「日本の伝統」の正体

著者 :
  • 柏書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784760149339

作品紹介・あらすじ

「日本の伝統」はいつ、いかにして創られ、私たちはどのようにして、受け入れてきたのか?初詣、神前結婚式、恵方巻、ソメイヨシノ、大安・仏滅、三世代同居-フェイクな「和の心」に踊らされないための、「伝統リテラシー」が身につく一冊!

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    「作られた伝統」と言われて思いつくものはなんだろうか。

    私は恵方巻であった。もともと関西の一部地域で習慣となっていた巻物にかぶりつく文化が、日本人が好きな吉凶占いと融合し、恵方巻という「行事」に昇格したわけだが、これが認知度を上げたのはセブンイレブンのおかげである。セブンイレブンによる恵方巻の全国発売が行われたのは最近も最近、平成10年の話であるため、伝統というには当然程遠い。

    立ち位置的にはホワイトデーやらハロウィンやらと同じわけだが、どうして恵方巻は「伝統感」を出して(出せて)いるのだろうか?

    そのような伝統にまつわるカラクリを説明しながら、日本に存在する「伝統と思われているもの」のルーツを紹介しているのが本書である。本書によると、「伝統形成」のパターンは、主に次の4通りある。
    「朝廷行事に起源を求める」
    「商売と結びつく」
    「古くから存在するものを使う」
    「メディアと結びつく」

    1番目と3番目は商品に「伝統っぽさ」を付与するための権威付けであり、2番目と4番目は商品を「全国に浸透させたい」ときに使う宣伝方法である。
    例えば初詣。これは約120年前に出来た比較的新しい文化だ。
    もともと正月には「恵方詣り」という文化があったが、恵方は5年に一回しか回ってこないため、鉄道会社と寺社が毎年安定的にお客さんに来てもらいたいという狙いのもと、吉凶とは関係ない「初詣」を設定したのが現在まで続いている。上記のケースで言うと2番目と3番目の力を借りているというわけだ(もしかしたら1番目の力も借りているかもしれない)。

    恵方巻とホワイトデーの違いは、朝廷行事や古くから存在するものにバックボーンを置いているか、要は「日本古来感を」出せているかどうかである。そういう意味ではハロウィンで仮装することよりもカボチャの煮つけを食べることのほうが「伝統感」は出ているのだが、いかんせん今度は商売と結びつかなく、流行という意味では仮装に押されがちなのだ。

    ――――――――――――――――――――――――――――
    本書の流れは、「神前婚」や「七五三」、「相撲」など、日本の伝統と思われている行事に色々とメスを入れていくわけだが、伝統そのものを否定しているわけではない。
    筆者「長く続いているから素晴らしく、短いから価値がないというつもりもない。ただ、たかだか100-150年程度で、『日本の伝統』を誇らしげに(ときに権威的に)名乗るというケースに違和感がある、というだけ」
    「『伝統があって、人間がある』のではなく、『人間があって、伝統がある』。人は伝統の下僕ではない。『伝統だから従わなければならない』というのはおかしな話である。少しだけ権威に頼らず、『本当にそうなのか?』と自分の頭で考えるだけで、見えてくる風景はずいぶん変わってくる」。

    私もこの意見にはおおいに賛成だ。
    私の考えでは、伝統にはいい伝統と悪い伝統がある。いい伝統とはクリスマスやハロウィンのように、必要な人だけが、伝統ではないことを割り切って楽しむためものである。
    行事というのは何だかんだ楽しい。何でもない平日の一日がちょっとした記念日へと変われば、それが日常の生活に些細な彩りを与えてくれるし、行事によって経済が潤うならだれも損はしていない。
    ところが、それが「今までの伝統だから」という理由で存在を正当化し始めた時、悪い伝統へと変わっていく。
    夫婦同姓がその典型だろう。もともと日本には姓の概念はなかった。姓の義務化がされたのが約140年前であるが、そのときは夫婦別姓が基本であった。20年後に夫婦が同じ姓を名乗ることが義務化され、今日まで続いている。
    夫婦同姓を固持する人の中で「それが昔からの家族観だから」とのたまう人がいるが、これはまさに伝統が悪い伝統に変わってしまった例である。伝統に人間が縛られ、身動きが取れなくなっている状態であり、こうした伝統こそ「本当にそうなのか?」と考えなければならないときが来ているのではないだろうか。
    ――――――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    1 「伝統」はこうして作られる
    「伝統形成」のパターンは、主に次の通り。
    「朝廷行事に起源を求める」
    「商売と結びつく」
    「古くから存在するものを使う」
    「メディアと結びつく」
    こうしたパターンは、単独ではなく、いくつかが組み合わさることで、次第に堂々とした「伝統感」ができていく。

    また、多くの伝統が明治三十年になってから一般的になっているが、これは明治三十七年に日本初のデパート、三越ができたからだ。商売と結びつく伝統はこのパターンが非常に多い。


    2「昔からありそう」のマジック
    初詣:約120年前。もともと正月には「恵方詣り」という文化があったが、恵方は5年に一回しか回ってこないため、鉄道会社と寺社が毎年安定的にお客さんに来てもらいたいという狙いのもと、吉凶とは関係ない「初詣」を設定した。

    七五三:関東ローカルな風習。約340年前にできたが、全国に広がったのは明治三十年。
    恵方巻:関西ローカルな風習。始まったのは昭和七年ごろ(はっきりしない)。昭和七年ごろ、大阪の鮨商組合が花柳界の文化として宣伝し、戦後に海苔組合も参入して大々的な宣伝を行った。一般化したのは平成十年、セブンイレブンが「恵方巻」という名前で全国に売り出したときである。

    神前結婚式:明治三十三年、後の大正天皇の婚儀に際して定められた様式。約120年前。
    もともと、日本に結婚式はなく、披露宴や祝言程度の行儀はあった。明治六年にキリスト教の禁止が解かれてから、あちこちでキリスト教式結婚式が行われた結果、明治二十五年に最初の仏前結婚式が行われた。

    夫婦同姓:もともと日本人に姓は無かったが、姓の義務化がされたのが約140年前。そのときは夫婦別姓だった。夫婦同姓になったのが120年前。

    蚊取り線香:実は蚊取り線香より、容れ物の豚のほうが早くできている。蚊取り線香は130年前、豚さんは200年前。豚さんは、蚊遣り火(ヨモギの葉っぱなどを混ぜ合わせた除虫のための焚火)の道具として使われていた。


    3 「江戸っぽい」と「京都マジック」
    江戸しぐさ:初出は昭和五十六年の読売新聞。芝三明というひとが、「江戸講」なるものの伝承者を語った。
    だが、江戸しぐさなる証拠は残っていない。1980年代後半からの江戸ブームに乗っかったものではないか?

    忍者:忍者自体は昔からいた(500年前)が、そのころはただの盗賊であった。黒装束や忍法などの実態からかけ離れたイメージは、340年前ほどに、人形浄瑠璃や歌舞伎の中で演じられ始めたことに由来する。忍者やくノ一という名前ができたのは60年前。


    4 国が先か伝統が先か
    相撲…相撲自体の歴史は古い(約1300年前)。しかし、日本には法令で「国技」と定められた競技はない。相撲が国技っぽく語られているのは、明治四十二年に、両国に初の相撲の常設館ができ、それを「国技館」と名付けたから。なんと建物ありきなのだ。

    ソメイヨシノ:花といえば「桜」となったのは約1000年前。しかし、当時の桜はだいたいヤマザクラだった。現在のようなソメイヨシノができたのは約150年前。ソメイヨシノはすべて接ぎ木か挿し木によって増えているため、同じ時期に一斉に咲いて一斉に散る。咲き散りの儚さが愛でられるようになったのはつい最近なのだ。

    武士道:言葉ができたのは約420年前。新渡戸が著した道徳的な「武士道」は約120年前にできた。

  • いわゆる「日本の伝統」と言われるものの発生や発展の経緯を調べ、解説した本です。
    どこまで本当かわからないですし、非常に軽いノリで書かれていますが、それなりに苦労して調べたものと思われます。

    こんな感じで、自分が疑問に思ったことを調べることは、とってもよいことですし、興味をもっている対象の歴史を調べることは、その過程で、いろんな学びがあるので、子どもに読んでもらうと面白いかも、と思っています。
    その場合、全部読む必要はなく、興味があるところだけで十分です。

  • 伝統を大切に思う気持ちは素晴らしいことだけど、それってホントに「伝統」なの? という視点を養うのにもってこいな本。

    例えば「恵方巻き」。
    私は「昔から関西にあったらしいけど、なんかコンビニが無理矢理なカンジで全国モノにして年中行事に仕立てたよねー」という程度の認識でしたが、” 関西育ちの人でも「最近はじめて知った」という人もいる” とのこと(本書31ページ)で、ビックリ。
    どうやら、昭和初期に寿司業界、戦後に海苔業界、そして現代のコンビニ業界がそれぞれ流行させようとしてきた歴史があるようで、とても興味深い話でした。

    この他、「忍者」「江戸しぐさ」「京都三大祭り」「演歌」などなど、よく見かける「伝統」について、その起源を辿りながら、それが「伝統になっていく経過」を軽妙な語り口で綴られているので、面白く楽しく、時に吹き出しながら読めてしまいます。
    単に「こうなんだよ」と結論を示すだけではなく、変化の足取りを解説してくれているので、帯文にあるとおり、まさに「伝統リテラシー」が身につく気がします。

    この本を読んでおけば、「伝統は素晴らしい!昔っからこうだったんだから、そのままであるべきだ!」なんていう、薄っぺらで硬直した思考にならずにいられるかもしれません。

  • 「伝統」で思考停止しないための基礎資料。今後「日本伝統の」と聞いたら途端に眉に唾つけるようになるだろうし、伝統を振りかざす人たちへの視線が生温かくなることだろう。
    読んだ上で「100年持ったなら十分に伝統だ」と思うもよし。本物の伝統を見つけて守るもよし。そのためには権威に盲従せずにきちんと調査して裏を取ること。

  • 子供の自由研究の題材に良いな、これは。

  • 「これは伝統だから」
    という言葉に弱い。
    何か新しいことをしようと思っても、「伝統に反する」と言われると、意欲が萎えます。
    逆に言うと、伝統を振りかざしていれば、これほど強いことはない。
    長年の風雪に耐えてきた伝統には、重みがあります。
    でも、その伝統って、本当に伝統?
    そんな疑問に答えたのが本書。
    たとえば、元号。
    今上陛下の退位に伴い、間もなく「平成」が終わります。
    このように、「一世一元」になったのは明治以来。
    明治より前は、かなりいい加減だったらしいです。
    たとえば、奈良時代には「霊亀」「神亀」「天平」「宝亀」と、55年で4回も元号が変わりました。
    理由は、「珍しい亀をもらったから」。
    がくっ。
    さらに、西の空に縁起のいい雲を見つけたと言っては「慶雲」に改元、めでたい雲が現れたと言っては「神護景雲」に改元、伊勢に美しい雲が現れたと言っては「天応」に改元と、かなりメルヘンチックです。
    古来の伝統と思われがちな初詣も、たかだか120年の伝統でしかありません。
    「その日は仏滅だから」「大安だからいいわね」と、冠婚葬祭の日取りを決めるのに絶大な影響力のある「六曜」。
    中国から日本に伝わって680年の歴史がありますが、現在の名前と順番になったのは180年前(仏滅はここから始まりました)です。
    幕末には暦に付けられ流行しますが、明治に入ると、「迷信入りの暦」だとして政府によって禁止されてしまいます。
    で、復活してから、わずか75年しか経っていません。
    ちなみに福沢諭吉は、六曜を迷信だとしてケチョンケチョンに貶しています。
    「これは伝統だから」と訳知り顔で言われたら、「それって本当に伝統ですか?」とツッコミを入れてみるのもいいかもしれません。

  • <目次>
    まえがき  「これが日本の伝統」は、本当か?
    第1章   季節にすり寄る「伝統」
    第2章   家庭の中の「伝統」
    第3章   「江戸っぽい」と「京都マジック」
    第4章   「国」が先か?「伝統」が先か?
    第5章   「神社仏閣」と「祭り」と「郷土芸能」
    第6章   「外国」が「伝統」を創る

    <内容>
    「へぇ」がいっぱいの本。」そして、「伝統」を言い募る人々の「ウソ」の軽さがわかる本。「美しい国日本」なんてないから。この本が「なんちゃって本」かというと、そんなことはない。きちんと調べてる。特に、「マトリョーシカ」と「箱根細工」の関係は本当に「へぇ」だった。
    「伝統」とは?その定義をちゃんとしないとね。もちろん、人によって違うだろうけど…。よく言い募っている政治家たちは、「江戸時代」以前のような口調で、明治~戦前のことを言い募っているよね。ああ、確信犯か…。

  • 思っていたよりずっと、色んな事柄がつい最近定着したばっか、みたいな感じ。
    日本ぽい事とか和風な感じの物を無闇やたらと有難がるのが馬鹿馬鹿しくなった。
    一番笑ったのは、京野菜の万願寺とうがらしが、伏見系トウガラシとアメリカのトウガラシの掛け合わせだったって話。

  • ●察するに、武力を背景に押し寄せてくる欧米列強(西洋)に、日本が一国のみで立ち向かうには、心細かった。西洋に伍する「東洋」という大きな概念があると心強い(言わずもがなだが、当時の中国=清は、すでにアヘン戦争を機に西洋に食い物にされ、ボロボロになっている)。迫りくる外国に対して、日本には「東洋」が必要だったのだ。(日本は東洋なのだろうか?)
    ●彼がドイツに留学している時、「日本の学校には宗教教育がなくて、どうやって道徳教育を授けるのか?」と言われたことで(おそらくは、カチン!ときて)考え、その後十年ほどたってアメリカにいる時、「日本には武士道がある!」と著した(武士道はあったのか?)→「武士道」読後の感想と同じ。
    ●1970年代、演歌は「新ジャンル」となって生まれ直したのだ。すると、それまで「民謡調歌謡曲」や「日本調歌謡曲」だった歌手たちは、自らのスタイルを意識的に「演歌」に寄せていく。歌い方のこぶしや唸りは「情念」を表し、ステージ衣装の着物は「日本」を表す。いつの間にか、こうした歌手たちはずっと昔から「演歌」を歌っていたような気がしてくる。青江三奈も、八代亜紀も、前川清も、デビュー以前はクラブ歌手としてジャズやオールディーズを歌い、そういうジャンルが好きだったのに、だ(だからみんな、成功したあとは、ビックバンドを従えたジャズアルバムを出している。(演歌は「日本人の心の歌」なのか?)

  • あとがきに筆者が書かれていることが、この本のすべてを語っていると思う。
    「これが日本の伝統」に乗っかるのは楽チンだが、「本当にそうなのか?」と自分の頭で考えてみる、ということ。
    「伝統」という名にひれ伏し、なんの疑問も持たず、もてはやしがちな、今の多くの日本人。もっと自分の頭で考えないと、それを利用しようとする人の思うツボだよということを改めて確認させてくれた。
    読みやすく軽く書かれているけれど、おっしゃろうとしていることはとても重く大事なことだと思う。

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著者プロフィール

23歳の時、第1回「星新一ショートショート・コンテスト」入賞を機に作家・脚本家・放送作家としての活動に入る。ライトノベルの源流とも呼ばれる『死人にシナチク』シリーズなどの小説のほか、数百本のラジオドラマを執筆。「バーチャル・アイドル」芳賀ゆいの仕掛けや、腹話術師・いっこく堂のプロデュースを手掛けるなど、メディアでの活動は多岐にわたる。最近では、落語家・柳家花緑に47都道府県のご当地新作落語を提供している。

「2021年 『一千一ギガ物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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