いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体

著者 :
  • 柏書房
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本棚登録 : 124
レビュー : 9
  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784760120888

作品紹介・あらすじ

"世界のとらえどころ無き欠如"に始まる"全能感のもて遊び"と"集団の祝祭"の追求、"倒錯するタフネス"の変容の果てに具現するいじめ秩序を、心理的構造モデルと社会秩序の循環においてダイナミックに掌握。学校共同体主義の危険を指摘し、いじめ秩序を無化する自由な学校‐社会を原理と政策において探求する。

感想・レビュー・書評

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  • いじめでは、投影同一化が行われる。

    「投影同一化とは、自分にとって耐え難い体験の様式になってしまった内的表象構造を、他者を利用してより快適なものへと加工しようとする行為である。すなわち、投影される耐え難い内容が投影先である容器に入れられ、その容器の中で内容がより快適なものに変化し、その変化した内容がもう一度自己に帰ってくる。このような容器として使用される者は執拗に操作され、実際に他者の空想の一部にとりつかれたかのようにふるまうようになる。」

    内的表象構造の加工という説明が、すごくしっくりきた。いじめや虐待がどうして連鎖するのか、よくわかった気がする。
    自分をいじめた張本人への復讐じゃなく、弱そうなやつを適当に選んでのいじめがおこるのは、
    そのいじめの目的が、自分をいじめたやつへの復讐ではなく、ズタボロになった自分のイメージ(内的表象)を修復することが目的だから。
    もちろん、自分をいじめた張本人にやりかえせるならそれがベストだろうけど、そこはそれ、弱者を相手にしたほうが全然やりやすいから、弱いやつを選んでいじめるのだ。

    いじめ被害者は容器として利用される。
    「容器とは内部に侵入しかきまわし、相手の内側から己の全能を顕現しつつ生き直し、自分が癒される、といったことのために使用する容れ物である。いじめ被害者が、適切な仕方で容器として機能することで、全能筋書が具現され、いじめ加害者の体験構造が救われる。いじめを生きる者たちは、全能筋書を具現して自己を補完する他者、すなわち「おもちゃ=自己対象」を切実に必要としている。この体験構造ニーズが、いじめの執拗さをもたらしている。」

    ショーペンハウアーの『幸福について』には、内面の富の不十分を外から補おうとしてもダメだと書いてある。
    「さてまた輸入の必要のほとんどあるいは全然ない国がいちばん幸福な国であるのと同様に、内面の富を十分にもち、自分を慰める上に外部から、ほとんどあるいは全然何ものをも必要としない人間が一番幸せである。それはこうした供給が多くの費用を要し、輸入国を従属的な地位に立たせ、危険をもたらし、不満を生じ、しかも結局は自国の土地でできた生産物のうめあわせにはろくすっぽならないからだ。」

    どれだけいじめても満たされないし、すっきりしない。どうやったって、偽物の体験では内的表象の完璧な書き換えはムリなんだろう。

    『毒になる親』の著者が、治療の総仕上げとしてクライアントに「親との対決」をさせるのは、本物の修復体験をさせるためだ。
    子供への虐待じゃ、内的表象を修復するには至らないのだろう。子供にどんだけ威張ってみせても、そんなの偽物だって、やっぱどっか、自分自身わかってるからじゃないか。

    ちょっと脱線するけど、いじめや虐待みたいな加害行為以外にも、同じようにして幸福を体験しようとする親もいる。「容器」である子供の人生を利用して。
    夫婦関係最悪、子供へのやつあたりやいじめも散々してきた。けどそのうち子供が成長してパワーバランスが変化。家族の王として君臨していたのに、いきなり子供の奴隷に転身して子供に絶対服従するようになる。我が子の子育てに関わらなかったので、知らないままになっていた「子供とすごす喜び」を孫を育てることによって追体験しようとする。が、もちろん度を超えた依存や嫉妬心、やっかいな自己中心性によって子供(孫の親)といさかいを起こして破綻…という例を身近に知っている。

    人って表象の世界を生きてるんだなあと思った。

  •  
    ── 内藤 朝雄《いじめの社会理論 ~ その生態学的秩序の生成と解体 20010701 柏書房》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4760120882
     
    (20181108)
     

  • 「いじめ」がなぜおこるか、というメカニズムを明らかにし、根本的な対策を打ち立てようという野心作。
     著者はまず、国家ではなく学校や家族といった「中間集団」が、個人に対して過度な自治と参加を要求するという「中間集団全体主義」「共同体専制」という概念を提出。戦時中に威張りくさって過酷ないじめを行っていた小権力者が、社会が変わると別人のように卑屈な人間に生まれ変わったという例を引いて
    ========================
     大切なことは、群れた隣人たちが狼になるメカニズムを研究し、
    そのうえでこのメカニズムを阻害するような制度・政策的設計を行うことだ。
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     とぶちあげる。
     それからおもむろに、実際の「いじめ」事例を挙げながら、いじめの構造に迫っていくわけだが……これがおもしろいんだわ。説得力のある事例と「抽象化」のむすびつきがよくできていて、この手の本によくあるようなどっかから借りてきた理屈に現実をあてはめようという印象はまるでない(難しいところはとばしちゃったせいかもしれんが)。現実のエピソードを切り刻み、濾過し、煮詰めていったという過程が伺える。
     とくに従来のいじめ論を批判的に検証するとして、数々の「いじめ言説」の整理と問題点を指摘し、内藤理論の基礎に誘導する2章「いじめの社会関係論」の捌き方は見事。

     たとえば小学校・中学校に「いじめ」が横行して、大学ではそれほどでないのはどうしてか? 簡単な話、大学では、不愉快な人間関係を強いられないからである。「しかと」するような人間は相手にせず、ほかの人と交流を持てばいいだけ。生活の全部を囲い込まれ、コミュニケーションを強要されるからこそ「いじめ」が起こるのだという、著者の指摘は本質をえぐっていると思う。
     自由な社会では、自分とは相容れない価値観や人生を生きる人を目にしたところで、それを排除したり迫害したりはできない。しかし、と述べて。
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    「存在を許す」というのは、攻撃しないという意味であって、「なかよくする」のとは違う。むしろ「なかよく」しない権利が保障されるからこそ、「存在を許す」ことが可能になる。
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     「なかよく」しなくても共存できる社会のしくみをつくる、というのは、なかなか秀逸な表現だなぁと思う。

     一方、この著作があまりに「本質的」がゆえの、疑問も浮かんでくる。たとえば「学校」や「学級」はなぜあるのか? 学校という存在自体、人を一定の鋳型にはめるためにある、ともいえる。効率よく、ある傾向をもった人間を生産するために学校があるのだとしたら。為政者は「いじめがおきるから、学級という制度をなくしましょう」という意見に耳を貸すより、いじめがある程度おこったとしても「学級」の中でゴリゴリともまれて「中間集団全体主義」に適応できる人材を育てるほうを優先するのではないか。いくら「いじめを根本的になくす」方策があったとしても、それを「採用」する側はまったく違うことを考えているのではないか……とか。
     結局、「いじめがおこらない社会」を、多くの人は望んでいないのではないか、というこわーい想像をオレは巡らすことになった。そういうところも含めて、かなりおもしろかった。

  • このような論考は無意味。

  • 内藤朝雄『いじめの社会理論 その生態学的秩序の生成と解体』柏書房、読んだ。印象的なのは次の2つの提言。(1)直接的暴力に関したいじめは学校内で収めるのではなく、法システムにゆだねること。加えて、間接的暴力に関したいじめの温床としての学級制度を廃止。すっきりするアプローチ。

    ちょうど、うちの子どもがいじめられているみたいなんだが……って前からもときどきやられているんだけど……、当事者としては完全にはピンとこないつうのもある。今回は暴力系なので、明日、細君が、担任の先生にいうみたいだけど。まあ、学校が「聖域」つうのがオカシイとは思うけどね。

    こないだまで仲の良かった友達にフルボッコされていると、昨日、細君に言っていた。仲が良かっただけに「フルボッコ」されるのは、はたからみると、「戯れあい」みたいにみえるんでしょうなあ。本人は「つらい」らしい。なので、包丁もって学校行くぞっていったら、それはやめてくれとは言われたけど。

    私がそのいじめっ子とやらを「フルボッコ」してもはじまらないけど、とりあえず、担任の先生には報告する。しかし、どうしたらいいのかは、正直なところよくわからん。色んな本を読んで法務的アプローチは準備はした。しかし、それで済むわけでもないし。子どもは空間のオプションがないからきついわ。

    いや、しかし、親としては、スコボコにしたほうがいいのかとは思いもするけど、ちがうんだよな

  • これまでのいじめ論を遙かに凌駕する精緻な分析が光る。
    記述は難解な部分もあるが、その分、普遍性が増している。

    全能感と損得が比例するような状態になったときに、いじめはエスカレートする。

    いじめ被害の当事者として、また、ソーシャルワーカーとして数多くのいじめ事件に関わってきたが、本書によって初めて俯瞰し、鳥瞰する視点が得られといって良い。

    構造と原理の詳細な解明の後に、展開される政策提言も深く首肯する。
    いわく短期的には「1.学校内部にも司直の手を入れること。2.学級制を廃止すること」
    、長期的には、新しい義務教育概念の構築、権利教育の拡充。

    あえて難点を言えば、最後の未来の少年のみ記述が薄く、ユートピア的に描きすぎている感がある。「自由からの逃走」という背理が頭をよぎったからだ。

  • 2007/1/17読了 感想後日

  •  通常このあたりの本だと原因を列挙するだけで解決への道筋はおざなりですが、この本はある程度現実的な道筋を提示してます。
     2001年に発行されたものとは思えないほど、現在のいじめ問題を的確に言い表しています。逆に言うと、1995年あたりから変わっていないわけです。
     全体的に読みにくい(何回というほどではない)ので、ノート片手に読むことを進めします。

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著者プロフィール

1962年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程を経て、現在、明治大学文学部准教授。専門は社会学。著書に『いじめの社会理論』『いじめの構造』、論文「学校の秩序分析から社会の原理論へ:暴力の進化理論・いじめというモデル現象・理論的ブレークスルー」(『岩波講座 現代 第8巻 学習する社会の明日』)などがある。

「2018年 『子どもの人権をまもるために』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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