのような性急さのようなもの・・・・・を感じてしまいました。  もちろん、梨木さんがこれらのエピソードと同種のものに接し、こう考えた・・・・という真摯な思考プロセスの末に書いた物語だったのかもしれないとは思うんです。  でも・・・・・・。

    何故、これを14歳の少年の思考として描いたのか?さえどこかぼけてしまっているような・・・・・。  これは特にインジャのエピソードがどこか全体から浮いてしまっていることによるものもあるかもしれません。  そしてその部分に関しては、梨木さんの怒りの感情があまりにも剥き出しになっているが故に「コペルらしさ」が感じられないのかもしれません。

    ただ、1つ強烈に共感できるのは

    「泣いたら、だめだ。  考え続けられなくなるから。」

    と言う言葉でした。  これ、KiKi も時々感じるんですよ。  泣く、感動する、笑うってとっても大切な感情だし、そこから得られるものも数多くあるわけだけど、時に、それは自己憐憫やら自己満足、さらには自己陶酔に通じるものがあって「泣けた、感動できた、笑えた自分に満足して、それで終わり」というようなところがあるのも又事実だと思うんですよね。  で、せっかく掴みかけた思考のきっかけを棚上げしちゃうような・・・・・。

    多くの日本人は自分は「弱い立場」にいると、ある種手前勝手に考えています。  自分から「私は強い立場の人間です。」な~んていう風に考えているのは、権力の近く(国家権力とか会社の役員とか)にいる人ぐらいでしょう。  そしてどこかで「弱い立場≒善人」と思い込んでいるようなところもあるような気がします。  多くの場合、それはその通りだったりもするでしょう。  でも、集団の中に埋もれた時、「自分よりさらに弱い立場の人を振り返らない傾向がある」のも又事実。  安全な所に自分の身を置いた安心感も手伝い、「みんなもこれでいいんだから、間違っている筈がない」と思考停止に陥る可能性も高い。  この物語はそんなことに対する1つの警鐘にはなっていると感じました。  

    全体としては、「自分の言葉で考えようよ。  表向き綺麗そうな言葉を鵜呑みにするのはやめようよ。  協調することは人が社会で生きていくうえで大切なことだけど、それを大切にするあまり、思考停止に陥らないように気をつけようよ。  そして、自分の想いに囚われどこか協調性を失っているように見える人を排除するのはやめようよ。」というようなことが言いたい物語なんじゃないかと思うんだけど、そしてその主張にはすこぶる共感する KiKi なんだけど、でも、やっぱりどこか居心地が悪い・・・・・・。  これ、図星をつかれたから・・・・なのかな?  それもあるかもしれないけれど、それだけじゃないような気もする・・・・・。  う~ん、うまく纏まりません。

    何となく、何となく・・・・ではあるけれど、本全体から梨木さんの焦りのようなものが発散されているようで、どこか「らしくない」と感じ、落ち着かない気分の KiKi なのです。

  • 吉野源三郎の「君たちはどう生きるのか」へのオマージュ。主人公の名前がコペルというのも一緒。あの本への今の時代からの返答といったかたちになっている。全書の時代にはなかった環境、至善との共存といった問題がテーマになっている。

  • 冒頭近くに次のような一節がある。

    それぞれ「譲れぬ一線」を抱えた人たちが、皆それぞれの「前線」で闘い、その言わば「夢の跡」が、今、僕らの生きる世界なんだ。

    いくらでもすぐれたファンタジー世界を構築できる梨木さんに、これほど不器用なまでにストレートな作品を書かせたものは、おそらく彼女自身、「譲れぬ一線」に直面したと感じる場面がいくつかあったせいなのだろうと想像できる。理論社が無邪気な装いでレイプものAV監督の本を出版したということ。戦争を準備させるような政治家たちの言葉。生命を静かに奪っていく開発。命の大切さといった耳触りのよい言葉で、個人をおしつぶしていくような風潮。
    そうした意味で、吉野源三郎氏が最初に「君たちはどう生きるか」を出版した時代と現在を重ねあわせて考えてみるのは興味深いことだ。あのとき生きていたひとたちの多くも、まさかその20年後に、国が壊滅するほどの戦争に自分たちが突き進んでいくことになるとは、想像もしなかったのだろうから。2人の「コペルくん」の問いは、激変したように思える世界の中で、同じようにそこに放り出されている問題を指し示しているが、オリジナルのタイトルに対して、「僕は、そして僕たちはどう生きるか」というタイトルをもってきたことは興味深い。群れから距離をおくことができること、そしてなお群れのために考え続けていくことができること。その方法はひとつではないとも、梨木さんは示唆している。

  • 家族、学校、友達、幾度となく様々に取り上げられてきたこれらのテーマに、今回著者は真正面に向き合いひたひたと書きあげたのだろう、ということが伝わってくる。彼女の著作の中に、性についてきちんと書かれているものはめずらしく、しかしその問題への語りかけも実に彼女らしくシンプルで良い。考えること、それは穏やかでゆったりとした方面へと人物たちを誘っていく。

  • タイトルと主人公の名前は長く読み継がれてきた本、吉野源三郎「君たちはどう生きるか」からつけられたものです。思慮深く、優しく、どこか愛される14歳のコペル君が目の前の友だちとの関係やこれまで気づかなかった社会のしくみや人の心の問題と向き合い、おじさんや友だち、出会った人たちから影響を受けながら自分で考えていく、哲学することを小説したような物語。森の中を歩くように考える一冊。

  • 伝えたい部分のわかりやすさは、十代の少年・少女にも十分伝わる丁寧な書き込み。自分の頭で考えて判断・選択することの意味がどれだけ重要なことかを伝えるため、小説というツールを使って教材用に書かれたよう。一方で、日常、無難・追従という枠に収まることで自己肯定しているいっぱしの大人達への警鐘でもある。

著者プロフィール

梨木 香歩(なしき かほ)
1959年、鹿児島県生まれの小説家、児童文学作家、絵本作家。
『西の魔女が死んだ』で日本児童文学者協会新人賞を受賞。映画化もされたこの受賞作が最も著名な代表作となる。
ほかに新美南吉児童文学賞、小学館文学賞を、『裏庭』で児童文学ファンタジー大賞、『渡りの足跡』で読売文学賞随筆・紀行部門をそれぞれ受賞。
受賞作以外の代表作として、『家守綺譚』、『沼地のある森を抜けて』、『ぐるりのこと』などがある。

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