観察者の系譜: 視覚空間の変容とモダニティ (以文叢書)

  • 以文社
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (309ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784753102457

作品紹介・あらすじ

視覚の近代の成立に決定的な役割を果たした〈観察者の誕生〉。本書はこの誕生の諸相をさまざまな視覚器具、絵画、人間諸科学の大胆かつ繊細な分析をとおして明らかにします。この観察者の問題は、身体が社会的、リピドー的、テクノロジー的な装置の一要素にどのように組み込まれようとしているかという、視覚文化の根本的に迫る記念碑的名著です。

感想・レビュー・書評

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  • 「視覚」にまつわる問題は、哲学や美術史では重要な位置を占めてきました。
    時代ごとのテクノロジーや権力のあり方の変遷とともに、いかにして人間が「見ること」それ自体が変容を被ってきたのか、ということが扱われています。
    テクノロジーの代表として本書に登場するのは映画、カメラオブスキュラ、などですが、この系譜に位置する今日的なトピックに、スマートフォンが挙げられます。スマートフォンで情報を摂取するとき、多くの人はそれを「見ている」でしょうか。日々大量に流れてくる情報やイメージは、ほとんど目に触れるだけで「見られる」ことなくその役割を終えていくことがほとんどではないでしょうか。それに伴い、人間の集中力、ひいては「見ること」にも影響が及んでいます。
    そんなことに疑問、関心がある方におすすめです。
    ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』遠藤知巳訳、以文叢書、2005。(中央館3F、請求記号702.06、C91)
    OPAC:https://opac.lib.niigata-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BA74286275

  • 鑑賞とか、観覧とか、観戦とか、当たり前に言うけど...真剣に考えると本当に不思議な行為である事がわかった。「見る」ことは、いつの間にか生理的な刺激以上のものになって、今日の芸術や、様々なカルチャーに通じている。歴史を遡ると、こんなにも沢山の科学者、生物学者、哲学者、芸術家たちが「見る」ことについてアレコレ考えてたのねと、ロマンを感じずにはいられなかった。
    ちなみに、様々な視覚装置(カメラ・オブスクラやステレオスコープや...etc)の登場を映像の歴史としてサラッとまとめてしまうのではなく、当時の世相や、経済的な側面からも読み解いていて面白い。非常に難しく書いてあるのでじっくり時間をかけて、もう一度読みたい。

    (授業で輪読。恥ずかしながら、こんなに一冊の本をめぐってあれこれ悩んだり議論したりしたことは無かったのですごくいい経験だった。)

  • 視覚というものについてカメラなどの技術と共に理解が深められる本。

    大学の授業の教科書として、読んだのだが、所々理解の難しい部分があると感じた。
    視覚の仕組みや、カメラの技術に対する理解があるともっと読みやすいのではないかと感じた。

    しかし、視覚やカメラ、映像と言ったものの仕組みや仕組み自体が解明されるまでの過程、どのように見えているのかといった事柄について、理解を深めることが出来た本だった。

  • 12月新着
    東京大学医学図書館の所蔵情報
    http://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2002020432

  • 第一章 近代と観察者の問題
    第二章 カメラ・オブスキュラとその主体
    第三章 主観的視覚と五感の分離
    第四章 観察者の技法
    第五章 視覚的=幻視的(ヴィジョナリー)抽象化

    ☆1840年代までに生じた視覚の布置の変動がどれほど根底的なものであったか、新たな観察者の登場
    ☆視覚の自律性と至高性の肯定、観察者を規格化し制御していく
    ☆連続性ではなく切断の相のもとにとらえなおす


    ●第一章 近代と観察者の問題
    ・初期の芸術史家=19世紀を軽視してきた(芸術史自体が非常に19世紀的なものであるにもかかわらず)
    ・後の世代=それ以前の方法論を19世紀美術にそのまま応用(図像学→階級的意味内容、民衆的イメージへ)
    …観察者という重要な差異が見失われている

    ●第二章 カメラ・オブスキュラとその主体
    ・カメラ・オブスキュラ=認識者と外部世界の関係および知る主体の位置と外部世界との関係を表彰するさいに頻出するモデル
    …哲学的メタファー
    ×単なる光学上の器械

    ☆機械は技術的存在である前に社会的存在である

    ・フェルメール「天文学者」「地理学者」
    …デカルト的なカメラ・オブスキュラのパラダイム
    =至高の存在である内面性、厳粛なまでの孤独、内部化された主体と外部世界との分離

    ・シャルダン…触覚的視覚の絵画、デカルト的な表(タブロー)の文脈、触覚と視覚が分割不能 (=ディドロ「盲人書簡」)
    ×「眼の無垢」(セザンヌら)

    ●第三章 主観的視覚と五感の分離
    ・転倒の開始…ゲーテの色彩論(経験科学的研究
    ・ショーペンハウアー…生理学理論の徹底)
    ・19世紀前半の生理学…近代的経済システムの生産主義が必要とした個人の形成の基礎
    =経験科学的・数量的、脱中心化
    ・視覚の自律性・指示対称性の不在(視覚=生理学的なもの)
    ・主体=知の対象でありまた同時に統制と正常化=規範化(ノーマライゼーション)の客体
    ・数十年後のドニ

    ●第四章 観察者の技法
    ・残像の特権化=自律的な視覚、時間性の導入
    ・ゲーテ・ヘーゲル=さまざまな力や関係性の戯れと相互行為としての観察行為

    ・ソーマトロープ、フェナキスティスコープ、ゾートロープ…見かけの現象とその外的要因とのあいだの分裂をますます推し進める

    ・フェナキスティスコープ が観察者に要求した物理的ポジション=観客・経験科学的な探求と観察の主題・機械生産の一要素

    ・ジオラマ・万華鏡、ステレオスコープ

    ・ステレオスコープ=並置されてはいるが連結していない断片の無定形な集合体(クールベ、マネ、スーラ)
    …幻像は主観的なものとなり、観察者が装置と組み合わされる

    ・眼と視覚装置との関係
    17、18世紀…隠喩的なもの、理想の眼という権威は疑われない
    19世紀…換喩的なもの、2つの道具となる

    ●第五章 視覚的=幻視的(ヴィジョナリー)抽
    ・知覚の過程それ自体が視覚の最重要の対象となっていく
    ・ターナー…時間性、対象との距離の崩壊
    ・太陽を直視する、網膜上で生じる視覚過程を作品の中心に添える、残像を通じて太陽が体に帰属させられる

    ・カメラ・オブスキュラが前提としていた太陽…人間の眼に対して間接的にしか再現=表彰(リプレゼント)されえないような太陽

  • 観察者とは、明らかに見るものではあるが、予め定められた可能性の集合の枠内で見る者であり、さまざまな約束事や限界のシステムに埋め込まれた存在である。

    ーカメラ・オブスキュラに類似する視覚像(17.18世紀、再現=表層化の形式)ー
    透明性を持つ外部(延長) と、その投射像を観察する精神(思惟)が働く場としての暗室(内部ー内面)。デカルト、ロック。フェルメールの地理学者、天文学者。室内。
    ライプニッツのノマドにおいては、視野の円錐体の頂点としての窓から、世界が投影され、個体に折り込まれたそれぞれに異なる襞がスクリーンとなる。複数の個体がそれぞれの視点から遠近法的に世界を見るノマドに対して、神は平面図法で世界を俯瞰する。

    ーステレオスコープ(19世紀、経験論的=超越論的な主体)ー
    観察者の人間身体の不透明で不安定な生理機能と時間性の中にある知覚。
    このような知覚から、生理学的観察者と、ロマン主義やモダニズムによって自分自身の視覚経験を能動的、自律的に産出する者としての観察者の二種類の観察者のモデルが現れる。
    数量的に観測可能になってゆく、規格化、制御化される観察者と、芸術家たちの主観的な、意味作用を忘却することにより獲得された目の無垢、純粋視覚と呼ばれる視覚経験を持った観察者。
    ゲーテは残像現象に注目したが、これは外部からの刺激なしに感覚が現前することであり、時間のなかで変容してゆく感覚であった。 このような視覚経験の主観性は、ターナーの絵画においても、網膜残像のように、滲み、混濁する太陽の光として見ることができる。
    両眼視差を利用したステレオスコープは、 写真に先立ち、大衆の、イメージの複製という形で対象を所有するという欲望を生み出した。

  • 【目次】

    謝辞

    第一章 近代と観察者の問題
    第二章 カメラ・オブスキュラとその主体
    第三章 主観的視覚と五感の分離
    第四章 観察者の技法
    第五章 視覚的=幻視的(ビジョナリー)抽象化

    原注
    訳註
    訳者あとがき
    新装版あとがき
    索引

    *****

  • 【目次】

    謝辞

    第一章 近代と観察者の問題
    第二章 カメラ・オブスキュラとその主体
    第三章 主観的視覚と五感の分離
    第四章 観察者の技法
    第五章 視覚的=幻視的(ビジョナリー)抽象化

    原注
    訳註
    訳者あとがき
    新装版あとがき
    索引

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  • 【目的】感性の尺度を考える上で、
        人による『視覚の変化』を考えるヒントがあるかな

    【感想】やたらと引用を出したがるのね、しつこくて読みづらくしてる↓
        主観的視覚=観察者の生産性=仮説的拠点
        連続性から生まれる。
        認知科学のクオリアと類似してると思う。
        その主観の連続性から生まれるという意味で、歴史・文化は無視できない。
       

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著者プロフィール

コロンビア大学教授,プリンストン大学建築科客員教授.『知覚の宙吊り』という大著が今年刊行された。

「2005年 『観察者の系譜』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ジョナサン・クレーリーの作品

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