ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと

著者 :
  • 亜紀書房
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感想 : 64
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750515328

作品紹介・あらすじ

ボルネオ島の狩猟採集民「プナン」とのフィールドワークから見えてきたこと。豊かさ、自由、幸せとは何かを根っこから問い直す、刺激に満ちた人類学エッセイ!

「奥野さんは長期間、継続的にプナン人と交流してきた。そこで知り得たプナン人の人生哲学や世界観は奥野さんに多くの刺激と気づきをもたらした。この書を読み、生産、消費、効率至上主義の世界で疲弊した私は驚嘆し、覚醒し、生きることを根本から考えなおす契機を貰った。」
――関野吉晴氏(グレートジャーニー)

感想・レビュー・書評

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  • 「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」
    奥野克巳(著)

    2018 6/22 初版第一刷発行 (株)亜紀書房
    2019 10/22 第五刷発行

    2020 7/11 読了

    長い変なタイトルに
    民族学者の変な価値観で描かれている変わった民族のおもしろ話かと思って買ったけど

    ちゃんとした話でした^^;

    「熱帯のニーチェ」って題名で
    亜紀書房のウェブマガジンに掲載されてた内容に加筆して発行されたらしい本書。

    「熱帯のニーチェ」だったら読んでないな^^;

    異民族、異文化に暮らす人類に興味を持って
    調べて書籍にするなんて
    本当に無粋だなぁ…と思うけどとても興味深い内容でした。

    加速度的に熱を帯びて持論を展開する筆者に
    引っ張られるように読んでしまったよ。

    こんちくしょう。

  • タイトルの通りの内容なので、「ルポルタージュ」ではないかも。何に分類したらいいのかわからない。エッセイでもないし。とにかくタイトルの通り、人類学者の著者が、プナンというボルネオ島に住む人々に密着して気づいたことを、ニーチェの哲学と織り交ぜて、そもそも人間とは、生きるとは何なのか、現代人の、文明的な生活が本来あるべき人間の姿なのか?と考察しながら書いている。
    ちょっとニーチェの引用が難しすぎて読むのに時間がかかってしまったが全体的には面白かった。
    プナンは定住することも、家や土地を所有することもなく、森のなかをうろつき、狩猟採集をして暮らす。子どもは学校に行かない。そもそも所有するという概念がなく、あるものはみんなで分かち合う。人よりも高い能力を獲得して優位に立つとか、豊かになりたいという欲求もない。
    人間はいつからそのような欲求をもつようになったのか?
    プナンの生き方が文明的でないとか、人間らしくないと言えるのか?
    トイレで排泄するという習慣もない!
    著者が何かを持って彼らのコミュニティーを訪問すれば、当然のようにそれをみんなのものとし、ありがとうもなく、壊してもごめんなさいもない。
    とっても興味深いですな。
    最後の方で、年に何度か訪問していたのにコロナで数年あいて再訪したとき、スマホとWi-Fiが導入されていたっていうくだりもかなり面白かった。
    プナンはそんなものに興味をもたないかと思ったら、マレーシア政府の政策?で無料で配られたスマホとWi-Fiを駆使して、彼らはエロ動画を見ていた笑!文字の読み書きができないので、音声チャットで獲物がどこでとれるかという情報をやりとりしたり。
    ニーチェは難しくても、知らない世界を覗き見られるという読書の楽しみを存分に与えてくれる一冊でした。

  • 立教大学で教鞭を取る文化人類学の著者がプナンという狩猟採集民族について書いた本。

    プナンとは、ボルネオ島(マレーシア、インドネシア、ブルネイの三つの国から成る)に暮らす、人口約一万人の狩猟採集民である。彼らは今日でも、資本主義社会の一端に巻き込まれながらも伝統的な社会を持ち続けている。

    本書で紹介される通り、彼らの生活は我々の生活と何もかもが違う。
    プナンの社会には、「おはよう」もないし、「ありがとう」もない。「ごめんなさい」もなければ、時間という概念もない。ないない尽くしである。

    プナンは常に生活をひとつの共同体で完結させているので、我々が使う交感言語(伝達機能を持たないが、一体感を生み出すような社会的な機能を持つ話し言葉)を使う必要がない。だから、「おはよう」「さよなら」という言葉がない。

    プナンは死と隣り合わせの厳しい自然に生きているので、あらゆる物を分け合い、協力することが当たり前なので、プナン語には何かをもらったときの「ありがとう」にあたる言葉がない。

    プナンは「反省」をしない。
    共同体の中のだれかの過失でみんなが損害を被ったとしても、当人の能力や行動が追求されることはない。失敗は個人の責任ではなく、以後の共同体としてのおおまかな方針に反映されるだけだ。だから当人も反省することはない。「ごめんなさい」にあたる言葉もない。


    上記のように、プナンの社会は我々の社会とはまったく似つかないものである。
    どちらが良いとか優れているとかではなくて、根本の発想からして違っている。そしてそれぞれの社会は相手方の社会の在り方から学ぶことが多くあるだろう。

    プナンが「反省」をしないのは、彼らに発展や向上を目指すという目的がないからだと著者は述べる。
    なぜ反省が必要かというと、ある事柄において「次はもっと上手くやろう、効率よくやろう」という価値観があるからだ。この根底の発想がない以上、反省する必要がないのだ。
    必要がないから、存在しない。これは自明だ。

    このことは特に我々に示唆を与えてくれる。
    資本主義の専制の下、我々の社会は断続的で際限のない発展を続けてきた。しかし、現在我々はその成長の限界を目の当たりにしている。顕在してきたあらゆる環境問題、倫理的問題は成長主義の限界を示している。
    その中で、脱成長主義にシフトしていくためにはプナン社会の考え方がその一助になるのではないか。そう感じた。

    本書は、まったく未知の社会のイデオロギーを紹介し、読んだ人に新たな視点を与えてくれる本だと思う。少し長いが、読んでみて損はない良書。

  • 狩猟採集民だからといって
    プナンは資本主義や物質を
    否定してるわけではない
    でも 価値観が違うのだ
    ということを理解するのが 難しいですね
    やっぱり 日本人の価値観が染みついちゃってるから

  • おもしろい!

    今思っている
    「当たり前」のこと
    食べること
    ねること
    あいさつをすること
    すまうこと
    まとうこと
    かんがえること
    なやむこと
    気を遣うこと
    働くこと

    それらのことが
    根底から覆されていく
    その快感

    むろん
    それが「良い」とか「悪い」
    とかの基準などでは全くない

    「人間」が「人間」として
    この地球の上で
    この土の上で
    生きていること を
    新しい眼で
    考えさせられてしまう
    一冊

  • 筆者がボルネオ島で狩猟を主生業とする民族プナンと一緒に暮らして考えたことの記録。プナンは人から物をもらってもありがとうを言わないし、失敗しても個人のせいにしない。物は個人のものにせずみんなのものとして扱い、親族が亡くなると早くその人のことを忘れるために近親者の人たちは一時的に名前を変える。つまり、私たちとは違うことだらけなのだ。この本を読んで改めて人って自分が培ってきた感覚のフィルターでしかものを見られないんだなあと再確認。でも、だからこそそれがひっくり返ったときに面白いって感じる。

  • ボルネオ島の狩猟採集民プナン。遺族のデスネームは生前最も親しみを込めてその名を呼んだのは誰かってことなんじゃないだろうか。個に一切の責任を持たせない集団のあり方は興味深い

  • ボルネオ島のプナンの人と暮らして著者が考えたことが書かれている。興味深かった。

    ボルネオ島の森でプナンと一緒に暮らすことは、「大いなる正午」を垣間見る経験だった。
    「大いなる正午」という比喩はニーチェの言葉で、「真上からの強烈な光によって物事が隅々まで照らされ影が極端に短くなり、影そのものが消えてしまった状態。」のこと。「影が消える」とは、世界から価値観がすべてなくなってしまった状態である。おおいなる正午とは、真上から強烈な光に照らされて影の部分がない、善悪がない状態である。
    世界には固定された絶対的な価値観が存在しないということを、体験をとおして理解したと言っている。

    私たちは、一生をかけて何かを実現したり、今日の働きで何かが達成されたりすることをひそかに心に描いて働いている。ところが、プナンは、これこれのことを成し遂げるために生きるとか、将来何かになりたいとか、世の中をよくするためい生きるとか、生きることの中に意味を見出すことはない。
    なので「反省しない、感謝を伝えるべき言葉がない、精神病理がない、薬指という言葉と概念がない、水と川の区別がない、方位・方角がない」、、、という、わたしたちにとって「あるべきこと」がプナン社会にはない。とても興味深い。

  • なんかプナンは、「野生人間」ってかんじだな。
    ほしいからもらう、ほしがってるからあげる、いらないからいらない。
    強引なところも少しはあれど、基本本能のままに生きている。
    対してわたしたちのような「囚われの人間」は、社会にも、法律にも、倫理にも、他人にも、お金にも…とにかく何もかもに縛られている。
    どちらがいいとは言えないけど、プナンのいいところは積極的に取り入れて生きていけたらどんなにいいことか。だってプナンには、少なくとも著者が見てきた限りでは、こころの病気を患っている人がいないんだよ。それだけで取り入れる価値はだいぶあるんじゃないか。

    とりあえず、取り入れられそうなものだけ抜粋

    ・誰がなんと思うのかなんて考えない
    ・著者が考えたみたいに、外からは反省してるように見えるけど実はまったくしてないみたいな姿勢(反省は見せかけだけでもしておいたほうがスムーズだとは思うから)
    ・要らないモノはただ要らないから要らない

    常識や当たり前をとっぱらって、自由に考えて、強く、楽しく生きていきたい!


    犬とかヤマアラシとかに関する直視できない部分もあって、ただ、いまも世界では当たり前のようにこれよりもっとひどいことがあらゆる動物(人間も含む)に対して起こっているんだなと、ふと考えてしまった。
    わたしも命をいただいて生きているから何も言えないけど、でもせめて、なるべく出処がはっきりしたもの、または大切に育てられたものだけ買わせてもらおう・食べさせてもらおうと思う。
    欲張らずに、必要なものを必要なだけもつようにしたら、人間はもう少し平和に生きていけるんじゃないだろうか。
    とにかく、もういい加減、あらゆる暴力が世界から消え失せてほしい。

  • いやこれ、久々に脳ミソ揺さぶられた著作だった。反省することや感謝することがそもそも存在しない世界に生きるボルネオの狩猟採集民プナンと暮らした著者である人類学者が、軽妙な文体で現代に生きる、いや過去から文化的に生きてきたと思っていた人間の価値観を揺さぶり続ける。それが今も生きてるプナンの人々の暮らしの事実と、思いもよらぬ視点からの考察で、今の我々の生き方の根元に疑問を投げかけてくる。それは今の我々が間違っているというわけではなく、こういう考え方もあるよという可能性の提示であるので、イヤな気持ちにもならない。これは面白いものを読んだ。久々得した気分の読書だった。

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著者プロフィール

立教大学異文化コミュニケーション学部教授。
著作に『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(2018年、亜紀書房)、『これからの時代を生き抜くための文化人類学入門』(2022年、辰巳出版)、『人類学者K』(2022年、亜紀書房)など多数。
共訳書に、エドゥアルド・コーン著『森は考える──人間的なるものを超えた人類学』(2016年、亜紀書房)、レーン・ウィラースレフ著『ソウル・ハンターズ──シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』(2018年、亜紀書房)、『人類学とは何か』(2020年、亜紀書房)。

「2023年 『応答、しつづけよ。』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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