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本 ・本 (40ページ) / ISBN・EAN: 9784752007340
感想・レビュー・書評
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熊本県五木村田口の大イチョウをずっと見守ってきた尾方さん夫婦。ダム建設で皆が村を去っても二人のみが残った。移植のために枝を落とされてしまう大イチョウ。後にダム建設が中止になって、大イチョウは再び若葉を芽吹く。白黒の写真が渋くて素晴らしい。最後の大イチョウのカラー写真が活きている。
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熊本県五木村の田口という地域に樹齢5〜600年の大イチョウ。村を見守ってきたイチョウだが、ダム建設の計画とともに村人は転地を余儀なくされる。結婚して60年の尾方さん夫婦だけが残った。イチョウも引っ越しのために足場で囲われたが、ダム建設は白紙になった。傷つき弱ったイチョウを手入れする夫婦。イロイロ考えさせられた。
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感動の一冊です!
この本の事を知ったのは佐久間順平さんがFacebookで紹介されていたが目にとまったから。 そしてわたしは本書作者の大西暢夫さんとは知り合い・・・のつもりでございます。 昨年11月岐阜県北方ワタルカフェで開催された「高田渡メモリアル・コンサート」のロビー展示をいっしょにお手伝いなどさせて頂いた。
愛犬ジローの墓が大イチョウの下に戻ってくるところ写真と共に必読!
しばしの安らぎタイムが欲しい方は是非読んでくださいまし。 -
ここで土になるは、熊本県の五木村頭地区田口に、大きな大木があり、500〜600年経っていてその木を「田口の大イチュウ」と言われている。その木を、作ったのは、尾形茂さんと妻のチヨコさんが大事に育てていて感動しました。いいことや楽しい事が書いてあってよかったです。また、みたいです。
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熊本は五木村がダムに沈むことは、大分前に野田知佑さんの本で読んでいました。牧歌的でとてもとても素敵な村が不必要なダムに沈むことを憂いていました。
が!この本読むまで、ダムが中止になって水没を免れたと始めて知りました。
この本読まなかったら僕の中で、五木村は消滅していたと固く信じていたと思います。
老夫婦が2人で無人の村で生きてる事を、さみしいと見るか幸せと見るかは分かれると思います。
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ダムの建設中止でたった二人で残った夫婦,村の守り神のような大イチョウの木,美しく雄大な自然とありふれた日常に感動した.
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《図書館》【再読】ダムは、必要だが。これは、ひどい。計画を綿密にしてほしかった。元に、戻れないなら!
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小さな村の大イチョウ。
ダム建設にゆれた村で、村人が全員ひっこしていっても、変わらず、動かず、そこに暮らし、土を耕し続けた夫婦がいる。
大イチョウの木も移転することとなり、枝が払われ根も切られた。尾方さん夫婦も移動を決意・・・ところが、ダム建設は中止。
残ったのは尾方さんたちしかいない壊された村と、人間に切られ、銀杏も実らなくなった老いた木。
でも、尾形さんは大イチョウの復活を信じて、たくさんの肥料を根元に入れてやった。
数年後に少しだけ実がなった。
尾方さん夫婦の暮しの根っこは、大イチョウのように深くしっかりしたものなのだなぁ。。。 -
[墨田区図書館]
同著者の「ぶた にく」で知った大西暢夫さん。その作風に触れて他の本も見てみたいと検索して片っ端から借りてきてみたうちの一冊。2年前の課題図書だったんだ、しかも登録していたのに、高学年だったからか?読んでいなかったんだろう、今回登録しようとするまで、タグつき登録済みであることすら記憶になかった。
この本は、この著者の代表作「おばあちゃんは木になった」「徳山村に生きる―季節の記憶」同様、ダム建設の計画に振り回された村の記録だ。ただ、熊本県五木村は、実際にダムが作られて水没した徳山村とは異なり、結局ダム建設の計画は中座し、残されたのは人がいなくなった村だけだった。一緒に読んだ「徳山村に生きる~」同様、この本も尾方さんというある一夫婦、そして樹齢数百年と伝えられる集落の象徴、田口の大イチョウに焦点をあててその時間の営みを綴ったもの。
ただ、本の出来としては「徳山村に生きる~」のほうが評価できた。こちらの田口の大イチョウの移設計画と頓挫後の復活の流れは内容として印象的だったが、「春」「夏」と各季節ごとを色鮮やかに紹介した前著の方が、その野放図に書かれた各季節名と語り口のことを差っ引いても魅力的だった。
著者プロフィール
大西暢夫の作品





