ぼくらはそれでも肉を食う: 人と動物の奇妙な関係

  • 柏書房
3.89
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本棚登録 : 440
感想 : 51
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  • Amazon.co.jp ・本 (366ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784760139620

感想・レビュー・書評

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  • 深くて考えさせられるテーマですが、軽妙でとても読みやすい名訳。

  • 食肉と菜食主義に関する議論がされている本かと思ったらその話題は後半(p. 200以降)くらいに書かれていた。大部分は動物に対する倫理や道徳に関する話題について触れてそれに関する具体的なエピソードや議論というものだった。動物実験やペットを飼う理由、男女の性による動物への関わりの違いなど広範にわたって取り扱っていた。

    いろいろと扱っていたのはよかったが、文章が冗長で論点がわかりづらい箇所があった。著者の研究などを通じたエピソードに基づいて話が展開されており、物語があってそれはそれで面白い。しかし、肝心の問題点と議論の要点とそれに対する反対派と賛成派の意見がわかりにくい箇所があった。図解や箇条書きを駆使してわかりやすくして欲しかった。本の最初にあらすじや概要に該当する箇所がなく、この本全体で取り扱っている内容の全体像と道筋がイマイチよくわからなかった。
    基本的には章毎に内容が独立している様子なので、目次をみて気になったテーマだけ読むというスタンスでよい。

    個人的にはよく倫理の問題で取り上げられるトロッコ問題(暴走する列車の先には5人の作業員がいて、別のレールには1人の作業員がいる。自分がスイッチを押せばレールを切り替えれば1人は死ぬが、5人は助かるという状況でスイッチを押すかどうか)を動物例に挙げていた話題にはっとさせられた。サンデル教授の白熱教室でもこの問題はよく取り上げられるので知っていたが動物で考えたことはなかった。人と動物、動物と動物、ペットの命の扱いについて考えさせられた。他には以下のようなことが参考になった。
    ・人間はかわいい動物に価値を置きがち。
    ・本能で生きている動物に報復することの是非。
    ・鶏はたくさん殺されるので肉を食べるならくじらのようにできるだけ大きい個体から肉を得るほうが死の苦痛を減らせる。

    この手の倫理に関する本にはおそらく共通することだろうが、どの話題にも結論というものはない。そこがはっきりしなくてもやもやが残った。

  • なんとも言いようのない問題を突きつけられた。保健所に引き取られ、安楽死させられるペットは、入手困難な捕食動物のエサとして利用しても良いのではないか。理にかなっているかもしれないが、感情的にはどうも納得できない。そんな人と動物の関係について、思いもよらない角度から問題提起された本。

  • どのような結論を出すのかと期待しながら読み進めていったが、結論と言えるようなものはなく、まとめられない、ということが結論になっていた。
    その結論には同意するが 、それならば何のために論を進めていたのかと釈然としないものは残る。

    解説にも出てきたサンデル教授もそうだが、問題提起で終わってしまうのは物語としては良くても、研究成果としてはやはり不十分ではないだろうか。

    とはいえ平易な文章は読みやすく、個性的な登場人物やエピソードは非常に面白く、作者の聡明さを存分に感じさせるものだった。

    今後の益々の活躍に期待したい。

  • にんげんとどうぶつの、スッキリなかよくとはいかない関係。。いろんな問題がある。じぶんのなかにも、ものすごい矛盾がある。こたえはまだでていない。。

  • 原題は「愛したり、嫌ったり、食べたり」。動物に対する色々な人の色々なケースをなんでだろねー不思議だねーと著者と一緒に考える。訳もラフな感じで読みやすい。

  • 現代の動物と人間との関係について。
    菜食主義者と動物との関係、ペットとの関係、イヌや闘鶏について等、人間と動物との様々な関係を考察している。
    人間は動物を愛護する気持ちも持ち合わせているが、同時に動物を殺して食べている。動物に対する感情は複雑で、動物愛護に携わる人も仕事となると動物を殺すし、菜食主義者でも自分が動物と認めない魚のようなものは、平気で食べてしまう。動物と人間の関係には、民族や文化で多くの考え方があるため、こうあるべきというルールは無い。
    この本で取り上げた多くの事例を、自分に置き換えてみるといろいろ考えさせられる事が多かった。
    競馬が好きで、テレビ中継で見ていた頃の馬に対する見方は「走る機械」だった。馬の競走能力をデータに置き換えて勝敗を予想し、結果の勝ち負けだけに拘り、馬が故障して安楽死させられても何とも思わなかった。でも競馬場に出掛けるようになり、現実の競争馬を見るようになって、少しずつ馬に対する感情が変わってきたように思う。レースで負けた競争馬にも、1頭の生き物としての愛情を感じるようになり、故障してコースに佇む馬を見るとその馬の運命を察して居た堪れなくなる。だからと言って、競馬という競技を非難する気持ちも起こらない。馬肉の材料として育成されている馬も居るわけだから、それに比べると自分の能力を発揮する機会を与えられた(強制された)ある意味、幸せな馬とも言える。
    世の中には、生き物を「食べ物」や「金儲けの道具」としてしか見ない人達も居るし、人間と同じレベルの「動物」として見る人達もいる。相容れない2つの立場で、対処の仕方が違ってくるのは当然だろう。だからこそ、個々人の動物に対する意識のカテゴリー分けが必要になる。
    著者の実体験を含めて大変面白い内容なので、ペットを飼ったり動物と接する機会のある人に薦めたい本です。

  •  私は今まで一度も、ネコもイヌも飼ったことがない。さらに言うと、私の親戚にもネコ及びイヌを飼っている人は一人もいない。今時そういう人達は珍しいのではないだろうか。だからと言って動物が嫌いな訳ではなく、ネコの愛くるしい瞳に見つめられれば、思わず歩みを止めてしまうだろう。しかし、特に飼いたいと思ったことがないのも事実だ。私にとっても動物とは、とても不思議な存在である。
     著者のハロルドハーツォグ氏は人類動物学という聞きなれない学問の第一人者である。それもそのはず、人類動物学とはまだできたばかりの学問なのだ。
     人類動物学は、主に人間の動物に対する態度を研究する学問である。本書で扱っている内容は幅広い。なぜ人はペットを飼うのか、闘鶏と食肉にされる鶏ではどちらが残酷なのか、動物実験は許されるのだろうかなどなど・・・。これらの問題は、それぞれが一朝一夕では答えの出ないような、複雑なジレンマを孕んでいる。
     著者はそれらの難問を軽妙でスマートに、時に鋭く考察する。断わっておくべきことは、この本には明確な答えは載っていないと言うことだ。著者自身の見解も、終始どっち付かずの立場である。恐らく動物保護の運動などに関わっている様な人達にとっては、納得の出来ない内容かもしれない。しかし、私は概ね著者の意見に同意できる。
     ペットの問題にしても、菜食主義にしても、動物活動家にしても、それぞれ光と影がある。それらを見て見ぬ振りをせず、あくまで公平な視点をとろうとすると、必然的に中途半端な立場を取らざるを得なくなる。著者自身も、動物に対する人間達(もちろん自分も含まれる)の心理の矛盾に戸惑っている。しかい、最後にはそれはそれとして受け入れるという考えを示している。様々な動物に関するジレンマは複雑な構造をしており、境界線を引くのが難しい。それゆえ、みんながそれぞれ折り合いを付けて考えて行くしかないのだ。

  • 理性や道徳なんて、理由じゃない。ようは感情の問題だ。ミミズやアリなら平気で殺す。イヌやネコを自分で手にかけるなんて考えられない。例え飼えなくなった場合とかでも。その差はどこだろう? なんなんだろう? 誰もが思う疑問を、つきつめる。ただ、答えはない。複雑、とまとめられているだけ。だけど、だから自分の考えがどこにあるかまとまる本だと思いました。
    日本人に興味なさそうな章は省略されたとかで、完訳じゃないのが悔やまれました。別に興味ある章なんて人それぞれなんだしどうせこれでもこんな分厚いんだし完訳してほしかったなあ。
    食用に作られたニワトリ「コッブ500」のひどい品種改良、劣悪な肥育施設、最悪の一生と、闘鶏のために育てられる軍鶏の快適な一生、どっちがマシか? これは、もうちょっとアメリカ人たち、向き合うべきなんじゃないのか‥‥と、言いつつ、今日安売りされていた鶏肉買ったけど確かアメリカ産だったな とダーティな気分になるのであった グローバル社会だと私も無関係ではいられないんだなあ‥‥

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