マクドナルド化する社会

  • 早稲田大学出版部
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  • Amazon.co.jp ・本 (398ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784657994134

作品紹介・あらすじ

マクドナルド革命は何をもたらすのか。

感想・レビュー・書評

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  • [出典]
    経営リーダーのための社会システム論
    宮台 真司, 野田 智義
    P.192

  • アメリカ人のほとんどか、マクドナルド化=合理性の鉄の織の現代版、を気に入っている。さらなるマクドナルド化を望んでいる。
    マクドナルド化は、画一化と醜悪化。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/483372

  • RG1a

  • 7月20日 ハンバーガーの日 にちなんで選書

  •  内容のとても濃い本。通勤電車の行き帰りの10分×往復×15日では、上っ面を読めただけでとても咀嚼し切れない。
     社会のマクドナルド化というのは、マクドナルドをはじめとするファストフードチェーンなどで押し進められている合理化が社会全体に広がっていることを指す。

     個人的には、世の中がマクドナルド化してくれたおかげで、昔は数百円〜千円はした文房具が百均で買えたり、程度のいいドライTシャツが家にいながらネット通販で500円以下で買えたりしているわけで、全否定するべきものでもないと感じている。
     特に、マクドナルド化の弊害として、人と人との顔が見えたつながりがなくなっていく(ファストフード店では従業員と店員は顔なじみにはなれず全くの通りすがりである)というのが挙げられているのに対して、Facebookなどを介したリアル知人ベースのネットワークがそれに対抗しうるのではと思う。
     なので、社会の中の生産基盤においてはマクドナルド化は避けられず、それをいかに脱人間化につなげないように抵抗するかが大事だと思う。

  •  著者は、ウェーバーの社会学理論とファーストフード・レストランとの関心を接続するところに、「社会のマクドナルド化」という命題を打ち出している。著者はもともとはウェーバーの合理化の理論の研究をしていたようであるが、合理化の典型が官僚制であり、その現代版がファーストフード・レストランの原理の浸透=社会のマクドナルド化であるというわけである。必ずしも、マクドナルドという比喩を当てる必然性はないものの、その比喩こそがふさわしいと考えている。
     マクドナルド化の次元については、次の4点から特徴づけられる。「効率性」、「計算可能性」、「予測可能性」、「制御」である。著者はこの過程に批判的である。なぜならば、合理性のなかには非合理性が含まれており、ウェーバーのいう「鉄の檻」を貫徹させ、非(脱)人間的なものをもたらすからである。最終章には、そのためのサバイバルガイドが掲載されている。少し、ポイントからは外れるが「アメリカーナ」としてマクドナルドを捉えている1章の記述は参考になる。

  • 三浦展氏の『ファスト風土化する日本』におそらくインスピレーションを与えた本(三浦氏がどこかで言及されているかどうかは知らないが)。『マクドナルド化する社会』の翻訳の初版は1999年。『ファスト風土』は2004年。

    社会が隅々まで大量生産の規格製品・サービスが埋め尽くされた現代。どんなへんぴな地域へ行っても、マクドナルドに代表されるマスブランドがついてまわり、旅行した気持ちがしない。個人も地域も個性を喪失し、アイデンティティを失いつつある。今こそこの流れを逆転し、個性・地域性復興の運動を始めるべきだ──という主要なメッセージはどちらも同じ。

    三浦本が批判の対象としている現象が当初は日本に特有と考えていたらしい(続編でアメリカも「ファスト風土化」している、と指摘するが)一方でリッツァーは当初から世界的な現象としている点、そして三浦本が社会運動によってこの動きを押しとどめることができると考えているのに対しリッツァーは「近代」の不可避的な結末なので抑止はほぼ不可能と考えているらしい点。この二点が主な相違点だ。

    正直、この二冊とも、見方によって評価はかなり分かれるだろう。例えば三浦氏は郊外のロードサイド店の乱立を批判するが、需要がなければ供給は続かない。ナショナルチェーンの牛丼屋は大規模に原材料を仕入れるから安価だ。商店街の牛丼屋は小規模だから、何倍もの値段になるかもしれない。田舎の「風土」を守るために後者を保護せよ、というのは、要するに田舎者は高い牛丼を食え、というに等しい。これはなかなか合理化できない立場ではないか。

    リッツァーはこのような面にもちゃんと目を配っている。マクドナルドが世界中に広がるのは、要するにマクドナルドが、いつでもどこでも同じ味の食事が、みんな大好きだからだ。この背理を見つめない限り、私たちは前に進めないだろう……。

    「近代」とは、「アイデンティティ」とは何か、ちょっと深く考えたくなったときにおすすめしたい。

  • 世界はマクドナルド化している。
    ここでいうマクドナルド化とは、官僚化+作業ライン化+科学的管理法により合理化され、それに伴って非合理化(脱人間化)が進むというもの。
    全てを合理的に計算し平準化しルール化し機械化することにより効率をあげるが、その代わりそのツケを払わされる。例えば、客がオーダーをし商品をトレイにのせてテーブルまで運び食後はゴミを捨ててトレイを返すといった一連の動作は、店の合理化のために客が働かされている。これすなわち合理化のための非合理化。
    しかし、この本が出た頃はグーグルもアマゾンもなく、ロングテールもない時代。今は「マクドナルド化」ではなく「グーグル化」ですよー。

  • 本書は官僚制を最も代弁しているのが マクドナルド 現代社会がマックスウェーバーの予期した官僚制を突き進んでいるのではないか?という本である。

    マクドナルドで店員さんと交わされる会話と行動を思い出してみると「いらっしゃいませ」「店内でお召し上がりですか?」「ご注文をどうぞ」「(メニューのボタンを押して)○○○円です」「(レジの隣を指して)こちらでお待ちください」「お待たせいたしました」「(客がトレーやコップを片付けて帰ると)ありがとうございました」
    だいたいこんなところではないだろうか?しかし、客がトレーやジュースを入れたコップ、ハンバーガーを包んだ紙を片付けなければならないことに疑問を持った人を見たことが無い。
    その理由を尋ねても「そういう決まりだから」「ルールだから」という答えが関の山ではないだろうか?

    しかし、官僚制はなにもマクドナルドに限った話ではない。普通の一般企業、料理のレシピ、テストのマークシート、教育、果ては医療に至るまで官僚制が進行しているという。
    確かにチェーン店のレストランでも近くの店舗で味付けが違うと客は不満を漏らすだろう。そのためレストランは味が画一化されているのである。またドリンクバーもしかり。コーヒー1杯何百円と払うことを考えれば確かに安いが、客が自分から飲み物を取りに行く。これは客が店員に代わって働いていることに他ならないのである。

    シェフに限らず、住宅など一部の人の職人芸ではいずれ歪みが出てくる。大多数の人が同じ結果をもたらすためには文章などマニュアルが必要になってくる。
    企業を見ると営業部、経理部、総務部…と分かれているし、営業部でも"海外の○○地域"など細かく分散化されるようになる。なによりも営業が銀行でお金を借りないし、経理が研究開発をするはずがない。
    またこのように仕事が分散化され、ルール化された結果、恣意性を排除しすることで、我々を無駄が無いようにした制度が人間の手を離れて逆に我々を管理するようになっている。
    組織を見るとほとんどの組織、企業、役所、学校、政党等ピラミッド型になっていることも周知のとおりである。そしてE-mailが普及した今でも効率的に業務を遂行するために文書による管理が行われることもまた自然なことである。契約書や稟議etc
    このように社会全体は意識するしないの差こそあれルール化されている。筆者によるとマクドナルドでルール化されていないのは従業員の「微笑み」程度だという。

    官僚制はこれまで考えられなかったところにまで及び始めている。今でも妊娠すると子供の性別などが分かるが、バイオテクノロジーが進むと病弱なのか?障害を持っていないか?まで分かるようになり、遺伝的に優秀な命だけを選ぶことで命の選別に繋がりかねない。しかし、効率性を進めるとこのような結果になる。

    マスコミをはじめ、我々は "お役人さん" を叩くことに対しては極めて気持ち良くなれるが、我々が同じ官僚化された社会にいることに対して極めて鈍感である。むしろ気付いていない感もある。
    効率性を進めた結果、我々がいる管理化された社会。本書が問いかける意味は大きい

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著者プロフィール

1940年生。コーネル大学で博士号(Ph.D.)取得後、北京大学、ブレーメン大学等の客員教授を経て、現在メリーランド大学社会学部教授。
1983年にJournal of American Culture誌上で発表したマクドナルド化に関する理論が世界的に注目を浴び、1993年に刊行されたThe McDonaldization of Society(『改訂新版マクドナルド化した社会』正岡寛司監訳、早稲田大学出版部、2008年)は現在までに15カ国以上で翻訳刊行されている。同書以外の単著としてThe McDonaldization Thesis: Extensions and Explorations (1998)(『マクドナルド化の世界——そのテーマは何か?』正岡寛司監訳、早稲田大学出版部、2001年)、The Globalization of Nothing(『無のグローバル化』正岡寛司監訳、明石書店、2005年)、Expressing America: A Critique of the Global Credit-Card Society(1995)のほか、多数の編著・論文を発表している。

「2009年 『消費社会の魔術的体系』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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