- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784750517513
作品紹介・あらすじ
『雪国』を読んだ時「これだ」と思った。
私がしゃべりたい言葉はこれだ。
何か、何千年も探していたものを見つけた気がする。
自分の身体に合う言葉を。
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社会主義政権下のルーマニアに生まれたイリナ。
祖父母との村での暮らしは民話の世界そのもので、町では父母が労働者として暮らす。
川端康成『雪国』や中村勘三郎の歌舞伎などに魅せられ、留学生として来日。
いまは人類学者として、弘前に暮らす。
日々の暮らし、子どもの頃の出来事、映画の断片、詩、アート、人類学……。
時間や場所、記憶や夢を行ったり来たりしながらつづる自伝的なエッセイ。
《本書は、社会にうまく適応できない孤独な少女の記録であり、社会主義から資本主義へ移っていくルーマニアの家族三代にわたる現代史でもある》
感想・レビュー・書評
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行動を決断できるほどの衝撃が無いから、日々を何気なく繰り返す。その穏やかな生活こそ、幸せと言えば幸せ。しかし、どこかに現状を変容させたい衝動があるなら、挑戦して変える事もできる。この本を読んで、そう思う。
チェルノブイリの子。放射能が原因で病気を患い手術。貧しい旧社会主義国で生まれた著者の半生。生まれた時に乳を与えられぬ母の代わりに、隣の産婦であるジプシーの女の母乳を飲んだ。その出来事に意味づけをし、自らのアイデンティティとして吸収する。多かれ少なかれ、人間は日々の出来事を自らの血肉とし、それは信仰のようなものになる。その大きな天啓として、川端康成の『雪国』との出会いが著者を日本に駆り立てた。
優しい地獄とは、何か。
ダンテの『神曲』にインスパイアされた5歳の娘。それを資本主義の皮肉と受け止めた著者。ここはよく分からない。この文章の後に綴られるのは、ルーマニア時代の凄惨さ。つまり社会主義の体験であり、資本主義の皮肉ではない。地獄のような欲望の競争社会だが、得られる物資は優しい、という意味か。女性の肉体についても、著者は地獄と形容する。もしかすると、業や因果を地獄と捉えたのだろうか。そのために、自らの運命を変える事に生きてきた人生を振り返っている。
衝動により強く軌道が変わる人生と、優しく日々を繰り返すだけの人生の対比のようなレトリック。自分とは異なる世界を生きたエッセイであり、新鮮な読書だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『「私が死んでも何も変わらない」。死んでも何も変わらないのであれば、生きて世界を変えよう。』
ー「優しい地獄 下」より
こんなにも要約が書けない、こんなにも痛切で、一言で感想を表せない本はなかなか無い。
著者の紡ぐ言葉の一言一言を、全て余さず噛みしめたい。忘れたくない。この本を、著者を抱きしめたい。そう願わされる本。
でも悲しいかな一言一句逃さず覚えていることは困難で。それが心の底からもったいないと思う。
イリナさんの夢と現実と過去と現在を行き来する、目まぐるしいような夢の中を…それこそ生暖かい優しい地獄を彷徨いつづけているような心地で読む。
彼女の感受性の豊かさには驚くばかり。痛みも喜びも苦しみも優しさも、こちらが初めて出会うような表現で綴る。
イリナさんの文章を読んでいると、発見と感情の渦の中で、目の前がパチパチと光る。
今は無き、幸せの象徴のような幼少期を過ごした牧歌的な祖父母の家、儀式的行為、父母のこと、父のアルコール依存症とDVのこと、でも娘たちにとって良いお祖父ちゃんで居てくれることによって生まれる許しの感情、チャウシェスク政権、社会主義の国で生きるということ、チェルノブイリの子供であること、読書、映画、カメラ、ダンス、女の子であることの苦しみと無力感、孤独、ジプシーへの憧れ、世界の広さを感じた瞬間、川端康成の「雪国」や紫式部の「源氏物語」から受けた多大な影響と、「私の免疫を高めるための」日本語、彼女の娘たち……
全てが読みながら、体内に降り注いでいく。
読みやすい文章のはずなのに、消化に時間がかかってなかなか読み終わらなかった。
彼女の過去を読むと苦しくなる。
でもイリナさんの娘たちとのやり取りや、娘たちの発言や行動からイリナさんが得た気づきは、あたたかい。
イリナさんは高校生の時家出を考えた。でも何かを察したイリナさんの弟が、自身のクラスメイトが父親の暴力から逃れるため家を出たが、「結局のところ西ヨーロッパのどこかで売春ネットワークに捕まって身売りされ、そこからやっと逃げて恥を忍んで家に戻ったという」話を聞かせ、イリナさんは家出を諦めた。
大学の時ブカレストで、人身売買された若いルーマニア女性の写真展を見に行った。
イリナさんは「彼女らのイメージはどこかイコンのようだった」と思った。
そう感じたイリナさんの気持ちを、売買された彼女たちのことを思う。
「彼女らも十四歳の私のように、ただ逃げたかった。暴力から、貧困から、全てから。そして逃げた先には違う地獄が待っていた。」
どこまでも地獄が続く事実に頭がパンクしそうになる。この世が地獄という、どこかで聞いた言葉が頭の中でこだまする。
けれどイリナさんは写真に残された彼女たちを見ながら、自分は恵まれている方だとわかったと言い、
「だから私は博士課程まで上がりたいと決心した。そして世の中を変える。どんなに大変でも、どんなに苦しくても、単純なことだけどみんなやればいいだけの話、自分のできる範囲で。」
そう心に誓う。
何度もこの文章を目で追った。
みんなやればいいだけの話、自分のできる範囲で。
心の中で唱えてみる。
苦しい時に、理不尽に心を痛めどうすればいいか分からなくなった時に、きっと指針になってくれる、この言葉は。そう感じた。
他にも印象的なエピソードは、たくさん、たくさんあったけど、一番胸に迫った、一番イリナさんの力強さを感じたこのエピソードを紹介させていただいた。
私にとっても、とてもとても大事なことのような気がして。
世の中を変える、みんなやればいいだけの話、自分のできる範囲で。そう胸に刻む。
以下備忘録がてら目次を載せる。
サブタイトルも、どれも素敵だ。
目次
生き物としての本 上
生き物としての本 下
人間の尊厳
私の遺伝子の小さな物語 上
私の遺伝子の小さな物語 下
蛇苺
家
マザーツリー
無関心ではない身体
自転車に乗っていた女の子
天道虫の赤ちゃんは天道を見ることができなかった 上
天道虫の赤ちゃんは天道を見ることができなかった 下
なんで日本に来たの?
シーグラス
ちあう、ちあう
透明袋に入っていた金魚
社会主義に奪われた暮らし
トマトの汁が残した跡
冬至
リボンちゃんはじめて死んだ
毎日の魚
山菜の苦み
優しい地獄 上
優しい地獄 下
パジャマでしかピカソは描けない
紫式部
あとがき
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ゆまちさんへ
ブクログで紹介してくれる本、いつも参考にさせてもらっています(ФωФ)
『みんなやればいいだけのはなし。自分のできる範囲...ゆまちさんへ
ブクログで紹介してくれる本、いつも参考にさせてもらっています(ФωФ)
『みんなやればいいだけのはなし。自分のできる範囲で』というword、自分のアンテナにひっかかり、「やっぱ、そうだよな…」いリナさんの考えに「うんうん!」と頷きました。ゆまちさんの書評を見て、この本をちゃんと読みたいな…とおもいました。2023/03/14 -
workmaさんへ
大分コメント返信遅れました;
こちらこそいつもありがとうございます。
参考にしていただいてるとは恐縮ですが、嬉しいです...workmaさんへ
大分コメント返信遅れました;
こちらこそいつもありがとうございます。
参考にしていただいてるとは恐縮ですが、嬉しいです。
感受性豊かなイリナさんの文章は、どれもとても心に響くので(少なくとも私には)ぜひぜひ、読むのをおすすめします(*´ω`*)2023/03/21
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【DESIGN DIGEST】商品パッケージ 『正気のサタン/ヤッホーブルーイング』 、書籍カバー『優しい地獄/イリナ・グリゴレ』、商品パッ...【DESIGN DIGEST】商品パッケージ 『正気のサタン/ヤッホーブルーイング』 、書籍カバー『優しい地獄/イリナ・グリゴレ』、商品パッケージ 『ため息までかわいくなるキャンディ ピンクグレープフルーツミント/カンロ』|Brand-New!DESIGN DIGEST|デザインする|デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
https://www.mdn.co.jp/design/DESIGNDIGEST/40002022/09/02 -
2022/11/28
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【2022年マイベストブック】翻訳家・岸本佐知子さんが美しい日本語に浸る本とは? | 【クウネル・サロン】“マチュア”世代のときめき、全部。...【2022年マイベストブック】翻訳家・岸本佐知子さんが美しい日本語に浸る本とは? | 【クウネル・サロン】“マチュア”世代のときめき、全部。
https://kunel-salon.com/post-116298/amp2022/12/10
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済東鉄腸氏の「千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、・・・」でルーマニア関連の書籍を紹介していたので、読んでみる。
ルーマニアの歴史をあらためて知ることとなり、そこで過ごした子供時代の暗部がたんたんと語られている。
詩的な要素もあり、不思議な世界、夢が多く出てきて、この様々な世界に助けられ、今の著者がいるのだろう。
続編をまた読んだみたい、この先をもっと知りたいと思う。 -
【日本在住のルーマニア人学者の自伝的エッセイ】
1984年生まれルーマニアの村出身の著者は、現在日本の獅子舞について日本語で研究をされているらしい。彼女のこれまでの経験がつづられている。
当時のルーマニアは、社会主義が色濃く残る。幼少期は祖父母の村で育ち、学生になって出てきた町は、「社会実験」をされているも同然という。
「人間と動物が混ざった豚の内臓のような無茶無茶な空間」。
歯車と化して工場で働く父の姿。協働団地での暮らし。
「社会主義とは、宗教とアートと尊厳を社会から抜き取ったとき、 人間の身体がどうやって生きていくのか、という実験だったとしか思えない。
あの中で生まれた、私みたいなただの子供の身体が何を感じながら育っていったのか。それは、言葉と身体の感覚を失う毎日だった。高校生になったある日、急に話せなくなったことがあった。一生をかけてその言葉と身体を取り戻すことがこれからの私の目標だ。」
2歳の時にチェルノブイリを経験ーその健康被害は後になって出てくる。
日本語と出会ったのは、高校のときに地元の図書館で読んだ『雪国』。その後、黒澤明などの日本映画をたくさん見る。
日本語について、彼女は。「自分の身体に合う言葉」、「私の免疫を高めるための言語」と表現する。
社会主義の国家制度の中で否定された個々人の感覚の世界をどうにかして取り戻したいという身体的な叫びのようなものが聞こえる気がする。
『雪国』を読んだ4年後、彼女は日本への交換留学の機会を得る。
そして2013年には東京で映像人類学についての博士課程を始める。
映像記録への高い関心から、エッセイ内では様々な映画について触れられる。
自分の育った森のそばの村について動画にとどめておきたかったという彼女は、現在、青森県の伝統を中心に、映像を通してその地の伝統を記録しているのが何とも不思議。
西目屋村も出てきた。
コロナ期間中も日本にいて、2年半、本国に帰ることができなかったらしい。そんな中でこのエッセイ集が本としてまとめられた。
社会主事体制時よりも、「優しい」かもしれない現代社会で、これからも生きて世界を変えよう、という強いメッセージ。 -
CDジャケ買いならぬ、本の題名借り。
革命前後のルーマニア。
チェルノブイリ原発事故被曝。
エッセイ全体が薄鼠色。
死と共に送る生の日々 みたいな。
「映画と宗教と夢がちと多い。全て著者を表すアトリビュートではあるもののこれってどこが本筋?七夕の短冊は綺麗だよ。だけどそれだけでは。肝心の笹はどこにあんのよ」
ちょっと読者(というか私)置いてけぼりな感じ、柔道の技のかけ逃げか偽装的攻撃みたいだな
と、とまどいながらおどおど読んでたけど、ページが進むにつれて読み方が分かってきたというか、馴染んだ。
表題は収められた短編エッセイのひとつでしかないけど、本全体、彼女から見た世界全体とのダブルタイトルにもなっていると感じる。
著者が子供の頃から現在に至るまで、様々な場面で様々な属性を理由として経験してきた地獄。優しいというのとは違うけれど、その地獄は派手さもないし特別感もない。静か。さも当たり前、文句を言う奴がおかしいと言わんばかりに世の中全体に君臨している。幾重にも重なって。
今は日本の東北地方で旦那と娘2人と穏やかに暮らしている。こうして執筆活動もしている。手術は複数回経験し今後も腫瘍ができるかも知れないけれど現在は見て、話して、踊って、食べて、歩いている。外国人女性でありながら遠い国から留学して異国で博士号まで得た。そもそも人生は誰にとっても完璧ではないし。被曝による後遺症でもっと早く無惨な死に方をしていたかも知れない。幼い頃に強姦されて殺害されていたかも知れない。人身売買組織に誘拐され臓器としてバラバラにされたか、今もどこかで売春強要されていたかも知れない。娘の遺伝子に何か異常があったかも知れない。今より不運なことは限りなく想像できる。だとすれば今のままでも十分に恵まれた人生じゃん。
と、著者本人も理解してはいる(事実だしそう思いたい)だろうけど、幼少期の自分はあきらかに地獄にいたにもかかわらずそれと気づかなかった。であるならば、今もその地獄は続いたままで、ただ気づかない(気づかないようにしている)だけなのでは。みたいな本。
社会主義のままであれば、魚が水に気づかないように、我々が空気に気づかないように、自身を隙間なく取り囲む地獄にも気づくことはなかった。
今も昔も絶対的な優位点とされる「美貌の女性」でいることで引き摺り込まれる地獄にも。
本文は穏やかながら色彩豊か。香りや動きもある。日本語が巧みな聡明な美貌の外国人女性ならではのほんの少し独特な表現方法。でもひたすら静か。陰鬱。物憂げ。著者の死生観(特に死が主で生が従)が染み込んだ言葉たち。
分厚い手袋とサングラスをして生きていれば、素手の裸眼に比べて何事も楽かも知れない。世の中は棘だらけだし目を覆いたくなるようなことばかり。けれどせっかく繊細なセンサーを持ち合わせたのなら、鈍感ゆえに元気な人に憧れるのはやめよう。痛みとともに生きていくのだ。幸いその痛みは優しさも含んでいるのだから。
どうせ死ぬから楽しく生きよう。
僕は歌って踊って食べて話すために生きているんだ。と、思い起こさせてくれる本。 -
◆出版社Twitter: https://twitter.com/akishobo/status/1549944249327554560
社会主義政権下のルーマニアに生まれ、『#雪国』に出会った少女は、やがて日本を目指した——。
本書は、社会にうまく適応できない孤独な少女の記録であり、資本主義へ移っていくルーマニアの家族三代にわたる現代史である
https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=1071 -
獅子舞と女性、ジェンダーを研究しているルーマニアのイリナ・グリゴレさんの初エッセイ。こう言うのをオートエスノグラフィーというらしい。チャウシェシク政権下で育った少女時代から日本の白神山地の麓で娘たちと暮らす今を描いていて、時折、現実なのか妄想なのか分からなるような幻想的な表現もある。映画監督になりたかったらしく今も映像をよく撮っておられるようで、映像的な表現も随所に見られて、なんか不思議な気分を味わせてくれるエッセイだ。
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茶葉の出がらしにハチミツをかけて食べる、というのが印象的。
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感想
私的領域と社会の中で生きる女性の生活史。雪国の文章を彷彿とさせると同時にアンネの日記も想起させる。手の届く範囲に及ぶ社会の影響を描き出す。