- Amazon.co.jp ・本 (391ページ)
- / ISBN・EAN: 9784757160569
作品紹介・あらすじ
18世紀の天才リンネから始まった生物分類学は、20世紀になって「魚は存在しない」との結論に至った。なぜ?! そこには科学と直感の間に抗争があった! おもしろくて発見に満ちた一冊。
感想・レビュー・書評
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理学関係の本を初めから終わりまで読むケースは珍しいのですが、本書は本当に面白かった。
科学的には「種」なんて存在しない、という、いわば「裸の王様」のような事実を突きつけられた分類学者たちがリンネ以来追い求めて来たロマン「自然の体系」は、実は太古から生き物を分類し続けて来た人間の感覚世界にあったと言う事を明らかにして行く、いわば推理小説の技法を入れたエッセイ。
分類学者を、完膚なきまでに叩きのめし、その一方で、「自然分類」の文化としての重要性を説く。蟻データベース時代の分類学者との葛藤を思い出しました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
思い返せば分類が好きでした。分類したい。
人間は分類が好き。
最近昔覚えた分類が揺らいでいます。
そのものはそのものなのに、科学の進歩で人間が考えた分類が変わってきたので、分類をまた覚えなければなりません。
そのものはそのものです。
DNAも解明され、新しい分類を覚えなければならない、とちょっと悲しかった最近。
でも人間は分類が好き。分類自体勝手にしてるものなんだから、好きなように分類すればいいじゃん、と勝手に開き直るすがすがしい読後感。 -
第2回アワヒニビブリオバトル「名前」で紹介された本です。
チャンプ本
2015.07.08 -
分類学に関わる論争の歴史を、物語調で詳しく書いている本。生物を命名するということは、直観なのか科学なのか。決着が付かなさそうな論点をここまで掘り下げている本は初めてみた。筆者はどちらかというと直感寄りの方かもしれない。
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高校の時にドーキンスの「利己的な遺伝子」を、あるいはおおよそ10年前にパーカーの「眼の誕生」を読んだ時のような、燃え上がるような興奮はなかったのだけど、この本には静かに切々とじわじわと来る何かがあったなー。
「環世界センス」を軸に分類学の歴史を語るその切り口は納得感高かった。
分類学に関しては自分もいろいろ思うことはあるけど、ともあれいい本だと思う。 -
分類学の歴史や雑学なんかを知れて面白いけど、筆者の考えは、分岐分類寄りの現代科学に反していることに注意してほしい。
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分類するかされるか今か未来か、敷衍さる知が凝縮してた
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コンピュータが採用したフォルダとファイルの階層構造を取り上げるまでもなく、人間は日常的に種類での分類にもとづいて行動している。本屋に生鮮食品は置いてないし、推理小説は雑誌コーナーにはないし、京極夏彦の本は勝間和代の本の近くにはない。そして、その能力は人間に限られたものではない。犬は飼い主をエサを間違えることはないし、野良猫はスズメとハトの違いがわかるし、カラスはマックの紙袋とその他の紙袋を見分けることが出来る。
日常生活では生きとし生けるもの全てがこの見分ける能力によって生きているといっても過言ではないが、また誰しも分類に悩んだことはあるはずだ。会社で作ったプレゼン資料をわかりやすい場所に置くとしたら、どこの共有フォルダだろうか。レンタルビデオ屋であの作品は、ホラーの棚かサスペンスの棚のどちらから探すべきだろうか。ジョギング用のTシャツは下着類と一緒にしまうか、スポーツ系をまとめるか。日常生活に深くかかわる出来事ではあるが、曖昧さに悩むことはあっても、大抵はなんとなく見切りをつけて次の行動に移る。だが、科学の世界ではそれは許されない。
進化以前の分類は、静止した世界での出来事だった。博物学者はただ目で見て回れる範囲の動植物の違いに詳しければよかった。だが、世界の距離が縮まり、万物が一箇所に集まると途端に難易度は上がる。北極の飛べない鳥と、オーストラリアの飛べない鳥は同種といえるのだろうか。そうして多くの分類学者が頭を悩ませていたところに、果たしてダーウィンが世界の時間を動かしにかかる。進化分類学者は、世界中の動植物を調べる時、時間という新たな軸上の動物にも目を向けなくてはならなくなった。
だが、まだ暫くは直感に頼る分類が行われる。恐竜は鶏よりもワニに似ているし、イルカは豚よりも鮭に似ている。この仕事の多くは形状の類似度を数値に置き換える数量分類学者によってなされたが、どの形状がどの程度重要なのか、その重み付けが人によって変わるという意味で科学とは言い難かった。
そんな齟齬は、見た目の形状ではなく、遺伝される形状を軸に考える分岐学者によって解決される。サケと肺魚とウシは原始の魚という共通祖先を持つが、陸上を歩く魚を祖先に持つのは肺魚とウシのみだ。そうした考えは分子生物学者のDNA研究によって裏付けられ、かくして『魚』という科学分類は失われることとなった。
正しい科学的な分類においては、マッシュルームは野菜コーナーではなく豚肉・牛肉の隣に並べなければならないが、例え教育によりその事実が知れ渡ったとしても、恐らくそうされることはないだろう。”科学的に正しい”ということは、時には日常的な感覚と相反するということは、分類学以外においても忘れてはならない。 -
原題:Naming Nature: The Clash Between Instinct and Science
著者:Carol Kaesuk Yoon
訳者:三中 信宏 1958-
訳者:野中 香方子
出版社:NTT出版
NDLC:RA141
NDC:461 理論生物学.生命論
“18世紀の天才リンネから始まった生物分類学は、20世紀になって「魚は存在しない」との結論に至った。なぜ?! そこには科学と直感との間の抗争があった。生物分類学の歴史を平易に語り、人間にとって「分類」とはなにかを考察する。”
http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100002272
【簡易目次】
第1章:「存在しない魚」という奇妙な事例 003
自然の秩序 027
第2章:若き預言者 029
第3章:フジツボの奇跡 062
第4章:底の底には何が見えるか 093
直感の輝き 133
第5章:バベルの塔での驚き 135
第6章:赤ちゃんと脳に損傷を負った人々の環世界 169
第7章:ウォグの遺産 197
科学の重圧 219
第8章:数値による分類 221
第9章:よりよい分類は分子から来たる 250
第10章:魚類への挽歌 279
直感の復権 315
第11章:奇妙な場所 317
第12章:科学の向こう側にあるもの 337
原註 356
謝辞 374
訳者あとがき「環世界センス - 生物分類は科学なのか身体なのか」[三中信宏] [377-382]
索引 [391-383]