- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784757219700
感想・レビュー・書評
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災害
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☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆
http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB06864808 -
震災直後の本。震災時の心構えを解説。今では完全に忘れてた。時折読み返すの大事だな
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【配置場所】特集コーナー【請求記号】369.3||H
【資料ID】91112466 -
一人ひとりの思考訓練を重ねるしか、命を守る方法はないと考える。
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■逃げる
A.災害対策も、「能動的安全性」「受動的安全性」の両面からアプローチする必要がある。
災害が起こらないためにと起こった時のために。
B.人間は、些細な変化や刺激を見ないようする。
あえて外界に対して鈍感になることで、心の平静を保とうとする。
じわじわと進行する危険に対しては反応が鈍くなる。
C.大きな災害に遭遇した大衆がパニックを起こして、社会的混乱を引き起こすなど、ほとんどありえないというのが専門家の常識である。
D.被害者ではなく、サバイバーであるべし。 -
『人はなぜ逃げおくれるのか』の著者による、今回もまたインパクトの強いタイトル。
3.11の震災に関する本ですが、内容はもっぱら原発問題が中心となっています。
地震や津波は天災ですが、今回の原発はそれとは違うものでありながら、底知れぬ恐怖と被害を生み出す結果となってしまっています。
災害発生時に政府や東電が迅速な対策を取れていなかったことが被害拡大につながったこと、パニックを恐れて事実公表を控えたことなどといった対応のまずさはすでに広く知られることとなっています
が、政府のドタバタを批判しているメディア側も、震災時には同じ映像と政府からの伝達事項を流し続けることしかできず、それが視聴者のPTSD増幅につながったという能力不足を指摘しています。
欧米メディアと違って、日本のメディアにはその道のプロとなる専門家がいないというのが問題点であり、知識と見識をもって自力で真実を確認し、広く公表するというジャーナリズムが生きていないと
いう実情は、今後の日本の危機においても波紋を呼びそうです。
どこまでも「想定外」のことを失くしていくのが危機管理であり、今回の事故ではそれがなしえなかったことが更なる被害の増加につながりました。
さらに著者は、日本人が危険や危機に対して極めて鈍感だという特徴も挙げています。
さらに、和の協調精神で、周りと助け合ってしまうことも、平たく言えば被害者を増やすことになりかねないとのこと。
いずれにせよ、危機を事前に想定し、対策を練っておくことの必然性が説かれています。
また、ほとんどの場合、惨事に巻き込まれた人々は、異常行動としてのパニックを起こすことはなく、事実の隠蔽の方がよっぽど悲劇を生むということも。
これほどの大被害を生んでおきながらも、まだ原発推進意見も根強く残っています。
それは、日本経済の停滞を危ぶんでのことで、実は原子力事故が発生した時の経済的損失の方がが、原子力発電を続けることで得られる経済的メリットよりもはるかに小さいのだそうです。
ただ、その方針は完全に国民の生命を軽視したもの。
「命より経済が大事だという理屈が国家の原理・原則としてまかり通ったら、人は生きる気力を失い、道義的に大敗する。」という著者の意見には大いに賛成します。
命あっての経済なのに、なにかはき違えている気がしますが、超大国と呼ばれる国の指導者は、国民の安全よりも経済的合理性という視点でものごとをとらえがちなのだそうです。
「原子力安全委員会」のほかに経済産業省の外局、資源エネルギー庁の「原子力安全・保安院」という二つの意見役があるのはなんとなく知っていましたが、その違いはよくわからないままでした。
事故後に発言権が強くなってきている原子力安全・保安院は、原発推進の旗振り役で、中立の立場にはない機関だとのことで、そこを了解したうえで見解を聞かないといけないのだと知りました。
いざという時の頼れるリーダー不在というのも今の日本の欠落点ですね。決断を下すタイミングがずるずると延びて、災害が広がっていくことだけは、もう避けたいものです。 -
3.11に何が起きたのか。なぜ事態が悪化したのか。1966年に原子力発電所をスタートしてから今日に至るまでの日本政府の態度。「想定外」というのは言い訳でしかない。災害心理学に学ぶ危機との闘い方。本気で逃げる必要に迫られたとき、「まさかここまで事態がひどくなるとは思わなかった」なんて言ってられない。自分の身は、自分で守れ。……という随分わかりやすくまとまった一冊。一年経とうとしている時に読むには丁度良い。