芸術の陰謀―消費社会と現代アート

制作 : 塚原 史 
  • NTT出版
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レビュー : 14
  • Amazon.co.jp ・本 (209ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784757142770

感想・レビュー・書評

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  • 芸術は「無価値・無意味」となったとするジャン・ボードリヤールの過激な小論文と、それに対するインタービュー集を収録。

    あらゆるポルノの氾濫の中でポルノへの欲望の幻想が失われてしまったのと同様に、現代アートもあらゆるものごとを美的な凡庸さに上昇させるトランス・エステティック(「美」と美的判断を超えた状態)となってしまった故に、芸術が持っていた美に対する幻想への欲望を失ってしまった。モノ自体が有用性から切り離されたガジェットであっても消費社会では一般に流通し、また、テクノロジーの進歩で誰もが疑似的に容易くモノを製作できるキッチュが横行する中では、凡庸で日常な製品を素材とし、主題としての美ではなく客体としてのモノをコード化して表現・主張する現代アートは、もはや意味を持たないモノ=オブジェそのものであり、芸術は美と醜という観念を超えたハイパーリアルな世界となってしまっている。
    そして、そうした現代アートは凡庸で日常的なものを組み合わせて、それが芸術だと言い張るが、実は誰もが作成可能なオリジナルのないコピーというシュミラークルの世界に過ぎない。ここでは製作者のみならず観客も、このような「無価値・無意味」なモノが本当に「無価値・無意味」であるはずがないという逆説的な意味と捉え、芸術の「無価値・無意味」化に共犯として加担しているが、美術界全体がこのようなモノに驚愕すべき価格をつけることでさらに「無価値・無意味」であるはずがないという二重の陰謀となっているとしている。

    こうした論考の中でもアンディ・ウォーホルについては、現代アートの表現の主観性の喪失という事態に、むしろイメージの中心部に虚無を再導入したとし、ボードリヤールの絶え間なき興味の対象として別格扱いしているのは興味深い。
    確かに解説にもある通り、きょうびパソコンやデジカメとちょっとした技術があれば誰でもプチ・ウォーホルになれる世の中だ。誰もが主張し、そのものの意味を持たないオブジェに過ぎなくなったモノが世界へ拡散されていく社会において、「芸術」とされるモノ=オブジェに対するボードリヤールの視点はあくまでもアイロニカルに溢れ、辛辣に核心をつく言説となっている。しかし、凡庸なる人々(自分も含めて)が持っていたに違いない漠然とした不安感をこのように世の中にさらけ出さずして、芸術への審美観念の再生が行われるはずがない。(再生するとすればだが。)ボードリヤールの亡き今、もはや次なるステップへの導きがないということは誠に残念な話だ。
    ボードリヤールの文章は詩的で比喩に飛んでいるため、なかなか真意が掴みにくいが、その華麗なる筆致には今回も魅惑させられた。解説が読者の理解によく意を払っているのも良かった。

  • 今読み始めたばかりですが、最初からボードリヤール節炸裂って感じです。
    挑発に対して私達はどういった態度をとるのでしょうか。

著者プロフィール

【著者】ジャン・ボードリヤール :  1929年生まれ。元パリ大学教授(社会学)。マルクスの経済理論の批判的乗り越えを企て、ソシュールの記号論、フロイトの精神分析、モースの文化人類学などを大胆に導入、現代消費社会を読み解く独自の視点を提示して世界的注目を浴びた。その後オリジナルとコピーの対立を逆転させるシミュレーションと現実のデータ化・メディア化によるハイパーリアルの時代の社会文化論を大胆に提案、9・11以降は他者性の側から根源的な社会批判を展開した。写真家としても著名。2007年没。著書に『物の体系』『記号の経済学批判』『シミュラークルとシミュレーション』(以上、法政大学出版局)、『象徴交換と死』(ちくま学芸文庫)、『透きとおった悪』『湾岸戦争は起こらなかった』『不可能な交換』(以上、紀伊國屋書店)、『パワー・インフェルノ』『暴力とグローバリゼーション』『芸術の陰謀』(以上、NTT出版)、ほか多数。

「2015年 『消費社会の神話と構造 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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