- Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
- / ISBN・EAN: 9784760138418
作品紹介・あらすじ
事件から一〇年がたとうとしているいま、あらためて、NHKはだれのためにあるのかを問いたい。沈黙はなにも解決してくれない。毎日毎日人の道を説き、社会のありようを提言しつづける放送局が、ふだんの多弁とはうって変わって沈黙を守りつづけるのは、どう考えても不自然だ。いま、すべてが語られねばならない。番組はなぜあれほど無惨に書き変えられたのか。事件後になにがおこなわれ、なにがおこなわれなかったのか-。
感想・レビュー・書評
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小説じゃ無くなった途端、読むペース落ちるのやめたいなあ。この本も喫茶店に籠ってやっと読み切れた。
公正・公平に見えるNHKの一枚岩ではないところを覗き見た感じがした。新聞社と違って、NHKの記者はくい込むことはできても、報道はできないことが多々あると言われる。その最たる例だった。
この事実は重く受け止めなきゃいけないな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ノンフィクション
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10数年前、NHKによる慰安婦関係のドキュメンタリー番組制作に、中川議員や安倍現総理が政治介入したと疑われる事件について、番組制作の張本人の一人が著した暴露本。当事者の一方的な説明なので書かれた内容が真実かわからないが、いずれにせよ、番組の中立性を保つためにいかに多くプロが真剣に取り組んでいるかが伝わり、マスコミを尊敬する気持ちは増した。読み物として面白かった。
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著者の体験が豊富に書いてあり参考になった。が、主題のポイントがはっきりせず読み取れなかった。
「本書は、2001年1月30日に放送されたNHK教育テレビ「ETV2001」シリーズ「戦争をどう裁くか」の第二回「問われる戦時性暴力」の内容が、国会議員らの圧力によって放送前に改変された事件について、当時NHKの番組担当プロデューサーであったわたしの体験と、その思いをつづったものである。」 -
話がしょっちゅう脱線するので読みにくい。
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国会議員による言論弾圧の顛末
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自分の発言、行動に責任を持つこと。組織を守る、国を守る、ためでもいい。ちゃんと説明をすることが出来るか。それが出来ない、公表出来ないのであれば、そへは正しいこととは言えないと思う。シンプルに考えることを大事にしたい。
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NHKは受信料と、国会で審議される予算から成り立っている為、予算を通す権限を持つ、政治家からの圧力に弱い一面があることが分かった。
本書に出てくる、圧力をかけたとされる政治家の言い分は分からないし、従軍慰安婦の問題の見解もいろいろあるだろうから、本書を読んだだけでは結論を持ち得ないが、一方の意見としてはとても参考になった。
政治介入という問題を、権力に屈せず、きちんと問題として提起できる人がいるという意味で、NHKの作品は、他局のものより信頼が持てると思った。これからも応援したくなるNHKでいてほしい。
全体を通して、著者の経験や視点で話が飛んでしまうので、決して読みやすくはなかった。 -
この事件があったから、
NHKで撮影取材を受けて、実際に放映されるまでは、
試写をさせてもらえないという規定ができたんだなと改めて納得。
でも、この本に書かれている番組改編への経緯は、
正直言って疑わしい場面が多々あることはたしかである。
う~む、やはり新自由主義者の権力の横暴かぁと思ってしまう。
そのメンバーの中には、もうすでにこの世にいない人もいるので、
都合の悪い人間は、この世から消されてしまうのかなと。
ちなみに、心に残ったフレーズは、
「問うていけないことなんかない。
問おうとすることは尊いことだ。考えて当然なのだ。
わたしたちは、自分たちの歴史から逃げてはいけない。
考え続けなくてはならない。もちろん、いろんな考え方があっていい。
だが問うことを避け、止めてしまうことは間違っている。」 -
中川昭一さんはバッチリ名前が出ているのは死んだから?
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★反発とあきらめと責任回避と★戦時下の性暴力を巡るNHK番組が政治家の介入で改変されたのは、もう10年も前だったのか。いまだに明確な総括はないようだが、著者の証言や朝日新聞からの流出文書(無断でインタビューを録音していたので正面切っては提示できなかった。これがNHK側に反論の余地を与えてしまった)を読む限り、朝日新聞が当初に報道したように事実なのだろう。
上司の理不尽な圧力に反発し、意図をくまない部下(下請け先)にいら立つ。そのうち、変更に対してあきらめの気持ちが強まり、半ば自分の番組ではないように唯唯諾諾と上司の指示に従う。いざ番組が放送されると、自分には責任はないのだと思いこもうとする。恥ずかしい部分も含めて、著者の混乱がよく伝わる。誰もこんな番組を作りたかったわけではないのでできてしまった、と。政治家の圧力という問題とともに、最後の一線をどこかで保たないと誰も望まない無責任な商品ができあがることがよく分かった。これはテレビや報道の話に限ったことではない。