歳月

  • 花神社
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  • Amazon.co.jp ・本 (135ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784760218677

感想・レビュー・書評

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  •  茨木のり子が亡き夫三浦安信に宛てた詩を、本人の死後甥の三浦浩が出版したもの。
     評伝によれば、「櫂」の同人の谷川俊太郎が一番良いと誉めた詩集。人間味があって好きだなと。
     夫に先立たれた茨木の哀しみや夫への想いが詰まったひとつひとつの詩を読むと胸がつかれる。
     こんなふうに歳を重ねられて幸せな夫婦だったなぁとも思う。

  • 文庫版の選集で「(存在)」を読んだときに息が止まるような衝撃を受けて、この詩集を買いました。この世にこんな愛があるんだ、と思わせられます。

  • 茨木のり子さんが亡くなったご主人三浦安信さんへの思いを綴った詩で
    気恥ずかしさすら感じるほどどれも赤裸々にキュートで切ない。

    ご本人が亡くなられた後箱から見つかった一連の詩。
    恥ずかしいから、とそのまましまわれていたものが
    甥の宮崎治さんの手により出版された。
    経緯を記した「Y」の箱という文章がまた素敵だった。

    ここまで夫を愛していた茨木さんは、きっと今頃再会できて大喜びであろうと
    残された者たちが思える愛の深さが沁みてくる。

  • 最初に本屋さんでこの本に出会ったとき、ちらっと立ち読みしただけで完全にうるうるきてしまい、レジに持っていくことができませんでした。2回目も同様。3回目でようやく買えました……宝物です。この本だけは絶対、人にも貸さない。
    茨木のり子の詩は、りりしく、いさぎよく、ごまかしがなくて好きですが、なかでもこの詩集は私にとっては別格です。
    えろい。なまなましい。むきだしで、けだかくて、まぶしい。おそろしい。いとおしい。
    どう説明しても追いつかないです。

  • ぜひ手元に置いておきたいのだけど、絶版になっているのか…発売してほしいと切に思ってます…
    谷川俊太郎選の『茨木のり子詩集』でもいくつか読んでいて好きだったから手に取ったのだけど、やっぱりどれも良かった。『茨木のり子詩集』で書き留めてないもので好きだったもの。

    「その時」
    セクスには
    死の匂いがある

    新婚の夜のけだるさのなか
    わたしは思わず呟いた

    どちらが先に逝くのかしら
    わたしとあなたと

    そんなことは考えないでおこう
    医師らしくもなかったあなたの答

    なるべく考えないで二十五年
    銀婚の日もすぎて 遂に来てしまった

    その時が
    生木を裂くように

    「夢」
    ふわりとした重み
    からだのあちらこちらに
    刻されるあなたのしるし
    ゆっくりと
    新婚の日々よりも焦らずに
    おだやかに
    執拗に
    わたくしの全身を浸してくる

    この世ならぬ充足感
    のびのびとからだをひらいて
    受け入れて
    自分の声にふと目覚める 

    隣のベッドはからっぽなのに
    あなたの気配はあまねく満ちて
    音楽のようなものさえ鳴りいだす
    余韻
    夢ともうつつともしれず
    からだに残ったものは
    哀しいまでの清らかさ

    やおら身を起し
    数えれば 四十九日が明日という夜
    あなたらしい挨拶でした
    千万の思いをこめて
    無言で
    どうして受けとめずにいられましょう
    愛されていることを
    これが別れなのか
    始まりなのかも
    わからずに

    「四面楚歌」
    …<ぐ>は<ぐ>でも
    愚や愚や若を奈何せん
    守ってきてくださったわたくしを
    案じる思いが あなたの眼のなかに
    ゆらめいていたような

    「泉」
    わたしの中で
    咲いていた
    ラベンダーのようなものは
    みんなあなたにさしあげました
    だからもう薫るものはなにひとつない

    わたしのなかで
    溢れていた
    泉のようなものは
    あなたが息絶えたとき いっぺんに噴きあげて
    今はもう枯れ枯れ だからもう 涙一滴こぼれない

    ふたたびお逢いできたとき
    また薫るのでしょうか 五月の野のように
    また溢れるのでしょうか ルルドの泉のように

    「蝉しぐれ」
    葛城山のふもと
    真夏の光のなか
    とろけるキャラメルになって
    ほたりほたりと歩いていると
    一言主社というやしろがあった
    ここの神さまは
    願いの一言だけはかなえてくれるという

    かわいい神さま
    一つだけというのなら
    わたしの願いは決っている
    人っ子一人いない社で手を合せた

    <逝ったあのひとが どうぞ安らかでありますように>
    とたん
    ききとどけた!というように
    いっせいの蝉しぐれ
    さっきまでの深閑とは打って変り
    森ぜんたい どよもすような蝉の声
    それはただ
    蝉たちの気まぐれであったかもしれないのに
    それにさえ
    小さなしるしを見てよろこぶ哀れ

    けれど それ以来
    わたしには見えるのです
    ユカタに兵児帯のあなたが
    いつか来るわたしを待って
    この世とは別の時間を
    悠々と散歩している夏姿が

    「獣めく」その時と合わせて好きだった
    獣めく夜もあった
    にんげんもまた獣なのねと
    しみじみわかる夜もあった

    シーツ新しくピンと張ったって
    寝室は 落葉かきよせ籠り居る
    狸の巣穴のことならず

    なじみの穴ぐら
    寝乱れの抜け毛
    二匹の獣の匂いぞ立ちぬ

    なぜかなぜか或る日忽然と相棒が消え
    わたしはキョトンと人間になった
    人間だけになってしまった

    「一人のひと」
    ひとりの男(ひと)を通して
    たくさんの異性に逢いました
    男のやさしさも こわさも
    弱々しさも 強さも
    だめさ加減や ずるさも
    育ててくれた厳しい先生も
    かわいい幼児も
    美しさも
    信じられないポカさえ
    見せるともなく全部見せて下さいました
    二十五年間
    見るともなく全部見てきました
    なんて豊かなことだったでしょう
    たくさんの男(ひと)を知りながら
    ついに一人の異性にさえ逢えない女(ひと)も多いのに

    「レンコート」これ読んだ時は泣いてしまった
    お気に入りのレンコート
    横浜で買ったレンコート
    極細の綿のレンコート
    入院するときも着て出たのに
    あるじは消えて
    レンコートだけが帰ってきた
    衿に少しのあぶらじみ
    洗濯屋に出すのさえ もったいなくて
    そのままに
    洋服箪笥にかかっている
    五月になれば
    風を入れ
    はためく裾よ
    いずれ いずれ わたくしが
    さっとはおってまいりましょう

    忘れものよ 待ったでしょう

    「なれる」
    おたがいに
    なれるのは厭だな
    親しさは
    どんなに深くなってもいいけれど

    三十三歳の頃 あなたはそう言い
    二十五歳の頃 わたしはそれを聞いた
    今まで誰からも教えられることなくきてしまった大切なもの
    おもえばあれがわたしたちの出発点であったかもしれない

    狎れる 馴れる
    慣れる 狃れる
    昵れる 褻れる
    どれもこれもなれなれしい漢字

    そのあたりから人と人との関係は崩れてゆき
    どれほど沢山の例を見ることになったでしょう
    気づいた時にはもう遅い
    愛にしかけられている怖い罠

    おとし穴にはまってもがくこともなしに
    歩いてこられたのはあなたのおかげです
    親しさだけが沈殿し濃縮され
    結晶の粒子は今もさらさらこぼれつづけています

    「歳月」
    真実を見きわめるのに
    二十五年という歳月は短かったでしょうか
    九十歳のあなたを想定してみる
    八十歳のわたしを想定してみる
    どちらかがぼけて
    どちらかが疲れはて
    あるいは二人ともそうなって
    わけもわからず憎みあっている姿が
    ちらっとよぎる
    あるいはまた
    ふんわりとした翁と媼になって
    もう行きましょう と
    互いに首を締めようとして
    その力さえなく尻餅なんかついている姿
    けれど
    歳月だけではないでしょう
    たった一日っきりの
    稲妻のような真実を
    抱きしめて生き抜いている人もいますもの

  • たくさんの人に愛された詩人でありながら、ご本人は早くに亡くなった夫のことを思ってこんなにもさみしさに打ちひしがれていたのかと思うと、読みながら胸がいっぱいになってしまった。なんてかわいらしい人なのだろうと、ますます彼女のことが好きになってしまいました。
    茨木のり子という人の愛情やあたたかさにあふれていて、ほんとうに素敵な詩集。再版してほしい。

  • 茨木のり子の激情

  • 誰かをこんなに風に好きになって、愛してみたいと思わせる、純粋で尊い愛の形・・・。

    少女のようないじらしい愛の告白に心打たれました。

  • とある雑誌のラブレター特集で紹介されていた詩(「パンツ一枚で」。一番下に抜粋します)に胸を摑まれ、また愛くるしい表紙に魅せられ、手にとりました。詩人・茨木のり子が、死別した最愛の夫への想いを綴った詩集です。
    震災があった今年だからこそ、言葉のこだまが重く広い気もしました。

    目には見えない足跡をたどり、「あばらのあたりから、吐息のようにわいて出る哀しみの雲烟」。夏の夜の庭に見る、あちらの世界への回転扉。たくさんの男を知りながら、ついに一人の異性にさえ逢えない女も多い中で、ひとりの男を通してたくさんの異性に出逢った幸せ。
    書きとどめられている一つ一つの情景に、とてつもない恐怖を感じると同時に、こんなに「実体」を越えて想える人ができることに人間としての究極の倖せを感じもする。
    人の数だけ永遠の別れはあるけれど、「決定的他人」を「選んで」添う伴侶との別れは、私にとってはもう、想像さえも及ばない世界。
    想像だけで胸が締まるのだから・・・これを読んで母が流すであろう涙は、子としては更に胸が締まる。ので絶対親には貸さない。

    【パンツ一枚で】
    パンツ一枚で
    うろうろしたって
    品のあるひとはいるもので
    暮らしを共にした果てに 
    相棒にそう思わせるのは
    至難のわざでありましょうに
    らくらくとあなたはそれをやってのけた
    肩ひじ張らず ごく自然に
    ふさわしい者でありたいと
    おもいつづけてきましたが
    追いつけぬままに逝かれてしまって
    たったひとつの慰めは
    あなたの生きて在る時に
    その値打ちを私がすでに知っていたということです

  • 突然亡くなってしまった旦那さんに対する詩集。
    すごいラブレターだと圧倒されました。
    結婚したらこういう風に相手を想っていたいし
    想われたいと思いました。

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著者プロフィール

1926年、大阪生まれ。詩人、エッセイスト。1950年代より詩作を始め、53年に川崎洋とともに同人雑誌「櫂」を創刊。日本を代表する現代詩人として活躍。76年から韓国語を学び始め、韓国現代詩の紹介に尽力した。90年に本書『韓国現代詩選』を発表し、読売文学賞を受賞。2006年死去。著書として『対話』『見えない配達夫』『鎮魂歌』『倚りかからず』『歳月』などの詩集、『詩のこころを読む』『ハングルへの旅』などのエッセイ集がある。

「2022年 『韓国現代詩選〈新版〉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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