性表現規制の文化史

著者 :
  • 亜紀書房
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感想 : 24
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750515182

作品紹介・あらすじ

「えっちなのはいけません!」という社会規範は、いかにして生まれたのか?

気鋭の法学者が、性表現規制の東西の歴史を読みとき、その背後にある政治的な力学を鮮やかに描きだす、必読文献!

東浩紀さん、宮台真司さん 推薦!

性表現規制の歴史は、
「自分より道徳的に劣る人々」を発見し、保護する歴史にほかならなかった!
表現規制に関心のあるすべての読者、必携の書。
(東浩紀)

法の猥褻と習俗の猥褻はどのように異なるのか。
習俗の猥褻は社会の階層構造に沿って変化する。
法の猥褻はそれを参照しつつも統治目的に従う。
本書は猥褻を規定する社会の力を徹底解明した。
(宮台真司)

感想・レビュー・書評

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  • 本当に興味本位ではあったが、規制論に対してのそもそもの部分を追求する本誌には新しく知ることが多くあった。
    卑猥という言葉はもともとえっちな意味ではなかったこと、西洋に置いては「家」のための建前の規制が始まりだったこと、そして時が経ち宗教の中で規範として定義がされ、それが近代規制にまでいたり、西洋文化を取り入れた日本にまで波及してしたこと。あらゆる法や規制はその時代における社会から生まれ引き継がれていくものであり、推論も含め日本における性規制がどういった経緯でなりたってきたかが見れるもので満足している。
    このえっちなことだけに限らないが、ただ脳死で規制をと言うのではなく、背景や実際の影響を調査し、考え、俯瞰して見ることが大事だなとしみじみ。

  • twitter上でのフェミニズムを名乗る活動が概ね反ポルノ活動であることに興味を覚え、そもそもなんで猥褻が悪いとされているのよ?と読み始めた本でした。性道徳に最も行動を抑圧されているのは女性であるという認識を持っていて、フェミニストを名乗る人々の活動と整合しないからです。

    (以下内容)
    性のタブー化、猥褻表現の禁止に時代を超えた必然性はなく、特定の宗教的信念の発露に過ぎないという立場で性表現規制がどうあったかを見ていく本。

    まず猥褻という概念がその起源においては性と無縁であったこと、西洋の貴族階級がスムーズな財産相続のために婚姻外の生殖を避けたことの2点からスタートし、いかにして性が社会にあるべきでないとされてきたかを概観する。

    猥褻概念の歴史的分析では性のタブー化が古くは家の財産を保全する慣習、時代が下って宗教の戒律、青少年の保護(何からの?)と変遷してきたことから、時代を超えた必然性がないことが示される。

    また、英米の猥褻表現を巡る裁判を参照し、米の反ポルノ活動が婦人参政権運動のイメージアップ戦略の一環であったこと(平行して反アルコール運動は禁酒法へ結実した)、猥褻表現規制がプライバシー権や成人に責任能力を求める態度と矛盾し、「道徳的に脆弱な」女性・未成年者の保護の為とされたこと、作品の社会的価値を司法が判断するのは無理があること、キンゼイ・レポートの果たした役割についても説明される。

  • 社会学の専門家による性表現の規制について研究した結果をまとめたもの。サークル同人誌に掲載されたものをまとめて、書下ろしを加え、本にして出版している。研究は精緻で、歴史的にまた米英の状況を含め、かつわかりやすい内容となっている。なぜ性表現は規制しなければならないのか、の経緯がよく理解できた。学術的で論理的で、有意義な内容であった。
    「(欧州12世紀 上流階級)夫と妻との間に恋愛感情があることは珍しく、通常の場合、それぞれが別の恋人を持っていました。すなわち、結婚と恋愛がまったく分離していたわけです」p42
    「「猥褻(わいせつ)」とは、歴史的には、庶民の日常的なだらしない生活の様子を指すことばであった。「猥褻」に性交に関する意味が加わってきた理由は、上流階級の性に関する厳格な規範に対して、下層階級では、規範がたいへん緩やかであり、この性に関する規範が階級を分ける標章として機能してきたためである」p44
    「(猥褻な表現)本質的に違法でもなければ有害でもないと判断されることになるでしょう。我々は生殖するために性交するわけですし、かなりの低年齢からかなりの高年齢までが、そうした行為を行う可能性があることは事実だからです。こうした自然の事実について表現することは問題ないでしょう。仮に抑制されるべきであるとすれば、理性的精神を静穏かつ純粋に保ちたいと努力している人に対して、そうした努力に反する情欲や快楽への誘惑を増大させることに対してでしょう」p55
    「(宗教)生殖が問題なのではなく、信仰の妨げになる事柄が問題とされているのです。従って、性に関連した欲求や快楽のみならず、信仰を弱める可能性のある、あらゆる種類の欲求や快楽が抑制されることになります」p60
    「(宗教の戒律に反する事柄)たとえば、ガリレオ裁判における天動説対地動説論争などが挙げられる」p62
    「(現在に繋がる)キリスト教的な結婚の形態が普及する以前のギリシア、ユダヤ、ローマ、ゲルマンの各民族は、家父長が支配する家族集団の中に組み込まれ、すべての構成員について家父長の指示に従って結婚が行われました」p65
    「マリアの処女懐胎の教義」p74
    「配偶者間の性行為であっても快楽は罪であり、なるだけ快楽を感じないように性行為を終えることが求められました。キリスト教の教義がこのように解釈され制度化されていく過程で、性それ自体を罪とみる観念が生み出されることになるわけです」p74
    「性があまりにも人々の関心を引く事柄であることから、宗教的価値観での「望ましいあり方」を妨害する強い要素となりえます。その結果、性を忌むべきものとする価値観が生まれ、自らが優位であることの標として、禁欲の価値が高まるのです」p81
    「中世を通じて、性関係や結婚は宗教団体の規範に沿って運営され、宗教団体は「性規範」を足掛かりに、個人の精神面だけではなく、財産関係にも支配領域を拡大することに成功しました。この関係が何世紀もの間継続していく中で、社会の常識となり、やがて法制度に結晶していくことになります」p82
    「(英国)18世紀の社会には大量のポルノグラフィが普通に流通していました」p85
    「イングランドではじめて猥褻とされる性表現が制定法により禁じられたのは1857年のことです。明治維新のたった10年ほど前のことなのです」p86
    「(米国の厳しい宗教的禁忌)処女性は極めて重要なものだと認識されており、結婚前に処女を失うことは、社会的地位から転落しかねない失敗とみなされていました」p97
    「社会における女性の地位を向上させる運動の中において、性規範を強調し、性的な「だらしなさ」を批判糾弾する戦術が採用されました(性規範が階級と階級が主導権を争う場所となっていた)」p113
    「児童ポルノが問題となったのは1970年代末のこと」p173
    「具体的な害悪がなければ表現は抑制することはできない、とする言論表現の自由の原則に照らしたとき、性行為にも性表現にも害悪が見出せない。そうであるならば、司法は性表現規制を緩和していくことが適切であることになります。1970年代はじめには答えは出ていたのです」p179
    「男女の交わりが子をなすということが経験的にしか理解されなかった社会においては、性や性行為は、生殖とは必ずしも直結しない日常的な娯楽という側面を強く持ち、特にそれを罪悪視するような発想そのものが存在しませんでした」p187
    「(縄文・弥生時代)庶民の性生活の様子は、乱婚状態だったと推測されます。好きになれば同棲し性交し、嫌いになれば離れるという単純な仕組みです」p188
    「神道においては、性を穢れであるとか忌むべきこととする発想がそもそも存在せず、むしろ、祭礼では性行為を模して、その生産の力にあやかろうとすることが通常でした。さらに、そうした儀式の後に参加者たちによる乱交が行われることもしばしばでした。これは制度化された乱婚ですので、当時の社会秩序から見て何の問題もなかったのです」p190
    「(儒教の影響)女性の経血を不浄としてみる見解が現れたのは9世紀ごろと言われています。儒教的観念は、大化の改新によって、日本の国制に導入されました」p191

  • 私は性表現規制に部分的に賛成の立場だが、表現規制の問題点など学んでおこうと思い購入しました。第1〜2章は読んで、その後は飛ばし読み。性規範の歴史性は一般論として知っておく必要があるでしょう。今現在の「猥褻」のイメージの起源に、財産相続が関係するという点は正しいのだろうと思います。
    ただし、あくまで歴史の話であり最近のロリコンエロ漫画規制の議論など個別の論点では余り参考になりませんでした。
    また筆者の想定する前提には全く同意できません。筆者は性表現規制が、その他の例えば有形の暴力表現などとは違い、とりわけ厳しく規制させれいると述べたあとにこういいます。「仮に、私たちが表現に影響されて、その表現にならった行動をしてしまうとした場合(実際にはそんなことはないのですが)」(p.9)。この箇所を読んで、この本は全部読まなくてもいいかなと思いました。なぜなら性表現規制の歴史性や問題を語るのであれば、また私たちが持つ「欲望」の歴史性や時代ごとの問題にも注目すべきと思うからです。人が持つ欲望もそれなりに環境によって作られるものであって、性暴力表現に溢れたエロ漫画やAVからも影響を受けているし、表現にならった行動を普通にやっちゃってますよ。
    私が感じた本書の問題点は、①人は普通に見聞きする性表現に影響を受けるのに、完全に現代人は欲望の歴史性から自由であるように言ってしまっている点、②性表現もかなり寛容に認められている現代日本において、それによる実害よりも規制の問題を優先する点でバランスが悪いということ。
    ということで、現代の性表現規制を考える上で(本書は前提となる論点は提供してくれているけれども)物足りない
    ものでした。

  • <学生コメント>
    現代社会において、テレビや漫画などで露骨な性表現はどんどん規制されていく。教育に悪いから?風紀が乱れるから?では、美術の裸体像や裸体画はなぜ許されるのか?その
    線引きは?そんな疑問を時代の文化とともに学べる一冊です。

  • 西洋の歴史を辿りながら卑猥とは?卑猥の歴史を解説していく内容。ただ、国語力のない自分にはちょっと難しかったです。笑
    ですが、「えっち」なのはなぜいけないのか?
    暴力については表現の規制は受けないのに人類が繁殖していく上でほとんどの人が経験する「えっち」は規制を受けるのか?という点について最後まで読み進めると理解が深まります。
    1番最後のまとめが何気にすとん、と心に落ち面白かった。

  • 猥褻表現がいかにして規制されるに至ったか、さまざまな視点から歴史を紐解いて考察しており勉強になった。

  • 猥褻とはそもそも何なのか?
    数世紀にわたる規制派との攻防。各章にまとめがあって分かりやすい。

  • いかにして性が規制され内面化していったのかがわかりやすく説明されていて目からうろこだった

  • 表現の規制に関する考察が述べられており、大変参考になった。規制の推移に納得感があり、無理なく理解できた。

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著者プロフィール

1968年宮崎県生まれ。
法政大学社会学部准教授。
一橋大学法学部卒業。
同大学大学院博士後期課程修了。博士(法学)。
専門は情報法、知的財産権法。
著書に『コピーライトの史的展開』(信山社)、
『インターネットの法と慣習』(ソフトバンク新書)など。

「2017年 『性表現規制の文化史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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