児童性愛者―ペドファイル

制作 : Jacob Billing  中田 和子 
  • 解放出版社 (2004年9月1日発売)
3.36
  • (6)
  • (13)
  • (29)
  • (4)
  • (1)
  • 本棚登録 :160
  • レビュー :25
  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784759260861

児童性愛者―ペドファイルの感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • 自由と権利の概念が発達した北欧の国・デンマーク。そこではかつて、児童性愛者の親睦団体が合法組織として存在していた。彼らは社会から向けられる敵意に怯え怒りつつ、登山サークルや編み物同好会と同じように公民館を無料で借りて集会を持ち——児童ポルノを融通し合い、海外買春旅行のノウハウを交換していた…。

    児童性愛趣味という「深すぎる業」を背負って生まれてしまった人の内心を教えてくれる、貴重なインタビュー集なのかと期待していた。元となったTV番組の制作を開始した時の著者の気持ちも、きっと同様だっただろう。
    だが一見善良な市民を装ったこの団体は、「社会にはびこる偏見と戦う」どころか、その偏見そのものの犯罪者ばかりが集う最低の集団だった。ここから著者のスタンスは変質し、一時は友とも呼んだ相手を「当局へ売る」結末へと至る。
    私が本書を手に取った動機は児童でも性愛でもなく、もっぱら「生きにくい人たちの生きにくさを見たい」点にあった。本来なら、この種の変質は許せないところだ。
    しかし…暴かれてゆく罪の非道卑劣と、被害者の凄惨な実態。圧倒的なそれを前にして、身勝手な怒りなど吹き飛んでしまった。

    死んで行く以上の地獄は、現世にこそある。かねてからそう考えてはいたが、逃れてのちも終生苦しめられる性的虐待の被害を受けることこそ、紛れもない生き地獄であろう。
    不幸にして児童性愛者に生まれついた、それだけならば罪ではない。しかし、ひとたびそのファンタジーを己の頭蓋骨の外へと垂れ流した輩は、もはや人ならぬ最低の畜生として扱われるべきである。普段ならまず言わない、そんな極論を口走らずにはいられない。
    思いきり胸の悪くなるこの真実から、だからといって目を逸らすことは許されない。世界じゅうにあまねく知られるべき「リアル」である。

    2011/5/19読了

  • 封筒の消印と写真だけをてがかりに、実在するモニカをさがしだすまでのくだりは、まるでミステリーのようだった。そのスリリングな展開に、冒頭から不謹慎にも魅了されてしまう。つまびらかにされていくのはおぞましい現実だが、次第に謎がとけていく快感、そして昂揚がたしかにあった。ドキュメンタリーだけれども、文体はわりあい叙情的で、そのためかもしれない。ノンフィクションノベル風というか、あたかもサスペンス小説のような読みごこちだ。でもこれはフィクションではない。現実だ。やがてあきらかになるモニカの過去と現在、それはあまり過酷で、あまりにおぞましい。児童ポルノの被写体になったこどもたちの、その後をしりたいと、わたしはひそかにおもいつづけてきた。それはただの下世話な好奇心だ。もしも声をあげたならきっと、わたしのような不届き者の、不躾な視線にさらされてしまう。だからかれらは声をひそめている。よってそれはどこへもとどかない。その人生をだれもしりえない。だが、ここにはそれがかかれている。

    ヤコブ・リビングが「デンマーク児童性愛愛好者協会」に潜入したのは、いまから10年まえの、1999年のことだ。かれは、デンマークのジャーナリストで、それはノルデック・フィルム&テレビ(デンマーク大手の映画テレビ番組制作会社)が企画した、ペドフェリアの実態をさぐろうという、テレビ番組のための取材だった。「デンマーク児童性愛愛好者協会」は、世界で唯一の児童性愛愛好者の協会(合法)で、ヤコブはなんとか潜入に成功し、そこではじめてしたしくなったのが、ベント、そうモニカの写真を所持していた男。数百枚におよぶ写真と8ミリフィルム、おびただしい数の児童ポルノをかれは保管していた。にもかかわらず、おなじ協会員だからか、かれはほとんど警戒心をみせず、おしげもなくそれらをみせてくれた。そんなベントの、8ミリフィルム上映会にまねかれるうち、ヤコブはついに400枚のネガを手にいれる。写っているのは「モニカ」とよばれるおさない少女。それから「アグネス」と「マリン」そしてだれともしれない中年の男女だ。

    かれらはいったいどこの、だれなのか_____場所の特定ができそうな写真はたった数枚しかない。それでもヤコブはその数枚を手がかりにして、モニカの所在を突きとめようとする。持ち主のベントによれば、モニカはスウェーデンにすんでいるという。ベントは彼女とかつて文通をしていた。モニカが12歳のころからおよそ3年間、それはつづいたらしい。その間に膨大な量の写真とフィルムを、彼女からおくられたそうだ。きっかけはオランダの「ロリータ」というポルノ雑誌。顔出しをして文通相手を求めていたモニカに、ベントが手紙をだしたのがそのなれそめだ。わずか12歳の女の子がポルノ雑誌で文通相手を募集するなど、不自然きわまりないはなしである。が、ベントはまったく意に介していない。少女との3年間は、とてもすばらしかった、とうっとりする。いわく「モニカははだかをみせるのがすきなんだ」やりとりされたネガのほとんどは、あられもない彼女のポルノグラフィー。ときおりほかの少女もまざっていて、それがアグネスとマリンだった。

    そこにはいろいろな年代のモニカがいる。いちばんわかくて5歳。まだ就学まえの彼女が、40代とおもわれる女に性器をなめられている。モニカだけが被写体になっているものも、そうでないものもある。虐待している中年の男女は夫婦のようにみえた。これらを撮影したのは叔父だという。ベントは叔父とも交流があったようで、本人がそういっていたとのこと。叔父は手紙で、どういうコスチュームを着せたらいいかなど、かれにこのみをきいてきたりもしたそうだ。しかし、というかなんというか、ヤコブが筆跡を確認したところ、叔父のそれとモニカのそれは、おどろくほど似ていたらしい。って、そりゃそうだろう。ほんとうの文通相手はどうかんがえてもこの叔父だ。うさんくさいこの叔父のはなしをしんじるならば、モニカは17歳のとき、白血病でなくなったはずだった。が、もちろんヤコブはしんじない。彼女を懸命にさがしつづける。やがてかれはたどりつく。それはスウェーデン北部のメェスタというところ。モニカがうまれ、そだち、いまも住む町だ。

    彼女はいきていた。とうに成人して、母親になっていた。マリンとアグネスも存命で、いまは妙齢の女性だ。モニカとおなじ町にふたりも暮らしている。連絡をとると、当然ながらみんなとまどった。あれはだれにとってもいまわしい、できればわすれてしまいたい過去なのだ。けれどわすれられない過去でもあった。それにペドファイルたちにとっては現在だ。彼女たちのポルノグラフィーは、ヨーロッパ全域に流出している可能性がある。はじめこそまよっていたものの、マリンとアグネスは最終的に、モザイク入りでインタービューに応じることを承諾した。搾取されつづけることに、いかりをかんじていたからだ。モニカはしかし、取材を拒否する。彼女はおおくのなやみをかかえていた。ふかい絶望と怒りに支配され、そのためにうまく息子をあいせない。ヤコブはモニカ自身がかたる、彼女の不遇な生活、身の毛もよだつ過去の出来事にうちのめされる。わたしの人生は破壊された、もうもとにもどることは決してない、あのことは一生、じぶんにつきまとう_____

    撮影者は叔父ではなかった。幼年のモニカを玩具にしていたのは、それよりもっと近しい人間だった。だが、悲劇はこれでおわらない。後々、もっとおそろしく、けがらわしい事実が判明する。ヤコブが家をたずねたとき、モニカは一緒に住む母親をかばい、彼女をこんなことに巻き込むなといった。その母親がむかしじぶんになにをしたのか、彼女はもうおぼえていない。しかし、写真がのこっていた。ヤコブはその後、したしくなった協会員たちを導き役として、世界各国へとぶ。かれは各地で、虐待される10歳にもみたない、ちいさなこどもたちに出会う。檻に入れられ、足かせをはめられ、売られる少年少女。協会員の幾人かは、実際に手をだしていた。タイやムンバイでこどもを買い、身近な児童にも性行為を強要する。かれらは積極的に情報交換をし、欲望をみたすため日々奔走していた。ペドファイルはうそぶく。こどもにも欲望はあり、それをのぞむ児童もいると。非対称性には目を瞑りながら、悪びれもせず、こどもとの性愛の権利を主張する。

    放映がきっかけで、ふたりの協会員が逮捕され、協会は自主的に解散したらしい。翌年の2000 年、ヤコブは「セイブ・ザ・チルドレン」からこども人権賞を贈られる。また番組「デンマークの児童性愛者たち」は、その年のテレビ・オスカー候補にもなった。「公共の建物内で行われている、違法行為の扇動は妥当か否か」番組はそう視聴者に問いかける。わたしはしばしばわからなくなる。自由とか権利とか尊重とか保障とかそこらへんのことが。にくむべきはチャイルド・マレスターであり、ロリコンではない。違法行為の扇動は妥当でないが、だからといって、こうした組織をつくること(かれらがつどうこと)自体を、禁じていいものでもないはずだ(いやどうなのでもそうよな)ではかれらがこのような組織をつくったとき、あるいは逮捕者がでて尚、組織の存続を希望した場合、どういう態度をとればいいのだろう。日本のロリコン漫画雑誌「COMIC LO」には文通欄がないという。なぜならロリコンは、あつまるとろくなことをしないからだそうだ。

    しかし、あつまりたいとつよくねがう者もいるかもしれない。さてかれらが「日本児童性愛愛好者協会」をつくりたいといったら_____

    また「かれらは声をひそめている。よってそれはどこへもとどかない。その人生をだれもしりえない」と冒頭で記したが、最近ではKylie Freemanという米国の少女がウェブ上で自らの体験をつづっている。彼女は父親のKenneth John Freemanに10歳のころから性的虐待を受け、それをビデオに撮られたうえ、インターネットにながされていた。ビデオのダウンロード数は記録的だったらしい。わたしも児童ポルノ売買サイトでそれが売られているのをみたことがある。ビデオは有名な児童ポルノシリーズだった。父親は2年まえに捕まったが、それはいまだ売られつづけている。Kylie Freemanは、テレビ番組「America’s Most Wanted(アメリカの重要指名手配犯)」にも出演し、事件についてかたった。将来は被害者を支援する仕事に就きたいという。一般に児童ポルノとよばれている、児童性虐待写真、および動画の単純所持を禁止とする法律は、必要だとおもう。

  • 事の発端はとあるブログでの論争だった。
    それは
    「小児性愛者は性的マイノリティーに属すか否か」
    と言うものだった。
    その記事を読むまで私はそんなこと考えもしなかった。
    そりゃそうだ、
    こういう事に関しては、自分がなにかしらの形でそれに関わらなければ改まって考えることもないだろう。
    性的マイノリティーとは、つまり同性愛者やSMなどの行為を性癖として持つ人間と彼らペドフィリアを一緒にしないというのは差別にあたるのではないだろうか、と言うことをそのサイトではけして興味本位にではなく論理的に議論は交わされていた。
    先に言おう、私はこういった議論はあまりすべきではないと思う。
    はっきり言って答えはでないだろう。
    仮に私たちがそこでひとつの結論をあげても、前述と同じでにそれが実際に適用される当事者によって見解は分かれるだけだ。
    それはもちろんペドフィリアという立場に対してだけで、私たちにできる範囲はせいぜい「差別」ではなく「区別」だと言う自己認識も持つくらいだろう。
    そもそもこういう話というのは個人の自由が保障されている現代においては、非常にデリケートな部類の話になるだろう。
    権利だ、自由だ、と私もその上にあぐらをかいている人間の一人であるが、現代人は自分に与えられているものを無意味に振りかざし、自己主張をしがちなものである。
    だが、
    本来、主張をする際にはそれに掛かる制約がついて回るはずだ。もしくはその言葉の意味や有効範囲とでも言った方がいいだろうか。
    自由という言葉はその言葉が現実に即さない上では非常に、曖昧な楽園だが、ひとたび誤ればそれは狂気と化す。
    自由とは、ある意味で非常に凶暴なものなのだ。
    この本を知ったのはそこでの紹介だったか、もしくはアマゾンで梁石日の「闇の子供たち」を検索したときに見つけたのか、忘れてしまった。
    だが、内容の要約を一読しただけですぐ読みたくなったのは覚えている。
    もともと私はこの問題に関しては結構関心があったのだ。
    巷のニュースでも幼児虐待や児童ポルノなどのニュースを見ると、なんとなしに反応してしまう。
    理由は、ない。
    好奇心と言うとかなりたちが悪いが、わからなかった。
    世の中は三者三様いろいろな種類の人間がいる、食べ物の好みも人それぞれだからこそ、人間の性的趣向も様々とあるだろう。
    だが、だがだ。
    子供にだけ、性的な興奮を得るというのは非常に恐ろしいことだと私は思ったのだ。
    サドマゾ、同性愛者いろいろといる。
    いい、それは自由だ。
    それは個人の思想と同じに自由が許されるべきものだ。
    だが、ペドフィリアだけは、私は容認できないと思ったのだ。



    世界で唯一の児童性愛者の協会に潜入したジャーナリストの物語。
    わたしが正直この本に期待したのは、彼らがどういう存在であるのか、と言う生態を解剖したものだった。
    彼らに身近にふれ、関わった人間であるのならその実情を克明に描いているかもしれない。
    わたしはおそらく、彼らという存在を性的マイノリティーとして容認できるようなヒントがほしかったのかもしれない。
    だが、読み終わって気づいたのだが、この物語は、ルポというものではなかった。
    ほぼ、その場に潜入したジャーナリストの苦悩を描いた物語、と言うのがメインだと思う。
    ジャーナリズムというのは同じ人間の立場でありながらも国や主義主張を越えた公平な伝達者としての立場をとらなければいけない。
    それは他者を大きく傷つけることもあるし、時には己の身を犠牲にすることもある。
    しかし、彼らの行動は興味本位に埋もれがちな人々の思いに、問題意識を喚起することができる。
    有効な手段だが、非常に苦しみが多い、そうして人は無感情にとはけしてあれないものだ。
    この筆者のビリングはその苦悩を多く背負った。
    本の大半を占めるのはジャーナリストではなくて一人の人間としてのビリングの苦悩であり、私が求めたジャーナリズムが持ちうる公平な目線はほとんどなかった。
    でもだ。
    読み終わって得ることはできた。
    それは、ペドフィリアをけして容認する必用がないという、おぼろげにあった考えのしっかりとした肯定だった。
    だからこそのビリングの苦悩だろう。
    たとえ、それをひとつの主張として掲げるのが法律で守られた自由の範疇といわれても、私には彼らの趣向を容認も理解もできないだろう。
    確かに、それが持って生まれたものであるのならば、その欲望に足掻く苦悩は同情に値するだろう。
    だが、だ。
    その彼らへの同情が行動に移してもいい権利にはけして成りえることはないのだ。
    おそらくビリングも公平な目線でこの実情を描こうとしたのだろうが、それにしてはその実体の生臭さに彼はもだえ苦しんだ。
    同情はする。
    子供には無限の可能性がある、きらきらと輝くその微笑みの愛らしさ、美しさ。
    それを知りながらも三者であろうとしたからのエゴ、葛藤。
    そうして私は今何をしている。
    そう自分に問い、これを読んだ私も背負うべきものなのだろうと考える。


    変に描写にこったところがあるがそれが物語に噛んでいないので、少々煩わしく思えてくるところもあった。
    読む意義は非常にある本だと思う。
    何というか、
    何事にも理解を、と言う姿勢の裏付けをどうしても私は欲しいようだ。
    追求か、

  • デンマークにある世界で唯一合法の「児童性愛愛好者協会」にジャーナリストが潜入調査を行ったというノンフィクション。
    タブーとされている「児童性愛」についてあえて踏み込むことで「ダメだからダメ」のトートロジー的詭弁の一歩先がある本かと思ったが、先入観はよくないだの、協会員に個人的友情を覚えただの書いておきながら、結局著者は西洋キリスト教的思想の真っ只中であり怒り狂い断罪し、自分は傷ついた云々をつらつら書いて終わる。
    なおざり程度に、児童買春が横行するインドの現状に、西洋列強の荷担を憂いてみたりするところがまた鼻につく。
    結局、犯罪者を指弾する話にしたいなら「児童性愛者」なんてタイトルじゃなくて「性犯罪者」にでもしておいたらいかがか。
    全体的に期待外れで浅い本だった。

  • 尊敬する読書家Dainさんのブログの「スゴ本100」に紹介されていたので。う〜ん思ったほどエグい描写が無く肩透かしだったかも。デンマークで合法だった、児童性愛者のための協会に、自らも性愛者だと騙り潜り込んだ新聞記者。数々の会員の話を聞く内に、彼らが一切の罪悪感も抱かず子供を搾取し続けている事を知る。なんだろう、児童性愛が絶対的な悪だと罵るスタンスも非常に理解出来るが、性愛者が主張する様な、児童からの愛がある、相愛的なケースもゼロではないのではないだろうか…。自分があまりにもこの領域に無知過ぎるので、もう少し被害者の視点から語られた本を読んでみたい。(こう書く自分に物凄く嫌悪しているけど、それに勝る知的好奇心がある…。)

  • 筆者自身も述べているが、自分の感情整理のために書かれた本であるという印象。
    潜入取材への辛さと自己嫌悪の描写が過剰過ぎるほどに多かった。

    実際のペドファイルや被害者の生の声、アジアにおける児童売春などの実態を書いた本としては貴重だが、筆者の精神に限界が来ていたようで、表面を掬った程度で踏み込みきれてはいないのが残念。

  • 読後感の良くない本でも読もうと思って手にとった一冊。
    ノンフィクションのタイトル通りの人たちの会合へのそっちの趣味のない著者による潜入レポートなので確かに読後感は良いとは言えない。
    著者が執拗なまでに自己弁護をしすぎるので読み物としては微妙。

  • 仮面を被ったライター

  • 解説のヤンソギル氏が、言ってる様に ペドファイルは、非人間的な行為をする者だ。個人の嗜好の問題で片付けられない。
    想像するだけで おぞましい。

  • 対象に寄り添った内容を期待してたが、児童性愛者に対する嫌悪感や断罪が割と高い割合を占めてた。「人を愛するだけで犯罪者になりうる」人々の気持ちってのをもうちょっと踏み込んで知りたかった。

全25件中 1 - 10件を表示

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ヴィクトール・E...
ウンベルト エー...
宮部 みゆき
スーザン ヒル
ジェイムズ・P・...
有効な右矢印 無効な右矢印

児童性愛者―ペドファイルを本棚に登録しているひと

ツイートする