恋愛遺伝子XX 完全版 (百合姫コミックス)

  • 一迅社
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  • Amazon.co.jp ・マンガ
  • / ISBN・EAN: 9784758023146

感想・レビュー・書評

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  • 女性という名の人類の、未だ見果てぬ未知満ちた可能性――。

    時は西暦2160年! 肉体的な性別としての「男性」が人類から絶滅して三十余年後の近未来のことです。
    片翼を失った人類は、消えた男性の役割を残された女性の半数が担うように再構築しました。
    すなわち外で働く男役「ADAM」と家を守る女役「EVE」という前近代的な役割分担がそれです。

    ところで「男性がいない女性のみの世界が現出したら」という「IF(もしも)」はSFジャンルで目にする機会もそれなりにはある舞台設定ですが、本作ではその思考実験に真摯であり茶化しはありません。

    作品世界の描写範囲こそ国の次代を背負って立つトップエリートたちを育成する箱庭じみた学園での生活に終始するものの……。一般庶民の生活水準は悪くないとしても、統制社会であることに変わりはないことがトップ層に立つレギュラーキャラたちの言葉の端々から理解させてくれます。

    結果、「性」に限っても思考に蓋がされたようで息苦しい社会が生まれていることが伝わってきます。
    また付随して華族制度じみた社会階層がかなり強固に再形成されているため、貴族たちが繰り広げるハイソなサロン文化が学園内で存在してもおかしくない。むしろ存在することが必然に思えてくるのですね。

    少女漫画によくありそうなハイソサエティなお金持ち学校に思想的バックボーンを加えたことで、一見すると現代日本に見えて実質は異世界に変わると考えれば……、本当に良く練られた世界観だと思います。
    ロココなドレスも、エポーレットの付いた礼服もこの異世界ならなんら違和感はありませんもの。

    貴族子弟を育成するのなら伝統的な教育を施すのも当然で、近未来技術を描かなくても済むという事情もあるのかもしれません。ま、本題でない部分にSF考証加えてたら紙幅がいくらあっても足りませんし。
    もっともこれは私見です。近未来という時代設定が現代との断絶を演出する上で上手いとも思いました。

    学園の外については読者の想像に委ねてくださっていると考えれば、世界観に奥行きも増します。
    私の場合は、光線銃を撃っているかもしれない外の世界の戦場を空想したりもしますが、それはそれ。

    あと細かいところですが、人前で乳房をはだけてもあまり恥じらいが先立たずに自然体で少年めいて佇む主人公たちという構図にも注目すべきでしょうか。男役同士の社会では、完全な意味での異性の目が消えて、あと男性同士のホモソーシャルな文化が多少持ち込まれているという事情を察することもできます。

    けれど女性としての美しい曲線や意識が消えるわけではないのも忘れてはいけないポイントでしょうか。
    普段男装している抑圧からの解放というギャップが芸術点に加算している側面もあるのかもしれません。
    その一方で浴場での居振る舞いに男性に近い一瞬が見つけられたりもしたので、性別を定義するものはなにかという心地よい悩みはこんなところからも生まれるのかもしれませんね。

    ……、余談はそこそこにして、いい加減紹介を進めますね。ここからはネタバレ込みです、ご注意を。
    前述した作品の前提となる無茶な役割分担などは男性が消えて種の危機を迎えた人類を立て直すために相当無理をしたことの表れと考えれば納得はできます。混乱した社会を負って立つ特権階級も生まれる。

    けれども三十年以上の時が経ちましたなら。世代交代の時節となればそろそろ歪みは歪みとして認識し、体制に立ち向かっていく反骨の士の登場を願える頃合いでしょうか?
    というわけで、「エトワール」と呼ばれる国を主導する特権階級を打破せんと志す、どことなくバンカラじみたまっすぐな主人公「古城アオイ」が学園の門をくぐったところから物語ははじまります。

    と、どちらかと言えばピカレスクを連想させる冒頭ですが、母の無念を糧にしてアオイが磨いた理想は、それが恋心と知らないままに出逢った同輩「九重サクラ」との親交を前に路線変更を余儀なくされます。
    そしてアオイは大時代的で大仰な華舞台にいざ飛び込む中で戸惑いながらもさっそく頭角を表します。同時に、自身が愛を叫ぶことを知らなかった乙女だということを自覚していくことになるのでした――。

    同時に、なんで女性しかいない世界なのに、異性愛が存在する体になっているのか?
    役割上の性別が一致しただけでことさらに同性愛扱いされて禁忌扱いにならなければならないのか?
    連動して、理にはかなっているけど納得できない当たり前の疑問が浮上していくのも必然でしょうか。

    とまれ、アオイとサクラ、等しく男役を担うふたりは同じ療で友誼を育んでいきます。
    その中で悪役令嬢もかくやとばかりに登場する、サクラの許嫁「鈴蘭エリカ(敬称略)」を軸に加えながら物語は進行していくことになります。ここからエリカは水面下で動きながら話を主導します。

    続き、主人公ぺアが貴族青年らしく正面切っての高潔なやり取りの果てに親世代の因縁を次のステージに進めたかと思いきや、エリカは貴族同士の迂遠で婉曲なやり方をもって両者の恋愛を潰しにかかります。
    ただし、彼女の手管自体は別に陰湿なものではありません。下を導くものとしての態度を一貫します。

    そのため、この辺からエリカが単なる当て馬として添わされた恋愛成就のブースターでないということが見えてくるかもしれません。事実、幼少期の彼女は読者の第一印象を大きく裏切る意外な子でした。
    それとよくよく見てみれば、彼女のデザインから本質は別にあると看破できる方も多いかもしれません。

    高慢さとはそっくりそのまま上に立つ者としての矜持に転じる部分もあるわけです。男役、女役問わずに贅を尽くした過度な装飾をそしる意見も理解できても威儀なくして誇りは保てない面もある。
    継承される矜持、自負を支えると考えれば世襲制も負の側面だけではないと理解できるかもしれません。

    まぁ、読者各々の抱える政治信条とは関係ない自明の理を挙げることで話を進めようと思います。
    親の代、祖の代から綿々と受け継がれていく遺風とは良いものだけではなく、悪しきものも含むことは当然です。劇中では、先に上げた恋愛についての疑問などはその最たるものでしょう。

    正直、話の流れを途中から完全にエリカに持って行かれたかなという感想が漏れるようでした。
    しかし、物語はアオイとサクラのふたりによる怒涛にして納得のクライマックスへと向かっていきます。ここまでの展開で受け継ぐ誇りを示し、現状の社会で輝きを目指すエリカの勇姿を引き継ぐかのように。

    さしずめ前半の決闘の儀式をなぞるかのような再度の決戦は旧弊を打破し、新風を巻き起こす流れを象徴するかのようでした。紆余曲折を経て結ばれたアオイとサクラは「雌雄を決する決闘」に挑むのです。

    時に自論を少々展開させていただきますが、ご容赦を。現実に即すと性別というのはオンとオフ、男と女でスイッチを切り替えるように各人の中で定義できるようなものではないのですよね。
    喩えるなら音量のボリュームを徐々に上げたり絞ったりと、変幻自在であって然るべき。

    肉体的な意味では消え去って女性の中で理想化された「男」という文化を大事にするのも結構です。
    古きを守ることで生まれるものは、確かにあるのでしょう。
    しかし、男か女かという二元論の窮屈な枠組みに自由な女性が――自由な魂が押し込められるのは実にもったいない。そう思うのが、私個人としての偽らざる本音の感想なのです。

    おそらくはこの世界における次世代は男としての側面も女としての側面も兼ね揃えた、新たな「女性」へと昇華していくのだと勝手に想像していたりします。もちろん、これは私個人の勝手な解釈ですが。
    その一方で、主人公の先を歩んでいた男性役を担う指導者は女性的な風貌をたたえていたりしますが。

    いずれにせよ本作は「男性がいない女性のみの世界」という仮定に向き合い、いささか想像が難しいけれど、希望に満ちた未来の兆しをもって締めくくられます。もしかしたら本作は、読者にも劇中の人類にとっても想像が難しかったため作られた時代の過渡期を描いた作品だった可能性もありますね。

    と。最後に、これは最初に申し上げるべきだったのでしょうが、この作品はまごうことなき名作です。
    タッグを組む「影木栄貴」先生と「蔵王大志」先生が長くBLジャンルで培ってきた異文化を女性同士という正反対のようで似通っているとも言えない「百合」に持ち込むことで生まれる新鮮さが素晴らしい。

    あと繰り返しますように「IF(もしも)」を取り扱ったSFとしての完成度もかなり高いのですね。
    これが男性のみの社会だったら……というセルフパロディ短編が収録されていたりするのも、反論からの世界観の補強としていい味を出しています。もっともこれはいささか考え過ぎな解釈かもしれませんが。

    作品全体の雰囲気について付け足すとするなら社会と個人がいかに向き合うか、責任と自由意志の間でどう折り合いをつけるか、そこに真正面から対峙してくれた意味合いも大きいでしょうか。
    さらに読者個人としての実感を語るなら各種短編や誌掲載時のカラーイラストなどのプラスαも含めた二冊分の合本だったのにもかかわらず、一気に読み切ることができました。そこもセールス文句でしょうか。

    つまりは性別を「枷」でなく、自らに課す誓いと変えて己を律し決意する気高さに変えようとする。 
    その試みは女性が、同じ人間と、恋すること、愛することを讃え、謳い上げることに他ならない。
    愛の叫びは、きっと繊細な女性の心理と野放図で声高な男性の文化を合わせることで生まれたと信じる。

    以上、私なりの愚考をちりばめたレビューはここまでです。読者各人によって思うところは異なってきて当然なのでしょうが、それだけ何かを引き出すための奥行きと力を秘めた作品だと信じる次第です。
    心赴くまま走り出した先に待つのが、男女の型であろうとなかろうと、彼女たちはきっと美しい。

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