かけがえのない、大したことのない私

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  • インパクト出版会
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  • Amazon.co.jp ・本 (358ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784755401589

感想・レビュー・書評

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  • 美津さんのおかげで、矛盾した私で良いんだと思うことができた。以前は、こうしたいという自分がいて、でもそうできない自分もいて、そんな自己矛盾ダメじゃないかって自分を責めていたし、自分がそうできない限り、そうすべきだなんて主張しちゃいけないだろって思って八方ふさがりな感があった。でも、こうしたいと思う私と、そうじゃないものに縛られてる私を直視することが大事なんだと思えた。その矛盾を生きる私が、ここにいる私なんだ。この自分の立ち位置に納得できたことは、自己欺瞞に陥らないために、そして投げやりにならないために凄く意義のあることだった。生身の自分の存在と、自分の向かっていきたい方向どちらも大事にする。どちらも投げない。

    白か黒どちらか一つ答えろという。逃げないで答えろという。白か黒で答えられる問題なんてどんなもんさ?自分の感情置き去りにして、建前だけをしゃあしゃあと述べてドヤ顔。だから何なんだろう?私は白でも黒でもないし、白にも黒にもなりたくない。白黒はっきりしなさいという人は生身の人間を置き去りにしてると思う。法律だのなんだのって、どこかで線引きしなきゃ成り立たないものもあるけど、それを生身の人間に適用して何になるのか?白だと思うなら白をしろ、黒をするなら黒を主張しろって、人間そんなに単純じゃない。感情論だって罵倒する人間には、感情がないのか?いろんな事、感情を一つの大きな基盤にして決められていくし、いくべきなのに、感情論で物を喋るなっていう人は一体どこの世界の住人なんだろうか。

    かけがえのないたいしたことのない私っていいなあ!自分は絶対正しいから出発するのは誤りの元だけど、自分を否定してばかりは辛い。だから、たいしたことのない私を愛すること。なるほどなあ。

  • めっちゃ良い本だったけど、なんで解説、男が書いてんの?
    しかもその解説がほんとクソ。田中美津じゃなくて知らんおじのことを中心に書いている。
    解説は最悪で読まんでいいです。
    他は最高です。

    田中美津さんの、ご自身の児童性虐待被害の軽視に思うところはある。
    「半分遊びのようなものだった」と回想されているが、そんな児童性虐待があるとは思えない。
    今をときめく千田有紀さんや要友紀子さんがちょっと出てきて、おお! ってなる。

  • 美津さんらしく、ことばが生きて動いている。

    かけがえのない(唯一無二の)、大したことのない(世界の中の小さなカケラでしかない)、「私」という存在まるごとを、いとおしいと思う。

    だれかがどこかで難しい言葉で言っている大切なことを、美津さんが翻訳してくれている。

    からだと心がつながっているこを確認するためにも、大切な一冊。

  • 今も色あせない。いまだに斬新。切り口がシャープ。リブのほうが言葉の威力はフェミニズムに比べてずっと爆発力がある。

  • 田中美津さん。ウーマン・リブをつっぱしって、そして今もリブを生きている人。美津さんの90年代以降のインタビューや、記事。リブを思い返しているというよりも、どうやって、リブを今も生きているのか、彼女にとってリブと何か、について書いています。

    わたしにとって、リブは、正直、過去のもの。大好きだけれども、たくさん刺激を受けたけれども。私は、フェミですっていう方が好き。私のフェミは、美津さんも言っている、人生の不条理、「なんで私の上にこんな石が落ちてきたの?」という現実から出発して、運動や、もしくは運動とは関係のない女の人たちに、日本の「青鞜」、リブの書き物に、海外のフェミニズム文献、フランス語圏のフェミニストたちによって、励まされ、育てられている。
    だから私は、自分を、リブというよりも、フェミニスト、というよりも、フェミ、という方が好き。

    でも、フェミでもリブでも、私は正直どうても良くて、どちらであれ、それを生きることは、私自身の今をまるごと生きる、ということでしかない。弱い自分も、強くありたい自分も、ザ・フェミニストを生きたい自分も、誰かに甘えたい自分も、美津さんの言うみたく、「男に抱かれたい自分」も、「男を抱く」自分も、そのまんま引き受けて生きること。

    リブの人たち、明治・大正の「青鞜」の女の人たち、日本以外のフェミニストの人たちは、実践と思想を通して、色んな声と道筋を通して、この引き受けることで生じる葛藤、困難、つまり、「取り乱し」を見せてくれているんだろうな、と思う。

    それは、全然かっこい姿でもないけど、でも、元気をもらう。

    この不格好さの中には、真面目さもあるのだけど、笑いもたくさんある。だから、わたしにとって、リブに、「青鞜」に、フェミニズムに、出会えたことは、生きることの楽しさを知ること、時間や場所を超えて、この楽しさを他者と共有することでもある。

    この楽しさの秘訣というか、それは、美津さんたちが75年ごろに作った喜劇「ミューズカル・おんなの解放」の方針・主張を見ると、何となく、わかるかもしれない。

    「おんなから、おんなたちへ、誰でもわかる言葉で伝えよう。啓蒙より、共感を通じて。怒りより、笑いのパワーで。未来はあなたの手の中にあると、伝えよう」(p. 339)

    女たちに、あなた自身を生きていい、と発信し続けているリブの声は、必ずしも、女だけに向けられていたものではない。むしろ、この世の中の不平等に、自らが選択したわけではない、しんどい現実に痛む人たちと、一緒に怒り、笑って、今を生きるために、発し続けている声なのかと思う。

  • 人間って不安だと、他者をコントロールしたくなるものなのね。子どもに、そんなことしたらあなたこうなるじゃない、ああなるじゃない、なんて口うるさくいう。そうしていれば問題があるのは子どもであって、自分じゃないと思えるでしょ。過干渉する親は、」いわば自分の不安をそのまま子どもに投映させているわけね。良き妻、良き家族ごっこをすればするほど生じる空虚さを、子どもとの関係で満たそうとしている。

  • マルかバツかの硬い枠でなく、マクロな視点から重箱の隅をつつくような卑近な話から、なんでもありでいて暖かい田中美津さんの生き方に、読後ほっとしました。

    そして「ありのままの自己を生きるのは一定した人格を生きる事とはおよそ反対の事」という言葉にすごく気楽になりました。

  • 随分、文体が落ち着いたなーというのが最初の感想。鍼灸師として「からだ」に向き合う――それは、他者の身体でもあり、<私>の身体でもある点は相変わらず、とも言えるけれど。筆者のモットーは、まさに本書の標題通り。連合赤軍の永田洋子をめぐる回想録など興味深い点も多々あるが、それ以上に強い印象を残すのは、標題のような自己肯定を獲得する道程は、実はかなり困難な、まさに自己への拘泥や格闘の中から生まれたことなんだろうという気がすること。個人的には、拙くもあり、みっともないまでに激しくもある『いのちの女たちへ』の方がやっぱり好きだけれど、取っ付き易くはなっているし、幻の喜劇脚本も掲載されている点も嬉しい。ただ、個人的には、どーしても比較したくなるので、★3.5くらいかな。

  • 以下のページで感想書いてます。
    http://blog.livedoor.jp/subekaraku/archives/50212650.html

  • 新刊が出た!

    違和感のない論調。
    そしてわかりやすいコトバ。
    誰にでもわかりやすいコトバというのは、あんがい使えない。
    わかりやすいコトバを使うことが、まずキモチを表現する第一歩だと、わたしはおもっている。
    そこもクリア。

    何より自分をたいせつにしていることがとっても尊敬できる。

    トンガってもいないし、大きくみせようってこともない。
    そうしたくなるのも、重々承知、にんげんだからってこともきちんと考えているので、すごくすき。

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著者プロフィール

1943年生まれ。原因不明の仮死状態で生まれ、いわば生来虚弱。それでもなんとか鍼灸師になる。以来34年間、治療院「れらはるせ」にて一心に治療に励む。「冷え」と「自分を大事に思えない気持ち」こそ、人が病に陥る2大原因と知ってからは治療の傍ら、新宿・朝日カルチャー等でイメージトレーニングを教える。弱いからだを抱え、でも自分の可能性を信じて生きようとしている人たちを、少しでも支えられたら……という思いで、この本を書いた。主な著書 「ぼーっとしようよ養生法」「いのちのイメージトレーニング」「かけがえのない、大したことのない私」「いのちの女たちへ一一とり乱しウーマンリブ論」など。

「2017年 『自分で治す冷え症』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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