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Amazon.co.jp ・本 (367ページ) / ISBN・EAN: 9784759251333
作品紹介・あらすじ
「食べるために動物を殺すことを可哀相と思ったり、屠畜に従事する人を残酷と感じる文化は、日本だけなの?」
屠畜という営みへの情熱を胸に、アメリカ、インド海外数カ国を回り、屠畜現場をスケッチ!! 国内では東京の芝浦屠場と沖縄をルポ。「動物が肉になるまで」の工程を緻密なイラストで描く。
感想・レビュー・書評
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2月に内澤旬子さんの「着せる女」がとても面白かったので、彼女の出世作?を紐解いた。面白かったのは彼女の文体だったので、今回も「読むこと」自体をノンフィクション形式でレビューして行きたい。
確かに、我々はいつも肉を食べているのに、テレビでは動物をつぶす場面は出てくることはない。それは、日本の昔の差別意識が関係しているかもしれないけど、外国ではどうなんだろうか?その辺り、確かめてみたいというのが彼女の発想だ。私も知りたい。高野秀行の知り合いだけあって、内澤旬子さん、私と割とベクトルが似ている。
紐解いてビックリ。360頁あるのに小さい文字で2段組。ビッシリだ。完走できるだろうか?というか、なんか、長々と書きそうな予感しかない。ブクログの皆さん、ついてきてくれるだろうか。急に不安になる。
第1章は韓国である。嬉しい。知ってる地名や料理名がどんどん出てくる。
韓国にも昔日本の被差別階層のような「白丁(ペクチョン)」がいたらしいが、現代でそれが意識されることは誰に聞いても「ない」という。可楽(カラク)洞市場の屠畜場は、ガラス張りの視察場が設けられている。内澤さんは平気だったけど、案内者はうんざりした反応を見せたのが意外だった。彼らは日本人と違って食肉文化を浴びてきているはずじゃないか。肉部位の単語は日本語よりも豊富なのに、それでも、屠殺されて解体される現場は見たくないのか。馬場(マジャン)洞市場で働く高学歴のヤンくんの話によれば「商売人自体が結婚相手にされない」らしい(エピローグで、このヤンくんの認識が意外な展開をもたらすのが面白い)。だから、特別肉食関係に差別はないという。韓国では仏教国教化で肉食は一旦途絶えるけど、モンゴル侵攻で復活した。ひとつ日本との大きな違いは、朝鮮戦争で、山の手も貧困地域も全て戦争で壊れたのだという。もし地域差別が昔はあったとしても、それを選り好みしながら再構築する余裕なんて、全くなかったということは合点がいった。貧富の差の方は、金持ちが「上」に引越すことで見える化しただろうけど(私の推理)。韓国人の心の奥底までしつこく食い下がって聞く内澤さんに、感心しきり。
第2章はバリ島である。
人口の9割がヒンドゥー教徒。カースト制度が有名。肉を捌く人が定められたカーストがあるのか?豚肉はOK。牛はシヴァ神の乗り物で神聖。よって、深夜の豚の丸焼きの解体作業を着いた初日に観に行く。
ポトンバビ(豚の解体)は写真資料があるためか、内澤さんのイラストはわかりやすい。一晩かけて2人がかり、頚動脈を切って血を抜いてココナツの殻で体毛を剃って内臓をずるずると出してスパイスを詰め込んで口から棒をいれて肛門まで通貫して魚油をかけつつゆっくり2時間回して‥‥。職人技かなと聞くと「ガンパーン、ガンパーン(簡単)」と笑う。ポトンは「殺す」ではない「切る」という意味、地元の人は「人を殺すのは悪いことだから「殺す」ですけど、動物は人間が食べるためや神様にあげるためです。良いことです。」と主張。きちんと納得できる。
そもそも、この「屠畜紀行」、akikobbさんに「読みます!」と言ったときに、私は何度も「屠殺紀行」と間違えた。内澤さんは意味持って「屠畜」と名付けたのに、私は恥ずかしい。
豚一頭はおよそ35万ルピア(約5千円)で買い付け、バビグリン(豚丸焼き)にして40万ルピアで売る。一頭100人前だから、一食4000ルピア。職人の日給は2万5000ルピア。月収約1万円。観光ガイドの月収が2万円、割りの良い仕事とは言えない。でも職人は好きだから、これをやっているという。バリはそこら辺に成ってある果物を食べれば生きていける。「バリは豊かです」という住人の認識だそうだ。幸せって、なんだろう。
第3章はエジプト、第4章はイスラム教圏全体について、である。
イスラム教では豚肉はNGだけど、四本足の動物は、犠牲祭をしているところが多くて、家族に羊やその他の動物の解体を見せたりしているところが多い。子供は最初は泣くけど、次第に慣れる、らしい。
日本でも鶏は家で締めていた時期があった。昔全国何処にもあった鶏を飼っている家では、少なくとも近くの何らかの店で締めて持って帰ったようだ。私などの世代が、その最後の代かもしれない。朝にいつも卵をもらっていた鶏が、祭近づく夕方に、タライの中で小さな卵、臓物、赤い肉の塊になっているのを見た時に、私は三兄弟で唯一泣き叫び、1週間親と口もきかなかった。特に、大人たちがみんな泣き叫ぶ私を見て笑っていたのが許せなかった(今なら気持ちはわかる)。エジプト・カイロで1番上のお兄ちゃんは、真っ赤になった羊をベタベタ触っていた。このあとご馳走が来るからである。幼児は泣き叫び、4歳は逃げ出した。彼らはそうやって、犠牲祭の意味(自分の全てを神に捧げる用意があることを示す)を知る。動物は牛でもラクダでもヤギでも良い。
次に西洋に行く。第5章はチェコ。ソーセージの国である。肉屋さんへの差別は無さそう。豚のおちんちんがお臍の位置にあるとは知らなかった。というか、イラストで見てもまだ信じられらない。血は詰め物につかうほかは、押し麦、スパイス、肉の茹で汁を混ぜて、黒いスープにする。
第6章はモンゴル。実は社会主義国になる前は仏教国だった。殺生戒との矛盾は、「活命」「菩薩行」として、「自分の命が他者の命によって生かされている」という教えで乗り越える。よって無駄に命を無くす(虫とか蚊とか)ことは忌避される。
第7章は「韓国の犬肉」。勿論、食べたことあります。夏場の精力増進で、所々に店がある。そのためにわざわざ公州の専門店に1人で入った。ポシンタン。犬鍋である。当時で3千円。(本来複数人で食べるものだから)高かったけど、経験だと思った。ちょっと硬い牛肉という感じだった。
⸺⸺でも、犬を屠畜するのは見たことない(当たり前)。初めて知ること多かった。現在、韓国は「一切」が黙認状態。法律化されていないから、犬肉の缶詰など加工もできない(そういえばそう)。
21世紀初め、韓国では動物愛護団体の反対運動が盛んだったらしい。
で、「屠畜」ですが‥‥。①檻から出して、電気で絶命②お湯につけて毛を抜けやすくする。③遠心分離機のようなもので脱毛④ガスバーナーで残った毛を焼き切る⑤計量して値をつけてから捌く。この時点で、鶏の丸焼きのような形をしている。内臓を取り出すのはこのあとではあるが、市場で売られるのは、内臓込みの重さだからこうなるのだそうだ。
8章でやっと日本の解体現場を紹介する。日本編が1番長い。当たり前。日本人が日本人に取材するのが、やはり1番奥の方まで聞き出せるからだからかな。
東京・芝浦屠場。勿論東京は肉の大消費地帯。ここで、2004年現在、1日におよそ350頭の牛と、1400頭の豚が捌かれている。何と都の直営。屠畜に従事する人は235人。全員都の公務員だという。
今までの中で1番オートメーションが進んでいた。電棒で豚を追い込む。ゴンドラに乗せて移動、炭酸ガスで仮死状態。殺さない。効きすぎさない。なんとなれば硬くなって味が不味くなるからだ、そう。日本人はなんと繊細なのか。ここで、人が吊るした豚の喉の血管をスパッと切って、放血。血を利用するという描写がない。これは日本人文化の特徴なのかな。そのあとはずんずんと解体なのだけど、1番最初に舌をちょんぎるのは、日本文化なのかな。バリではなかった。
解体途中にいろんなところを「検査」する。一頭一頭疫病検査してるなんて、なんて日本人は細かいのか!内澤さんなんて、今までの外国取材で病気にならなかったのは奇跡なのか?と呟いていた。
職人さんの話では、ナイフが研磨できて一人前、1日に1-2回研磨するそうだが、ベテランになると3日持つという。「切れる」か「切れない」かは、人によってかなり違うらしい。奥深い世界である。小説にできるかな。江戸時代の剣の達人が現代にタイムスリップして‥‥。
差別意識は一切感じないらしい。
とはいえ、都営になる前の70年代までは、いろいろ差別はあったようだ。屠畜業者は、解体作業を手伝わされていたのに只働きだったり、SNS上では今でもかなりの酷い言葉が流れてくるそう。
第9章は沖縄!韓国の次によく行った地域。勿論、東南アジア文化圏。豚や羊は日常食である、とは思っていたが、それは戦後らしい。それまでは祭祀の食だった。特別だからこそ、自分たちで屠(ほふ)り、村人全員で神の前で分け合いながら食べるから、伝統食になっている。沖縄では復帰まで、日本の屠畜法に準拠した法があったが、何故か羊だけは個人での屠畜が許されていたらしい(今は違う)。
龍宮通りの「さかえ」、私も行きました!なんかの本に紹介してあったんだよね。ひとりで行って、山羊汁を頼んだ。臭みはないけど、クセがあった。縮こまっていると、おかみさんが「これ、食べてみ」「サービスだよ」とニコニコと出してきた(肉が余ったか?)。なんかの肉刺身?うん、食べれる。でも、あんまり味がない。「これ、何だと思う」「‥‥」「羊のキンタマだよー」「えっ!」正直、引いた。でも、全部平らげたので、嫌われたとは思ってない。20年ほど前のことである。この本にも出てくる。「玉ちゃん」と料理名がついてる。流石に内澤旬子さんはきちんと美味しがってる。
沖縄豚料理の特徴は、湯むきして毛をとった豚の皮があることだ。豚の皮は鞣(なめ)すものではなく、食べるものなのだ。沖縄に2か所ある屠畜場は大量に処理されていた。
沖縄では、昔、犬も猫も食べた。何処の家も豚も羊も飼っていたから普通に潰していた。現在法律上それができない。祭祀に必要な過程を見ることができない、現代の青年、子供の未来はどうなるのだろう。名護博物館には、沖縄県屠畜文化の展示がされているらしい。行ってみたい。
10章、11章は臓器と皮の処理の話。此処から、都営ではなく、業者に卸す。東京の中小業者が頑張ってる。今はどうなってるんだろ。皮業者のいるところは、被差別部落の歴史があった。2004年現在、差別は未だ続いていた。
12章は差別について考える章。まとめ切らないので省略。13章14章は牛の解体・内臓処理。省略。
15章は、牛や羊を神聖視するヒンドゥー教徒の本場インドで、イスラム教の犠牲祭はどう行われたのかをルポ。なかなか緊張する環境で、家の主人が祈りの言葉を捧げて羊の喉を切る。後は屠畜業者に任せて家の人たちは着飾るという寸法である。地域違えば、段取り変わるのも、宗教あるあるである。
インドで屠畜業者たちには差別がある。彼らが移住してくるのは反対なのだそうだ。
「冗談じゃないよ。だって動物殺してる奴らだろ?」
古今東西、差別の文句は同じなのだろうか。制度としてのカースト制はなくなりつつあるのかもしれない。でも「不浄観」は簡単には無くならない。
16章最後はアメリカ。
アメリカでも、屠畜は工場化されて、消費者から見えなくなる。結果、クリムキーさんのところのように、待ちの牛の見えるところで解体すると「可哀想」ということで反対の言葉が飛び交う。内澤さんは、そういうところで牛が大騒ぎする事はないという。クリムキーさんは、日本の衛生管理を聞くと「日本人はフグは食べるじゃないか」と怒る。まぁそうだ。
アメリカに職業差別はないが、インテリでリベラルは「家畜を残酷に殺すのは可哀想」が共通認識。彼らはオーガニックビーフを食べているから、BSE汚染は無いと思ってる。果たしてそうか?そうかもしれないけど、貧者には食べれない。
結局、4900字のレビューになってしまった。読みながら、数十年前から十数年前の、肉に関するあんな事こんな事を次々と思い出した。あの時の鶏の赤い色、羊のキンタマの白い色、犬肉の赤黒い色が、鮮やかに蘇った。案外と人生の中で、貴重な体験をしていたんだな、ちゃんと貴重だと自覚していたんだな、と思った。
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世界の屠畜、食肉を作る過程と差別について。
ただし屠畜の面白さに気をとられて差別はわりとなおざり。
語ってはいても他者目線の他人事。
実際他人事だから自分のことのように語られても嫌だし(そこは筆者自身も意識して書いているようだ)屠畜の仕事を知ることは面白い。
へーこういうふうなんだって面白がるには良い本。
これを読むだけで終わっちゃったら嫌だ。
中身はルポルタージュ、文体は興味がない人でも気軽に読めるエッセイ風。
一人称が「ウチザワ」だったりする文章のノリはあんまり好きじゃないけど無駄のない線のイラストは良い。地図はみづらい。
著者は徹頭徹尾「なにも知らない(利害のない・興味本位の・自分のアイデンティティや生活が脅かされることのない)部外者」の立場で屠畜を見る。
人に会って、現物を見て考える姿勢があるところは好ましい。
できあがった文章をポンと出すんじゃなくて、書きながら徐々に考えを深めていく、発見の過程をなぞっていくような印象。
でも言葉を定義しないままに使ってすれちがっているようなところも結構ある。
相手の考えを先取りして、「こうだろう」と思い込んだままストーリーを組み立てて勝手に反発しているようなところもある。
最初からリベラルな目線の部分(たとえば犬食について)と、斜に構えてみている部分(たとえば「動物愛護」的な感覚について)でだいぶ態度が違う。
「たくさんの肉を雑に食べるのではなく値段が高くなっても少ない肉を丁寧に食べるということをしたほうがいいんじゃないか」という言葉と「オーガニックビーフを買えない層がある」という言葉に矛盾は感じないのかとか、くりかえし描き出される「屠畜場面におびえない女子である私に驚く人たち」と、屠畜を特別視しないアメリカ女子への驚きをなんで同時に書けるんだろうとか、疑問に感じる。
「自称さばさばして男らしい性格の女」な匂いがやや鼻につく。
最後にちょこっと書いてある自分でやってみたってやつも獲ってもらった鳥をむしっただけで「つぶした」のとは違う。
差別にしても「動物を殺す→かわいそう→差別」「宗教的タブー→差別」という単純な形しか考えていないように見える。
殺すから差別されるんじゃなくて、差別したいから差別するための理由をつくるんだとか(だって殺すからダメなんだったら皮革加工で差別される説明がつかない)、殺したり血をみたりすることへの畏怖が直接差別につながるわけではないという視点はスッポリぬけている。
屠畜の是非や差別は抜きにして、屠畜の仕事だけを描いてくれればこんなにモヤモヤしなかったのに。
仕事だけを描いている部分は魅力的で、文句なく楽しめる。
この本を読む間、イライラする部分が多々あった。
それは自分になにがしか意見があるからで、この本の中に読み手が意見を掘り起こすためのとっかかりがたくさんあるということでもある。
納得する部分もいやそれは違うだろと思う部分も、自分が考える糧になる。 -
他の方もご指摘しているとおり、差別に関しては、「どぉしてだろぉー」と問い続けるモノの、どん欲に掘り下げようとはしていないように思います。
自分たちが口にするモノを屠ったり・おろしている人達が差別されるのってヘンだよねと言う感覚はごくごく真っ当だと思うし、共感しますが、じゃぁ「この差別のある実態」と「私の感覚」との断絶はいかにして説明されうるのかというところが「やっぱりわからない、なっとくいかない」で片付けられている部分は多い(沖縄の章で触れられていたが―日本国内でも地域差はすごく大きいはず)。
肉を扱う料理人にもおすすめの一冊。 -
ローカルな土着の屠殺 から 大規模な工業的な屠殺まで様々な屠殺の現場を取材した興味深いルポ。普段知り得ない世界の 屠殺の現場を知ることができ 面白かった。
屠殺 現場でキャッキャしている著者の様子や、だ・である調の文体に対し、口語(すごい!とか、うわー!のような)が混ざる文章が読んでて ちょっと辛いし、本書の残念 ポイントのような気がする。
また著者の立ち位置の表明や、屠殺従事者に対する差別の取り扱いの中途半端さは少し残念(これについては 後書きで著者自身が意図的に触れないようにしていたことが記されているが、予備知識なく 読み始めた 読者にとって不案内すぎて、話がどこに向かっていくのかよくわからずに結局完全燃焼となる)
ただ 屠殺に関する書物として唯一無二であることは間違いなく読んで良かったと思える 書 だった。
著者は屠殺ではなく屠畜とこだわって 表記しているようだが、そもそも 全体を指す言葉が屠畜で、潰して解体する部分を屠殺と呼んでいるだけではないのかな? -
当たり前のように毎日食べている肉。
どこから来てどのように処理されているのか知りたい人は多いのではないでしょうか。
これを読めば国や地域、文化的背景による違いまで把握できます。
実際に行って体験しないと書けない内容なので、すごく勉強になりました。
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屠畜や革を扱う人々への差別は万国共通なのか? 肉はどのように屠畜されいるのか、そこで働く人々、周囲の人々はその行為をどう思っているか。著者は、韓国、バリ島、エジプト、チェコ、モンゴル、インド、アメリカ、そして日本の屠畜の現場を取材する。
屠畜が祝祭と結びついているイスラム圏やモンゴル。巨大な「工場」「産業」と化してしまって阻害された労働となったアメリカ。そして、東アジアでは・・・・。
日本の肉がどのように「作られて」いるのか、芝浦屠場の取材はそれこそ知らないことばかりで、なんとも興味深い。それらを知って、ありがたく「お肉」をいただくことが必要。
この世界を形作っている、重要な一部。 -
「世界各国の屠場について、イラスト入りで丁寧に解説されていますね」
「うん、この本に倣って屠畜と呼ぶけれど、屠畜の現場を実際に見て、スケッチしたイラストが非常に分かりやすいと思う。手順も、道具も、文化によって様々だし、こういうことを詳しく書いた本はあまりない」
葉月は頷いた。確かに、こういう本は探してもあまり出てこない。
少なくとも、本屋の目立つところには置いていない。
夕飯の席でこういう話は、相手によっては嫌がるものなのかもしれない。
けれど目の前で淡々と食事を続ける蛹は、そういうタイプではなかった。
蛹は咀嚼しながら、手を止めて少し考えるように上を仰いだ。
「ところで」
と、食べ物を飲み込んでから、再び口を開く。
「この本のもう一つのテーマとして、屠畜に関わる人の社会的地位というものがある。日本では、そういう仕事は低い身分の人が行ってきた歴史があるだろ。他国ではどうか、ということを、見学先でインタビューしているわけだ」
葉月は頷く。
「その辺も、色々と書かれていますね。文化や宗教が違えば、屠畜に関わる人の社会的地位も変わってくるんですねえ...卑しい仕事と見られている国もあれば、家畜を屠れるようになって一人前、という国もあるみたいですし...もちろん、数ある職業の一つに過ぎない国も」
うん、と、蛹は頷く。
そこまでは、別段、この本を読むまでもないことだというように。
「そうして各国の様々な状況をリポートしているのだけれど……」
「ええ、……何か、問題が?」
「この著者の立場は一貫していて、肉を食べる以上は屠畜の現場というものを理解すべきだと考えている。その『理解』の中には、差別意識を消し去ることはもちろん、穢れや恐怖という感覚も無くすべきだという考えが見えるんだよね、何となくだけど」
「ええ、確かに。間違ってはいないと思いますが、うーん……」
何か腑に落ちないという様子の葉月に、蛹は同意するように、後を継ぐ。
「間違ったことは言っていないし、俺自身はそういう感覚で生きている。家畜だけじゃなく、実験動物なんかも含めてね。でも、そう思えない人もいる。穢れや恐怖の感覚を、どうしても拭えない人がね。この著者は、そう言う人たちに対して、考えを改めるべきだという主張なんだ。理解し、共存しようという感じではない」
「ああ、それ。何となく、著者の考えを押しつけられている感じがあるんですよね。書き方の問題かもしれないと思ったけど...」
蛹は、わずかに首を横に振った。
「穢れや恐怖の感覚というのは、もちろん歴史や文化や宗教が背景にあるわけで、その点については一応リポートしているんだ。でも、そういう文化や宗教的な思想が出来た背景については突っ込んでいない」
「日本や欧米を含めた多くの国々で、なぜ屠畜が日常から切り離されたのか、ということですか」
「そう。……うん、そういうこと」
ようやく言いたいことがまとまったというように、蛹はわずかに笑って頷いた。
「それはこの著者が述べるような、『可哀想』とか『残酷』という感覚だけじゃない。それはあくまで家畜に対する感情だけど、そもそも屠畜を日常から遠ざけた意図は、それが『死』だからだろう? 自分自身の死も含めての」
「死を連想させるものをできるだけ遠ざけようとした、ということですか」
うん、と。
小さく、蛹が頷く。
「文化も宗教も、結局のところ、『死』とどう折り合いを付けるか、ってことじゃないのかな」
私感だけどね、と、蛹は付け加えた。
「結局は、色々な背景を持った色々な人がいる、って話ですか」
「すごくざっくりまとめたね……」-
「『死』とどう折り合いを付けるか」
日本の場合は、当時の仏教の禁忌と関係があるのでしょう。
「『死』とどう折り合いを付けるか」
日本の場合は、当時の仏教の禁忌と関係があるのでしょう。
2014/03/25
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世界の屠畜場の現場を取材した、著者自筆イラスト満載のルポルタージュ。
普段パック詰めでずらーっとスーパーに並んでいて、当たり前のように買っているお肉。狂牛病だとか、鳥インフルエンザとか、口蹄疫のときばかりやたらニュースで取り上げられるお肉の現場。
そして、日本に古くからある屠畜を職業とする人々への差別――。
それら全部をひっくるめて、ひとつひとつ向き合って自分で考えてみて、それでも「屠畜という作業が好き!」ときっぱりと断言する作者に拍手。
これまで日本で何かとブラックボックス扱いされていた屠畜という仕事に、「好奇心」で挑んだ力作にして良作だと思う。
この、「好奇心」というのはともすれば諸刃の剣だ。ただの興味で首を突っ込むと、無責任な「野次馬」になりかねない。
屠畜のルポ本だと聞いていたときから、「屠畜職の差別のことはどう書かれているのかなぁ」と気になっていた。私自身が、差別はとてもとても、ナイーブなテーマだと思っているためだ。
しかし、著者のあっけらかんとした屠畜作業自体への好奇心と、屠畜に携わる人々およびその技能への純粋な敬意が、そんな湿っぽい私の心配を吹き飛ばしてくれた。
そうか、そうだよな、だって私達お肉を食べてるんだものな。それが事実なんだもの。しかもそれが現代社会の日本で支えられているのは、立派な「技能」と食品の品質に対する「意識」があってこそのものなんだものな。
著者の言うことはまっとうで、しかもとてもシンプルだ。変な理屈をこねたり、頭でっかちになってわかったようなことは言わない。
肩肘張らない、そして責任意識もきちんとある、素敵なルポルタージュであった。ぜひとも、もっともっと多くの人に読まれてほしいと思う。そして、おいしいお肉が食べられる幸せを、素直に噛み締められるようになれば、それでいいと思う。 -
ほぼ毎日のように食べているお肉なのに、そういえば全然知らない。血を抜き、内蔵をのぞき、皮をはぎ、切り分ける。生き物が食材になるまでの一部始終を著者は興味津々で取材する。その臨場感! 屠畜業に対する偏見に満ちた差別に対して著者はわからないと感じ、くりかえしくりかえし問いかける。そのまぶしいほどのまっとうさ! 力作です。圧倒された。図書館でかりて読んじゃったけど、筆者応援のためにも買えばよかった。また、機会があれば。
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好んで食べている肉がどのようにできているかが知りたくて、「飼い喰い」に続き拝読。内容は重たい部分もありますが、軽めの書き方で、好きな人が好きなことを突き詰める模様としてすいすい面白く読み進めました。
本アプリ上の他の方の感想で主張が一貫していない部分が指摘されていて、確かに…と思いましたが、雑誌連載のエッセイなので仕方ないですかね。
もっとたくさんの人が、食卓に並ぶ食材がどこから来るのか?に興味を持って、国を支える一次産業が大事にされることを願います。 -
日本を含む世界における屠畜(屠殺)の方法、屠畜という職業に対する人々の意識について調査し、その実態をわかりやすく示してくれる本。私も著者と同じように、屠畜に興味があったので手に取った。世界の街で出会う人々のキャラクターがなんだか魅力的。また、ポップなイラストつきで屠畜の工程を説明してくれているおかげで、文章全体が明るく、重苦しい雰囲気が少ない。
印象に残ったところメモ。
・解体風景を目の前にしながら豚はスヤスヤと安らかに熟睡している。よく豚は殺されるのを嫌がってキイキイ啼くという人がいるけれど、あれは引っ張られたり、縛られたりしたことに対しての「啼き」なんだとあらためて実感する。→まさに自分も同じような認識をもっていたから驚いた。ものごとの解釈の仕方まで、これまで周囲から規定されていたようだ。 -
結構評価が高い本だが…
長すぎ、細い線のイラストが見にくい、個人の感想書きすぎ、、、などはあるが、斬新さがある内容。なかなか明かされない秘密めいた事情を知ることができる。
読了120分 -
この著者のエッセイはテンポが読みやすかったけど
流石にこの本は ペースが落ちました。
とは言え 屠殺場などの様子が 写真ではなくイラストなので 血なまぐさい事が苦手な人にも読みやすいですね。
多くの人は 肉を食べるけど その過程を知らない。
一昔前なら 日本各地で 鶏などを飼っていて
年に数回は しめるのを 見たという人もいただろうけど 今は殆どの人は知らない現場です。
日本では昔は皮製品を扱う人達は 差別を受けたりしていましたが
海外では 屠殺の仕事の人の方が 高級取りだったりとか、 知らない内容が 結構あって 面白かったです。
家で羊などを飼って 大切に育てて
何かのお祝いのときに 食べる。
命がなくなる瞬間を見て それを 捨てることなく
全て大切に頂く。
自分の命は 沢山の命を頂いているのだと 学ぶ事が とっても 大切だと思います。
今の日本では そういう環境は 難しいとは思うけど 命を頂くという教育を 本の中だけではなく
体験できるように なればいいなあと 思いました。
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日本、韓国、モンゴル、イラン、エジプト、インド、バリ、チェコ、アメリカ他、世界の屠畜をイラストと文章で精密に描いたルポタージュ。圧巻。膨大な取材に敬意を表したい。
特に日本の豚から肉になるまで、牛から肉になるまでの図解と説明は、知らなかったことだらけで興味深かった。職人技の数々。BSE全頭検査をアメリカが突っぱねる理由もよくわかった。 -
タイトルの通り世界の家畜の屠殺について書いてあります。そして、屠殺とはなかなか切り離せ無い差別について。日本やアジア圏ではやっぱり差別はありますが、沖縄や南方の国ではあまり無い。インドは宗教によるが、近代になってから考え方が変わって来たようです。肉を食べるなら知っておくべき事だと思いました。
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中3で読んで、衝撃を受けた本。
あとから読み返してみたら、結構著者の意見が強いなあ、と思って、実際批評されている部分はそこだけど、この本は何にも負けないと思った。
単純に、イラストや説明がが細かすぎて具体的すぎて(笑)面白いなあ、と思ったし、この本をきっかけに、世界の考え方や文化の違いに興味を持つようになった。
外国の屠畜が書かれた章を読んで、すごいなあとか思っていたら、日本の芝浦屠場も取材されていて、「あっ」と思った。私は全く日本の屠畜、自分に関係あることなのに、意識していなかったのだ。
まあ、とにかく眺めるだけでも面白い本だし、しっかり読んで、自分の考えをまとめるにもよい本だと思う。
“食べる”ことは生きていくのに必要なことだから、必然的に「屠畜」は思想や宗教や、差別に関わってくる。
是非オススメしたい。 -
単純な世界の屠畜レポかと手に取ったら、思った以上に内容は屠畜や皮鞣しという生業への日本の差別への考察も多くて嬉しい誤算だった。屠畜者への差別って世界から見ると結構特殊なんだなぁ。知らなかった。わたしは最近自分で家畜を屠ったり皮を鞣したりするようになってきた(まだ全く道半ばだけど)。個人的には、殺すことは怖いとも思い、折り合いの付け方に悩むタイプなので、特に中東やモンゴルの話は希望でした。
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思索
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とても興味深く読んだ。これらの原稿の初出が雑誌「部落解放」であるということが後半わかってそれで腑に落ちたが、携わる人々への目線は熱くリスペクトに満ちていて、まるで自分を鼓舞するように、ステロタイプな反応に触れるたびに怒り、また自分がいかに嬉々としているかということをことさら強調して書いているのは、著者自身の逡巡と優しさだろうか。
豪語しながら、最後にひょんなことから自宅で自分ひとりで雉の羽をむしることになった時に感じた動揺も隠さず書いているところが好ましい。
著者プロフィール
内澤旬子の作品
本棚登録 :
感想 :

この本を読むまでは私も「屠殺」という言葉しか知らなかったのですが、この長い本を読み終わったころには「屠畜」という言葉に慣れて、「屠殺」を自然と使わなくなりました。人に話しても伝わらなくて、「いわゆる屠殺よつまり」と言い直したり、余裕があれば説明したりしてます。
私もそうですが『着せる女』から入ったkuma0504さんには次は『飼い喰い』を熱烈にオススメします!『飼い喰い』の高野秀行さんの解説までが、黄金のリレーです。解説読むために読んでほしいくらいです!
面白い本の紹介、感謝です♪
そうか、次は「飼い喰い」なのか。
高野秀行さんの解説となると、図書館にはなかったので、買う...
面白い本の紹介、感謝です♪
そうか、次は「飼い喰い」なのか。
高野秀行さんの解説となると、図書館にはなかったので、買うしかない。
amazonだと中古本は500円近く送料が必要なんですね。いつのまにか、こんなに高くなったのか。
メルカリで500円のがあったので、久しぶりにメルカリを使うことにしました。着くのが楽しみです。