「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本

著者 :
  • 柏書房
3.68
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感想 : 47
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  • Amazon.co.jp ・本 (381ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784760150076

感想・レビュー・書評

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  • 明治期に人気を博した娯楽物語の魅力をこれでもかと語る。
    私たちが学校で学ぶ近代文学とは違い、文学史上一顧だにされなかった物語たちだ。
    現代から見れば粗雑なストーリーだし、荒唐無稽そのもの。
    それでもエンタメ性を追求した内容と、それを支持したひとたちがいたということは、読んでいて痛快なほどだ。

    著者は、心情的には純文学作品を応援したかったという。
    ところがどう考えてみても明治期の娯楽物語が面白すぎる。
    それでいて、普通に生活していると眼にすることがほとんどない。批評や評論もない。
    それではと紹介したのが本書だ。
    長いタイトルの元になる小説は本当に存在する。

    明治期の娯楽物語は大きく分けて3つのジャンル。
    ①最初期娯楽小説 ②犯罪実録 ③講談速記本
    このうちの③が最も大衆受けが良く、文字通り講談を速記した書物。
    同時代の純文学を圧倒する面白さだったらしく、何編かあらすじで紹介されている。
    読んでみると確かにおかしな筋書きだが、要所要所の面白さが大事で話の構成は二の次だったのだろう。一流の書き手によってどんどんストーリーも向上していったというから、見るべき点はある。
    おまけにたかだか20年、30年の間で庶民の知的水準や興味関心の変動に応じて作品も変質していったというから、江戸時代から培われた読書力が底力になっていたのかもしれない。

    明治のひとたちはこれで満足していたのかなどと思わない方が良い。
    今私たちが有難がって読んでいるものでも、100年先はどうだか分かりはしないのだ。
    90年代の話でも、昔に感じてしまうほど時の流れが早い。
    文化の価値もかなりのスピードで変化していく。
    となると、今も残り続けている文学作品、特に芥川や漱石などがどれほど素晴らしいか、あらためて知ることにもなった。

    ところでタイトルになっているのは「蛮カラ奇旅行(明治41年)」という小説。
    現代人にはとても思いつかない、なんじゃこりゃの設定だ。
    屈強なバンカラ男・島村隼人が、持ち前の筋力や財力を思うままに利用しつつ、ハイカラ(西洋風の生活をする気取った人間)とその元凶である西洋人に鉄拳制裁しながら世界中を旅するというストーリーで最終的に30人くらい殺害する。

    「舞姫」の主人公である豊太郎のあまりのクズぶりに腹を立てたからというのが主な動機。
    島村は豊太郎と酷似した男をぶん殴っていく。武器は持たずあくまでも素手で。
    この島村に協力するのがアフリカ人のアルゴという人物。
    ハイカラ撲滅主義を掲げる無敵超人だ。
    今だったらどれほど叩かれたか分からない話だが、ちょっと読んでみたい。
    「舞姫」の結末に納得がいかないひとはこの頃からいたということ。それ、分かるなぁ。
    山の手で文学が好まれ下町で大衆娯楽作品が好まれたということと無関係ではないかも。

    パワーあふれるカオスな物語を楽しく紹介してくれる本書。
    文学好きな方もそうでない方もぜひどうぞ。ここでしか読めない話が盛りだくさんだ。

    • nejidonさん
      夜型さ~ん!
      接ぎ木、水やりも心弾む作業ですね。いつでも大歓迎です(*'▽')
      水をやり過ぎると根腐れすると言われますが、私の場合しっか...
      夜型さ~ん!
      接ぎ木、水やりも心弾む作業ですね。いつでも大歓迎です(*'▽')
      水をやり過ぎると根腐れすると言われますが、私の場合しっかり地植えしましたしレビューをあげることで光合成を果たしていますので、OKでしょう。
      わたしの100冊、いいでしょ?
      本棚も少しだけ整理してみました。
      2020/09/24
    • 夜型さん
      はやくもリストの残り一冊。なんでしょう。
      リライトもしていっぱい詰め込んだはずでしたが…ほんとうに早かったですね。笑。

      ”七福本”に...
      はやくもリストの残り一冊。なんでしょう。
      リライトもしていっぱい詰め込んだはずでしたが…ほんとうに早かったですね。笑。

      ”七福本”に、”わたしの100冊”。思い入れが湧きますよね。
      あのときに僕が提案したことを踏まえてのことでしょうか。コメント欄にセレクトした本を紹介してくださりましたが。

      「本にまつわる本」のレビューコメントして接ぎ木した本も読まれたらぜひ感想読ませて下さいね。面白くなると思いますよ!
      2020/09/24
    • nejidonさん
      夜型さん(^^♪
      言われるほど早くもないのですよ。
      自分では思ったよりも時間がかかったなという感想です。
      合間に見つけた本もまだ手元に...
      夜型さん(^^♪
      言われるほど早くもないのですよ。
      自分では思ったよりも時間がかかったなという感想です。
      合間に見つけた本もまだ手元にありますから、そちらも読んでいきます。
      もう出揃った感はありますが、読みたいと思ってくださる方もおられるかもしれませんし。
      「100冊」の件は、ふふふ、夜型さんの提案が基になっておりまする。
      だって、楽しいじゃないですか!!自分のためだけの本棚ですよ。
      まとまったらまた書き込みに参りますね♪
      実は「200冊まではちょっと頑張ろう」と当初は思いました。
      でも今はこっそりゴールポストを動かしてやろうと画策しています・笑

      2020/09/24
  • 『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』 これまでに読んだ中で、間違いなくいちばん長いタイトルを持った本は、明治時代の娯楽小説を徹底的に紹介する痛快な一冊。いやいや、これは楽しい。底抜けに楽しい。
    このタイトル通り、森鴎外「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする小説が本当に存在したほか、鞍馬天狗が登場した大正13年の10年以上前に現れた覆面ヒーローの名が悪人退治之助(あくにんたいじのすけ)だったり、無敵のヒーローが死後仙人として登場したり、身長と肩幅の寸法が同じで馬鹿力を持ったヒーローが躍動したり、破茶滅茶度合いが半端ない。こんな小説を支持した明治人のセンスに敬意を表したい。
    と言いつつも、本書の筆致は至極冷静で、相当な調査のうえ書かれたことがよく分かる。明治の庶民文化を伝える歴史書としても秀逸な出来になっているのがすごい。
    この著者の名前は覚えておいた方がよさそうだ。

  • ・・・とりあえずタイトルが長いw
    なんじゃそりゃ?とキツネにつままれた思いで読み始めると、内容になんじゃそりゃ??と何匹ものキツネに取り囲まれてつままれまくるような本である。

    タイトル通りといえばタイトル通りなのだが、明治の時代、なんだかとんでもない娯楽物語の世界があったのである。
    江戸が終わり、維新の頃。日本純文学の黎明期でもあるわけだが、世の中インテリばかりではない。多くの庶民は「文学とはなんたるか」をまじめに考えたりはしない。要は、読み物はおもしろければよいわけで、江戸の娯楽の影響を残しつつも、荒唐無稽で珍奇なものがもてはやされる。書き手の方も文学に身を捧げる高尚な目的を持つ者ばかりではもちろんなく、売らんかな主義の者だって多い。そういうと聞こえは悪いけれども、ニーズにこたえて読者を楽しませて何が悪いと言われれば、ご説ごもっともでもある。
    純文学の流れとは別に、そうした娯楽物語の潮流は連綿と続いていたのである。
    著者はデジタルアーカイブを通じて、こうした作品群と巡り合う。
    実は正統派純文学などよりよほど多く庶民に読まれていた物語。これらを通じて、明治の人々が何に心を躍らせてきたのか、そしてこうした作品が意外に現代の作品にもその面影を残しているのではないか、というのが、読んでいるうちにうっすらと見えてくる仕掛けである。

    西洋文化がどっと入り込み、言文一致のうねりもあり、社会に大きな混沌と異様な活気があった時代。
    貸本屋で扱われる読み物は、ある種、粗製乱造で荒っぽい。洗練され、練り上げられたものではないが、異様な迫力がある。時代の流行を摘み取って、いち早く物語の形に仕立て上げる、「ライブ」感を身上としていたのだろう。
    紹介される物語には、今読むと面白いとは言えなそうなもの、というか、そもそも出版が無理なのではと思われるものも多い。
    タイトルになっている物語は、星塔小史(せいとうしょうし)という経歴不明の作家による『蛮カラ奇旅行』(明治41年)である。バンカラ男がハイカラを目の敵にして、世界旅行をしながら出会ったハイカラ西洋人を殴り倒す、さらには悪いやつは殺してしまうという乱暴な筋である。こいつが旅行中に西洋人の狂女に殺されそうになる。何者かといえば、日本人の留学生に捨てられて狂ってしまい、彼に似た日本人を見ると殺そうとするのだという。まるっきり森鴎外の『舞姫』を思わせるような話である。憤慨したバンカラ男は、日本に帰ったらぜひともこの留学生を探してボコボコにぶんなぐってやる、と心に決める。その途上で、アフリカ人を連れ帰るのだが、この理由も、<蛮カラの本家本元なる>ものだから、という、現代ならいろいろと問題になりそうなところ。で、日本に戻って、件の留学生(=“太田豊太郎”)と偶然出会い、すっかりハイカラ紳士となっていた彼を殴って廃人にしてしまい、それをみた狂女は気が済んで病気が治る、さぁ読者の皆も、万歳三唱だ!というオチ。
    ・・・ここまで読んだ皆さんも今頃、キツネにつままれていることだろう。
    しかしまぁ『舞姫』の豊太郎にムカついた読者は当時であっても結構いたのだろうし、そう思うと、時流をとらえた小史はそれなりに目端の利く人物だったのかもしれない。

    本書中では実にさまざまな娯楽物語が紹介される。
    現代の感覚でわっはっはと笑えるとか心の底から楽しめるかというと、ちょっと違うかなとは思うのだが、へぇ、こういうのが流行っていたのか、こんな無茶苦茶な話ありなの、とかいろいろ突っ込みつつ、正史に残らぬ庶民史に思いを馳せてみるのも一興である。
    いや、実際、こういう自由度の高いところから、尖がった意外におもしろいものが生まれるものなのかもしれない。

  • タイトルに本の全てが詰まってる。いわば出オチ。

    現代のエンタメ小説、子供向け読み物、漫画、サブカルetcの原点・源流が明治時代にあった。「明治娯楽物語」と本作で総称される作品群。確かに現代の物語に通ずるものがあるように思える。
    惜しくも現在では忘れ去られてしまったけど、当時は人口に膾炙していたエンタメ小説の無名の原石たち。黎明期。礎。萌芽。
    100年ほど前の日本で、漱石や鴎外の影で庶民に愛されていた物語たち。こんなカルチャーがあったなんて知らなかった。面白かったし勉強になった。

    ただこの本、文章はそこまで上手くなかったように感じた。あと持っているのは第二版だけど誤植が結構ちらほら…。改訂に期待したい。

  • 以前、Web上で読んで爆笑した「舞姫の主人公をボコボコにする最高の小説が明治41年に書かれていたので1万文字くらいかけて紹介する」が書籍化されて20万字くらいになったもの。
    研究に値しないと歴史から忘れ去られた明治娯楽物語の数々をツッコミと共に紹介しながら、実はこれらB級C級の小説未満の物語たちが、現代のエンタメの礎を築いていたんですよっていう、内容的には結構真面目な考察本なのですが、やじきたが宇宙旅行してたり、舞姫の豊太郎むかつくからボコボコにしようぜ!だったり、こまけぇことはいいんだよ!という勢いのみの感じが最高でとにかく面白い。
    豊太郎をぼこぼこにする最高の「蛮カラ奇旅行」も国立国会図書館のウェブサイトで無料で読めるけど、本をスキャンしたような画像で読みづらいから書籍として全編読みたい。
    1000年後とかに素人の書いた同人誌なんかもこういう風に研究されたりするのかな。

  • たまたま図書館の新着本で見つけて、タイトルに惹かれてしまい、つい。どんな本か、まったくわからずページ開いたのですが、すごい本でした。先ず、取り上げているテーマが新鮮。文学の歴史からすっかり零れ落ちている〈明治娯楽物語〉に光を当てています。それは、2019年の我々がテレビを見て、映画を見て、小説を読み、ゲームをして、最近では動画にハマっているように、明治の人々が「お楽しみ」として消費してきたコンテンツのこと。まだ坪内逍遥の小説神髄とか二葉亭四迷の言文一致とか知的活動としての文学以前、圧倒的に庶民の時間塞ぎとしてのエンタメの再発見です。それを現在、出版最大手の講談社の社名の由来のように、語り芸としての講談を速記する「講談速記本」、今でも続く、例えば週刊新潮の黒い事件簿の先祖みたいな「犯罪実録」、そしてヒーローものの原点のような「最初期娯楽小説」、この三つの方向から論考しています。音から文字へのシフトとか、新聞記者の小遣い稼ぎとか、初期映画からの影響とか、めちゃめちゃ多彩な視点から、エンタメの夜明けを解説しています。ものすごくクセのつよい文章ですが、それもクセになっていきます。〈明治娯楽小説〉が生んだ「子供豪傑」が日本のアニメヒーローに繋がり、アベンジャーズなのど舶来ヒーローとの違いになっている!とひとり合点したりして、楽しみました。そういえば、仮面ライダーのスタッフって東映映画の時代劇のスタッフだったとか。「光あるところに影がある。まこと栄光の影に数知れぬ忍者の存在があった。」これはアニメのサスケのナレーションですが、現在のエンタメの源流としての数知れぬ〈明治娯楽小説〉の存在を明らかにした本です。

  • ぶっ飛んだタイトルに惹かれて手にとってみたけど、内容は堅苦しくなくむしりラノベみたいな感じで軽く読める(だが量が多い)。学術系というよりは、こんなぶっ飛んだ物語が売れた時代があったと紹介する本に近い。
    今でもなろう系だったりと言った小説投稿サイトがあるのだから、明治から大正においても、有名じゃないけど一時すごい流行った物語があってもおかしくはない。もしかしたら文学系で研究をされてる本職の方もいらっしゃるのかも……?有名な人物が何度も登場したり、時の有名人が主役になったりっていうのは、現代でも小説に限らず漫画やゲームで多くみられる(FGOだったり……)。歴史は繰り返されるんだなーとか考えてしまう。

    ぶっ飛んだ物語に驚き、笑いあり単純に楽しむことも出来る。とにかくぶっ飛んだ物語が多いので、深く考えない方が良い(
    ぶっ飛んだタイトルにもなっている舞姫の主人公をボコボコにする話も、なんていうかすごいなって思ったし、妙に納得してしまった。

  • 近代的な物語の作法ができあがる前の「明治娯楽物語」がどのようなものだったのかを、実際の作品と共に紹介する。横田順彌「日本SF古典こてん」にテイストは近い。横田のは「SF」だけど、こちらは娯楽小説全般と広範にわたっている。

    中に登場するお話の荒唐無稽さもおもしろいのだが、それを紹介する著者の視点がよい。単に「ツッコミ」視点で面白がるのではなく、当時の世相や文学史的な観点を説明し、なぜこの作品が受けたのかをしっかり分析してくれるのだ。

    ここで登場する「明治娯楽物語」は、いわゆる「大衆小説」と呼ばれるようなジャンルが発展するにともない、消えていくのだが、個人的には戦後の梶原一騎作品や貸本マンガにエッセンスが受け継がれているのではないかと思った。ある意味では、オタク的感性の源流な気がする。そういうことを考えさせてくれる良作です。

  • 本のジャケ買いという稀有な例。明治期に存在した講談速記本というジャンル、実験的であり稚拙でありミュータントであり純文学の陰に隠れ全く見向きもされない文学があったということ自体が面白い。

  • 文学、というか、物語が湧き上がっていた時代の熱意を、下手な小説らから感じ取れる。言ってみれば、膨大な駄作の果てに、坊ちゃんやら吾輩は猫であるやら、純文学でない小説の傑作が生き残る訳で、今の時代ならネット小説、ネット漫画も同じように感じる。
    この一節に表れてると思う「ジャンルの最初期は、レベルの高い作品より、凡作や出来の悪い作品の方が愛されることがままある」

  • とても面白い
    こういう本が大好きだけど、なかなか見つけられない 
    この本が読めて良かった
    こういう本を読んでると毎日が楽しい


    読んでる途中で感想を書いて、読み終わるころには感想も変わるかと思ったけど読み終えるまで楽しかった
    こういう本が世の中にあると思うと毎日楽しい

  • 日本文学史からは取り残された「明治娯楽物語」というジャンルを紹介した本。
    明治以降の近代文学というと、どうかすると苦悩して自殺するイメージがあって、当時の人はこんなのばかり読まんでいたのかと不思議に思っていたけど、やっぱり面白い話も読みたいわな、とひと安心。
    とはいえ、作り手たちは金がなく、本を売るために面白さを追求するあまり、整合性は二の次三の次、どれもこれも破天荒なものばかり。
    いやもう情報量多すぎ(笑)。


    概要は以下のとおり。

    西洋の写実的技法から、芸術は本当らしく実用的に、という明治の芸術観が生まれ、純文学はシリアスな方向に向かった。だからとかく苦悩、深刻、理想という要素が出てくる。

    「明治娯楽物語」(著者命名)は、明治二十年代後半から四十年代に隆盛を誇った、江戸と昭和のエンタメ文学を結ぶミッシングリンク的なジャンル。大きく「講談速記本」「最初期娯楽小説」「犯罪実録」に分けられる。

    講談速記本は武士や侍が主人公のものがほとんど、最初期娯楽小説は近代人の主人公を模索、犯罪実録は推理小説の前段階。リアル主義から「科学的」であることが求められたが、オカルトブームや実写映画での可視化がきっかけに超能力も受け入れられ、子供を対象にしていくことに。


    「大衆文学登場以前の粗野で乱雑な明治娯楽物語は、現在の感覚では小説とは言い難いものも多い。幼稚でどうしようもないものに見えてしまう。まさしく工業製品に対する手作りの粘土細工なのだが、そんな小説未満の物語にはなんとも表現しようのない不思議な魅力がある。」(p.44)

    市兵「ハハハハハ面白いなァ、仕返しとは面白いな、私は門を開けてやる、そこでこいつのように殴り殺してやるンだ、ネェ、母親さん。面白いだろう」
    (玉田玉秀斎・講談『[怪勇]桂市兵衛』)

    市兵「己は腹が減ったから飯をくわしてくれ」としらぬ人の家に飛び込んでせがみます。否だというと、市兵「否ならいいわ、お前の家にひをつけて焼殺してやるから左様思えッ」
    (同上)

  • 新しい世界への扉を開いた本だった。
    解説や感想は他の方が書き込んでくださっているのがとても分かりやすいので参考にしたい。

  • Twitterで知って読んでみた。
    いかにもTwitterで知り得た本だな、といった感じでした。

  • タイトルは間違いではないけれど実際の紹介は10%位で、あとの90%は他の明治娯楽物語の紹介になる。
    で、個人的にはその90%の物語たちが全く興味を惹かれなくて辛かった。最初から明治娯楽物語の紹介というタイトルだったら手に取ってなかったかもしれないけれど期待外れ感もなかったかもしれない。
    それでも序盤はまだ面白かったけど…ひたすら強さのインフレ状態になってくるとあらすじを追うのも苦痛だった。ただ昔から、強さのインフレ状態という要素があって娯楽の少ない人々に喜ばれていたのだな、ということは分かった。

  • いろいろ知らなかった読み物が紹介されていて楽しめる。一方、講談本は紹介するのに、落語、芝居、新聞小説は紹介しないの?とか、言いたいことはある。紹介の仕方は、面白さ優先で、言い切り型であるため、単純化しすぎ、言い過ぎ感がある。

  • 岡田斗司夫ゼミで知り手に取りました。
    研究者がいない分野をとにかく楽しく紹介してくれた作者の努力に感謝です。マツコの知らない世界で紹介されるのを観てみたいなぁ。
    クリエイターの絶え間ない挑戦と失敗の積み重ね、社会や読者のレベルアップやニーズの変化と合わさり発展してきた結果の現代のマンガやラノベ、アニメを享受出来ることのありがたさを噛み締められます。
    これって日本独自のものなの?例えばヨーロッパではこういう方向にエンタメは発展してないよね?誰か比較研究してくれないかなぁ。

  • うん。なんかすごいね。
    確かに面白いし、そこ、注目されてない部分だから「うひょひょ」感があるけど、ちょっとくどくない?

  • 明治時代の大衆むけ本の、おおおまかなジャンル分け、中でも

    ・明治時代を中心に、江戸から引き継がれてきた豪傑譚が……
    ・講談を軸にいかにして明治人の「合理性」を、駆け足で身に着けようとしている時代精神に合わせてきたか……
    ・大人むけから子供向けへの変遷が、昭和へと引き継がれた可能性の指摘……

    など、興味深い内容でした。

    ていうか当時から、トヨの野郎ムカつくわーぶん殴ったれって気風はあったのね。(でなきゃ、本書タイトルにあるような内容の本が、大衆向けに執筆されるわけがない)

    本書を読みながら、マンガ『ゴールデンカムイ』、実はこの明治時代の犯罪実録ものや講談速記本の世界を再現しようと試みているのでは?とさえ思えてきて、明治時代を舞台にした他の作品を読むのが楽しみになりました。文句なしの星5つです。

  •  明治維新後の庶民文化の一端を追体験する本書。
     まだ小説というジャンルはなく、江戸時代から続く戯作から、純文学が枝分かれした。
     しかし純文学は庶民に受け入れられなかった。
     つまらないのである。

     そして庶民文化として受け入れられたのが「明治娯楽物語」の一群だった。
     大きくジャンルを三つに分けると、

    1.講談速記本:講談師が話す内容を速記したもの
    2.最初期娯楽小説:新しもの好きの作家が書いた小説風読み物
    3.犯罪実録:実際に起きた犯罪やその犯人を扱った読み物

     内容はカオスである。
     とにかく面白ければよいという、最大瞬間風速だけの勢いが強く、物語の構造は全く小説のそれではない。
     しかし、明治庶民に受け入れられたのだ。

     一人で数十、数百、数千を相手にして皆殺しの豪傑や、
     とりあえず殺し合いして友情を深める豪傑や、
     そこらへんの家を引っこ抜いて凶器にして撲殺する豪傑や、
     ゲンコツで敵の頭蓋骨を砕いて殺す豪傑とか、
     とにかくそんなハナシである。
     深く考えてはいけない。
     面白ければよいのだ。

     但し、嘘や合理的なものは嫌う明治庶民。
     めんどくせぇ。
     あくまで実話なのであり、リアリティは重要なのだ。
     週刊実話並み。

     タイトルの舞姫の主人公をボコボコにするのは、星塔小史「蛮カラ奇旅行」である。
     主人公、島村隼人はハイカラを撲滅すべく、ならば西洋人を殴りに行くのが手っ取り早いと海外に旅に出る。
     邪魔するものは殺す。

     ハイカラ殺すべし。

     道中、西洋人女性に刺殺されそうになり、彼女曰く日本人留学生と婚約したが、その男に捨てられ、日本人を見ると殺意が湧くようになったと。
     どう見てもエリスです。本当にありがとうございました。
     そのあとアフリカ人と親しくなり、日本に帰ったら例の日本人留学生と偶然会ったからボコボコにしたり。
     
     そんなハナシばかり。
     
     百年以上前の日本、今では顧みられることのない時代のあだ花。
     確かに流行していた明治娯楽物語の世界を紹介する。

  • 講談速記本の世界は、明治美術の混沌とした世界に通じるところがある。システムが確立する直前の、無秩序な時間にのみ生まれるものはある。

  • 【なぜ日本のヒーローは細身だったり子供だったりするのに強いのか問題】

    ・明治時代は合理的で現実的なものが受け入れられた一方、文章を読みこなす能力はまだ低く、秩序のない時代だった

    ・江戸時代に実在した豪傑の話が好まれたが、現実的だから現実である明治時代を舞台にすると、江戸のように実在の豪傑がいないため、実在の豪傑物語を明治時代に置き換えた物語に発展
    →講談速記本や犯罪実録ものなどの『明治娯楽物語』(作者命名)の繁栄へ

    ・しかし文章を読みこなす能力がまだ低いため、その場その場で面白ければ良いという風潮および速記術の技術的低さから不明な部分は想像力で作文される

    ・実在した豪傑だけ登場すると現実に即さないといけないという暗黙のルールがあるため物語に広がりがなくなってしまう
    →実在したかどうか分からない超人的な豪傑が脇を固め始める(500kgくらいなら片手で持ち上げるなど)

    ・秩序がないため、犯罪イコール悪という図式もさほどなく、とにかくめっぽう強いやつが清々しく勝ちまくるのが面白いとされた
    →強さに拍車がかかってきた
    →忍者の使う忍術がイコール催眠術であり、それは合理的で現実的な説明と受け止められた
    →一方で人々の読解力が上がってきたため、物語の読者は若年層へ移行
    →一方で実在した豪傑たちの高齢化問題に伴い、実在したかどうか分からない豪傑の二世三世が活躍し始める

    ・その頃忍術が合理的な解釈では済まされないほどに自由化されてきた

    ・豪傑の二世三世、すなわち子供が血筋による生まれながらの武芸に秀で且つ不思議な力を駆使すれば大人をも打ち負かすことができるという作品『鳥さし肝助』の登場!

    肝助は真田幸村の孫であり、8歳の時点で既に刀を持った侍に竹竿で勝つほど強いのに、いろいろあって仙人に出会い修行を極めた結果、36mの範囲内なら飛ぶことができるようになり、さらに夜目が利いて、眼力で人を気絶させたり岩を壊したりできる。あと梅干しの術が使える。

    これが現代の細身だったり子供だったりするのに強いヒーローの原型になったんだ…!(※肝助に至るまでに浴びるように生まれては消えていった物語がもちろんございます)と思うとものすごく明治の名も無き創作者たちに深い感動を覚えました…。

  • - 明治時代を生きた人たちのスポンジのような吸収力・純真無垢に外から学び取り入れようとする姿勢は、2000年初期の中国のそれに近いのではないだろうか。プライドに縛られずオープンな態度を保つことがドラマチックな後の文明の転換に繋がったことは理解に難くない。
    - 「100年前の人たちなんて考え方も違えば理解できる文脈も違う。現代人にとって難しいのは当たり前。」という痛快な態度を中高生のときに触れていたかった。そうすれば古文にももっと広く柔軟な頭で向き合い、受け入れやすかったかもしれない。100年は短いようにも感じるけど、それでいて想像もつかない膨大な変化が起こるタイムフレームでもあるのだなと思わされる。


  • P38
    日本人は昔から二次創作が好きだった。
    鉄板のパターンを見つけたらそれを使い倒す。

  • まずはツイッターで、
    ・2017年2月のブログ記事「舞姫の主人公をボコボコにする最高の小説の世界が明治41年に書かれていたので1万文字くらいかけて紹介する」
    がバズっていた。斜め読みして、素敵さに感じ入った。それ以来、
    ・ブログ「山下泰平の趣味の方法」
    が気になっていた。そしたら
    ・『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本 』
    が刊行された。またもバズ。釣られて妻が購入し途中まで読んだ。私は
    ・アトロクのビヨンド・ザ・カルチャー「森鴎外『舞姫』主人公を バンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説世界が明治に存在したので40分くらいかけて紹介する略して“まいボコ”特集」
    を聞いて、妻が投げだしたものの、後塵を拝したわけである。
    そんな私と「まいボコ」の来歴。

    ところで私はニコニコ動画以前と以後で、アニメにせよ映画にせよMAD動画にせよ見方ががらりと変わった。
    一時期は画面を見ると感想がコメント形式で右から左に流れていたくらいだ。
    動画の見方から世界の見方も変わった。
    いくつか言い換えながら表現してみると、斜めから見る。正面から向き合わない。反笑いで見る。苦笑いで見る。クスクス笑いで見る。こんな見方が血肉化した。
    少年期青年期は何事も真っ向から捉えるしかできなかったので、ある意味大人になったということなのか。
    あるいは動画サイトやSNSに親しむ時代だからなのか。
    私の大人化と時代の変化が合致しているのか、どうか。その辺はよくわからない。
    ニコニコ動画から離れてもツイッターで先に触れた見方は継続しているので、ある人にとってはツイッター以前と以後という言い方になるのかもしれない。

    この事情は文学の読み方にも関わってきて、たとえば田山花袋や武者小路実篤を大真面目に読むことは不可能になってしまった。
    ひょっとすると多くの人にとってもそうではないか。
    三島由紀夫すら反笑いで見てしまうからこそ、当時の人が感じられなかった親しみや感想を持つことができる。
    文豪ストレイドッグスという「人の擬人化」は斜めから解釈=脱構築ディコンストラクション=二次創作の極致なんだろう。

    さて本書、教訓や教養を抽出するタイプの本ではない。
    取り上げているディテールやエピソードの積み重ねそのものがまず可笑しいのだが、本当に面白いのは著者の「楽しみ方」そのものだ。
    おそらく原文をそのまま読んでも面白く感じる可能性は低い。
    なぜなら作品そのものが滅茶苦茶だからだ。
    突き抜ければハチャメチャで素敵なのかもしれないが、著者はあえて「中途半端な質」の作品を列挙する。
    なるほど質が高くもなく決して低くもない、ただ「今まで見たことがない」と思えるだけの作品に触れ続けることで、一種感覚が麻痺し、「面白いとは何か」ということまで考えさせられるのだ。
    んで著者の面白がり方に愉しく付き合っているうちに、明治期の「読者論」にも立ち会える。
    要は消費するためのコンテンツの集積を読解することで、当時の大衆の欲望や水準を読み取るという方法だ。
    さらには文化のあり方についても考えるきっかけになる。
    取り上げられるのは物語の作法が出来上がる以前の、近代と現代の間に生まれた特異な物語群だが、真面目な文学研究者なら「零れ落ちた傍流の力」に目を見開かされるだろうし、不真面目な読者なら繰り広げられる与太話ひとつひとつを笑って忘れて少しだけフレイバーが残ればよい。
    とにかく美味しい本なのだ。

    その他。
    ・図へのキャプションが「VOW!」っぽくて笑う。
    ・町田康、山田風太郎らを連想。
    ・なろう系のような小説投稿サイトやpixivの絵師と、明治娯楽物語の作者たちは、結構似ている。

    【目次】
    はじめに 書くはずのなかった人間が書く混沌とした本
    〈明治娯楽物語〉がざっくり分かる図と年表
    序 章 小説未満の世界 明治の弥次喜多は宇宙を旅する
    第1章 超高速!明治時代 五倍のスピードで万事が動く
    第2章 庶民が愛した〈明治娯楽物語〉 日清・日露戦争で暴れまわる馬丁たち
    第3章 〈講談速記本〉の帰還 無責任体制が生んだ娯楽(エンタメ)の王様
    第4章 地獄に落ちそうな勇士ども 長広舌の真田幸村二世&神より強い猪突猛進男
    第5章 豆腐豪傑は二度死ぬ ミスター講談速記本・桂市兵衛
    第6章 〈最初期娯楽小説〉の野望 「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする
    第7章 「科学」が生んだ近代キャラ 嫌われ作家の奇妙な冒険
    第8章 〈犯罪実録〉という仇花 強くない、謝らない、いいことしない犯罪者たち
    第9章 忍者がやりたい放題するまで 忍者復活の影にアメリカの怪力女あり
    第10章 恐るべき子供豪傑たち 大人をボコボコにする少年少女
    終 章 不死の聖
    主要参考文献一覧

    【本書に登場する物語(一部)】
    ▼弥次喜多が宇宙旅行に行く『宗教世界膝栗毛』
    ▼遅刻で日露戦争に参加できなくなる『露西亜がこわいか』
    ▼主人公が焼酎と蟹を食べすぎて死ぬ『南京松』
    ▼トークの技術だけで城を奪う『西国轡物語』
    ▼神より強い覆面ヒーローが暴走して剣豪たちがフォローに苦心『箕輪城物語』
    ▼バンカラがゲンコツで虎退治『世界鉄拳旅行』
    ▼いつのまにか日→露にワープ『今様水滸伝』
    ▼忍術=催眠術を確立した『鬼丸花太郎』
    ▼元祖・大人をボコボコにする子ども『鳥刺し胆助』
    ▼魔法少女が正体を隠して諸国漫遊『戸澤雪姫』
    ほか

  • 表題の「『舞姫』の主人公を……」を紹介するまでにたくさんの娯楽小説の例を挙げ、読者にこの時代はマジでトンチキなんだな……と思わせる構成の巧みさがあった。紹介する話の意味不明な部分を「意味不明である」と評していて笑ってしまった。

  • 明治時代の庶民のための娯楽小説を紹介する本。
    言われてみると明治の小説って教科書でちらっと読んだくらいで、しっかり読んだ記憶がない。

    様々なジャンルの娯楽物語を紹介しているが、文体は軽くふざけていると感じる人もいるかも。
    でも、多くの作品を読み、背景を調べていることから文学に対する誠意と、愛情を感じる。

    明治の娯楽小説、楽しめればそれでよしで、脈絡やつじつま等関係ないという潔さ。もうメチャクチャ。

    とりあえず夏目漱石の「坊ちゃん」を読んでみようと思った。

  • 身長と肩幅が同じ人間てどんなんやねん(笑)

  • 舞姫の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本

  • ポップなタイトルと軽妙な語り口ですらすらと読める、が、なんせ量がたっぷり!
    更に、紹介された小説のほとんどが国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能ということなので、これ一冊あればもう死ぬまで読み物に困ることはないのではなかろうか。助かります。

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