怪物はささやく

制作 : ジム・ケイ  シヴォーン・ダウド  池田 真紀子 
  • あすなろ書房
4.06
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本棚登録 : 886
レビュー : 174
  • Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784751522226

作品紹介・あらすじ

ある夜、怪物が少年とその母親の住む家に現われた―それはイチイの木の姿をしていた。
「わたしが三つの物語を語り終えたら、今度はおまえが四つめの物語をわたしに話すのだ。
おまえはかならず話す…そのためにこのわたしを呼んだのだから」

嘘と真実を同時に信じた少年は、なぜ怪物に物語を話さなければならなかったのか・・・

感想・レビュー・書評

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  •  この本を知ったのは、ブクログさんの書評から。児童向けでホラーで、課題図書っていうくくりになってて、ホラーなのに、児童向け?ホラーなのに、課題図書?って思って、興味を持ったことがきっかけ。

     主人公コナーは、序盤はとにかく可愛くないガキ。自分に向けられる感情はいいものも悪いものもすべて無視して、一人達観して、平気なふりをして生きる。怪物が初めて現れたときも、「どうせなら、連れて行けば?」とまるで人ごとのような素振り。ああ、可愛くない。
     でも、そんなコナーが、怪物の話す物語を聞き、物語が自分の考えていた結果と違うものばかりだと知ったときから、考え、悩み、思いあぐねて変化していく。私、このあたりから、コナーのこと応援し始めた。
     コナーが、自分にどんなことがあってもそれを人ごとのように振る舞い、他人に決して自分の本心を見せないのは、「自分は間違っている」という考えに固執していたから。だから誰にも、自分の本心なんて知られたくなかったんだな。でも、怪物の物語を聞くにつれて、真実は一つじゃないのかも・・・という考えが頭をよぎるようになったんだろう。このあたりから、私は、コナーを思って泣いた。

     彼が呼んだ怪物。怪物は、コナーを認めるために来た。「間違いなどではない。その真実を母親に話せ」と言いに来た。そして、母親の今際の際に、真実を話すコナー。真実なんて、誰にも言わない。そんなものは存在しない、と自分の本心を否定すらしていたコナーの、なんという変わり様。
    深い。これ、児童が読んで、理解できるのかな?私は一回読んだだけでは理解できませんでしたが・・・

     この物語は、ハッピーエンドではないと思う。でも、私はこの物語を読んで気づいたことがある。
     まちがっていることは、実はまちがっていないのかも知れない。自分の考えがまちがっているかどうかは、行動に移してみて、その結果を見るまでは分からないのだ。
     つまり、この物語のその後、コナーの十数年後は、ハッピーになっているかもしれないな。

  • 中学校の課題図書です。本屋で見かけて表紙に惹かれ借りました。

    内容は表紙のイメージとはちょっと違い(怖い話系かな…と思った)
    重くて現実的で一風変わった課題図書だな…と第一印象で感じました。

    読破すると適切な言葉が見つからない。
    これが課題図書なんだ…と自分の頃の課題図書とずいぶん違うな…
    と、とまどいました。

    序盤はどうなんだろうか、と思い読んでいましたが終盤は
    重く静かで、ゆっくりゆっくりかみしめるように読みました。

    「共通項」あたりから涙が。そしてどうしても作品の中に救いを求めてしまう
    自分。抵抗すればするほどコナーと同じく苦しくなり…
    「これは物語だけど現実なんだ」と認めたら少し楽になれました。

    真実を見つめて 事実を認めないと 進めないことがある
    自分の本音をどこかで吐き出さないと前進できないことがある

    それが過酷なことならなおさらそういう場が必要だと思う。
    現在の中学生ならことさらそういう場が必要だと。

    イチイは本当にコナーを、コナーの心を救いに来たんだと思う。
    12時7分の件はひたすら悲しかったけど
    ただ悲しいだけでなく優しさのある内容でした。

    表紙から挿絵まで全てモノクロで悲しくて美しい。
    ページを開いて一ページ丸ごと挿絵とかあって、とてもダイナミックで
    斬新で、次の挿絵が楽しみで仕方がありませんでした。

    ゲームのICOを手掛けたスタッフがゲームにしたら
    きっと素敵だな…と思いました。

    (原案者のシヴォーン・ダウドが作品の中の母と重なって見えた)

  • 2007年に惜しくも早世したシヴォーン・ダウドが遺したメモをもとに、パトリック・ネスが肉付けして完成させた作品。

    コナー・オマリーは13歳。
    母さんと二人暮らし。
    ある夜、怪物がやってきた。
    教会の墓地の真ん中にあるイチイの巨木が、裏庭までやってきたのだ。
    「コナー」と名を呼びながら。

    なぜかコナーは怖いと感じなかった。
    母さんが病気になって1年。途中からコナーは毎晩、恐ろしい夢を見るようになった。誰にもいえないその夢ほど、怖くは無かったから。

    学校では母の病気が知れ渡り、かわいそうな子として遠巻きにされている。
    だが優等生のハリーがなぜかコナーに目をつけ、子分二人といじめるようになっていた。
    幼馴染のリリーはコナーをかばおうとするが、みなに事情が知れたのはリリーがしゃべってしまったのが発端なので、リリーを許せないコナー。

    父は6年前に家を出て、アメリカで新しい家庭を持っている。
    治療のたびに母の具合が悪くなると、祖母が世話をしに家に来るのだが、まったく気が合わないため、気が重いコナー。

    たった13歳で感じやすいのに、つらすぎる状況で、心はがんじがらめ。
    イチイの木の怪物は、3つの物語を話して聞かせるという。
    4つ目はコナーが話すのだと。
    それは‥?

    イチイというのは非常に寿命が長くて数千年もあるほど。葉や種に毒があるのが薬としても有用で、ヨーロッパでは死と再生の象徴とされているそうです。

    一筋なわではいかないイチイの怪物が話す物語に、魅了されます。
    第一の物語は、この地に王国があった頃。
    王には4人の息子がいたが、戦争や病気で死に、跡取りは孫だけになった。王は後妻として新しい王妃を迎える。
    王がなくなったとき、孫息子が成人するまでの間、王妃が摂政として実質的に女王となった。
    孫の王子には恋人がいたが、殺されてしまう。そして‥?

    第二の物語は、150年前のこと。
    薬草に詳しい薬剤師のアポセカリーは強欲で気難しかった。教会の司祭は進んだ思想の持ち主で、思いやりのある人柄だった。
    アポセカリーがイチイの木を切らせてくれるように頼んだが、司祭は拒む。そして、アポセカリーの治療は時代遅れと村人に話したため、患者は医者にかかるようになる。ところが、司祭の娘達が病に倒れ、司祭はアポセカリーにすがった‥

    物語の意味がすぐにはわからないけれど‥
    矛盾を抱えた人の心。
    大事なのは行動なのだ。
    さまざまな苦しみを経て、コナーがたどりつくのは‥?
    ハッピーエンドとまでは行きませんが。
    葛藤を経て、コナーは素直な心で母のそばに‥
    救いのある結末です。

    大胆な筆致の黒っぽいイラストが多数挿入され、ホラーっぽいムードを盛り上げます。
    中学の課題図書だったそうですね。
    それにしては重いけれど、完成度は高い。考えさせる題材ですね。

    パトリック・ネスは1971年アメリカ生まれ、後に渡英。オクスフォード大学で創作を教えながら、さまざまな活動をしている。
    YA向け三部作の3作目でカーネギー賞を受賞している。

    シヴォーン・ダウドは、1960年ロンドン生まれ。オクスフォード大学卒業後、人権擁護に携わる。2006年にデビュー。
    死後に刊行された「ボグ・チャイルド」でカーネギー賞を受賞。5作目に構想していたのがこの作品。

  • どんなに大切でも、いつか大切な人の手を離さなければならない日が来るし、その事実をしっかりと受け止めなければならない。
    世界で一番怖いものも、受け入れることで、味方に変えることができる。

  • 本的にはとってもいい本です。
    泣ける、切ない、締め付けられる思い。
    苦しい、イジメ?同情?憐憫。
    恐れ、鍛え、立ち向かう。死、空、絵、挿し絵 良くできたイメージ図。

    逃れられない病に立ち向かいたい親子。少年を捉えて離さない木。

    YAだけには任せられない内容。

    なのに!!課題図書という冠をかぶったとたん、子どもたちの目には
    「宿題。読むとイマイチテンション下がる~」って本になるらしい。

  • こんなにシンプルに、人間の持つ矛盾や二面性を描いた物語は読んだことがない。
    主人公は13歳の少年だけれど、何歳だろうと、自分の本心を見ないようにしている人はたくさんいる。
    なんでもない、大丈夫、そんなことは思ったこともない。その本心の内容が、反社会的であったり、非人道的と思われそうなことだったり、自分が悪く思われそうなことだったりすればするほど、人は自分の本心を抑えつける。なかったことにしてしまうのだ。
    でも、大抵の場合、それは失敗に終わる。なんとはなしににじみ出てしまうのだ。それを他人に察知されてしまって、苦しい状況に陥ってしまう。

    コナーが絶対に認めたくないこと。それは自分の中にある身勝手な思い(と自分では思っている)だ。
    それを認めてしまうということは、すべてを否定してしまうことだと思うから、彼は必死で目をそらす。
    夜毎現れる怪物が語る物語も、すべては同じことを物語っている。
    人間の二面性。簡単に善悪で決着がつけられないもの。善でもあり、悪でもあるのが人間なのだ。
    魔女である女王は、農民の娘を殺しはしなかった。でも国を支配したいと願っていた。王子は、国を守りたかった。そのために自らの手で愛しい娘を殺したのである。魔女は、していない罪で裁かれるべきだっただろうか。王子はその罪のために国を追われるべきだったのだろうか。
    アポセカリーは確かに嫌な人間だった。それでも薬剤師としての腕はあったのだ。司祭はアポセカリーの技術は時代遅れだと思っていた。イチイの木にも触れさせなかった。にも関わらず、自分の娘が死にそうになった時、それまでの信念をあっさり捨ててアポセカリーに頼ろうとした。
    コナーは怒ったけれど、私も司祭は身勝手すぎると思った。「誰だってそうするだろ」とコナーは言ったが、司祭は自分の信念を簡単に曲げてしまったのだ。そんな人がこの先司祭として存在していけるだろうか。
    第三の物語は物語の体をなしていない。言葉ではなく行動で綴られた物語だからだ。ここでハリーが放つ言葉が凄まじい。
    「自分は特別なんだって得意げな顔をして、自分の苦しみは誰にも理解できっこないって顔して、学校を歩きまわってるコナー・オマリー」
    「罰を受けたがってるコナー・オマリー」
    本人にしたら、絶対認めたくない発言だ。断固否定するであろう言葉だ。それなのに、ぐっさり突き刺さって、そのあまりの痛さで破壊的行動に出てしまう。
    暴れたら罰を受けることができる、という気持ちが、無意識のうちにあるのだ。だからそのあとで、「退学処分です」といわれて、どこかホッとするのだ。
    しかしこの校長先生は傑物である。本物の教育者だ。ここで彼を放り出すことが何の解決にもならないことを、そしてそんなことをしたら、教育者としての誇りも失ってしまうことをちゃんとわかっているのだ。
    コナーは辛い状況にあるし、いじめもある。でもちゃんとした大人が周囲にいる、ということはひとつの救いでもある。今の日本にあるいじめの問題でも、こういう大人が周囲にいたら、もっと違う方向へ進むのではないかと思わずにはいられない。

    13歳という年齢の不安定さは、洋の東西を問わないのだな、と思う。
    自分の弱さを認めるというのは、いくつになっても難しいし恥ずかしいことだ。
    「いじめられている」「親の死を予感して怯えている」などの状況は、もちろん自分自身のつらさもあるが、それを人に知られることのほうがずっと辛いという心情もあるのだ。
    いじめに介入して手助けしようとするリリーに対する怒りは、大人から見れば身勝手に見えるけれども、そもそも「助けてもらう」という状況そのものが屈辱的だし、母親の闘病に関しても同情される方が傷つくということもある。特に男の子は。
    リリーが友達にしゃべってしまったのは女の子らしいネットワーク作用だったのだろう。でもその根底に潜むかすかな優越感を、コナーは感じてしまったのだ。
    同情には優越感が必ず潜んでいる。そのことは案外忘れがちだ。

    コナーに対して「つらい気持ちはわかるよ」と皆がいう。そのときの「つらさ」とは「母親が重い病気にかかっていて、もしかしたら死んでしまうかもしれない」というつらさだ。
    しかし、当事者たるコナーにはもう一段深いつらさがある。
    別れのつらさの予感に耐えかねて、早く終わって欲しいと望んでしまう自分の身勝手さである。だから罰を欲しているのだ。
    介護殺人で、「身勝手な理由により」と判決文で言われるのは、まさにこの部分なのだと思った。自分が楽になりたいから殺してしまった、そのことを身勝手というのだ。
    コナーはそれができなかった。それを望んでしまう自分が許せなかったのだ。だからあんなに苦しんでいたのだろう。
    第四の物語をコナーが語らなくてはならなくなる場面では、息をするのも苦しくなった。コナーのつらさや苦しさが圧倒的に迫ってきて、涙が止まらなくなった。

    それでも。どんなに痛くて苦しくても、自分の真実から目を背けてはいけないのだ。目を背けている間は苦しみは続く。真実を語り、ボロボロに傷ついたら、初めてそこから傷は癒えていくのである。

    もし私が中学生のときにこの作品に出会ったとしたらどんなふうに感じただろう。
    「それでもホントのことなんか言えないよ」と思ったかもしれない。受け止めてくれるだろうと思える相手がいなければ、本当のことなど言えはしないのだ。

    最後でおばあちゃんと本音で話すことができてよかった。気が合わないことは認め合った上で、でも共通点を通じてやっていけるかもしれない、と思うあたりは示唆に富んでいる。

    複雑な世の中になってくると、単純な勧善懲悪の話や、簡単な二元論がもてはやされるようになる。わかりやすいどんでん返しや、派手な展開で楽しみたいと思うようになる。
    でも、現実は善悪が複雑に絡み合っていて、そう簡単に割り切れるものではないのだ。割り切れないとみんなが認めていかないと、真実を表に出すことは難しいだろう。

    ところどころで見開きで入る挿し絵が素晴らしい。物語と相まって非常に効果的だった。

  • 母親と暮らす少年のもとに現れる「怪物」
    「怪物」が毎夜語る物語は怖ろしいが、本当に恐ろしいのは少年の心の底に隠された「秘密」だ。
    目をそらそうとしても、そこに巣食っている「秘密」
    それは最後の夜、少年が物語る番になって明らかになる。
    母親が少しづつ死んでいくということに耐えられず、いっそ今死んでしまってほしいという心の声。
    そう考えることの疾しさに少年は怯える。
    しかし、最後の時、本当の本当の、心のもっと奥に秘められた言葉を少年は叫ぶ。
    「死なないで」

    人の心の、本人でもよく理解できない多面性を、巧妙にとらえた作品。

  • 読み時を逃したままずっと積んでいたのだけど、映画が公開されたのでこんどこそと思って読んだ。

    誰の心にもひそむ自己中心性や弱さを、怪物との対決――いや、対話?――を通じて、真正面から見つめることを余儀なくされる13歳のコナー。

    でも、その気持ちは、ほんとうに誰にでもあるよといいたくなる。絶対的な善とか悪なんてなくて、すべての人間の心のなかでその両面が複雑にからみあっているんだよな。

    だけど、それを見ぬ振りをしてふたをしておくと、とんでもない暴力となって爆発するのかもしれない。そこらへんも、コナーの年齢とあいまってとてもリアル。

    あと、このイラスト(ジム・ケイ)がほんとうにすばらしい。この怪物の造形。悪夢からそのまま抜け出してきたみたいで、ほんとうに夢に出そうだ。

  • 手術の後、体力的になかなか読めなかったけど
    この本で久々に本が読めた。
    映画化すると聞いたので
    事前に読めてよかったと思う。
    絵本のようにイラストがあって
    独特の雰囲気がある。
    中学校の読書感想文課題図書になってたみたいだけど今の私が読んでも色々考えさせられる
    難しい本だなぁと思った。
    筋書きはシンプルだけど、
    考えることがたくさんある。
    怪物のお話は3つ目のお話が好きでした。
    オチはなんとなく予想がつくだけに、ちょっと勿体無い。

  • 確か何かの書評で紹介されていたように思う。
    児童書だという認識が全くなかったので意外だった。

    暗い心を抱えてしまった子どもの精神世界を、
    こんな幻想的に描いてしまうなんて。
    それでいて、現実も隠すことなく、ありのままに描いてしまうこの感じ、イギリス的でいいなあ。

    大人は勝手だ。
    父も母も祖母も先生も、コナーを取り巻くものは、
    彼をますます追い詰めていくだけ。
    頭は冷静で賢いのに、心は弱くて柔くて脆い。
    大人とは違う、子ども独特のあり方。
    だから怪物が必要になる。

    同年代に読んでいたら、コナ―に感情移入して大変だったろうと思う。
    今は、物語には巻き込まれても、感情は俯瞰して読んでしまう。
    それは物語世界や文章を理解するということでは、良いことだし、どうにもならないことなのだけれど、子どもの主人公に、寄り添えなくなってしまったことが悲しい。

    挿絵と装丁が独特。作品世界をより深めていて良い。

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