苫米地英人コレクション3 「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

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  • 開拓社
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本棚登録 : 75
レビュー : 10
  • Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784758970532

作品紹介・あらすじ

異能の脳機能学者にしてオピニオンリーダー苫米地英人の名著復刻シリーズ第2弾! 復刻にあたって書下ろしの「特別付録」を収録。苫米地英人ファン必携の永久保存版。第2回刊行(3巻、4巻)は、認知科学者ならではの斬新な発想から、読者の生き方を変える2冊。現代人を「常識」や「ニセ情報」のウソから解放し、真の能力を発揮する道を示す!

感想・レビュー・書評

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  • ゴールを明確に思い描けばそこに寄与しない感情(この本ではゴミ)を線引きして捨てられるぞ、って本。
    持病がら、脳内の思考がとっ散らかりやすいのでKindle Unlimitedにあったこの本を手に取ってみたが思ってたのとはちょっと違った。
    この本でいう捨てるべき感情は怒り、恐怖、普通(他者のモノサシ)という基準から生まれる不安、ひいては喜び楽しみもらしい。
    途中のミニワークで「あなたが最近幸せを感じることはなんですか?」と問われ、「少し早く家に帰ってご飯食べながら攻殻機動隊観ることかな〜〜」と考えてたら直後に「あなたの脳はゴリラ/サル並です」と盛大に煽られることになる。
    真の人間たるもの、自分以外を幸福にすることで幸せを感じるものらしい。まあ、そういう幸せも、なくは、ないけど…
    あとゴールの設定は理想的な状況でなく、現状の外におくのがコツだそう。ここらへんはOKRと少し似てるかも。アプローチは違うけど。
    会社辞めたい人向け?に書かれてるからかやたらと会社の外を例に出されたけど今の会社を楽しめてる人であれば別に社内での目標にしても良いと思われ。
    恐怖するくらいなら動け、そして考えるなってのはこれまで読んだ本にも書かれてるけど全くその通り…悩まずに動く。
    ひらめきのためにはいろんなモノコトに対して"能動的に"興味を持ち知識を蓄えることが大事、そうすればゲシュタルトが拡張するそう。
    とりあえず「ゴールに必要な感情以外許可しない」を意識してみようかな〜それこそ人間じゃないみたい。

  • 専門用語多め

  • 筆者の優秀な頭の構造のまま書き物に認めているので、読み手のギャップが、大きいのだと思う。途中如何にも読み手を慮るような表現があるが多くの読み手は煙に巻かれたような印象でその実、実用書として必要な読み手の共感が得難い一冊となっているように思う。本書には幾つかヒントとなるようなフレーズがあるが全般の印象が上述の通りであるので説得力を得るのは難しいと思う。残念な一冊である。

  • 多角的な視点から悩みへのアプローチを考察できます。
    一般的なビジネス書でのなんとなく難しくそれっぽくて暑苦しい何々をしろ、何々をするな、といった表現ではなく、倫理的に根拠を紹介しながら問題の解決=頭のゴミをなくしていく方法がわかり、好感が持てます。
    個人的には幸せとは、を議題に推察していく章が興味深く、まだゴリラの幸せです。という表現が好きでした。
    これからどうしていこうか、考えた時に自分の思考をすっきりとさせるのに役立つ本。他の著作も順次読んでいきたいです。

  • 頭の中のゴミを徹底的に捨てる。ゴミと気付いたらその瞬間に捨てる。そうすれば人生が爆速で進んでいく。

    本当の集中とはリラックスした集中であり、静かなる集中。

    人間にとって「感情にひたる」ことほど無駄なことはない。なぜなら感情とは、環境の変化によって生じる生体反応に過ぎないから。

    例えば、小学校低学年までの子どもは、さっきまで笑っていたかと思うと突然泣き出し、お菓子を与えられるとすぐに機嫌を直す。環境の変化によって感情も変化しているのである。ここからも明らかなように、感情とは「暑いから汗をかく」というような生体反応に過ぎないのである。

    多くの人はプレゼンを絶対に成功させたいという目前の目標があるにもかかわらず、生体反応に過ぎないはずの感情に振り回されてしまう。

    抽象度を上げることで感情の支配から抜け出すことができる。前頭前野の働きによって扁桃体に介入する。

    様々に湧く感情の中でらゴールに無意味な感情は捨て、ゴールに意味のある感情だけを味わうことにする。

    最初のうちは「ゴールに無意味な感情は許可しない」と自分に宣言する。前頭前野の情報処理で介入する。

    私たちは生きていく以上、様々な理不尽を引き受けていかねばならない。それが生きていくということである。様々な理不尽を引き受け、この世界の理を踏まえて生きていく心構えのことを「責任」という。

    全ての病気は自己表現である。

    心の傷に左右されるかどうかは「自分中心をやめられるかどうか」「自分の側にも理由があると考えられるかどうか」によって変わる。

    やりたいことをやるから集中力も生産性も能力も上がる。
    やりたいことをやるからマイナスの感情に振り回されることがなくなる。
    やりたいことをやるからその結果として「楽しさ」「嬉しさ」「幸せ」などのプラスの感情が湧く。

    私たちは無意識に「これは重要だ」「これは重要でない」という判断をくだしている。

    「重要だ」という判断基準さえも、私たちは外部の他者からインプットされている。

    初対面の人と話していて相手の年齢が気になり「おいくつですか?」と聞いてしまうようなら、その人の頭の中には他人を計る重要なモノサシとして「年齢」が刷り込まれていると考えられる。

    しかし、その人も生まれた瞬間から「年齢が大事」などと考えていたわけではない。にもかかわらず「年齢」というモノサシが頭にあるのは他者からの刷り込みによるものである。

    他人のモノサシというゴミを捨てる。

    我々の抱く価値観はそのほとんどが刷り込み。例えば「起業することが偉いこと」「他人が頑張ってるから自分も頑張らないといけない」という考えも刷り込み。

    刷り込みを行う人たちも他人やメディアから刷り込まれた価値観で生きている。その刷り込みをした人たちもまた他者から刷り込まれている。だから、「もっとお金がほしい」「異性にモテたい」「自分の会社を持ちたい」「ハワイはいい」といったみんな似たり寄ったりの答えになる。他人からの刷り込みで、他人と同じものを求めて、他人と同じ人生を生きようとしてる。そして誰もそのことに気づいていない。

    他人がうらやむ会社に勤めて、そこそこのお金があり、欲しい物をあれこれ買っても満たされない理由。それは、手に入れてきたものが本当に求めてきたものではないから。

    メディアや他人を見て「欲しいなぁ」「あんな風になりたいなぁ」とそれを求めるということは、自分が自分であることをやめて他人の思い通りに生きるということ。

    もし本当に頭のモヤモヤを消してクリアな頭で生きていきたいのなら、他者からの刷り込みによって操られたままでいいのか、自分は人生でいったい何を求めているのか再考する必要がある。

    本音に蓋をするな。

    まず大事なのは自分に嘘をつかないこと。世間の通念や他人の目を気にしないこと。自分の本音の願望を頭の中で膨らませること。

    本音は究極のwant to~ であり、自分が心から望んでいること。

    私たちの頭がスッキリしていないのは私たちが「他人でいっぱい」だから。私たちの頭がいつもモヤモヤしてるのは「他人のモノサシで自分を計りながら生きている」から。

    現代人は他人によって「これが重要」「これがかっこいい」と思い込まされている。そして他人の目を気にして本音にフタをしている。ゴールを設定せずにやりたくないことをやっている。

    頭のゴミの正体は他者からの刷り込み。子どもの頃から親や周囲や世間から刷り込まれ堆積してきた価値観やルール。頭の中はガラクタでいっぱいで、まさにゴミ箱状態。

    頭の中のモヤモヤを消したかったら、集中力や思考力を高めたかったら他人から与えられたモノサシを捨てること。頭に詰め込まれた「他人」が自分本来のエネルギーと能力をブロックしている。

    他人のモノサシに頼らないこと。自分の価値観で生きること。そして自分が本当にほしいもの、自分が本当に理想とする姿を知ること。そのゴールに向かって自分が本当にやりたいことをやって生きること。それ以外に頭のゴミを根こそぎ掃除する方法はない。

    自分なりのモノサシで自分の価値を計ればよい。自分のモノサシで自分の仕事ぶりを評価し、自分のモノサシでワークライフバランスを計り、自分のモノサシで自分の働き方・生き方を決めていけばよい。

    世間は何事も数値化して比較するのが大好き。平均年収だとか、会社別の年収ランキングだとか、結婚適齢期だとか、すべては社会のゴミのようなモノサシ。そのゴミのモノサシを気にする必要はない。

    競争原理というモノサシでは勝っても負けても頭の中は永遠にモヤモヤだらけ。

    「常識のモノサシ」もゴミ。世間で訳知り顔で幅を利かせている「常識のモノサシ」に振り回される必要はない。

    自分が他人にどう見られているかというのも頭のモヤモヤを作り出すもと。周囲の目を気にして自分がやりたいことが出来ない。反対に周囲の目を気にして周囲のウケがいいように他人が望んでいることをする。いずれにしてもモヤモヤが溜まる一方で自分本来の能力や魅力を発揮することは出来ない。

    「自分は他人の目にこんなふうに映っているのだ」というイメージは自分自身が作り出している。他人の目に映っている自分というのは自分が作り出した虚像。「他人の目から見た自分」そのままを自分で見ることは出来ないのだから、当然それは自分が勝手に作り出している虚像となる。

    自分が作り出した虚像なのだから、作らなければ周囲の目は気にならなくなる。そうすれば周囲の目を意識して萎縮したり、不安になったりすることはなくなる。

    正しい認識を持てば過去は私たちになんの影響も与えない。

    私たちはRASのフィルターをかけられた世界を生きている。それが肉体を持って生きることでもある。

    脳は昨日までの自分が重要だと判断していたものを今日も重要だと判断する。

    「自分を変える」とは「これまでの自分を丸ごと捨てる」ことを意味する。

    「自分」は書き換え可能な「情報状態」

    アビダルマ仏教哲学では時間は未来から過去に向かって流れる。自分の未来は最高であると確信して生きている人は過去の自分も今の自分も最高の自分になる。

    過去は未来に影響しない。

    頭の中のモヤモヤは言語でできている。他者だけでなく、自分自身も自分に対して日々刷り込みを行い、モヤモヤを量産している。

    ポジティブな自己対話によってポジティブな自分、ポジティブな人生、ポジティブな世界を作り出すことが出来る。ポジティブな自己対話が習慣になってる人間の人生はポジティブな方向に向かってスパイラルアップしてゆく。

    失敗体験は二度と思い出すな。

    私たちは日々、自己対話によって自己イメージをさらに強固なものにしている。

    失敗体験の反芻は頭のゴミ。

    ブリーフシステム(各人の前頭前野に構築された信念体系)に正解も間違いもない。それは本人が勝手に作り上げているものに過ぎない。

    ブリーフシステムは情報状態であり、自分の好きなようにいかようにでも書き換えることが出来る。

    実際には一度しか起こっていないマイナスの出来事でも、その出来事についてマイナスの自己対話を繰り返すと脳の中では何度もその出来事を体験したのと同じことになり「自分はダメな人間だ」というブリーフが強固になる。逆もまた然り。

    他人との会話によって膨大な自己対話が誘発される。他人の自分に対する意見がネガティブであれば、膨大な量のネガティブな自己対話が生じる。それによる自己イメージへのインパクトは強烈なものになる。

    「自分は○○な人間だ」という信念は「言語」と「イメージ」と「情動記憶」の3つの要素で出来ている。

    発言者の意図がどうであれ他人の意見の全てに共通することがある。それは「あなたに何かを言う相手は昨日までのあなたの過去に基づいて話をしている」ということ。

    他者からの刷り込みは「本当はこうしたい」「本当はこうなりたい」という本心の願望とは無関係の言葉であり価値観。「本当はこうなりたい」という自分の願望にとっては無意味な刷り込みであるから一言で言えば「ゴミ」。そのゴミに基づいて他人は自分に意見を言っている。

    ということは、「モヤモヤしてきたこれまでの自分をリセットしたい」と思っている自分にとって、どんな他人の意見もそれはモヤモヤのもと。ゴミ。なぜなら他人は自分がリセットしようとしている過去だけを見て話をしているから。

    本当にやりたいことをやって生きていくには誰に何を言われてもブレない自己評価とエフィカシーが必要。そのためには誰のどんな声を聞き、誰のどんな声には耳を塞ぐかという選別をしていかなくてはならない。

    「その人の潜在能力を最大限に発揮していく過程が成長である」と考えるのであれば「やりたくないことをやって成長できる」なんて大ウソ。

    「人間は我慢によって成長する」というセリフを吐く人がいたら、その人自身がやりたくないことをやって人生の大半を浪費してきたから。自分の我慢だらけのモノサシを他人にも強制してるだけ。

    「やりたくないことをやめる」思考実験をすると自分の仕事、自分の生活の中に「嫌々やっていたけど本当はやらなくてよかったこと」が沢山あることに気づく。

    ゴールを設定すれば自分のゴールに必要でないものは全て捨てるべきゴミとなる。

    「美味しいものを食べて満腹になる」や「体を動かして気持ちがいい」というのは脳でいうと大脳辺縁系の扁桃体の情報処理。

    自分がなにもせずに勝手に他人が幸せになるということはない。

    「やりたいことがわからない」という人は「自分が何をすれば他人が喜ぶだろう?」という視点を持つとよい。なぜなら人間は網の目の1点に過ぎず、「他人が幸福になってこそ自分も幸福」という世界の中で生きているから。

    新しいコンフォートゾーンのイメージに臨場感を持てばゴール実現に必要な全てがwant toになり、努力なしにゴールへと近づいていくことが出来る。

    夢への挑戦を周囲から猛反対されているという人は新しいコンフォートゾーンのイメージに対して臨場感が高まっていない。もし十分に臨場感が高まっていれば周囲の人たちはその臨場感に同調し、新しいコンフォートゾーンに向かってホメオスタシスが働いて応援してくれるようになる。その意味で周囲の人たちの反応は臨場感が十分に高まっているかを計る一つの指標となる。

    新しいコンフォートゾーンのイメージに対して臨場感が高まればドリームサポーターは確実に増えていく。

    「食うために働く」必要は一切ない。現代の日本において食べ物がなくて餓死することはない。

    どこからでも本気で頭を使い、本気で行動してゴールに向かい出発すればよい。

    最高の未来から振り返れば「失敗」というものはありえない。最高の未来のために様々な出来事が必要だったということに過ぎない。

    「食えなくなる」と言うな。「食えなくなる」というから扁桃体に刻まれた飢餓への恐怖が引っ張り出される。人類の起源が600万年前だとすると、農耕が始まる1万年前まで人間は飢餓の脅威に晒されていた。その時の記憶が人類の扁桃体に刻み込まれている可能性がある。しかし現代の日本において食料がなく餓死することはない(それは憲法で保証されている)のであるからその感情をわざわざ引っ張り出してくる必要はない。

    事業というものは本来的に絶えずインカムが上下するもの。「食えなくなる」ではなく「一時的に収入が減る可能性がある」だけ。

    現代では恐怖の感情そのものが必要ない。恐怖によってクリアな頭を乱されている人は「俺は何があってもビビらない」と自己イメージを高め、「すべての感情を娯楽にする」「ゴール達成に意味のある感情だけを自分に許可する」というルールを自分に課す。

    天才はAからDへ行く。答えがある問題というのは分かる時には一瞬でわかる。1秒で答えを出そうが、10時間考えようが、100時間考えようが答えは同じ。

    人間は考える時に言語という直線的に順次展開する道具を使い、考える中身もA→B→Cと順番に直線的に展開しがち。

    頭のゴミが多い人は部分の迷路に迷い込む。

    本当に頭のいい人間は必要に応じて論理的な構築力を使い、また必要に応じて論理を超えることが出来る。論理と不即不離の関係を保ち、論理に囚われるということがない。

    例えばそれは、論理性に欠ける話を聞いてもちゃんと自分の頭で論理的に整理し、論理的にフィードバックする。あるいは論理的に話していたかと思うと突然、論理を飛び越えてズバッと核心を突く一言を投げかける。

    部分を追いながら常に全体が見えている。部分にフォーカスするのも全体を俯瞰するのも自由自在に出来る。それが本当に頭のいい人であり、それが出来るのはゲシュタルトが出来ているから。

    頭のいい人は部分だけで全体がわかる。

    ゲシュタルトを拡張するには抽象度を上げて知識を増やすことが必要。

    「IQが高い」という人は皆抽象度が高く、知識があり、大きなゲシュタルトを持っている。

    ゲシュタルトが大きければちょっとした情報のインプットに対し多様なアウトプットが出来る。大きなゲシュタルトが出来ていればどんなジャンルのどんな情報が入ってきてもゲシュタルトの中の様々な情報と響きあい、相手が思ってもみない角度から面白い意見を言うことができる。

    真(考える心)を上げることは大きなゲシュタルトを構築すること。

    知識がゲシュタルトの一部となるのはその知識を興味を持って取り込んだときだけ。興味を持って取り込みゲシュタルトの一部となった知識は取り出したい時に自在に取り出すことが出来る。

    誰かのために行動すること。それが頭のゴミを捨て、幸せな人生を生きるために欠かせない一歩。

    他人のために行動する喜びを知ったら、次はより多くの人々のために行動する。より多くの人々のためになるゴールを掲げ、その仕事に本気で人生を捧げる。

    私たち一人一人が誰かのために行動する喜びを知り、そしてより多くの人のために行動しようと立ち上がるなら世界は必ず変わる。

    「頭のゴミ」=「ゴールとは関係ない感情や思考、思い込み」を捨てること。

    ファイナンスのゴールと仕事のゴールを分ける。

  • ゴールを設定し、それを達成した自分として振舞うことでよりゴールに近づける。
    この帰納法のような考え方には衝撃を受け、かつ、理想の自分を映画の主人公のように演じてみたら面白いかも、と言うわくわく感が生まれた。

    忙しさに紛れて、自分自身のことを振り返ることができていなかった私にとって、現在を省みるきっかけになりました。

    なんとなく過ごしている現在の自分に飽きてきた方にオススメ

  • 頭のゴミ。

  • あまり、自己啓発者は最近よんでいなかったのですが、会社の福利厚生ポイントを使い切るため、Amazonでおすすめになっているので買ってみたが、意外と為になります。説明が論理的で、頭はいい人なのでしょう。

  • 長々、ダラダラという内容で実質10ページぐらいの価値しかない。

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著者プロフィール

(とまべち・ひでと)1959年、東京生まれ。認知科学者(機能脳科学、計算言語学、認知心理学、分析哲学)。計算機科学者(計算機科学、離散数理、人工知能)。カーネギーメロン大学博士(Ph.D.)、同CyLab兼任フェロー、株式会社ドクター苫米地ワークス代表、コグニティブリサーチラボ株式会社CEO。

「2020年 『仮想通貨の真相』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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