青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集 (ブックスならんですわる 01)

制作 : 西崎 憲 
  • 亜紀書房
3.60
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本棚登録 : 394
感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750516929

作品紹介・あらすじ

〈 じつに、ウルフ的、もっとも、実験的。〉

イマジズムの詩のような「青と緑」、姪のために書かれたファンタジー「乳母ラグトンのカーテン」、園を行き交う人たちの意識の流れを描いた「キュー植物園」、レズビアニズムを感じさせる「外から見たある女子学寮」など。

短篇は一つ一つが小さな絵のよう。
言葉によって、時間や意識や目の前に現れる事象を点描していく。
21世紀になってますます評価が高まるウルフ短篇小説の珠玉のコレクション。
――ウルフは自在に表現世界を遊んでいる。


ウルフの短篇小説が読者に伝えるものは緊密さや美や難解さだけではない。おそらくこれまでウルフになかったとされているものもここにはある。 たぶんユーモアが、そして浄福感が、そして生への力強い意志でさえもここにはあるかもしれない。(「解説 ヴァージニア・ウルフについて 」より)



___________________

《ブックスならんですわる》
20世紀の初頭、繊細にしてオリジナルな小品をコツコツと書きためた作家たちがいます。前の時代に生まれた人たちですが、ふっと気づくと、私たちの隣に腰掛け、いっしょに前を見ています。
やさしくて気高い横顔を眺めていると、自分も先にいくことができる、そんな気がします。
いつも傍に置いて、1篇1篇を味わってみてください。

感想・レビュー・書評

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  • この本は良い意味で難しい。
    小難しいことが書いてあるからではなく、読む側の姿勢・構えを改めないといけない、という意味で。

    この本は、ウルフの自由自在に動き回る、ふわふわした魂のようなもので、ウルフが見たもの、感じたこと、ぱっと頭に浮かんだ思考・概念がそのままの順序で記述されているような印象。

    意味があるようでないようで。色々な人物の意識の間を自由に行き来して…。
    そのため、普通に読み進めると良い意味で難しい。
    けれど、なんだか惹かれる。

  • 絶版のちくま文庫版と収録作品はほぼ同じ。以前読んだとき同様、やはり「キュー植物園」の完成度がとびぬけてすばらしい。園を行き交う人びとが、ありえたかもしれない過去に思いをよせたり、でもいま手にしているこの現実でよかったんだと思いなおしたりする意識の流れが、花々や蝸牛の描写をおりまぜつつ見事に点描されている。絵で喩えるならジョルジュ・スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」のよう。

    他には「堅固な対象」「池の魅力」も好み。一方、焦点のない構図で撮影された写真みたいに、とりとめがなくてよくわからない話も。

     【ノーツ】

    ▶20世紀は「メタ」の時代
    ・訳者解説によると、ブルームズベリー・グループはメタ倫理学のG.E.ムーア(ケンブリッジ大学)と関係が深かったらしい。ウルフの解説でムーアの名前が出てきて意外。以下のムーアの主張は小説の解釈にも援用できるとのこと
    ・「美しい客体というものは有機的な統一体であり、ひじょうに複雑な統一体であるので、どの部分であれ一部を熟考することに価値はないかもしれない。けれども統一体にかんする熟考は当該のその一部にたいする熟考を含まないかぎり、価値をもたないだろう」(G.E.ムーア『倫理学原理』)
    ・メタ =「一段と高い階型の」、メタ的な視点に立つ = 対象の前提を疑う = 自己言及
    ・20世紀は「メタ」があらゆる学問分野で生じた時代。多くの人がそれまでの前提や自明性を疑うようになり、あらためて「自己」について考えだした。ウルフの意識の流れもその一例

    ▶視覚=指示
    ・(語り手が)xを視覚的に描写する、xに視線をむけながら語る =(読者に)xを視るよう指し示す
    ・ウルフの短編を読むなかで読者が目にするのは、「細部まではっきりと見える本質的に不明瞭なもの」(230頁)

     【目次】

    ■ラピンとラピノヴァ……Lappin and Lapinova
    ■青と緑……Blue & Green
    ■堅固な対象……Solid Objects
    ■乳母ラグトンのカーテン……Nurse Lugton's Curtain
    ■サーチライト……The Searchlight
    ■外から見たある女子学寮……A Woman's College from Outside
    ■同情……Sympathy
    ■ボンド通りのダロウェイ夫人……Mrs Dalloway in Bond Street
    ■幸福……Happiness
    ■憑かれた家……A Haunted House
    ■弦楽四重奏団……The String Quartet
    ■月曜日あるいは火曜日……Monday or Tuesday
    ■キュー植物園……Kew Gardens
    ■池の魅力……The Fascination of the Pool
    ■徴……The Symbol
    ■壁の染み……The Mark on the Wall
    ■水辺……The Watering Place
    ■ミス・Vの不思議な一件……The Mysterious Case of Miss V.
    ■書かれなかった長篇小説……An Unwritten Novel
    ■スケッチ
     ・電話……The Telephone
     ・ホルボーン陸橋……Holborn Viaduct
     ・イングランドの発育期……English Youth

    ■解説 ヴァージニア・ウルフについて——西崎憲
    ■年表

     【引用】

    ■堅固な対象……Solid Objects

     ジョンの心のなかにこうした思いがあったか、あるいはなかったか、いずれにせよガラスはマントルピースの上に置かれることになった。ガラスは請求書と手紙の束の上に鎮座し、素晴らしいペーパーウエイトになっただけでなく、書物のページからふと目が離れた折など、視線の止まり木として絶好のものになった。考えごとの途中で何度も何度も視線の対象になったものというのはそれが何であれ、思索の織物と深く関係を持ち、本来の形を失い、すこし違ったふうに、空想的な形に自らを作りなおし、まったく思いがけないときに意識の表面に浮かびでたりするものだ。(32頁)

    ■キュー植物園……Kew Gardens

     こうした言葉のあいだには長い沈黙が挟まれていた。ふたりとも表情も変化も乏しい声で話した。ふたりは花壇に密着するようにして凝と動かずに立っていた。それからふたりで女の持っていたパラソルを柔らかい地面に深く突き刺した。その行動と女の手の上に男の手が重ねられたという事実は、ふたりの感情を奇妙な形で表現していると言えた。あたかもふたりの取るに足らない会話が、やはり何かを表現していたように。短い翼しか持たない言葉は意味で重くなったふたりの体を遠くまで運ぶには力が足りず、ただ周囲をとりまくごく当たりまえのものに無様にぶつかるだけだった。そしてそのせいで接触がそれほど力の籠ったものになった。(128頁)

    ■池の魅力……The Fascination of the Pool

     もし人が藺草の茂みに腰を下ろして池を見るならば──池というものは何かしら不可思議な魅力を具えている。人が説明することのできない魅力を──赤と黒の文字が記された白い紙が水の表面に薄く貼りついているというような印象を覚えるだろう。また一方、その下では理解の及ばない水の生活が営まれているという印象も受けるはずである。人の精神における思索や熟慮といったものによく似た営みがそこで行われているという印象。時の推移にかかわらず、時代の推移にかかわらず、多くの者が、ひじょうに多くの者が独りでここにやってきたに違いない。自分の想念を水のなかに流しいれるために、何事かを池に尋ねるために。この夏の夕つ方ここにいる者がいまやっているように。たぶん池が魅力を持つのはそのせいだ──水のなかにあらゆる種類の夢想や、不平や、確信を擁しているのだ。書かれたこともなく、口にされたこともないそれら。ただ流体のような状態で犇めきあう、実体性のかぎりなく希薄なそれら。葦の刃によってふたつに断ちきられ、その隙間を一匹の魚が擦り抜けていく。月の皓く大いなる円盤はそうしたものすべてを殲滅する。池の魅力は立ち去った者たちが残した想念の存在ゆえである。そして肉体から離れた想念は自由に、親密に、会話を交わしながら、出入りする。共有地のこの池に。(135頁)

  • 面白かったが体力も要った。ウルフとは何なのか分かった自信もない、が、面白いのは面白かった。
    自分としては「ボンド通りのダロウェイ夫人」、「弦楽四重奏」、「キュー植物園」「壁の染み」「書かれなかった長編小説」辺りが面白かった。
    壁の染みなんかは割と受け入れやすい方なんじゃないかと思う。「書かれなかった長編小説」はどこか美的な実験映画的な雰囲気があって美しかったが、後ろに行くほどにバラバラと捩れて解けていくような感覚を味わったような。
    まあエミリ・ディキンソンとかヴァージニア・ウルフとかはあまり深くまで追求せずに味わったら良いんじゃないかな、と思った。
    あまり沢山読んでないのでよくわからないが、訳も良いのだと思う。声に出して読むと楽しい。

  • 代表作「キュー植物園」など20篇を収録した短篇集。


    以前から唱えている〈ヴァージニア・ウルフ=少女漫画説〉が、この短篇集を読んでより自分のなかで強固なものになった。小動物や植物、世間的には取るに足らないとされる小さなものたちにシンパシーを感じ、そこに個人的な象徴や啓示を見いだしていくモチーフの使い方。ディテールに注ぐ偏執的な凝視。言葉になる前の不定形な感情をとらえようとしてあふれだす、言いさしのような未然の文体。
    これらはみな、萩尾望都や大島弓子などの作品にある謎めいたほのめかしや、わかりきれないけど「わかる」と思わされてしまうモノローグの魅力にとても近いのではないか。漫画家が絵と言葉を組み合わせて表現するものをウルフは言葉だけで表したと思えば、目指していた場所はかなり接近しているという気がする。文章で「バナナブレッドのプディング」を書いたような人だということだ。
    たとえば表題作「青と緑」は、マントルピースの上に飾ったものたちの世界を異様なクロースアップで幻想を交えながら描写する。「乳母ラグドンのカーテン」ではカーテンのなかに世界が広がり、「壁の染み」ではたったひとつの染みに対して数多の可能性が検討される。空想というより妄想と言うべきその世界は、家という静の空間で自らも静の存在となって対象を凝視している語り手の窒息感みたいなものが伝わってくると思うのだ。
    最初に置かれた「ラピンとラピノヴァ」は新婚カップルの蜜月期を描いたユーモラスな作品だが、ラスト一文の切れ味といったらない。ロザリンドはアーネストと一緒に窒息感からの逃げ場所を作ったのに、それが崩壊してももはやアーネストはひとりで新聞を広げて読みだすだけ、という完全な断絶に、ロザリンドと同じく読者も絶望する。
    男が新聞を読む描写は他作品にもくり返し現れる。女性がこまごまとしたインテリアを見つめて意識の〈内〉の世界へ飛んでいくとき、男性は新聞やホイッティカー年鑑を読んで〈外〉の世界へ飛んでいる。この断絶。だが、「堅固な対象」の主人公は男性でありながらも小さくてくだらないものの側につく。そのために彼は政治という世間的な価値のある世界からは離れていく。
    前時代的な家観に息苦しさを感じながら動けずにいる人びとを書く一方、「外から見たある女子寮」は恋の予感に浮き足立つ少女の一夜を描いた瑞々しい作風で他と違う印象を残す。この作品はシチュエーションも含めてかなりストレートに少女漫画っぽい。女性同士の同性愛という、従来的な"家"からは逸脱する関係をほのめかしているということも重要だろう。
    あるいは、他の誰かになりかわることが一種の解放をもたらすこともある。「サーチライト」では、偶然漏れ聞こえてきた声すら即興的に取り込んでしまうほど巧みな語り部が、サーチライトと望遠鏡の類似に幻惑されて自分が語る話のなかに入りかけてしまう。語っているのか語られているのか曖昧になり、演者自身が自分の台詞を信じ始めてしまうような演劇空間の神秘が、サーチライトに照らされた夜の庭に幻出したのだ。少し乱歩の「押し絵と旅する男」を連想させるところがある。
    訳者解説によるとウルフの作風は「不安を惹起させる Unsetting」と評されているという。たしかに、一匹の蝸牛をねっとり見つめたかと思うと来園者の話に聞き耳をたて、最後には天高い視点から植物園を睥睨する「キュー植物園」の語り手は語りの対象との遠近感がめちゃくちゃで得体がしれないし、死者と生者が鏡合わせのように語られる「憑かれた家」も、不思議なあたたかさがありつつ落ち着かない気分にさせられる。土地の精霊[ゲニウス・ロキ]的な存在が人や生き物に自由に出入りして思考をのぞいているようだと言えばいいのか。読心ができたら世界はこんなふうなのかもしれない。
    原題がそのままSympathyな「同情」という一篇からもわかるように、ウルフは知的でありながらも自他境界をたやすく踏み越えてしまうような女性もよく描く。共感力の高さによって浮遊霊のように人や動物やものたちに乗り移り、その意識に同調する。それが〈意識の流れ〉という方法でウルフが捉えようとしたものなのではないだろうか。そしてそういう魂を持った人が社会的にあるいはジェンダー的に自身の肉体に縛られている苦しみと虚しさ、それが私には昭和の少女漫画家が身を削って描きだした世界の在り様と完全に重なって見えるのである。

  • 半分以上は「どういうこと?」という感想だが、私も普段思考があっちこっち行くのでそれを可視化できる意識の流れが書かれている話は面白かった。

  • 今の自分には合わず、半分ほどで挫折。
    でも「堅固な対象」がものすごく好きで、これだけでも手元に置きたいと思った。

  • もちろん後からの私たちは、彼女の最期を知っていて読むわけで、つい儚さとか弱さとか繊細さとか脆さとか…をイメージしながら読んでしまうのだけれど、意外にもしっかりとした強さをも感じる。

  • 解説がよかった。

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著者プロフィール

1882年―1941年、イキリスのロンドンに生まれる。父レズリーは高名な批評家で、子ども時代から文化的な環境のもとで育つ。兄や兄の友人たちを含む「ブルームズベリー・グループ」と呼ばれる文化集団の一員として青春を過ごし、グループのひとり、レナード・ウルフと結婚。30代なかばで作家デビューし、レナードと出版社「ホガース・プレス」を立ち上げ、「意識の流れ」の手法を使った作品を次々と発表していく。代表作に『ダロウェイ夫人』『灯台へ』『波』など、短篇集に『月曜日か火曜日』『憑かれた家』、評論に『自分ひとりの部屋』などがある。

「2022年 『青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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