イワンの馬鹿 (トルストイの散歩道 2)

  • あすなろ書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (104ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784751523827

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  • むかしある国の田舎にお金持の百姓が住んでいました。百姓には兵隊のシモン、肥満のタラスに馬鹿のイワンという三人の息子と、つんぼでおしのマルタという娘がありました。兵隊のシモンは王様の家来になって戦争に行きました。肥満のタラスは町へ出て商人になりました。馬鹿のイワンと妹のマルタは、家に残って背中がまがるほどせい出して働きました。

    ブログ仲間の薔薇豪城さんが、トルストイを読んで戦前に兵役拒否を志し、結果的に生き残った北御門二郎(1913~2004)という人について書いていました。それで興味を持って初めて「イワンの馬鹿」を青空文庫で読んでみました。

    戦争好きで軍人になった長男と、お金好きで商人になった次男と、馬鹿で正直でお人好しで、信心深く、農民をやっていた末っ子のイワンという構成は、最初は「三匹の子ブタ」じゃないか!と思うのですが、次第に「戦争と平和」童話版の様相を示し出して、ちょっとした大河ドラマになるのです。

    重要な登場人物に親玉の悪魔と、三人の小悪魔が出て来ます。三人の小悪魔が上の二人の兄弟を籠絡してイワンで失敗するのは「定番」。

    ところが、イワンが小悪魔から兵隊や金を作る「魔法」をゲットすることで、物語は印度との戦争を含む「マクベス」的な世界に変貌するのです。

    マクベスは自らの欲望に飲み込まれて自滅する。イワンは、兵隊も金も、音楽隊とオモチャとしか考えない。徹底した無欲と勤労精神、そして「いいとも、いいとも」と受け入れる困った人に対する「無償の愛」を武器に、最終的には「ハッピィエンド」を勝ち取るのです。

    最後に残るのは「理想の国」です。イワンのみだけでなく、妃も、国民も「馬鹿」であることが、生き残った「根拠」となります。

    戦争に対しては二つの「岐路」がありました。一回目はお兄さんに対しては無償で兵隊を与えたイワンであったが、次に兵隊を所望された時にイワンが初めて「NO」と言った時です。

     イワンは頭をふりました。
    「いいや、わしはもう兵隊はこさえない。」とイワンは言いました。
    「でもお前はこさえてやると約束したじゃないか。」
    「約束したのは知っているが、わしはもうこさえない。」
    「なぜこさえない、馬鹿!」
    「お前さんの兵隊は人殺しをした。わしがこの間道傍の畑で仕事をしていたら、一人の女が泣きながら棺桶を運んで行くのを見た。わしはだれが死んだかたずねてみた。するとその女は、シモンの兵隊がわしの主人を殺したのだと言った。わしは兵隊は唄を歌って楽隊をやるとばかり考えていた。だのにあいつらは人を殺した。もう一人だってこさえてはやらない。」

    「不殺生」はどんな場合でも妥協することのない、イワンにとっての第一原則なのです。

    それでも、世の中は平和には傾かない。兵隊を持っているお兄さんとお金を持っているお兄さんが2人共同して、助け合ったからです。産軍協同は現代でも世界の基本性格です。

    親玉の悪魔は、2人のお兄さんを破滅させて、タラカン王をそそのかして遂に「イワンの国」に攻め入る。それが二つ目の「岐路」です。

    「タラカン王が大軍をつれて攻めよせて来ました。」
    「あ、いいとも、いいとも。来さしてやれ。」とイワンは言いました。
     タラカン王は、国ざかいを越えると、すぐ斥候を出して、イワンの軍隊のようすをさぐらせました。ところが、驚いたことにさぐってもさぐっても軍隊の影さえも見えません。今にどこからか現われて来るだろうと、待ちに待っていましたが、やはり軍隊らしいものは出て来ません。また、だれ一人タラカン王の軍隊を相手にして戦するものもありませんでした。そこでタラカン王は、村々を占領するために兵隊をつかわしました。兵隊たちが村に入ると、村の者たちは男も女も、びっくりして家を飛び出し、ものめずらしそうに見ています。兵隊たちが穀物や牛馬などを取りにかかると、要るだけ取らせて、ちっとも抵抗しませんでした。次の村へ行くと、やはり同じことが起りました。そうして兵隊たちは一日二日と進みましたが、どの村へ行っても同じ有様でした。人民たちは何でもかでも兵隊たちの欲しいものはみんな持たせてやって、ちっとも抵抗しないばかりか、攻めに来た兵隊たちを引きとめて、一しょに暮そうとするのでした。
    「かわいそうな人たちだな。お前さんたちの国で暮しが出来なけりゃ、どうしておれたちの国へ来なさらないんだ。」と村の者たちは言うのでした。
     兵隊たちはどんどん進みました。けれどもどこまで行っても軍隊にはあいませんでした。ただ働いて食べ、また人をも食べさせてやって、面白く暮していて、抵抗どころか、かえって兵隊たちにこの村に来て一しょに暮せという者ばかりでした。
     兵隊たちはがっかりしてしまいました。そして、タラカン王のところへ行って言いました。
    「この国では戦が出来ません。どこか他の国へつれて行って下さい。戦はしますがこりゃ一たい何ごとです。まるで豆のスープを切るようなものです。私たちはもうこの国で戦をするのはまっぴらです。」
     タラカン王は、かんかんに怒りました。そして兵隊たちに、国中を荒しまわって、村をこわし、穀物や家を焼き、牛馬をみんな殺してしまえと命令しました。そして、「もしもこの命令に従わない者は残らず死刑にしてしまうぞ。」と言いました。
     兵隊たちはふるえ上って、王の命令通りにしはじめました。かれらは、家や穀物などを焼き、牛馬などを殺しはじめました。しかし、それでも馬鹿たちは抵抗わないで、ただ泣くだけでした。おじいさんが泣き、おばあさんが泣き、若い者たちも泣くのでした。「何だってお前さん方あ、わしらを痛めなさるだあ、何だって役に立つものを駄目にしなさるだあ。欲しけりゃなぜそれを持って行きなさらねえ。」と人民たちは言うのでした。
     兵隊たちはとうとうがまんが出来なくなりました。この上進むことが出来なくなりました。それで、もういうことをきかず、思い思いに逃げ出して行ってしまいました。

    これによって、穀物や牛馬だけが目標だったタラカン王の侵略は止まります。撤退します。これが世に言う「無抵抗主義」です。

    「現実ではこうはならない」とすかさず誰かが言うでしょう。私もそう思います。

    「無抵抗主義」で、戦争自体は(今のところ)止めることはできなかった。しかし、少なくとも戦前の日本人の1人以上はこれによって命をかけて兵役拒否をしたのです。つまり人の心を変えたわけです。そして、兵役拒否制度は現代世界で多くの国が取り入れているのは、ご承知の通りです。トルストイの文学が無駄だったわけではない。

    「イワンは今でもまだ生きています。人々はその国へたくさん集まって来ます。かれの二人の兄たちも養ってもらうつもりで、かれのところへやって来ました。イワンはそれらのものを養ってやりました。」と、最終章は述べています。「イワンは今でもまだ生きて」いるのです。
    2015年1月25日読了

  • どんなに人にいいように使われても、
    悪魔に邪魔されても、
    ただただ愚直に仕事をして
    いいとも、いいとも、と来る人来る人を養ってあげる
    馬鹿なイワンの話。

    手や背中を使うより、
    頭を使って仕事をするほうが
    百倍も難しい、と言う悪魔に、

    ほう?じゃ、お前さん、
    お前さん自分自身でどうしてそんなに
    自分を苦しめているんだね。

    と尋ねるイワンの台詞が印象的でした。

    考えすぎてしまうと、
    人を憎んだり、欲深くなったり、
    素直に人に優しくしてあげられなかったり。
    グルグルと考えて考えて
    勝手に死にそうになるよりも、
    何も考えず馬鹿のように純粋に
    人のために何かしてあげようとすること、
    そういうことがいちばん必要で
    大切なんだろうなあと思いました。

    考えるのをやめるのは難しいんだけど。


  • 解説にかえて
    「人は権力や物質に対する欲にとらわれると限りなくその欲望に振りまわされてしまいがち。そしてその結果、本当の幸せからだんだんと遠ざかっていく。一方、イワンは争うことをせず、お金に執着せず、ただただ愚直に、額に汗して働く。そしてそのことが結局、人をも周りおも幸せにすることができるのです。」
    小宮楠緒


    イワンのように私利私欲無く生きることは容易ではないけれど、イワンのように全うな人生の中で幸せを見出していきたいなと思った。

  • イワンと悪魔達のやり取りが面白いね。
    あと3匹のこぶたのような兄弟も面白い。

    とりあえず、あしたからしっかり働こうと思いました。そして人には優しくかな。

  • 作中で馬鹿だ馬鹿だと言われているイワンが、一番強く、賢く見えるのは私だけでしょうか。

    文も短く、読みやすい物語調。
    子どもの本棚にも入れてあげたい一冊。

  • 時を経て再読。読み始めから終わりまで一気に読んでしまう面白さでした。初めて読んだ時は、よく分からなかった印象があります。哲学的な考え方を得ようと深読みし過ぎたためかもしれません。今回はフラットにするすると大変面白く読みました。思わず声をあげて笑ってしまうところも。こんなに面白かったのかイワンの馬鹿!次は小宮由さん訳でも読みたい。

  • ずっと読もう読もうと思っていたけど、手に取ることがなかったトルストイ第一号読了本。
    かなりわかりやすく、哲学的な内容が書かれていた。
    イワンのような愚直でまじめで優しい人が、本当の幸せをつかむのだなぁ。
    自分の子どもに、必ず読んでほしいと思った。

  • 三匹の子豚のような道徳のお話。
    悪魔が三人の兄弟を陥れようとするのだが、馬鹿のイワンだけが全くうまくいかない。

    中でも、商人に化けた悪魔がイワンの兄弟タラス王を陥れる時に使った方法に、おおーと感銘を受けた。勿論反面教師の意味で。
    タラス王から税金として金を巻き上げられていた人民から、商人に化けた悪魔は高値で馬や衣服や食料を買い上げた。人民はその金を税金としてタラス王に納めた、タラス王は金でとても潤った。が、商人に馬も衣服も食料も買い占められ、金があっても食料さえ手に入れられなくなってしまった。

    大人になると素直に読めなくなる部分はあるだろうが、大事な事が書かれていると思う。子供の童話として読み聞かせたい話。

    ※学生の頃一度授業で習い、ずっと心に残っており再読した。

  • 失敗する兄たちや、頭を使ってなにもできなかった悪魔をみて、そうは言っても実際馬鹿ではどうにもならないのではと、心のどこかでイワンやイワンの国の人たちを否定したくなる気持ちが自分の中に生まれてきたのを客観的に感じたとき、はっとした。
    このお話はいろいろな解釈ができると思うが、今回読んでみて考えさせられたのは、自分一人の力では生きていけないのだということ。金に価値を認めない社会が存在したのなら、いくら金を持っていても役に立たない。これはなにも金でなくたって同じことで、たとえなにかを働いた (悪魔の場合は説教をした) としても、その働きに価値が認められなければ、つまり人の役に立っていなければ、働いたことにならないということである。人が社会を形成して生きていくためには、お互いが働きあっていかなければならない。
    たしか、読んだ本の内容をA4一枚にまとめると知識が身に付く、といった内容の本のなかでその著者が書いていた、「働くとははた(他人)を楽にすることだ」というような一節を思い出した。
    ここまで書いた一方で、そうは言っても~と引っかかった自分の気持ちがいまだに残っていることを感じて、改めて考え直してその理由がわかってきた。いくら個人がよい働きをしたとしても、その働きを受け取れる者がいなければまた、価値が存在しないことになってしまうということ。例えば悪魔が説教をして、そのことに国の人が耳を傾けなかったから価値が生まれないのだが、そこに何らかの情報があったのに、活かすことができなかったのだとしたら、階段から落ちた悪魔を馬鹿にしていいものだろうか? やはり自分は馬鹿に甘んじていることを是とは言えない。

  • 含蓄のある子供向けの民話と思って読んで、確かにその通りなのですが、最後の訳者の言葉、解説に代えて、そしてトルストイの年譜が良いです!
    作品を知るには作者を知るところから、と聞いたことがありますが、トルストイ=戦争と平和、アンナ・カレーニナ、復活…と覚えましたが、どのような人生を過ごされて、民話にたどり着いたのか。
    今回はその断片を見ただけなので、ちょっとこれは、もっと深く知りたい、と思わされました。

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著者プロフィール

19世紀のロシアを代表する小説家、思想家。ロシア・ヤースナヤ・ポリャーナに伯爵家の四男として生まれる。非暴力主義の思想のもと、文学のみならず、政治や社会にも大きな影響を与え、また、自ら教科書を執筆・編集し、教育にも力を注いだ。代表作に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など。『イワンの馬鹿』は、1876年(トルストイ56歳)の作品。

「2020年 『イワンの馬鹿』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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