サリンジャー選集 (別巻1) ハプワース16、一九二四

  • 荒地出版社
3.41
  • (9)
  • (10)
  • (36)
  • (4)
  • (0)
本棚登録 : 146
感想 : 10
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (168ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784752100041

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • グラース家ものの最後にあたる作品。サリンジャーはこの作品をもつて筆を折つてしまつた。それでも書くことをやめることはなく、彼の死後遺された原稿をまとめて出版するとかしないとか。どういふ原稿が遺されているのかはわからないが、グラース家がその生き方で描かれたやうな生きることと死ぬことの問題は必ず残されていると思ふ。
    長兄シーモアの自殺。物語の時点で彼は死ぬ姿だけしか描かれない。彼の生きた姿は家族の口からのみ語られる。今回もあくまでバディが書き写した手紙といふ体裁である。手紙の中ではシーモアがバディを温かく見守つてゐる。この手紙をタイプしながら今度はシーモアを眺めるバディは、自分の書いてゐる短編小説に関連するものであるといふ。時間はさらに遡つて7歳のキャンプ地での出来事である。
    彼の自殺の原因はなんであつたのか。そんなことはサリンジャーの頭の中にはないやうである。ただ生きて死ぬ。ものを考へる人間がそこにゐるだけである。
    ○○だから死ぬといふ論理でなんとなくわかつたつもりになつてしまふが、死ぬといふことがわからないのに、さうした理解は本当ではない。ましてや、死んでしまつてもなお、かうしてグラース家の中でことばとしてシーモアが生きてゐる。果たして死んだのは一体何であつたのか。
    7歳にしてシーモアは生きること死ぬことがただことばに過ぎないことを知つてしまつた。世を儚んでゐるのではなく、存在を越えることのできない、存在の網の目以上に人間が考へ続けることができないといふ限界である。もうシーモアにとつてはことばを越える以上にすることはなくなつてしまつてゐたのだ。それでも後30年くらいは生きやうと笑い飛ばした。
    彼の死は結局自分で決めたことなのか、それともすでに決められてゐたことなのか。ただひとは生きて死ぬ。生まれた以上致死率100%。この端的な事実以上の何ものでもない。

  • 「バナナフィッシュにうってつけの日」に始まり、「フラニーとゾーイー」、「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」、「シーモア 序章」と続く、サリンジャーのグラス家物語のシリーズの最終作。

    と同時に、サリンジャーの発表された最後の作品。雑誌「ニューヨーカー」に掲載されたものの、単行本にせずに、そのまま引退。(日本では、ラッキーなことに、なぜか本として出版されている)

    と謎に包まれたサリンジャーとグラス家の物語に近くヒントがたくさん埋め込まれている感じかな?

    シリーズの最終作であることもあり、これだけを独立して読むことは難しいかな。なんせ、グラス家の神話的な長男のシーモアが7歳の時に書いたという長い手紙という設定。

    内容的には、果てしなく早熟で知的で、仏教的な世界観。

    やはり、サリンジャーの他の作品を読んだ後に最後に読むべき作品かな?

  • サリンジャー選集別巻1。
    続けてサリンジャー。のんびりここちよい。

  •  サリンジャーのグラース家シリーズが続く。
     また、シーモア。しかし、今回はシーモアが語り手。形式は手紙。シーモアと弟のバディはサイモン・ハプワース・キャンプというものに参加している。シーモアは7歳、バディは5歳。手紙の内容は、キャンプでのこと、弟バディのこと、両親や兄弟へのメッセージ、送ってもらいたい本とそれに対するコメントなど。特に弟、両親、他の兄弟に対する文は暖かく、愛情が溢れている。
     しかし、7歳の子供が書いたものとしたら、少し不気味。本に対するコメントも異常な感じを受ける。シーモアの天才ぶりを示したかったのかもしれないが、この設定には無理がある。

     サリンジャーは1965年にこの作品の発表を最後に沈黙を守り続けているそうだ。

     「サリンジャーをつかまえて」の中で、イアン・ハミルトンは幼いシーモアの文章について次のように言っている。
      「結局『ハプワース』は、得たいの知れない癪にさわる力作である。その魅力は主としてシーモアの文学的離れ業に求めなければならない。すなわち、7歳の少年が全知の文人に仮装することのおかしさである。彼はさわやかな弁舌を気取りながらも、実は頻繁に類語反復を犯し、見当違いな形容語句を用い、滑稽な調子はずれに陥っている。」
     それから、サリンジャーの人生とこの作品について次の様に言っている。
      「少年シーモアは実際に自分の家族に宛ててこの手紙を書いているのである。この最後の物語でグラース家の人々はサリンジャーの主題であると同時に読者となった。つまり彼らは彼の作中人物であり、同時に彼の仲間なのである。サリンジャーの人生はついに芸術と一体になったのだ。」と。

  • 発表されているグラース・サーガの最後の話。子供のシーモアがサマーキャンプからバディに宛てて書く手紙の形式でひたすら綴られたもの。

    表紙をめくると装丁の黄色が美しくて、読んでる間中ずっとカバーをはずして持ち歩いてた。ずっと読みたかったので書店で見つけたときは嬉しかった。

  • 学校で購入し,帰りの電車で読了.吸い込まれるように読んだ.
    学校でバスに乗ってから,自宅最寄り駅で降りるまでの行動が全く記憶にない.歩きながらも読んだ.
    ときどき神掛かった集中力を発揮できるが,自由意思で発揮できないのが悲しい.
    これにてグラース・サーガ制覇.すなわち,
    ・ナインストーリーズ
    ・フラニーとゾーイー
    ・大工よ屋根の梁を高く上げよ
    ・シーモア -序章
    ・ハプワース16,1924
    を読んだことになる.
    これでようやく私も友人哲治(眼に入れても痛くない男である)同様にグラース家について語る資格を得たと思う.グラース家7兄弟にはそれぞれ個性があり,サリンジャーが全て書いたとは思えない.素晴らしく突出した鮮やかな個性を見せてくれる.

    ハプワース16,1924 の後半に長兄シーモアが読みたいと評した本のリストがある.しばらくはこのリストに従って読書を進めることにしたい.

  • 2010/1/5購入

  • シーモア哲学は説得力があり過ぎて舌を巻きます。テディ然り、このシーモア然り、神童を描かせたら彼の右に出る者はいないと思う

全10件中 1 - 10件を表示

J.D.サリンジャーの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
マーガレット・A...
ツルゲーネフ
サン=テグジュペ...
フランツ・カフカ
ポール オースタ...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×