- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784750336404
作品紹介・あらすじ
原発危機により露呈した日本社会の本質的問題。それを覆い隠そうと体制側は必死に隠蔽工作を続けている。なぜ日本社会は問題を認識できないのか。サイバネティックス、論語、暗黙知など複雑系視点と歴史的視点からの分析をもとに、根源的問題に迫る圧倒的論考。
感想・レビュー・書評
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https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/62236詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
東大としての政治のやり方がわかる。
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東大話法規則(p23-25)は楽しめた.芸当なんだろうが、最近このような話法をよく耳にするということは、それだけ普及しているのだろう.嘆かわしいことだ.民主主義に関して、"社会が安全に運営されるために必要なことは、違った感受性を持った人の声を、社会全体にとってどういう意味があるのかを考えて解釈する.そのメッセージを受け止めてフィードバックすることが、民主主義にほかなりません.(p075)" と記述してある.その通りだ.第3章 田名角栄主義と原子力 は日本の政治構造に対するかなり異色の理解だと感じたが、納得できる部分も多かった.最後の「突破口を求めて」で提案されている「子ども利益を最大限に考える」と「森嶋流ソフトウェア国防論」は重要な観点だと思う.巻末の「放射能の何が嫌なのか」は非常によくまとまった論考だ.
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冒頭のロケットスタートが凄かったです。田中角栄のとこが異質でガクンとギアが落ちる。次は『原発ゼロをあきらめない』行ってみたいと思います。ほんと、どうして止められないんだ…。わたしは日本が好きなのにな。巻末に「放射能基礎知識」があります! 素人に口を出させない態度と闘うために勉強せねばならんのか、難しいよう。八年経って「原発事故なんて大したことなかった」圧力を警戒しつつ。忘れない(2019-09-05)
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読みながら考えさせられるので、読むのに時間が掛かってしまった。
今の日本はどうも息苦しいなぁ、生き辛いなぁと感じている人には「それは何でか?」と考えるにあたってのヒントがいっぱい詰まっている本だと思う。
・・・何でかが分かったところで、何かが解決するわけでもないのがこれまた厳しいところではありますが。
「東大話法」という言葉に著者が象徴させた人々の考え方というのは「"箱"システム」によっている。自分の考えというものがなく、自分の身体感覚に沿って思考し、理解していくことがない。そのため。、身体感覚に合わない部分に拒否反応を覚えると言うこともないので、なんでもそつなくこなすことはできる。
<blockquote>理解というものは、自分の考えの変化のことだからです。「ああ、そういうことか」という気づきによって、自分自身が変化するのが、人間の知ると言う過程であり、それこそが人生の最大の喜びだ、と私は思います。(P.37)</blockquote>
「東大話法」を駆使する優秀な人にはこの喜びはない。なぜなら、"そもそも自分がないから"。
彼や彼女が理解だと思っていることは、知識を分類して箱に入れて引き出しから出すことだけだ。そこから芋づる方式のように、連綿と血の繋がった思考に結びつくことはない。
この関連付けると言う作業は「関係がある」という自分自身の感覚だけに拠っている。主観的だといわれるかもしれないが、"知識と言うものは本質的に、個人的で主観的たらざるを得”ないのだ。
<blockquote>個人的で主観的な思考のネットワークは、綿密で客観的な科学的手法によって自ら確認することで、確たる知識となります。科学は考えてはくれません。考えるのは人間の役割です。(P.43)</blockquote>
・・・話はずれるけれど、よく「数字は嘘をつかない」と言う人がいるけれど、人間は数字を使って嘘をつくんだよね。
閑話休題。
<blockquote>言葉が大切であるのは、それが世界を認識するために不可欠だからです。(P.65)</blockquote>
人間がモノを考える時に使う道具、いわば金槌や釘はひとつひとつの言葉だ。
だから本を読む。言葉を知ることによって、より深い思考、精巧な知識を蓄えることができるのだ(よい大工道具を揃えたからといって、よい家を建てられるわけではないってのがミソ)。
日本には言霊信仰というのがある。例えば遠足の前の日に「雨降るかも〜」と言った子がいたとして、実際雨が降って遠足が中止になったりすると「オマエがあんなこと言ったからだ」となったりする。
これが発展すると「ない」と言えば実際にはあってもないことになったりする。大戦中の大本営発表によって日本は勝っているといったり、原発は安全ですといったりする構造に繋がっていく。
例えば731部隊は実験で死に至らしめる被験者を「マルタ」と呼び「一本、二本」と
数えたのだという。それは機密保持のためではなく、人間を人間扱いしないがための言い換え作業であった。現在でも原子力に潜む危険席を明らかにし、監査する役所を「原子力危険性監督院」というような名前ではなく「原子力安全・保安院」と呼ぶところにも現れていると著者は説く。
これは言い換えることによって他人を欺くばかりか、自分自身をも騙す役割を果たしている。ナチスのアイヒマン実験で示されたように「やりたくなかったが、せざるを得なかった」という逃げ口上を用意するのだ。
著者が提案した「東大話法」とはこのような「隠微」と「保身」とを実現するための用法である。
このような「東大話法」がまんえんすると社会システム全体が空回りし、暴走する。つまり、"世界は発狂してしまう"。
"発狂してしまった世界"では、人々は『自分の見方や感情を否定し、本来の自分のかなりの部分を斥け、凍結し、自分とは無関係な「他人」としてしまう(アルノ・グリューン
スイス心理学者)。
<blockquote>社会が安全に運営されるために必要なことはそういった「違った感受性」を持った人の声を、社会全体の取ってどういう意味があるのかを考えて解釈する、ということです。(P.75)</blockquote>
『究極超人あ〜る』というギャグマンガに奈良博士というキャラクターがいるのだが、この人物は自分の見たものより、科学を信じるマッド・サイエンティストとして描かれている(幽霊部員、小夜子の幽体離脱した霊を見ても目の錯覚として全く信じない)。
「東大話法」の人たちというのは、この奈良博士と被るものがあるなぁと思うのである。 -
読了せず。むぅ。
しかしながらこれについては学んだ方がよさそう。 -
「東大話法」と同じで,なんだかなーの本である。この人の理解は,特に理系の部分は,かなりおかしい,というか誤っている。誤った前提であるから,何を言っても真なのかもしれないが,全体として変な言説が続く。
この本自体が著者の主張する「東大話法」で書かれていると思う。
さらに,ちょっとあっちの世界に行ってしまっているのでは?と思わせる記述が「終章」に散見される。
2012/09/22図書館から借用;即日読み始め;9/25朝の通勤電車で読了 -
(未読の)前著を読んでいなくても読める、と書いてありましたが、想像するに前著を読んでいたほうが面白いし、前著のほうが、多分面白い、気がする。何か悔しさを覚えながら読む。
前半のプルサーマルの大橋教授への攻撃は、東大話法(の、稚拙なもの)の例として、面白いけれども、少々いやらしいかなと思えもする。そして、またここでも小泉政治(と、田中政治)の問題。しかし、盛り上がるのは後半。
礼によって非礼を打ち倒す、非暴力による暴力への勝利、そして子どもの権利のこと。思ったより優しさがある。狂った世界と、その中で探す自分の道。著者が言うように「ゴジラ」の影響が感じられます。 -
東大話法っていう観点がおもしろいと思いましたが、自分でもときどきつかっているなあと思いました。
とてもおもしろく、深い文書がいっぱいです。なかでも
社会とセンサーとフィードバックの部分は、だれでも万人によんでほしいと
思う部分です。
子どもに聞く。原発の話。日本のブランドの話。平和で豊かで美しい国家群の話。また、日本の政治の流れ55年体制・田中派から小泉・民主党の流れの
解説は特によくわかりました。とってもいい本