家康伝説の嘘

  • 柏書房 (2015年11月12日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784760146451

作品紹介・あらすじ

家康の死後、誰かが創った家康の歴史。俗説を排除し、通説を見直し、生身の家康に迫る!

感想・レビュー・書評

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  • 信康切腹事件、麒麟がくる内でも信長非道のひとつ
    最近は信康とその仲間達(岡崎グループ)はホンマに
    謀叛めいた動きがあったとも言われる
    1579(天正7年)
    8.3家康は信康と争論
    8.4信康大浜へ退かされる
    8.8家康、信長家臣堀秀政へ4日の件伝えている
    8.9信康更に遠江堀江城へ追いやる
    8.10家康岡崎城で地域領主集め信康と断交を誓わせる
    8.29築山殿「日頃ノ悪逆」理由で遠江国富塚で殺害
    9.15信康遠江二俣城へ移され自害
    五徳(信康の妻で信長の娘)との不仲
    6.5家康が信康・五徳の仲直りを図りに浜松から岡崎へ

    今川家から距離を置き始めた家康、その頃駿府にいた
    築山殿と信康は命も危ぶまれたが人質交換で岡崎へ
    1567五徳と婚姻
    1568信玄と連携し今川攻め
    1570岡崎を信康(築山殿も)、浜松を家康の体制

    1575以降、武田氏の徳川侵攻で家中には敵対疑問視も
    大岡弥四郎事件(大賀弥四郎事件:徳川中心史観)
    勝頼と通謀し岡崎城へ引き入れようとした徳川家内紛
    長篠の戦いも起きるので大岡とは一連の調略?

    その後も厳戒態勢を強いられていた岡崎は緊張続く中
    1578所領への帰還を赦す・・・反発が強くなった?

    信康自害後に相模北条氏と同盟を結び武田攻撃強化
    やはり信康は武田と通じていたか?

  • 本当に戦が巧かったのか、石田三成と不仲だったのか等家康にまつわる疑問を検証していく。
    小牧長久手の戦いの勝者は秀吉。

  • 物足りない。小山会談がないとか、国家安康の事件や関ヶ原の合戦以降も豊臣家が公儀だったとか。割と一般的。あまり新しい知見がなかった。

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著者プロフィール

渡邊 大門(わたなべ・だいもん):1967年神奈川県横浜市生まれ。関西学院大文学部史学科日本史学専攻卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。著書には、『明智光秀と本能寺の変』『嘉吉の乱』『流罪の日本史』(以上、ちくま新書)、近著に『戦国大名の家中抗争』(星海社新書)、『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』(法律文化社)、『戦国大名は経歴詐称する』『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』(柏書房)、『誤解だらけの徳川家康』(幻冬舎新書)、『大坂の陣全史』(草思社)、『天下人の攻城戦』(朝日新書)など多数。

「2025年 『羽柴秀長と豊臣政権』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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