多元化する「能力」と日本社会 ―ハイパー・メリトクラシー化のなかで 日本の〈現代〉13

著者 :
  • エヌティティ出版
3.74
  • (13)
  • (21)
  • (26)
  • (0)
  • (1)
本棚登録 : 301
感想 : 23
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784757141049

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 「勉強ができるだけじゃだめなんだ、コミュニケーション能力、自主性といったものが大切だ」といった風潮と、それに矛盾する「やはりまだ学歴社会である」といった風潮、どちらも現代の日本に存在すると思う。なぜそのようになるのかとても納得する形で示してくれた。とても面白かった。

  • 今日のメリトクラシーの特徴を分析した書。一昔前のメリトクラシーが人々に要求していたのは学歴や学力、標準生などであった。しかし、一方今日のメリトクラシーが人々に要求するのはそれに加え、ユニークさや創造性、個性、コミニュケーション力とかなり多岐にわたる(ハイパーメリトクラシー)。このような状態が続くことによって人々は圧迫される。結果、子どもを完璧に育てなくてはならない重圧による少子化、若者の将来に対する不安を生み出すことにつながっていると指摘。
     着眼点は非常に面白いし、データも豊富。しかし、データと結論の一貫性に若干違いがあったり、また、現代の問題をすべてハイパーメリトクラシーを主軸に片付けようとしている点に無理がある気がした(これらはあとがきで本人も認めているようである)。
     あというなら教育社会学の書であるので学歴系の話題を期待したが、あまりそれに触れられてなかったので個人的にへこんだ。

  • 本の構成はわかりやすい。賛否両論あろうが問題提起としてはきちんとなされている感がある。論旨とはずれるが、人間関係に自信がない人ほど大学進学を選ぶとか、アルバイトやパートなどの非正規労働と自信などの相関関係の分析の試みとかが面白かった。

  • 勉強だけでない対人能力やいわゆる文科省や企業が提唱する能力をハイパー・メリトクラシーとしてそれが要求されている児童生徒の現状を分析したものである。その圧力釜への対抗として著者は「専門性」を提唱している。この「専門性」が実際にどこまで保持できるかは不明であるが、ある解決策としては有効である。
     教育についての基本的な視点を持つための本として薦められる。

  •  

  • 2415円購入2010-12-16

  • 2005年刊。著者は東京大学大学院情報学環助教授。現代日本において必要な能力を、ポスト近代的なハイパーメリトクラシーと定義づけ、その内実と実態、変容要因、特に学生期での関係性の実情、享受されるべき教育内容や提供主体(家庭の重要性と限界、現行学校教育の不適合)を解説。実感に適切な用語と内実を付与した点は高く評価したい。ただ、著者も混迷を自認するように、その影響(特に女性のライフスタイルと少子化)と処方箋は?。また、自前の調査データが少なく、0年代後半、10年代のデータ補完が欲しいところ。
    友達作りとその関係性維持に汲々としている長女を見ていれば、本書にある学生期における対人関係の実情は十分納得できる。ただ、男性労働者の所得減が男女とも結婚に踏み出せないというテーゼもあることから、男性の所得減を変数に加味した分析結果を知りたいところではある。

  • 『多元化する「能力」と日本社会――ハイパー・メリトクラシー化のなかで』(NTT出版 2005年) 

    著者:本田由紀(教育社会学) 
    シリーズ:『日本の〈現代〉』全18巻 

    【内容紹介】  
    現在、日本においてメリトクラシー(業績主義)は過剰なまでの社会的要請を受けている。次々と現れる「落とし穴」を回避するには学力だけでなく、新しい能力が必要だが、能力とは何なのか? 第6回大佛次郎論壇賞奨励賞受賞。
    http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100001626

    【目次】 
    まえがき  

    序章 現代社会で求められる「能力」 
    一 今、私たちはどのような社会に生き始めているのか 003
    二 近代社会の編成原理としてのメリトクラシー 007
    三 ポスト近代社会の諸特質とメリトクラシーのゆらぎ 014
    四 ハイパー・メリトクラシーとは何か 020
    五 本書の構成 034

    第一章 ハイパー・メリトクラシーの大合唱――「人材」像をめぐる九〇年代日本の言説構造
    一 ハイパー・メリトクラシー言説への注目 039
    二 経済界の掲げる「人材」像 041
    三 「生きる力」から「人間力」へ――教育政策の基本理念 054
    四 一般メディアにおける家庭教育指南ブーム 063
    五 言説を相対化する必要性 072

    第二章 「がんばる子ども」の作り方――「能力」としての「努力」
    一 「努力」の変質? 075
    二 「努力の社会学」 078
    三 小中学生の「努力」の実態 086
    四 「努力」の変質が意味するもの 105

    第三章 高校生の「対人能力」――「メリトクラシーの弛緩」の帰結
    一 「メリトクラシー」の凝縮としての日本の高校教育 111
    二 高校生における「メリトクラシーの弛緩」――二つの二時点間比較研究から 115
    三 日本の高校生の特徴――国際比較の観点から 122
    四 現代高校生の「対人能力」 130
    五 「メリトクラシー弛緩」後の高校生に浮かび上がるもの 147

    第四章 生きるためのスキル――「社会的地位」を左右するもの
    一 「社会的地位」の拡散 153
    二 「ライフスキル」への着目 158
    三 ライフスキルの分布と相互の関係 164
    四 「ライフスキル」を左右する要因 170
    五 「ライフスキル」が若者の「社会的地位」に及ぼす影響 177
    六 青少年の「ライフスキル」の向上と「社会的地位」の獲得のために何が必要か 186

    第五章 女性たちの選択――自分が戦うか、子どもに戦わせるか
    一 ハイパー・メリトクラシーが増大させる母親の教育責任 207
    二 子どもをもつか否か 214
    三 子どもをもった上で働くか、働かないか 224
    四 女性を「パーフェクト・マザー」圧力から解放する道はあるのか 238

    第六章 ハイパー・メリトクラシーに抗うために
    一 ハイパー・メリトクラシーという「圧力釜」243
    二 ハイパー・メリトクラシーへの対処の選択肢 249
    三 「専門性」への期待 260

    あとがき 273
    参考文献 277
    索引 286

  • 第四章 生きるためのスキル

    社会的包摂・排除、の度合いも多元化しつつある
    大人とは何か? どうやったらなれるのか?

    ライフスキル
     努力する能力(小中学校)、対人能力(高校)について前章で見てきたが、学校出たあとのライフスキルはどうか
     家事スキル テクニカルスキル メンタルスキル

    →ライフスキルなどのポスト近代化能力と社会的地位との連関がありそう


    第六章 ハイパー・メリトクラシーに抗うために

    だめ連とか
     社会全体に広がるものか?
     実はその集団自体がポスト近代型能力なものを求めてないか?

     やっぱりそれはサステイナブルさに欠けないか?
     やっぱり何か目指すものがあったほうが生きやすくないか?

    専門性への期待
     スキルを身につけること
     ・ポスト近代型能力がなくても、何かのスキルがあればある程度許容されるシェルターになる
     ・専門性はカリキュラムによって取得がしやすい
      ・また、専門性を持つことによって仲間ができたり、不安が軽減されたりして、ポスト近代型能力が形成されやすくなる 

全23件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

本田 由紀(ほんだ・ゆき):東京大学大学院教育学研究科教授。専攻は教育社会学。著書に『教育の職業的意義』『もじれる社会』(ちくま新書)、『教育は何を評価してきたのか』(岩波新書)、『社会を結びなおす』(岩波ブックレット)、『軋む社会』(河出文庫)、『多元化する「能力」と日本社会 』(NTT出版)、『「家庭教育」の隘路』(勁草書房)、『若者と仕事』(東京大学出版会)、『学校の「空気」』(岩波書店)などがある。

「2021年 『「日本」ってどんな国?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

本田由紀の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×