- Amazon.co.jp ・本 (338ページ)
- / ISBN・EAN: 9784760133338
感想・レビュー・書評
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もとは福音派の信者だった著者が呻吟の末「キリスト教の主張と人生における事実の双方を妥協無く受け容れることはできないということに気づいて」棄教し不可知論者になった原因の「なぜ人は苦しむのか」についての聖書的な解、つまり「神は全能である。神は愛である。この世には苦しみがある」この3つを同時に真とするにはどうすればよいのかという問題について聖書の記述を批判的に検討している。結論からすれば、彼が聖書の中で一番好きだと言う知恵の言葉である「コヘレトの言葉」の主テーマである「……なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい……」が苦しみについては著者の考えともっとも近いことになる。苦しみは全能者が引き起こすものではなく、必ずしも人間の自由意志が苦しみの原因をつくるわけではなく、たいていはただ単に地上に人間の制御できない状況で起き、その意味も人間には理解不能だが、可能なかぎり自分や他人にふりかかる苦しみ、飢餓や戦争や重病やいまいましいギックリ腰などを避け、軽減させるようにしなくてはならないというもの。読者としては「苦」をテーマにして聖書の残酷物語りを読むのは楽しくもあったのだけれど、このある意味、非宗教者には当然のように思える結論に至って棄教するまで何十年も聖書を研究するというのはすごいなあとリスペクトしつつもそれは空しくなるだろうという気もしなくもなかった。
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この世には(というか人間の人生には)何故苦しみがあるのか。神がいるならなぜ? という問いに向き合った、キリスト教を棄教した聖書学者の本。旧約から新約にいたるまで、聖書はその問いをどう考えているのかが網羅されている。
面白かったのは、イエス、そしてパウロが黙示的思想家であったというところ。確かにそうだ。洗礼者ヨハネも、彼らみんなが属していた時代と文化も。それは不幸なことかもしれない。でも久しぶりに目にしたイエスの福音書での最初の言葉、「時は満ち、神の国は近づいた」の宣言には、やはり胸が熱くなる。それが真実でないと知っていても。
ともかく、著者はたぶんキリスト教徒として育ったからそういう問を発するんだろうと思う。苦しみがあることには理由はなく、ただそうなんだと思う、神という概念の薄いアジア的な私とは少しスタンスが違うかな。でもやはりとても興味深い問いではあるし、答えが出ないとしても、聖書の検証はとても面白かった。 -
新着図書コーナー展示は、2週間です。通常の配架場所は、3階開架 請求記号:193.01//E36
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もし神が存在するなら、なぜこの世にかくも多くの苦しみが存在するのか。 ホロコーストのような同じ人類による暴虐、無差別に襲いかかる天災のように、無垢の人々にも災厄は襲いかかる。 なぜ人々はかくも苦しまねばならないのか。神は一体何をしているのか。 敬虔なキリスト教徒として出発し、聖書研究の道を選んだ著者は、この問い(「神義論」と呼ばれる)に真正面から取り組む。
この著作は、苦しみの存在に聖書はどのような答を与えているのか、ということを扱う。旧約、新約聖書には様々な説明がある。罪に対する罰。ヨブ記のような、信仰心の試み。神に反抗する勢力の存在。神を信じるが故に苦しみが与えられる。黙示録的思想。しかしどの説明も、この世界が神の良き意思に基づいて作られていることを著者に納得させるだけの説得力は持たない。揺らぐ信仰に悩み抜き、不可知論者となるに至るまでの思索を辿る。 -
人はなぜ苦しまねばならぬのか。その問いに対して、聖書が示している多様な答え。その答えが如何に受け入れがたいものであるか書かれている。
ありがちなエセ科学の視点から単純に間違いを指摘するといった冒涜的な聖書批判の書物ではなく、長年キリスト教徒であり、聖書を初めから終わりまで暗唱できるほど研究し、知り尽くした著書が、教えを棄てるに至るほどの苦しみを伴った、神の否定である。
同時に、生まれた時より筋金入りのキリスト教徒である著者、神学校へ入り学位を授かり、神学校で教え、同時に牧師でもあった著者が、どのような過程を経て、棄教へと至ったかが書かれている。
この本を読むきっかけとなったのはカラマーゾフの兄弟で、イワンの思想とすごく似ていたからでした。
そしてその事が本の中でも触れられています。