モッキンバード

  • 明石書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750337500

作品紹介・あらすじ

アスペルガー症候群の10歳の少女ケイトリンは他人の気持ちの理解が苦手で学校では友達もできない。そのうえ唯一頼りにしていたお兄ちゃんが銃乱射事件で死んでしまった。そんななか出合った言葉の意味を探るうち、彼女は生きるために大事なものを見つけていく。2010年全米図書賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 銃乱射事件で、大好きなお兄ちゃんを失ってしまった、アスペルガー症候群の女の子、ケイトリン。

    ケイトリンは、「共感」が苦手。“人の立場に立って”と言われれば、その人が立っているところに行こうとする。その人が座っていたらどうしようと、困ってしまう。
    “気持ちの区切り”が理解できない。区切りはどこにあるのかと、必死に見つけようとする。
    けれど、いくらケイトリンが共感が苦手でも、周囲からの冷たい目や笑い、そういうものには、傷つくんだよ。

    物語がすすむにつれ、どんどんどんどん、ケイトリンは変わっていく、成長していく。
    共感が、だんだんできるようになり、周りに言われていた、自分のちょっとおかしな行動にも、気がつくようになる。
    そして、読者である私たちも、気づくことになる。
    アスペルガーの子の行動や言動には、彼/彼女なりの理由や根拠があって、私たちだって、それを知ったら、「なるほどなー」と思うはずなんだ。
    だから、アスペルガーの子と話す機会があったら、きちんと「なんでそういうことをした/言ったんだろう?」と聴いてほしい。
    そうすれば、彼/彼女の見ている世界が、少しはわかるはずなんだ。

    訳者のニキリンコさんもアスペルガー症候群であるという。
    だから、この本は、アスペルガーの子の見えている世界が、そのまま反映されている気がした。

    私だったら、ケイトリンにこの状態をどう説明するだろう?
    ずっとそれを考えながら読んでいた。
    ラストが、すごく温かくて、好き。

  • (No.13-36) 児童書です。

    『アメリカ、バージニア州の小さな町に住むアスペルガー症候群の少女ケイトリンは小学5年生。本を読んだり絵を描くのは得意だけれど、他人の気持ちを理解するのは不得意なので友達もいない。でも今まではあまり困らなかった。だってお兄ちゃんのデボンがいたから。お兄ちゃんはケイトリンのことがとてもよく分かっていたから、どうしたらいいのか分からない時はいつもお兄ちゃんが教えてくれた。笑ったほうがいいのか、いつまで笑ってたらいいのかも・・・・。

    もうお兄ちゃんはいない。区切りって何?気持ちの区切りって。カウンセリングのブルック先生に聞いたけれど「それぞれ自力で探すしかないのよ」って。パパも区切りを見つけることが出来ない。
    〈重大な喪失体験の後で悲嘆の反応がひとまず収束した状態〉ってどこに置いてあるんだろう。お兄ちゃんなら知っているはずなのに、お兄ちゃんに聞くことが出来ない。』

    いっぱい泣いちゃいました。
    視点がケイトリンなので、パパの内面はほとんど描写されていません。でも私はやはり親の立場で読みました。
    この一家はママがすでに亡くなって、パパと中学生のデボン、小学生のケイトリンの三人家族でした。妻を亡くしたあとパパは、ずいぶん頑張ってきたみたいです。最初はケイトリンの服について何も分かっていなかったのに、ものすごく細かいこだわりを全部覚えて今ではケイトリンが納得できる服を買ってきます。食事の時間や内容もケイトリンに合わせてくれてます。
    そんなパパにとって、頭が良くて妹に優しいデボンは自慢の息子だったでしょう。時にはケイトリンの面倒を見る、同志のような気持ちにもなったかもしれません。
    その息子を一瞬で奪われた悲しみと悔しさはいったいどれほどのものなのか。
    区切りなんか考えられない気持ちだったでしょう。

    ケイトリンが自分で考え感じて「分かった」こと。パパとデボンがやるはずだったことを、パパとケイトリンがやり遂げる。
    区切りは個人的なものだけれど、それは他の人にも影響を与えました。
    今までケイトリンは他の人の気持ちに共感できるように指導されてきましたが、別の見方をすると他の人はケイトリンに共感してくれなかったのです。ケイトリンの気持ちが少数派だから。
    パパとケイトリンの区切りは、町の人たちの共感を得て多くの人が癒されました。共感をする側でなく、してもらう側になったことでケイトリンは「共感」を実感したと思います。

    とても感動しました。読んで良かったです。

  • 自分の気持ちがあり、他人の気持ちもまたあることを考えさせられる本。

  • アスペルガー症候群のケイトリン。一番の理解者であり助言者であった最愛の兄を銃の乱射事件で亡くしてしまいます。本と絵を描くことが大好きなケイトリンですが、人の気持ちを汲み取るのは苦手で、学校では友だちもなかなかできません。母は早くに亡くし、父は悲しみに沈み自分のことで精一杯。苦境に立たされるケイトリンですが、カウンセラーのブルック先生の親身な支えで、社会の中で生きていくうえで大切なことに徐々に気づきはじめ・・・。ケイトリンの気持ちに沿って物語は進みますが、困難を抱える人に心を寄り添わせることの大切さについて考えさせられます。

  • なんでこんなことをするのだろう?なぜこんなことを言うのだろう?と子どもの言動の理由を知りたくて、頭のなかをのぞいてみたいと思うことがある。この本は人の数だけあるたくさんある子どもの言動の理由の一つを示してくれている。そして、その理由や実際の言動に移すまでの考え方はなるほどなあと納得しつつ、そうかそんな考え方もあるなあと考えさせられる。もっともっと子どもたちのことが知りたいなと思う。

  • アスペルガーの主人公が様々な困難を乗り越え自分なりに懸命に生きる話。作者がアスペルガーでない事に驚いた。アスペの事がよく分かった。

  • ケイトリンはアスペルガー症候群の少女。理屈っぽくて、他の人の気持ちがわからなくて、みんなに合わせるのが苦手。でも、これまではお兄さんのデボラがいたから、ケイトリンはお兄さんにいろいろ教えてもらえた。
    でも、学校で銃の乱射事件が起こって、お兄ちゃんは死んでしまう。
    お父さんはケイトリンによくしてくれる。けれど息子を亡くした悲しみと、アスペルガーのケイトリンを支えてゆくことでいっぱいいっぱい。お母さんは小さい時に亡くなっていない。
    ケイトリンは学校のカウンセラーの先生と一緒に、気持ちの区切りのつけ方、人の気持ちと共感することを学ぼうとする。



    ケイトリンの一人称で描かれているので、ケイトリン独自のこだわりやテンポがわかって良かった。ひいては、アスペルガーの人たちには、一見、変に見えることでも、その人なりのルールがあるとわかる。一緒に暮らしていたなら、大変に面倒くさい、だけど、知ってしまえばわかりやすいルール。

    最愛の家族を失って、「普通」の人とは感じ方・表し方は違えど、ケイトリンも悲しんでいる。そして、気持ちの区切りをつけようとする。
    お父さんも、他の被害者の家族も、加害者の関係者も、街全体が、悲しい事件から立ち直ろうとする。
    誰もが、誰かを思えば、みんなが生きやすい世の中になるんだろうと思う。

  • いろいろ複雑な本だった。
    けれども、アスペルガーの子の見え方・感じ方だけでなく、とりまく家族・先生の伝え方、そしてカウンセリングとは?という色々な問題を分かりやすく物語に書かれていた。物語としてもよくできていて、児童書でもあり、アスペルガー入門書のひとつにもなりうる本である。

  • 泣いた。アスペルガー症候群のケイトリンが、死んだお兄ちゃんに共感できたくだりなんか特に泣けた。多様性社会を生きていくために、この本はたくさんの人が読むべきだと思った。

  •  兄を銃乱射事件で亡くしたアスペルガー症候群のケイトリンとその父の再生の物語。ケイトリンの一人称で物語は進む。

     書かれていない父の苦しさはすぐに想像できる。大事な息子をなくし、娘の「こころない」言動に傷をえぐられる。娘は決して「こころない」わけではない。そういう障害だとわかっているけれど、きもちはもちろん傷つく。彼は孤独だ。
     ケイトリンは目を見るのが苦痛、触られるのが苦痛、人の表情を見ても感情がわからない、言外の意味がわからない。でも、ケイトリンだって、大切な兄を失って苦しんでいるのは同じなのだ。毎日毎日、彼女は人と関わるために必要な知識を得るための授業を受け、努力して努力して人と関わっている。

     ケイトリンの努力と勇気が救われるラストがとても気高かった。努力に努力を重ねないとスムーズに他人と関われない人がいるということを知ることができてよかったと思う。感動しました。

  • 理解も共感も、そうだ、こういうことだよな、と思う。主人公はアスペルガー症候群のケイトリン。その目から見えている景色と考え方、そしてこの子の理屈。こんなふうに頭の中を覗いて見ることができたら、誤解も減るし、理解できる。そしてそれは、障害のあるなしにかかわらず、ほんとは誰に対してもそうあるべきなんだってこと。こうやって、知らなかったことを知るというのはとても大事なことだ。そしてこの小説は、とてもいい。<区切り>を見つけて行く過程は胸に迫る。クリアするために努力を重ねて行くことも。

  • 訳者はニキリンコ。翻訳で、しかもアスペルガー症候群の主人公の独特な言語感覚をうまく訳している。いつも自分を助けてくれたお兄ちゃんが銃の乱射事件で死んでしまったという困難な状況からの回復を書いている。

  • ケイトリンはアスペルガー症候群の女の子。もうすぐ中学生になる。人の感情がわからないケイトリンのために、お兄ちゃんはなんでも教えてくれた。でもそのお兄ちゃんはもういない。中学校で銃の乱射事件に巻き込まれてしまったのだ。ケイトリンもお父さんもお兄ちゃんがいないことをうまく受け入れられない。「気持ちの区切り」ってどうすればいいの?
    ケイトリンのまっすぐな一生懸命さが、読んでいるうちに心に灯りをともしてくれます。

  • ケイトリンの兄は、銃の乱射事件で命を奪われ、父親はショックで
    立ち直れないでいた。
    アスペルガー症候群のケイトリンは、父親とうまく感情を共有することが
    できず、父親を泣かせてばかりいた。

    クラスメイトとも、意思が伝わらずに、パニックになってしまう
    ことが多かった。

    だがケイトリンは、学校のカウンセラーの先生と約束した課題に、ひとつづつ
    真面目に取り組んで、自分を納得させる努力をしていた。

    そして、兄の喪失にどうやって「区切り」をつけるかが、ケイトリンの中で
    重要なテーマになっていった。

  • 兄を失ったアスペルガーの女の子を主人公にした物語。
    本人視点の一人称。
    ケイトリンは(十分ではないにしろ)きちんと学校でケアされている。その辺が今風。

    マイノリティを描くときに過剰にドラマチックな要素(事件やSF)を入れてしまうと、ただでさえ「特別」な存在をますます遠くのものにしてしまう。
    だから劇的な事件なんておこらない「普通」の設定にしてくれればいいのにと最初は思った。
    でもこれは普通。特別な状況にある人として普通の反応。
    普通の特別さがマジョリティにもわかりやすく翻訳(非定形→定型、英語→日本語)されている。
    混乱したり納得していなかったりする部分は文章が区切りなく延々と続く。
    読みにくそうなのにちゃんと読める表現がうまい。

    ケイトリンが受ける特別支援(カウンセリング)部分を読むのはちょっと辛い。
    それ自体は有用かつ優しいものだけど、昔の聾学校の口話教育(手話否定)を連想した。
    外で生きていくには定型発達の人と付き合うためのスキルが必要だ。
    この表情は笑顔、「してほしい」という言葉は「しなさい」の意味、といったパターンを教えてもらうのはとても大事だ。
    スキルを身につければ生きやすくなる。

    だけど定型のコミュニケーションを、それも「一緒に行動することを楽しむ」など感じ方までを定型とおなじにさせるのは違う。
    たとえば他人と行動するのが苦手な子に必要なのは、目と目で通じあうための訓練じゃなくて円満に「一人班」を作るためのコミュニケーションスキルじゃないのか。

    まわりじゅうの他人に自分を理解してもらうよりも、自分が他人を理解するほうが早い。
    だから、他者理解のための訓練自体は必要だけれど、目指すところがなんか違う感じがした。
    少数派が適応するためのスキルを与えるというよりも、少数派を多数派に同化させるための矯正に見える。

    お前の考えることはズレてると言われ続けているのに「自分だったらどう感じるか」を基準に他人に共感しろと言われても困る。
    その困惑は描かれつつ、やっぱり定型の価値観である共感こそが大事な(優れた)ものとして描かれている。
    その辺の素晴らしさを感覚的にわかるのは難しいや。
    私は定型だけど「うぉーたー!」みたいなのないからなあ。

    そういうところは少々気になったものの、全体としては良い。
    方向は間違っていても一所懸命努力するケイトリンは可愛い。
    お兄ちゃんも人間味がないくらい理想的な保護者。
    こういうのは「良い子だから好かれる」「素直にしたがうから存在を許される」みたいで過剰適応が心配になるけれど、やっぱ良い子は読んでて気が楽だ。

    加害者サイドの見られ方や、善意の他人や、普通の(無神経な)子供の書き方が優しくて良い。



    「くらやみの速さはどれくらい」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4152086033をちょっと思い出した。
    子供視点という部分ではモーリス・グライツマンのほうが近いか。

  • アスペルガー症候群のこどもには世界がどんな風に見えているのか。それを銃乱射事件で最愛の兄を失った小5のアスペルガーの女の子の目線で描いた物語。仕事でアスペルガーの生徒さんを教えているが、その時に感じるイライラを前半部分ではかなり感じてしまいストレスフルだった。でもこんなに努力しないと「普通」に人と交われないのか~と思った。大切な人を失った痛みをそれでも誠実に自分のやり方で乗り越えて行こうとする姿に励まされた。アスペルガーを理解する助けになるとともに、大きな困難を乗り越えるヒントがある。読後感はあたたかい。

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著者プロフィール

15年つづけた弁護士の仕事をやめて、子どものころからの夢だった作家に転身。初めての作品『Quaking』が、米国図書館協会のヤングアダルト図書館サービス部会が選定する「読書ぎらいのヤングアダルトも気軽に読めるトップテン」入り。夫、2人の子ども、マクシーンという名前の犬といっしょに、アメリカのバージニア州在住。2010年、本作で全米図書賞(児童文学部門)受賞。邦訳に『ぼくの見つけた絶対値』(作品社)がある。

「2013年 『モッキンバード』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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