歴史がおわるまえに

著者 :
  • 亜紀書房
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (392ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750516103

作品紹介・あらすじ

歴史は「私たちの進路」を、もう照らさない。
虚心に過去を省みれば、よりよい政治や外国との関係を築けるはず――そうした「幻想」は、どのように壊れていったか。東京五輪や三島事件にまで遡り、安倍長期政権やトランプ登場をもたらした「もう歴史に学ばない社会」の形成をたどる。

1995年の戦後50周年や、2011年の震災と原発事故のとき、「歴史に学ぶ」ことの大切さを多くの人が語った。しかしその後に来たのは、歴史修正主義の台頭、脱原発ブームの収束、新党バブルの崩壊、過去を無視する大国の指導者の登場……。どうしてこんなことに?
往年の偉人ですら「キャラ」になり、国民が共有できる「物語」はすっかり消えたいま、私たちに「歴史」は必要なのだろうか?

感想・レビュー・書評

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  • 72
    文化論
    関東派の文芸評論、小林秀雄→ゼロ年代
    故郷=伝統を失ってリセットされた人間はどう生きるのか
    関西派の国学・新国学、本居宣長・上田秋成・保田與重郎・梅原猛・新京都学派
    故郷をもう一回再建しようとする(前近代的)
    〈…東京の文芸批評は「リセットされた私」をめぐる実存主義になりやすいけれど、国学や新国学は「私」には興味がない〉
    76
    関東では文明崩壊はモダニティの問題だが、関西では文明史的な課題

    小津安二郎

    ルイ・アルチュセール
    マルクス主義(必然)で物事を見ていたのに「マルクスはヘーゲルを乗り越えていた」とする学説を放棄するところまで追い詰められた
    →スピノザ・マキャベリを参照しながら偶然性(偶然の唯物論)を考えようとした

    ベンヤミン「コミュニズムは、芸術の政治化をもって答えるのだ」

  • まとまった評論ではなく、いくつかの対談と雑文をまとめたもの。「中国化」や「ヤンキー」などワードを定義せずに語り合うので門外漢は戸惑うばかりです。我国は歴史的にみて圧倒的な中国の影響下にありますが、科挙を取り入れなかった点で本質的な中国化はないと思います。むしろ、「チャイナコンプレックス」こそ根深く持っているのでしょう。山本七平と網野善彦の対比が面白い。陽明学についても端的に喝破され感心しました。

  • 著者の資料は全く読んだことがなかったので、論点が従来の歴史解説と異なっており非常に楽しめた.第1章の対談ではゲストと少し違うところを見ながら議論するという感じだ.第2章以降で江戸時代は中国化が最も発展した時代だとの論考が、あまり馴染みがないなかで妙にしっくりくる感じを持った.網野善彦と山本七平の考察も楽しめた.全般的な理解は程遠い感じだが、このような著者の存在を知ったことは良しとしよう.

  • 病気以降の著作

  • NHKラジオマイあさ!で紹介
    過去を省みれば、よりよい政治や外国との関係を築けるはず―そうした「幻想」はどのように壊れていったか。

  • ‪《江藤にとっては、オリンピック開催に向けて行われる東京の改造工事そのものが「ああ日本人は今戦争をしているのだな」と感じられるものであり、「もし、大多数の人々が、これが一種の戦争であることを暗黙のうちに認めているのでなければ、これほど徹底した生活破壊に、日本人が耐えていけるはずもなかった」》(p.315)‬

    《河野 思想の面白さというか、怖さは(‪⋯‬)お金とか名誉とか権力と結びつかなかったからこそ生まれた、負け犬たちの夢や遊びみたいなものが、いわば時限爆弾のような形で、ある歴史的状況の中で爆発するということが起きるわけです》(p.66)

    《福嶋 例えば夏目漱石はちょうど日露戦争の最中に小説を書き始めるわけですが、戦争のことを正面からは書かずに、あくまで学生コミュニティとか家族の姿を書く。で、そのミニマルな人間関係の中に、外部の国家的な問題を全部折りたたんじゃうわけです。国家そのものは全然肉感的に響いてこなくて、それをダウンサイズしないと知覚できない傾向がある》(p.81)

    《福嶋 日本式の統治論ということで言えば、僕はそういうプラグマティズムが結構大事だと思っています。何か一つの原理で日本の社会をよくすることは不可能だから、いろいろ手がかりを利用していけばいい。だから、日本の政治家は文化も宗教も詳しく知っていないとダメなんですよ》(p.93)

    《與那覇 日本人はユートピアのイメージのなかですら奇妙に勤勉で、怠けるという要素は入っていないんですよね》(p.143)

    《與那覇 日本人では都市がリベラリズムを育んでくれないので、橋下徹さんのように「俺が下す民主的決定にすべて服せ」という人が出てくる。砂原庸介『大阪』(中公新書)が、橋下現象の解説として白眉だと思いますが、農村部重視の自民党的な再配分によって、都市が国家に搾取されてきた系譜がある。その不満をかつては革新自治体が吸収しえたのですが、今は日本維新の会に向かっています》(p.162)

    《今日に至るまでの日本政治に引き継がれた「江戸時代の遺産」は、大きく言って、①意識面での治者と被治者の乖離、②法理ではなく拒否権(veto)での自己の権益を守る体制、③機能分化をとげず地域割で統治機構が編成される構造、④地位の一貫性の低さに公平感(fairness)を覚える心性、の四点に分けられよう》(p.185)

    《バカだから気合い主義になったのではなく、気合い以外に資源がない国だと自覚できるくらいには賢かったからこそ、そうならざるを得なかった》(p.266)

    《網野は革命のできない日本を、山本はむしろ革命の必要のない日本を、ともに一九七〇年代前半に自身の物語として位置づけようとした。もっとも、彼らが描いた物語もまた「大きすぎた」のかもしれないことは、たとえば後醍醐にはそもそもさしたるビジョンなどあったのか、という近年の専門研究の見解によっても知れる。しかし、昭和の激動を生きた二人の史論がいまなお多くの人を誘うのは、それが今日の日本にとっても本質的な問いを射ているからだろう》(p.280)

    《たがいに異なる存在どうしが契約やルールによって共存するという――ユダヤ教の律法に山本が仮託した――発想を理解せず、つねに自他が「同じ人間」だと考える日本教のゆえにこそ、日本人は近世・近代の二回にわたって、隣国との戦争を止められなかったと位置づけるのだ》(p.294)

    《安倍さんのお祖父さんはご存知のとおり岸信介ですが、戦前すなわち「祖父」の名誉にこだわる人々が、なぜ戦後という「父」の達成は唾棄して省みないのか。父親の不在が過剰なマッチョイズムを生むという逆説が、日本の保守の最大の矛盾だと思います》(p.337)

  • 与那覇さんの対談をまとめたもの。呉座さんと、河野さんのはよかった。江戸時代のスクールカースト逆転現象のはなし。

  • 【書誌情報】
    著者 與那覇 潤
    価格 1,800円(税別)
    発売日 2019年9月14日
    判型 四六判
    製本 並製
    頁数 392頁
    ISBN 978-4-7505-1610-3
    Cコード C0021

    内容紹介
    歴史は「私たちの進路」を、もう照らさない。
    虚心に過去を省みれば、よりよい政治や外国との関係を築けるはず――そうした「幻想」は、どのように壊れていったか。東京五輪や三島事件にまで遡り、安倍長期政権やトランプ登場をもたらした「もう歴史に学ばない社会」の形成をたどる。

    1995年の戦後50周年や、2011年の震災と原発事故のとき、「歴史に学ぶ」ことの大切さを多くの人が語った。しかしその後に来たのは、歴史修正主義の台頭、脱原発ブームの収束、新党バブルの崩壊、過去を無視する大国の指導者の登場……。どうしてこんなことに?
    往年の偉人ですら「キャラ」になり、国民が共有できる「物語」はすっかり消えたいま、私たちに「歴史」は必要なのだろうか?
    https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=917&st=4

    【目次】
    はじめに――偶然にたどりつくまで

    1 日本史を語りなおす――史論
    書き直される日本中世史――義経・後醍醐・信長の実像 呉座勇一+與那覇潤
    儒学者たちの明治維新――ひっくり返った江戸の「スクールカースト」 河野有理+與那覇潤
    すべては「崩壊」から始まった――日本人の「美と国民性」の源流 福嶋亮大+與那覇潤
    歴史学に何が可能か――「中国化」と「江湖」の交点 東島誠+與那覇潤

    2 眼前の潮流をよむ――時評
    二〇一二年は“政治”の年だった!? ――書棚の民主主義論 仲正昌樹+與那覇潤
    橋下徹 淋しき「戦後民主主義」の自画像
    日本政治の「中国化」――揺らぐ議会制民主主義
    解釈改憲と「戦後」の終わり―― 『美しい国へ』と『日本改造計画』 宇野常寛+與那覇潤
    補助輪付きだった戦後民主主義――ヤンキーと国家 斎藤環+與那覇潤

    3 現代の原点をさがして――戦後再訪
    一九六八年からの置手紙――篠原一『日本の政治風土』
    交錯する南北朝史――網野善彦と山本七平
    一九七〇年代試論――「遅れてきた戦中派」の登場
    ふたつの「中国化論」――江藤淳と山本七平
    戦中派の退場

     4 歴史がおわったあとに――現在
    歴史学者廃業記――歴史喪失の時代
    偶然性と代理――歴史の不在を生きる技法とは
    歴史なき世界のはじまり――凡庸な独裁者たちの肖像

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京大学教養学部卒業。同大学院総合文化研究科博士課程修了、博士(学術)。専門は日本近現代史。2007年から15年にかけて地方公立大学准教授として教鞭をとり、重度のうつによる休職をへて17年離職。歴史学者としての業績に『翻訳の政治学』(岩波書店)、『帝国の残影』(NTT出版)。在職時の講義録に『中国化する日本』(文春文庫)、『日本人はなぜ存在するか』(集英社文庫)。共著多数。
2018年に病気の体験を踏まえて現代の反知性主義に新たな光をあてた『知性は死なない』(文藝春秋)を発表し、執筆活動を再開。本書の姉妹編として、学者時代の研究論文を集めた『荒れ野の六十年』(勉誠出版)が近刊予定。

「2019年 『歴史がおわるまえに』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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