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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784760602544
感想・レビュー・書評
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個人的に一番大事だと思ったのは、「選ばれた子どもは最終的に追放される」という一文である。これは社会でも同じだったのではないか。ホモ・サケル。
「そこでクローディアのことはさておき、ご家族全体のことについて話していただけませんか。あなたがどのように見ていらっしゃるかについてです」
この質問に父親は戸惑った。「どういう意味でしょうか」。
カールは矢継ぎ早に、「どのようなご家族ですか。例えば、皆さんはよく話されますか。それともおとなしいですか。よくまとまっておられますか。それともちぐはぐですか。怒りがみちていますか。愛情にあふれていますか。それぞれはどのようなつながりをお持ちですか。だれとだれが親しいのですか。どんな役割がありますか」と尋ねた。
結婚当初は、夫婦が強い依存関係にあったとする私の正確な推測を、キャロリンは私の特殊能力と考えたかもしれないが決してそうではない。夫婦がその依存関係にジレンマを抱くのは、何百の家族に会うまでもなく当然予想出来ることである。心理療法家を含めてわれわれの大多数は、アメリカ人の夢みるすばらしい夫婦像と結婚する。つまり、結婚とは出生した家族で満たされなかった栄養、思いやり、愛情、共感、良き助言などを含むすべてを手に入れることの出来る降伏そのものなのである。それはわれわれに自信を与え、人生を生きやすく、安定させるものである。たいていの場合、その夢は短時間は持続される。夫婦は緊密な依存関係で結合し、助言、母性愛、教育などあらゆる手段で相互に援助し合うことになる。この時期はお互いに得るところが多いと言えるだろう。
だが早晩、この心理療法における治療者―患者関係に似た夫婦の蜜月時代には終わりが来る。後に述べるように、それは複雑な理由を伴うものであるが、主な理由は、夫婦の依存関係の中で個人としてのアイデンティティを喪失するのではないかというおそれが首をもたげるためである。それはそれぞれが育った家族の中で、同じような喪失体験を持っているからである。その結果、結婚生活は夫婦の生育した元の家族を再現するわなとして映り、夫婦は信頼感を失いお互いにあとずさりをし始める。信頼感が薄れて当然であろう。二人の関係で支配性をめぐる葛藤があるとき、どうして相手に信頼を置くことが出来ようか。
もし夫婦が一定の距離を保ち当座の孤独に耐えるならば、問題解決の可能性も出てくる。つまり、依存関係を克服できれば、結婚生活は夫婦にとってそれほど脅威とは感じられなくなるはずである。しかし、それはまれなことであり、多くの夫婦は依存対象の代理を見つけようとする。
家族は第三者に向かって話したいのであるが、お互いが深く家族の争いに巻き込まれているために、その余裕がない。一語一語がそれとなく家族の誰かを標的にして語られる。しばらくすると、治療者は自分は利用されているのだと感じ始める。それはだれに向かって語られているのか必ずしも明白ではないが、治療者に発せられた言葉が他の家族に跳ね返っていくからである。
「君のお父さんは自分の気持ちや個性を殺そうとしていたんだ。だからそれが君をあんなに動揺させたのだと思うよ。君が動揺するのも当然なことだし、それはとっても重大な問題だと思うよ」
ジェイ・ヘイリーは家族内の三角関係が情緒障害の基本的要因であるとしたが、それをブライス一家に探し出すことはわれわれにとってそれほど困難ではなかった。ヘイリーはほとんどの奨励にこの単純で悲しい「症状」が共通して存在することを発見した。
次のような見方をしてみてはどうだろう。デビッドとキャロリンは互いに合意して結婚生活での距離を徐々に広げ始めた。当座はただそうなったということでその理由を気にせずにいた。それはデビッドが意図したわけでも、キャロリンが望んだわけでもなかったからである。この距離は二人が長年かけて徐々に無意識に作り出したものであった。しかしその間夫婦の情緒的な結合が皆無だったわけではない。夫婦の心理的な空間を埋めたのは子どもたち、とりわけクローディアの存在であった。夫婦関係は極度に冷却したりよそよそしくなってはいなかったが、クローディアは成長するにうtれて両親の熾烈な無言の争いの人質になっていたのである。デビッドは気持ちの触れ合いを求めるときには娘を抱きしめて自分の欲求をある程度充足させることが出来た。またキャロリンもクローディアを怒鳴りつけることで、デビッドへの怒りを間接的に表現できたのである。
夫婦の争いが激化すれば分裂病患者が入院するという症例からも理解できるように、子供が夫婦関係の安定を維持するために支払う代価はあまりに大きすぎる。結局、選ばれた子どもが深い苦痛を負いながら家族から追放されることになるからである。
はでな衝突の局面では、治療者は家庭内暴力の発生を案じて、「まあそんな感情的にならず落ち着いてやりましょう」といった意味合いの言葉を、さまざまな形で暗に家族にほのめかすことになりがちである。それはこうした言葉の背後には「どうか冷静になってください。私はあなた方の怒りが怖いのです」という治療者自身の恐怖が潜んでいるからである。
「私たちはどうすればよろしいですか」。家族は待ちきれないという感じで尋ねるだろう。
「皆さんに出来ることは何もありませんし、われわれに出来ることもないのです」。治療者がこのようにはっきり答えると、疑惑に満ちた沈黙がやってくる。「どうすればいいのかという質問自体が正しいとは言えないのです。というのも問題はいかにこれまでと違った感じ方や生き方をするかということですから」。
人生の流れを変えるような決定的な瞬間はすべての人に訪れる。普通、変化は人生において徐々に起こってくるものであるが、ときには一瞬の出来事や、ささいな言葉がその発端になることもある。われわれはこうした変化を治療的に重大な一瞬であると考えて、それを待ち望むのである。
サティアは「人が意志伝達をする際にとる態度」を「コンピューター役」「非難役」「なだめ役」、それに「傍観者役」と区分しましたが、これはどのような治療者にとっても納得できる人間像を表していると思われます。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
不条理のなかにこそ治療的エッセンスがある、というスタンスで家族療法の世界でのカリスマになったカール・ウィテカー。その唯一の邦訳書です。
長女クローディアの激しい問題行動の治療に訪れたブライス一家との二年にわたる家族療法。その面接場面での重要な発言、一挙手一投足を小説風に、臨場感満点に記録さらています。
クローディアと母との対立が解消されたと思ったらスケープゴート役は弟のドンに回ってきて、それが解消されると夫婦間葛藤がいよいよ前景化し、果ては父親であるデビッドの両親まで面接に引っ張り込み、家族が各々一人の人間として成長していく過程は、へたな小説を読むより断然おもしろい。
ウィテカー先生の時に鋭い、時にとぼけたユーモアの裏に、どのような思惑が潜んでいるか、そして面接場面で今何が進行しているか、共同治療者であるダンが詳細に分析してくれているのもうれしいです。
家族療法の面白さに触れるには、絶好の読み物だと思います。ただ、理論などについては時々一章を簡単に解説してくれているのですが、ある程度の予備知識(システム論、世代間葛藤、家族膜、コミュニケーション定理など)が必要になるかと思います。家族療法に馴染みのない方は、横に一冊入門書を置いて読み始めるといいかもしれません。 -
ゼミのテキスト。
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