- 本 ・本 (104ページ)
- / ISBN・EAN: 9784751529577
作品紹介・あらすじ
シルヴァスタインの名作絵本『ぼくを探しに』(講談社刊)の続編、
『ビッグ・オーとの出会い』が、村上春樹の新訳で再刊!
「大きなマル」に出会った「はぐれくん」に小さな変化が……。
アメリカで40年以上愛され続けるロングセラー絵本。
感想・レビュー・書評
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名作『おおきな木』のシェル・シルヴァスタインと、村上春樹の訳という期待高まる絵本。
前作『ぼくを探しに』は自分に欠けた部分を探しにいくお話に対し、こちらは自分が当てはまる誰かをただ待っている「かけら」側のお話。
はぐれくん(かけら)もシンプルでとてもかわいくて、何度も開いてみたくなる絵。
今回は自分から動き出すことで自分自身の形が変わって、転がる丸になっていけるという内容でおぉ!と思った。
そのままの自分で幸せというメッセージも素敵だけど、動き出せば変わるよというメッセージも素敵。
本当にこの2作はかわいくて優しくて胸が温かくなる。セットで持っていたい絵本。 -
視点をかえたかたち。続編で「はぐれくん」が主人公。セットで読んで欲しい。
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20冊目『はぐれくん、おおきなマルにであう』(シェル・シルヴァスタイン 作、村上春樹 訳、2019年11月、あすなろ書房)
倉橋由美子が訳した『ぼくを探しに』の続編。マルではなく、カケラ側に視座を置いた物語となっている。米国では1981年に出版。
相変わらずイラストはゆるくて可愛く、眺めているとつい頬が緩む。パートナーシップの寓話の様に思えた前作に比べると、今作はより「個の自立」という側面を強く押し出した作品になっている様に思う。
〈でもきみは たぶん じぶんだけでころがれるよ〉 -
以前「ぼくをさがしに」を読んだ
倉橋由美子さんの訳
続編のこれは村上春樹さんの訳
「かけら」から「はぐれくん」に
シンプルで自分に当てはめてじっくり読む
さっと読み飛ばすにはもったいない
≪ みつけるよ 自分自身を 他ではなく ≫ -
『ぼくをさがしに』の続編。
前作で「かけら」と訳していた部分を「はぐれくん」と訳し直したのは村上春樹。たしかにこの物語にしっくりくるのは後者かもしれない。
はぐれくん側の視点で描かれた本作では、足りない何かを探しに行くのではなく、自分をどこかに連れていってくれる誰かをただひたすらじっと待っている。様々な合わない相手と出会った末にピッタリな相手と出会えたと思ったら、今度は自分の形が変わってしまったり、まさに人生そのもの。
二作品に共通するのは「自分は十分な存在ではない」と主人公たちが考えていること、また「大事なのはふさわしい相手を見つけることではなく、ふさわしい自分自身を見つけることなんだ」と悟るところ。フィロソフィが感じられ、年齢関係なく楽しめる。これだから絵本を読むのはやめられない。 -
前作は丸い子が主役。今度はかけている、はぐれくんが主役です。これもやはり他者に期待をしても意味はなくて、なりたい自分になれるのは自分の力だけ、と。でも、その時まわりの言葉を聞くことは大切ですね。みんな、出来ないことに目を向けがちだけど、そうじゃなくて、ありのままでいいんだよ。さらに自分の力で変わることが出来るんだよ。そんなメッセージを受け取れる、これはもしかしたら大人に刺さる絵本なんじゃないかなぁ。
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僕を探しに(The Missing Piece)の続編。
といっても、知らなかったので、順番は逆になるけど手にとってみたい。
絵はシンプル。
はぐれくんと訳した経緯が訳者あとがきで書かれてる。
なるほど、納得。
子どもから大人まで楽しめる絵本。 -
自分が信じられない人に、読んで欲しい。
前に進めない人に、読んで欲しい。
もう自信を持ってもいい頃だ。 -
『ぼくを探しに』の続編。はぐれくんは自分がハマるぴったりの相手を探す。でもみんな違う。みんなはみんなでそれぞれの都合でいろいろで。相手がいないと転がれないとおもっているはぐれくんはある時大きなマルに出会う。なにも欠けていない大きなマルははぐれくんに教えてくれる。はぐれくんひとりでも転がれることを。
すごい大きい物語。哲学的。いろんなものを含んでいる。示すものはひとつじゃない。どんな形でも欠けていることだらけでもそれが私。私は私でしかない。
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