ひび割れた日常 人類学・文学・美学から考える

  • 亜紀書房 (2020年11月18日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (192ページ) / ISBN・EAN: 9784750516745

作品紹介・あらすじ

未曾有の危機を前にして、私たちは「何を考えればよいのか」を見失ってしまった——。



「人間の想像力の果て」からやってきたウイルスによって、我々の日常に無数のひびが走った。

消せない不安と変化を余儀なくされた日々の営みを前に、思考の足場をどこに築けば良いのか。



生命、自然、生と死、共生と敵対。

いま浮上する課題をめぐって、三人の異才がアイディアを持ち寄り、変奏し、問いを深めていくリレーエッセイ。

感想・レビュー・書評

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  • 人類学、文学、美学それぞの観点が交錯するリレーエッセイ。
    「三人寄れば文殊の~」というが、同じ災厄を経験した世界中の人々から、コロナと共存する智恵はきっと出てくるはず。

  • リレーエッセイという手法、面白いな。手紙のやりとりをこういう形でやってみたいかも。
    御三方それぞれの視点が交差する様、少しずつズレて発展していく様など非常に楽しい。

  • 人類学者、作家、障害についての研究者三人によるコロナ後の日常についての刺激的なリレーエッセイ。
    同じテーマを語っていても、各々の感じ方や表現の個性がとても興味深い。類似性と違いが同時に目に入ってくるのが楽しい。

  • コロナ禍によって、これまでの日常は間違いなくひび割れた。そして今もなおひび割れたままである。
    そのひび割れた日常を突きつけられ、嫌でも思考を巡らせている僕にとっては、このお三方によるリレーエッセイは大変な刺激となった。
    「生命と自然の問題」から出発し、思考の幅を限りなく広げ、縦横無尽に言葉を紡いでゆく。
    私たちは人間であるまえに生物としての“ヒト”であることを忘れがちだが、ウイルスもヒトも同じ生物。下手に闘うことを選ぶのではなく、共存の道を探りたいというのがもしかしたら著者たちの仮の結論なのかもしれない。それは僕も全く同意する。だからこそ日本のコロナ対策は気絶するほど過剰だと思わざるを得ない。
    余談だが、伊藤亜紗さんのエッセイ「胎盤とバースデーケーキ」は特に心に響く文章だった。

  • コロナ禍の社会の中にいる3名の視座、リレーエッセイ

    日常という状態とは?
    ウイルスと生活するとは?
    自然の営みとは?

    コロナ禍を捉え直す試みは、全体から見つめ直す作業になる
    僕らはどのように変わるのか、変わっていくのか

  • 隣の市の図書館へ、本を返しにいく。広域利用で、行った図書館の棚にある本を5冊まで借りられる。広域利用資格では予約はできないので、待ってる本はない。

    返したあとに、まずこの館にあることを確認していた本を見る。700ページ超の分厚い本を、近くの椅子に座ってしばらくぱらぱら。持って帰ってもうちょっと読みたい気もするが、重いのでまたにするか(あるいは相互貸借でリクエストするか)と書架へ戻す。

    それから館内をぶらぶらする。あちこちの本棚をじーーっと眺めてまわって、エッセイの棚で『ひび割れた日常』を手にとってみる。奥野克巳と伊藤亜紗は、それぞれいくつか読んでいる。吉村萬壱は…たぶん何も読んだことがない。

    ぱらぱらと開いてみて、2020年のコロナ禍に入った直後の頃に書かれたものらしいと知る(本が出たのは2020年の12月)。そのあたりは自分自身がキツかった頃で、読みたいような読みたくないような… いちど書架へ戻す。
    そして、また違う棚をじーーっと眺めてまわったが、そのうちに気がかわって、エッセイの棚へ戻り、『ひび割れた日常』を借りた。帰りの移動中に少しずつ読みだして、帰ってから読みおえた。

    読んでいて、いろいろと息苦しかったようなあの頃の空気を思い出す。一方で、そんな頃に「ひび割れた日常」を共に考えるリレーエッセイという場がもてたことの良さが、3人の綴る言葉から感じられた。

    「リレーエッセイを終えて」というパートで、伊藤亜紗はこう書いている。
    ▼リレーエッセイが始まってみると、それは三人でひとつのテーブルを囲みながら、そのテーブルのうえに、考えるヒントとなる事物を順番においていくような作業であった。観念の応酬でなかったことがとにかく楽しかった。ある物が追加されることによって、それまでに置かれていた物の配置や意味が少しずつ変わっていく。事物による対話は、意味があとから作られる。宛先も後先も考えずに言葉を投げて良い場があったことは、先の見えないこの時期に、自分と他者への信頼を取り戻させてくれた。…(中略)…
     …(中略)…リレーエッセイが与えてくれた最大のものは、「聞く」だった。足場が安定したことで、私は「自分でない存在を聞く」という能力を回復することができた。(pp.167-168、「想像力の果てからやってきた使者」)

    本の途中で引用されていた、福岡伸一による「ウイルスが人間にもたらす"水平性"」の話(遺伝する情報は親から子へ垂直方向にしか伝わらないが、ウイルスは遺伝子を水平に運ぶという有用性がある)や、似ていない相手との間に類似性を見つけることも私たちに授けられた能力だという話が、印象に残った。

    ▼…思いもかけなかったものと自分が似ていたことに気づくとき、それまで自分の置かれた状況について考えていたことは、爽やかな衝撃とともに揺らぎはじめるだろう。前ばかり見て目を凝らしていたら、不意に後ろのドアが開いて一気に外の風が入ってきた、そんな感じだ。
     私がこのリレーエッセイから感じているのも、同じような風だ。三人それぞれ、違う景色を見て、違う話をしている。でも違うからこそ、思いがけない類似性が見つかり、そのことに救われている。(p.105、伊藤亜紗「グラブとアンパン」)

    この本じたいを知らずにいたので、一度は棚に戻しながら、気が変わって借りてみて、いい時間をもてたなあと思う。

    (2025年3月28日了)

    ※「ひび割れた日常」は、亜紀書房のウェブマガジン「あき地」で掲載された。
    今も、一部の回が読める。
    https://www.akishobo.com/akichi/nichijo/v1

  • プレセンタって平らなケーキって意味なんだ〜

  • 2020I067 914.68/O
    配架場所:A1 東工大の先生の本

  • 人類学者・小説家・美学者によるリレーエッセイ。コロナウィルスをきっかけとして、人間と自然の関係を考える。オンライン授業の広がりで、仕事を持った社会人学生が、必須科目を受講しやすくなったという話を聞いたことがある。視点が違うとマイナスもプラスに転じる。振り返ってみると、コロナウィルス感染の蔓延に脅威は感じても、ウィルスそのものに怒りはない。結局、苛立つ原因は人間側の言動に対してだなと改めて思う。

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著者プロフィール

1962年生まれ。文化人類学者。立教大学異文化コミュニケーション学部教授。著作に『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(亜紀書房/新潮文庫)、『何も持ってないのに、なんで幸せなんですか?──人類学が教えてくれる自由でラクな生き方』『人類学者K』(以上、亜紀書房)、『ひっくり返す人類学』(ちくまプリマー新書)、『はじめての人類学』(講談社現代新書)など多数。
共訳書に、エドゥアルド・コーン著『森は考える──人間的なるものを超えた人類学』(2016年、亜紀書房)、レーン・ウィラースレフ著『ソウル・ハンターズ──シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』(2018年、亜紀書房)、ティム・インゴルド『人類学とは何か』(2020年、亜紀書房)、『応答、しつづけよ。』(2023年、亜紀書房、単訳)など。

「2025年 『フィールドワークのちから』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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