- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784758413732
作品紹介・あらすじ
直木賞受賞後第一作
渾身の書き下ろし長篇。
小さな幸せが暮らしの糧になる。
当代一の人気作家・曲亭(滝沢)馬琴の息子に嫁いだお路。
作家の深い業にふり回されながらも己の道を切り開いていく。
横暴な舅(しゅうと)、病持ち・癇癪(かんしゃく)持ちの夫と姑(しゅうとめ)……
修羅の家で見つけたお路の幸せとは?
「似たような日々の中に、小さな楽しみを見つける、それが大事です。
今日は煮物がよくできたとか、今年は柿の木がたんと実をつけたとか……。
そうそう、お幸(さち)が今日、初めて笑ったのですよ」(本文より)
感想・レビュー・書評
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小早川涼さんの包丁人侍シリーズでお馴染みの曲亭馬琴。そちらで描かれる馬琴はケチで食い意地が張っていて、物書き以外のことは一切やらないのに人には上から目線であれこれ指図する。鮎川惣助も毎度ウンザリする面倒な人物だ。
本作で描かれる馬琴はそれに輪をかけて面倒な人間だった。何事も細かい…というかわざと煩雑にしているのか?と思うほど。身内のためなら賂だろうがおべっかだろうが何でもやるが家族含め他者の気持ちは全く思いやらない。
気に入らないこと思い通りにならないことがあれば癇癪を起こす。
更に言うと面倒なのは馬琴だけではない。その妻・お百もだ。家事の切り盛りはまるで出来ないのに雇った女中にはあれこれ文句を言う。
そして意外だったのが息子・宗伯。包丁人侍シリーズでも体は丈夫ではないようだったが少なくとも医師としての腕は確かで真面目で律儀な性質に描かれていた。
しかし本作では表向きはともかく、実際は馬琴以上に癇癪を起こしやすいし病弱で医師としての務めもままならない有り様だ。
こんな馬琴一家に嫁ぐことになったお路の半生を描いた物語は、お路の闘いの物語でもあった。
宗伯の癇癪、馬琴の鬱陶しいほどの細かさ、お百の押し付け。家族に振り回され、居着かず始終入れ替わる女中たちへの仕込みや家事の切り盛り。次男になるはずだった赤子が流れ、悲しみが癒えない中で勝手に決められた長女の養子話。
耐えきれず家を出たこともある。寝込んだこともある。
しかしお路は決して投げ出さなかった。宗伯とやり合い、お百や馬琴ともやり合った。結局折れるのはお路だが、腹に溜め込まずに言いたいことをぶつけた。
その結果、『病人の世話をするために、この家に嫁いだようなもの』と母に同情されるほど病に倒れる家族を看取った。
早世した宗伯に長男の太郎、お百に馬琴。
癇癪や偉そうな物言いはコンプレックスの裏返しでもあった。小心者であることを隠すための鎧でもあった。
お路の闘いの結末はこんな面倒な家族たちの面倒さを認めることだった。そして自分の面倒さやコンプレックスを認めることでもあった。
終盤は「八犬伝」の口述筆記という最後の闘い。失明した馬琴がお路に託した筆記作業だが、失明しても馬琴の細かさと面倒さと癇癪は変わらない。相変わらず衝突しながらの作業でお路の方が参ってしまう。
読みながら私なら女中たち同様、早々に退散しているなと思いお路の強さ頑張りに感心した。時代背景や子どもたちのためとは言え、三十路で夫を亡くしたタイミングで馬琴邸を去っても良かったはず。だが彼女が去らなかったのは子どもたちのためだけでなく、この堪らなく面倒な馬琴と馬琴の紡ぐ物語に引き寄せられるところもあったのだろうか。
「八犬伝」は虚構の物語だが、その時代背景や舞台設定にはリアルを求めた。そのために馬琴は執筆以上の時間を費やし歴史などの研究をした。馬琴が挿絵の細かな部分にも口出ししたのは時代や風俗考証のためだった。
怒濤のような闘いの日々が去り、晩年のお路が幸せで良かった。結果『帳尻が合う』人生だったということか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
◆小さな幸せ 暮らしの糧に
[評]細谷正充(文芸評論家)
曲亭の家 西條奈加著 :東京新聞 TOKYO Web
https://www.tokyo-np.co.jp/article/112900?rct=shohyo
圧力や逆境に立ち向かう 西條奈加「曲亭の家」など末國善己さん注目の歴史・時代小説3冊|好書好日
https://book.asahi.com/article/14340462
西條奈加さんが下町の小さな書店で得た「幸せな出会い」 | ほんのひきだし
https://hon-hikidashi.jp/enjoy/128862/
曲亭の家|書籍情報|株式会社 角川春樹事務所 - Kadokawa Haruki Corporation
http://www.kadokawaharuki.co.jp/book/detail/detail.php?no=2957 -
最初の章『酔芙蓉』は、『南総里見八犬伝』で有名な曲亭馬琴の息子で医者の宗伯(そうはく)の妻になったお路が、嫁いで間もなく離縁を言い出て滝沢家を出る所から始まる。そのまま離婚を経たお路の再出発物語かと思いきや、一日で変化を遂げる酔芙蓉の花のように婚家へ戻る。期待を裏切られた気分だが、馬琴の舅ぶりに興味もあった。馬琴と云えば、あまり評判が良くない物書きで、時代小説に悪し様に描かれて登場するのが多々。かなりの御人ではあるが憎めない戯作者だった。
夫の宗伯は父親・馬琴を尊敬しすぎてコンプレックスの塊になり、何かスイッチが入ると暴力的になる。お路は、のぼせやすい馬琴の妻や、子供らと滝沢家を切り盛りする扇の要となっていく。宗伯は医者にもかかわらず病弱で早世、また長男にも先立たれる。その後、視力を失った馬琴に執筆の手伝いを請われ「里見八犬伝」の完結に尽力し、馬琴を見送る。やがて、出版元に頼まれ、曲亭金童の筆名で「仮名読八犬伝」を手掛けた生涯。
何てたくましい女性なのだろう、天性の女性の鑑じゃないか。といっても共感までは持てない。今まで読んで来た西條奈加さんの著書と比べて辛口になった。
『女同士はまず会話を通して親睦を深める。愚にもつかない無駄話を長々と繰り広げるのは、本音や論点をうまく避けるため。必要だけの会話は門が立つ。女はそれを本能で察し、笑いや愚痴や噂に紛らして互いの距離を縮める。対して男は総じて口下手だけに、この芸当は到底真似できない。そもそも礼儀というものが、話術の乏しさを補うために。男社会で進化した様式ではなかろうか。礼儀にうるさい馬琴を眺めていて、お路はそう思い立った』
上記の文章を読みながら、述べられた女性の芸当を持てなかった私は歯噛みしたいほどの、羨ましさを感じずにはおられなかった。私って、どちらかと云えば男の感性に近いのかな、お路が揶揄する男どもに似ていると苦笑い。 -
西條奈加さん直木賞受賞後第一作。
『心淋し川』も良かったし、
こちらも本当にとても良かった。
時代小説というものにあまり縁がなかったけど
西條奈加さんを続けて読んで、
心の中は変わっていないんだなぁと。
登場人物の気持ちがすごくよくわかります。
そして文章が綺麗。
なんでそう思うかと考えたら、
カタカナがほとんど無いんですね。
「カナカナカナ(蜩の伴奏)」「四ツ谷」
自分もちょっと心がけてみようかなって。
でも内容は凄まじい。
今ならDVで離婚
あるいは「姻族関係終了届」でしょう。
結局、続けるのが最良の時代であったわけで。
しかし逆に言えば「一生懸命勉強して大学院を出ながらも、就職難で派遣社員になり、その後派遣切りで無職」の人たちから見たら、曲亭馬琴の代筆という仕事を与えられるのは凄く羨ましいことかも。
〈不幸が多ければ、幸いはより輝き
大過がなくば、己の幸運すら気づかずに過ぎる〉
自分、今とくに抱えている問題はないけど、
何かあっても逃げずに頑張っていこうと思いました。 -
舅の馬琴を始め、とんでもなく傲慢・我儘・癇癪持ちで、とんでもなく面倒な家に嫁ついだお路の半生。なんでこんな家に嫁いでしまったのだろうと思う環境の中、大変な苦労をしながらも、人に馴染み、与えられた役割を見いだし、小さな楽しみや幸せをみつけ、たくましく生きたお路に、勇気をもらった。
苦労が多いからと言って、不幸せとは限らない。
幸せはそもそも小さいもので、似たような日々の中に小さな楽しみを見つける。
人の幸不幸はおしなべて帳尻が合うようにできている。
私もこれから先、苦労や悲しみが襲ってくると思う。その時に、この作品を思いだし、少しでもお路みたいに歯をくいしばって生きれたらなと思う。自信はないけれど・・・(笑)
でも、幸せを見過ごさないで生きていきたいなと思わせてくれる作品でした。 -
「人の幸不幸はおしなべて帳尻が合うようにできている。」の言葉が胸にくる。日々の暮らしの中笑顔を見せて生きて行くように努めたいと思う。
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南総里見八犬伝の作者として有名な江戸の戯作者(読本作家、というらしいが)曲亭馬琴、滝沢馬琴の息子に嫁いだ女性、「路」の目を通して、馬琴の生き様や家族の在り方を描いている。
八犬伝も名前だけしか知らず滝沢馬琴もどのような人物だったか知らずに手を取ったけれど、なんとも暗い内容で、やや気が滅入る。
馬琴がまた、偏屈で、些細なことに固執し、プライドが高く、そのプライドが発露する方向性がどうにもねじ曲がっていて、まあはっきり言って扱いにくい老人としか言いようがない。
路が嫁いだ息子も、病弱な質もあってか癇癪を起すプライドの高さがあり、姑もこれまた・・・という人で、江戸の女の労苦みたいなのが煎じられたような内容になっている。
西條さんの作品らしく、前向きな風が吹く場面もあるのだけれど、全体的に暗い。
ただ、往時の版元や読本のあり方、八犬伝の最後がどのようにして生み出されたのか、ということは興味深い内容だった。 -
お路さん、スゴすぎます。