それでも、読書をやめない理由

制作 : David L. Ulin  井上 里 
  • 柏書房
3.35
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本棚登録 : 251
レビュー : 29
  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784760140848

作品紹介・あらすじ

パソコン、携帯電話、電子書籍…さまざまなメディアに「文字」があふれている時代、本を読むということは、いったい何を意味するのか?生きるために、読む。生きているから、読む。本から始まり、時間や人の記憶にいたるまで縦横無尽に語る読書論。

感想・レビュー・書評

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  • 200ページのほぼ全てにおいて、『読書』に関しての様々な考察が綴られている。『読書』を自分の経験をとおして、自分が読んできた著者の言葉をとおして、あるいは自分の息子が本に向き合う姿をとおして、あるいは読書し経過する時間との関係性を感じながら、はたまた読書している自分自身の姿を俯瞰しながら。そのときどきに映し出される『読書』の多様で深みのある魅力を語り尽くしている。

    読み終えた今、この本を振り返っても、よくもこれだけ『読書』だけをテーマにして語り続けることができるものだと思ってしまうし、最後まで読み終えかつ、★を5つけてしまうほどに、心の奥深くに共感がコダマする文章が素晴らしかった。
    それを思うと著者デヴィッド・L・ユーリンの筆力だけでなく、翻訳した井上 里さんの言葉の選択が見事に著者の意図に調和して美しかったのだとつくづく感服してしまう。

    著者がこの本を書き終えたときに掬いとった『読書』の姿を引用しておきます。

    『わたしたちが物事に向き合わないことを何より望んでいるこの社会において、読書とは没頭することなのだ。読書はもっとも深いレベルで私たちを結びつける。それは早く終わらせるものではなく、時間をかけるものだ。それこそが読書の美しさであり、難しさでもある。なぜなら一瞬のうちに情報が手に入るこの文化の中で、読書をするには自分のペースで進むことが求められるからだ。
    時間をかけて本を読むというこの考えは、いったい何を意味しているのだろう?
    もっとも根本的には、それによって私たちはふたたび時間と向き合う、ということだ。
    読書の最中には、私たちは辛抱強くならざるを得ない。ひとつひとつのことを読むたびに受け入れ、物語に身をゆだねるのだ。さらに私たちは気づかされる。この瞬間を、この場面を、この行を、ていねいに味わうことが重要なのだ、と。
    世界からほんの少し離れ、その騒音や混乱から一歩退いてみることによって、私たちは世界そのものを取り戻し、他者の精神に映る自分の姿を発見する。そのときわたしたちは。より広い対話に加わっている。その対話によって自分自身を超越し、より大きな自分を得るのだ。』

  • 『それでも、読書をやめない理由』
    デヴィット・L・ユーリン
    訳 井上里

    文学は死んだ、とノアはいった。だから、本なんてもう読まないんだ。と。隠していたものが露にされる衝撃を感じながら、わたしは気づいた。つまり、わたしも、ノアが間違っているとは思えなかったのだ。(p16)

    ★現在の文学とはどういった存在なのだろうか。19世紀、本当は娯楽の一番であった。だが、そこから映画、テレビ、ネットと娯楽は移ろい、本は誰も読まなくなった。しかし、それでも本には、物語には何かが潜んでいる。

    読書は一種の瞑想だ。おそらく、わたしたちが、別の人間の意識と同化できるただひとつの方法だ。(p25)

    ★別の人間とはなんだろうか。作中の人々、作者ともとれるし、同時に時間を超えてその文章を読んでいる読者ともとれるのではないだろうか。
     物語を読み、別の人生を体験することだってできるのだから。

    店内の様子、におい、壁を覆っていたり、新刊案内のテーブルにつまれたりしている書物の量。それらが、たちまちわたしの下腹を打つ。とたん、腹がごろごろいい出し、括約筋がきゅっと締まる。トイレへ駆けこみたくなるし、気持ちは高ぶる。心身が一緒に反応するのだ。わたしはこの感覚が大好きだった。(p29)

    ★本屋、図書館へ入る時の高揚感

    本を読むにはある種の静けさと雑音を遮断する能力が必要だ。過剰にネットワークが張りつめられたこの社会では、それを得ることは次第に難しくなっているようだ。(p46)

    ★読書とは能力の一つである。だから衰えもする。

    知識は幻想にとって替わられる(p46)

    ★過去の検索スピードと比べれば瞬時に知りたいことを知るようになった。すると記憶の定着が悪くなった様に思える。もちろんこれは主観的な個人的な問題なのかもしれないが。
     調べる時間というのは、頭の中でその調べたい物+目で調べている文字、映像を同時に照らし合わせている。それらを瞬時に判断することにより求めているものを探し出す。この途中の意味のない過程が実は非常に意味のあるものに思えてしかたがない。

    ネットの世界はこう断言する。スピードこそがわたしたちを事実の解明へ導き、深く考えることより瞬時に反応することのほうが重要で、わずかな時間も無為に過ごしてはいけない、と。(p46)

    ★効率よく、時間を短くする。これは産業革命以後人類の宿命の様に求められてきた。情報や物でさえ、ネットを使い家にいながらにして得ることができる。そうして、どんどん速くなった世界で人間はどうなるのだろうか?

    だが、実際のところ、ネット上に散らばっているのは使い古しのテーマや浅い考え、意見の断片などがほとんどだ。それらは、総じて時代への不安を表している。(p48)

    ★ネット上の情報に対しての描写。間違っているだろうか?

    読書は瞬間を心情とする生き方からわたしたちを引きもどし、私たちに本来的な時間を返してくれる。(p103)

    ★上の文章と下の文章は続けて書かれている。「本来的な時間」とはなんだろうか。

    今という時間の中だけで本を読むことはできない。本はいくつもの時間の中に存在するのだ。 (p103)

    ★続けて下記

    わたしたちが本と向き合う直接的な時間経験がある。そして、物語が進行する時間がある。登場人物や作者にもそれぞれの人生の時間が進行している。 (p103)

    ★つまり本来的な時間とは、
    1、読んでいる時間
    2、作中の時間(場面)
    3、登場人物の時間(台詞)
    4、執筆の時間

    ということだろうか。

    黙読は学習によって身につく行為であり、習得するには意思力や継続的な集中力が必要とされる。それは実のところ、本能の誘いかけに抗うものだ。(p127)

    ★ニコラス・カーという人の著者「ネット・バカ」より。これはまだ販売しているので読んでみたい。
     昔ひとは黙読できなかった。これは他の文献からも分かっている。新聞でさえ声にだされていたのだ。(p127)

    読書は本と一体化する。これは重要な——おそらく、もっとも重要な——指摘だ。(p129)

    ★先のカーの著作より。そして読書とは人生のひな形である。と書いている。

    読書とは、自己認識の一形態であり、それが達成されるのは、逆説的だが、自己を他社と重ね合わせたときである。それは、わたしたちをきわめて具体的に変化させる抽象的なプロセスだ。(p130)

    ★つまり読書。

    コンピュータ上での行為を”読書”と定義していいのだろうか。それともそれは、実際のところ、何か別のものなのだろうか。(p133)

    ★非常に気になるところ。

    ブトートがそうするはずはないことをわかり切っていたにもかかわらず。なぜカフカは自分の父親に頼まなかったのだろう? 息子より長生きした父親は、即座に原稿を焼き捨てていたはずだ。(p144)


    ★カフカとブロートの話。なるほど。ブロートのおせっかいな親切ではなく。そいういう風に考えられる。

    彼はある意味、すでに一匹の虫だった。(p144)

    ★カフカの『変身』について。私はどうだろうか?

    「紙の本は私が集中できるように助けてくれる。読書以外には何も提供せず、目の前でページを開いて横たわり、私が目をおとすのを静かにまっている。……」(p167)

    ★クリンケンボルグという人の言葉より引用。本はそれだけしかしないからこそ。

    しかしながら、この。”できる”という感覚——ポケットに収まる小さな携帯機器で、あらゆる時代に書かれた言葉を数百語持ち運ぶことができるという感覚——は、まるで何かの入り口に立っているような感覚を呼び起こす。ただ、その何かが何なのかは、まだ完全にはわからないのだが。(p173)

    ★ネットの可能性について。その行き先、はまだ見えていない。

    文学という道具は確かに不完全であるものの、最も基本的なレベルで実際にはないものを信じさせる力がある。(p177)

    ★原始的であるからこそ。

    結局のところ、何かと注意が散漫になりがちなこの世界において、読書は一つの抵抗の行為なのだ。そして、わたしたちが物事に向き合わないことをなにより望んでいるこの社会において、読書とは没頭することなのだ。(p192)

    ★総論。読書とは抵抗行為。面白い考え方。

    それは早く終わらせるものでなく時間をかけるものだ。それこそが、読書の美しさであり、難しさでもある。(p192)

    ★美しく、難しい。長編小説こそ時間をかけて読むものだ。

    もっとも根本的には、それによって私たちは再び時間と向き合う、ということだ。読書の最中には、わたしたちは辛抱強くならざるを得ない。(p192)

    ★p103のことだろう

    この瞬間を、この場面を、この行を、ていねいに味わうことが重要なのだ。と、世界からほんの少し離れ、その騒音や混乱から、一歩退いてみることによって、わたしたちは世界そのものを取りもどし、他者の精神に映る自分の姿を発見する。そのときわたしたちは、より広い対話に加わっている。(p192)

    ★対話により、さらに広い自分を得るとある。ていねいに読むこと。これは大切なこと。先を急ぐとろくなことはない。

    『それでも、読書をやめない理由』は、思いもよらない状況から生まれた。本の虫以外のなにものでもなかったわたしが、突然本に集中することが難しくなったのだ。原因のひとつはテクノロジーにあった。より正確にいうなら、テクノロジーがもたらすノイズだ。(p194)

    ★日本語版のあとがきより。それは今の自分と同じ状況なのではないか。ノイズ。一つのキーワードである。さらに、これは本書の冒頭にあってもおかしくない。

  •  IT技術の拡がりのなか、読書という個別的で内省的な行為はなくなってしまうのだろうか。そんな危惧を抱いている人々に読んでもらいたい本です。アメリカのコラムニストの書いた読書論として、若い世代の子供たちとやりとりしながら、読書という行為について考察する点が面白かったです。
     私自身、メールだSNSだとついいじってしまい、本に向き合い、集中するということが、そういえば最近なくなっていました。「スピードこそがわたしたちを事実の解明へ導き、深く考えることより瞬時に反応することのほうが重要で、わずかな時間も無為に過ごしてはいけない、と。そこに、わたしたちの抱える読書の問題が端的に表れている。なぜなら、本を読むには、それとはまったく逆の姿勢が必要だから。余裕を持って深くのめりこむ姿勢こそ大切なのだ。」(46頁)と述べられています。読書とは一見すると無意味だったり、時間がかかったりするからと敬遠されがちですが、そうした点こそが読書の本質でもあるということでしょう。
     読書がスピード第一の現代では困難であるのだが、それでもじっくり時間をかけて深く考えるという体験はなくしたくないという著者の主張に賛同いたします。とはいえ、ではどうしたらいいかという方策を示しているわけではありません。それは読者ひとりひとりがそれこそゆっくりと考えていくことなのでしょう。というのも、私はそれこそが「文学」のあり方だと思うからです。
     読書って、かけがえのない体験だったのかもしれないと、読み終えたとき、思わせてくれます。ある意味ではスピード感なしにはやっていけない現代において、読書の意味を改めて考え直してみるにはいい本だと思います。

  • 15歳の息子、ノアに「文学はもう死んでるね」と言われ、著者はその言葉が間違っていると思えなかったことに(そんな自分の変化に)気づく。
    それは何故なのか?

    この本に書かれているのは著者の非常に個人的な経験であり、その経験から得られた読書観だ。
    生まれた時代も国も違う著者の経験には共感出来ることがほとんどないにも関わらず、読書に関する考えにはすんなり納得出来てしまうから不思議。

    電子書籍によって変わりつつある読書の現状について著者は、「道具は違っても、本を読むという行為は同じなのだ。」「わたしたちは、すべては自分たち次第なのだということを再び発見しつつあるのだろう」と述べ、「つまり、わたしにはこういうほかはない。わたしにとっても、皆にとっても、本を読むということはどこへもいきはしないのだ、と。」と結論づける。
    私はこの結論を歓迎したい。そうであってほしいと心から思う。

    私にとって読書は最も身近で、最も好ましい娯楽だと考えていた。
    でもそんな単純な存在ではないかもしれないと思い始めている。
    そんな風に簡単にすることで、つまらなくしていたのかもしれない。
    学生だった頃は文学について(この表現も曖昧でどうかと思うけれど)もっといろいろ考えていたし、わからないと悩みながらもわかろうとしていたと思う(思いたい)。
    いつの間にか自分の中の問いを放り出していたのかもしれない。この本からの一番の発見だ。
    その問いにもう一度取り組もうと決意するわけではないけれど、忘れたくはないなと思う。
    常に私の中にある、それでいい気がする。

  • 文学は死んだ、とノアはいった。
    だから、本なんてもう読まないんだ、と。
    隠していたものが露わにされる衝撃を感じながら、わたしは気づいた。つまり、わたしも、ノアが間違っているとは思えなかったのだ。

    感情のDNAを変えてしまう本の力

    カート・ヴォネガットが、文学とは観客自身が楽譜を演奏できる唯一の芸術だと語ったことがある。

  • デヴィッドユーリン「それでも、読書をやめない理由」 http://www.kashiwashobo.co.jp/book/b228676.html … 読んだ、んーまあまあかな。読書行為自体についての問いかと思ったら、現代における文学の存在意義への考察だった。で結論が、小説を読むことは人に内省を促す、という極めて普通のオチ(つづく

    著者が文芸批評家で、息子の国語の宿題をとおして現代における文芸の意味を考察する、という設定は良いのに勿体ない。どうせなら小説だけじゃなくノンフィクションや論評も含めて、SNS経由で記事やテキストに誘導されることも加味しつつ、なぜ人はそれを読むのか、という考察を読みたかった(つづく

    または電子書籍と紙書籍とで読書体験から受ける影響の違い、とか。まあこれはサンプル僅少だから無理か。個人的には、脳は紙書籍のほうに活発に反応する、という現在の研究結果を先に進めて、驚くほど柔軟な脳が、今後電子書籍に慣れると紙書籍と同レベルの反応をするのか、というのを知りたい(おわり

  • 本を読むということは、どういうことなのか。ネットに時間を奪われていた著者が、あらためて本を読むことについて考察している本でした。
    紙ベースの本だけでなく、電子書籍にも言及されていたり、ネットの文章の浅さを指摘する一方で、若者たちの新たなつながりも紹介されていて面白かったです。

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    たいていの場合、彼らとの対話は非常に興味深かった。ところが、最高の時間を持てたときでさえ、どこか物足りない気分になった。本を読んだときの親密さや内面性が感じられない。40
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    本を読むにはある種の静けさと雑音を遮断する能力が必要だ。

    シンプソンは本を読むのをやめたといっているわけではない。むしろ、まるで時間が早送りのように過ぎていくこの時代に、本を頼りに時間の急流から身を引き、現在から距離を置こうとしている。そうすることで、本来の人間のありようを取りもどそうとしているのだ。46
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    「彼らがふつうに使える言葉は、日常生活に必要な決まり文句だけなのだ」53
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    これこそが、わたしの注意散漫の本質だ。どんなときも、世界があまりにも手近にあるのだ。思いついたその瞬間にEメールをチェックできる。98
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    わたしたちは、自分たちが今まさにそのただ中にいる問題さえ解説を求めたがるのだ。今まさに自分たちが主役である世界についてさえ、ことこまかに知りたがる。

    四年間の任期の半ばも過ぎていないというのに、どうして大統領としてのオバマを評価できるだろう?不確定要素もあれば、理解できないこともたくさんあるのだと認める余裕などあるのだろうか?102
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    フェイスブックは、役に立たない細かい情報を洪水のように流すことで、忘れることを不可能にしてしまった。そのため記憶することも不可能になった。実際、記憶とは忘却に置き去りにされた物語である――過ぎゆく時間に無用の細部をはぎとられ、なおも残った本質的なものが記憶だ。

    フェイスブックにおいては、過去は決して癒されない傷となり、したがって、意味のある経験の傷跡になることはない。108
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    いってみればテクノロジーの安息日を作れ、というわけだ。110
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    結局のところ、何かと注意が散漫になりがちなこの世界において、読書はひとつの抵抗の行為なのだ。192

    読書はひとつの瞑想的行為となる。そこには瞑想に伴う困難と恩寵のすべてが含まれている。193
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  • 何のための読書なのか
    時代とともに 読書の方法は変わる
    ネットの環境によって、読書とは⇒本を読むことから変化する
    著者の(記述の)追体験ではなく、自分の体験とする。記憶ではなく、共有すること

    モノとしての本はきっかけづくりとして役立っているのだろう

  • インターネットを含めたノイズの多い時代、読書はどうなっていくのかということを考察している。
    結論としては、ひどくありきたりなところに落ち着いている。「人は、読書することをやめない」ということだ。

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