フィンランドはもう「学力」の先を行っている――人生につながるコンピテンス・ベースの教育

著者 :
  • 亜紀書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750512174

作品紹介・あらすじ

フィンランドは子どもに「実力」を付ける教育に転換した。
宿題もなければ、点数競争もない。それなのに、学力世界
一であり、国力世界一である。かたや日本は、ペーパーテス
トで競争させる教育から抜け出せないでいる。いま真に求
められている教育とは何かを提示する画期的な書!

感想・レビュー・書評

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  • ここ数年、何かと話題のフィンランドの教育事情についての一冊。
    いわゆる「ゆとり教育」が題材なのですが、、日本のソレとは全く異なります。

     「人間を信頼し、自ら学ぶ子どもを育て、しっかり学べる教育システムを作ること」

    この一言に全て集約されているのかな、、とも。

    日本の「ゆとり教育」もその理念は評価されていたとのことですから、
    現場でちゃんと運用されれば全く違った結果になったんだろうなぁ、、と感じます。

    それがどこでひん曲ったのか、日本では「結果の平等」を与えるだけという、
    個人の努力や個性を無視し多様性を否定した、なんともな内容に堕しましたが。。

    理念通りに運用されると、一番大変なのは教師のようです。
    画一的ではなく、生徒一人一人と向き合う必要がありますから。

    それには、教師の待遇や社会的地位の向上もですが、再教育が必要かなとも。
    日教組の好む労働従事者ではなく、専門職としての誇りと自信を兼ね備えた、教師として。

     「生涯学習は人生への準備であるとともに、人生の重要な一部となる」

    人は生きている以上、常に学んでいくものだと思います。

    戦後の、いい大学を出ていい企業に就職すれば安泰、との神話が崩れた今、
    よりいっそう、この流れは求められていくのかな、、とも。

    またこれは、階級の流動化に対する一つの手段にもなるかな、とも。

  • フィンランドの教育の現状を「コンピテンス・ベースの教育」に注目して、仕組みと現場の状況を書いた本。

    日本は「フィンランドをモデルにして、それを骨抜きにして仕組みをつくる」ことが間々ある(福祉など)。最近注目されがちなフィンランドの教育ですから、同じような目線でフィンランドの教育を見ることができるのではないか、という目線で読んだ一冊。

    興味深かったのは、職業や職業資格を重視した「コンピテンス・ベース」の教育が成立したのは1990年代からだ、ということ。日本の教育と比べると「考え方は共感するけど、仕組みごと変えないと無理」と思ってしまいがちなんですが、フィンランドだって昔からそうだったわけではなく、ソ連崩壊後の不況の中でひねり出した仕組みだった、というのは興味深かった。

    もう一つ興味深かったのは、フィンランドの職業教育施設の所長が話した「わが国は貧しいので非行少年なんかは出せないのです(p.104)」という言葉。これが教育施設、というか社会全体に通底していて、いわゆる「落ちこぼれ」を作らないようにフィンランドはなってるらしい。

    これは一個人としては響く言葉だった。日本は「豊かな国」で人が余っている国。そして、フィンランドが持っているいろんな機関・施設と同等のものの多くを日本も持っている。ただ、それがフィンランドのようにうまく組み合わさっていない。それをうまく組み合わせるよう配慮するだけでも日本はいい方向に変わるのかもしれない。
    そして、「人が余っている国」だからこそ、フィンランドの「自分の持ち味を出すやり方」から学ぶべきことは多い。資格含め表面的なことを取り繕うよりも、自分がしたいことはなんなのか、それをどう磨けば役に立つのか、という意思が大切なのかもしれない。

    教育云々よりも、自分自身のこととして考えさせられる一冊でした。

  • いや〜是非、フィンランドの小学校に息子を一ヶ月でもいいから通わせたい。
    クラフトや裁縫、料理といわゆる技術・家庭科の授業に重きを置いており、設備が整っている。一般教養の授業においても教科書を教え込むのではなく生徒一人一人がそれぞれ物事を一から考えるところからスタートし、徹底的に議論させることで社会の仕組みを積極的に学ばせる。おまけに大学まで、教育費が無料ときたら、こんなに素晴らしい留学体験は無いと思う。

    ただし日本の小学校の良いところはちゃんとあるので、日本の教育を完全に否定するつもりは毛頭無い。日本は今や、小学校低学年から塾に通う時代で、基礎学力の習得においては世界でも引けを取らない。反面、世界で生きて行く力を身に付けるためには、日本の詰め込み教育のなんと無駄の多いこと。低学年から塾通いという点についても、遊びから多くを学ぶ子供時代の時間の使い方を大いに間違っていると、当事者である私も実感している。

    頑張りが無駄なのでは無い。方向性がグローバル基準からズレているのと、度が過ぎるのだ。
    と、自分に言い聞かせる意味も込めて。

    来年の夏はアメリカのサマースクールを体験させたいと考えていたが、フィンランドを選択肢に加えたい。

  • 知識ベースの教育ではなく、実践ベースの教育。
    日本もこのままでいいのだろうかと疑問に思ってしまった。

    いつまで経っても知識を教える教育から脱却できていない。
    正直そんな知識はAIで十分である。

    人にしかできないこと、その人にしかできないことを見つけられる教育にしていくべきだと思う。

  • フィンランドの小学校や専門学校、専門職大学、総合大学などについて詳しく書いた本。

    はじめに、の章で筆者はゆとり教育について言及している。
    日本でも思考力や創造性を養う教育は1970年代から産業界を中心に望まれていた、そしてOECDは日本のゆとり教育を高く評価していた。それは詰め込みではなく、参加を重視、生徒の熱意をかき立て、達成感を与える、自ら学び自ら考える力を育成することを目指していた。
    しかし学習指導要領を公表した途端に低学力批判が展開され、文科省が原理転換してしまうことになった。
    筆者は「競争原理だけで子どもたちは本当に自分の人生を生き抜けるのか、日本企業は生き残っていけるのか」と憂いている。
    2023年にこの本を読んでいるが、まさに予感的中といったところ。

  • 「わが国は貧しいので非行少年なんか出せないのです」これが国の教育方針だということに痺れました。

    果たして日本で教育に携わっている者達がこのマインドを持っているだろうか。

  • フィンランドの教育の形態、実態がわかった。
    日本やアメリカと異なり、知識ベースでなく
    実践ベースでの教育であり、体に染み付き知識は後から実践と共につけていく教育形態。
    社会に出るための勉強を日々している

  • 【概略】
     フィンランドは腹をくくった。価値観と構造が変わったこの現代においては「学生」「社会人」という線引きはなくなった。・・・というより、そういった構造では変化の大きな現代では対応できない。常に現実の世界と深く関わりながら学びを築き上げるフィンランドの教育システムを解剖した一冊。「学力」の先にあるもの、フィンランドが見ているものは、一体、何か?

    2020年01月17日 読了
    【書評】
     やはりこちらも講演の準備・勉強のために読んでみた。
     秋口あたりからの「英語4技能」「民間試験導入」に関連する論争の中でしばしば話題に上がるフィンランドの教育事情。「日本すげー!」って言い過ぎるのも嫌だけど、「海外すげー!」って言い過ぎるのもどうかと思ってしまう自分にとっては、「(フィンランドの教育事情を持ちあげるのって)盲目的じゃね?」と思っていた。実際、フィンランドの教育を学びに現地に留学・滞在した人にも意見聞いてたしね。脱線するけど、「日本すげー!」はそこに「日本以外に目を向けない・そむける」ニュアンスがあるし、「海外すげー!」も同時に「日本の良さに目を向けない・そむける」ニュアンスがあって、視野の狭さでは五十歩百歩じゃない?と思ってしまう(笑)
     そんな事前の経験・見識をベースにこの本を読んでみた。当然、良いところにスポットライトを当てて本を書いている・・・ので、そこを加味したうえで読み進むのだけど、自分の性格的にはフィンランドの教育事情は「(自分に)合っている」と感じた。正直、ワクワクしながら読み進んだし、可能なら少しの期間、フィンランドに住んで勉強してみたいと思ったぐらい(笑)
     でも同時に「これを日本に、なんの考えもなくカポッて当てはめるのは、物凄く難しいだろうなぁ」とも思った。総人口の違いもそうだし、文化的に作られた日本人の気質などもそう。良くも悪くも「見えないチカラ」に頼ってしまう国民性というか文化性というか、そういった諦観が潜在的にあり、且つ、それが故に「誰かがなんとかしてくれる」的な、天を仰いで餌が降ってくるのを待つ小鳥のような要素がある文化性に、システムだけを当てはめるのは・・・ってね。(こんなこと言わなくても当たり前だけど、全員が全員、そうじゃないからね)
     もう当たり前過ぎてため息レベルなのだけど、やっぱり「教育」って国家の生命線だよねぇ。そして、その生命線・・・ベクトル、その国の姿勢を決めるのは、政治であり、その政治を作り上げてるのは、自分達・・・その自分達がしっかり勉強しないとあかんよねぇ。
     本を読んでて、「あぁ、フィンランドは、アメリカにはなろうと思ってないのだなぁ。一握りの天才を作り出すより、落ちこぼれを減らすことに注力してるんだ」と思った。どっちも正解だよ、それが政治だし、教育だもの。ただ、天才はどこにでも行って、その天才ぶりを膨らませることができる・・・って思うと、どうかな?
     ここからは本書に関係ない個人の考え。とりあえず日本の義務教育の「義務」の解釈を変えるだけで随分変わると思う。今の日本の「義務」は「期間の義務」。小学校の6年と、中学校の3年の、合計9年の教育期間を定め、成熟度に関係なく、卒業させる。そうではなく「習熟度の義務」にして、そこに到達しなければ卒業できないという形にする。卒業させる・させないの決定権限も各校長ではなく、国家で定める。「留年」というものに対する感覚を変えさせる(今は「恥ずかしい」だと思う)。これだけで相当変わると思う。
     あとは・・・社会人が教育機関に戻ることの文化の醸成かなぁ。どこかで「年を重ねた≠賢い」とか「沢山の知識≠高い見識」とか、そういう感覚を育てていく必要、あると思う。
     いやぁ、色々と考えさせられる本だった。

  • 資格社会で専門学校へ。

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著者プロフィール

1950年、岐阜県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。都留文科大学副学長。主な著書に『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』『フィンランドは教師の育て方がすごい』(小社刊)、『競争をやめたら学力世界一』『競争しても学力行き止まり―イギリス教育の失敗とフィンランドの成功』『こうすれば日本も学力世界一』(朝日選書)、他多数。

「2015年 『国際バカロレアとこれからの大学入試改革』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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