- Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
- / ISBN・EAN: 9784761513610
作品紹介・あらすじ
コミュニティカフェを開けば、イベントで人を集めれば、「場づくり」になるのか? 人が出会い、つながる「場」は、どのように立ち上がるのか? 著者自身が手掛け、また訪ねた豊富な事例をもとに考える、「人が成長する場」、「他者とつながる場」、「創発を生む場」としての「カフェ」を成立させるための機微と方法論。
感想・レビュー・書評
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コロナ禍、SNS、メタバース。。。
急激に変化してきている人とのつながり方。
でも、コミュニティの〈場〉がオンラインでもオフラインでも、その根本はきっと同じなんじゃないかな、と。 -
”カフェに限らず、コミュニティづくり、場づくりに関わる人に、響く言葉がたくさんあった。
特に、第4章は実践の結果、山納さんがたどり着いた(現時点の)答えが書かれており、納得感が高い。
【場づくりの「シクミ」と「ナカミ」】
「第4章 創発が起こる場としてのカフェ」では、山納さんが場づくりの実験と思索を続けてきて、たどり着いた答えが紹介されています。
■場づくりに関する問いかけ
本章にはいくつかの気になる問いがあります。本グループにいる方は誰もが共感できるんじゃないでしょうか。
・開かれつつも魅力を失わない場は、どうしたらつくれるのだろうか?(p.153)
・創発の実力がある場は、どうすればつくれるのだろう?(p.154)
・出入りする人たちが、そこに「意味」を見出し続けることのできる場は、どうすればつくれるのだろうか?(p.157)
■解決の糸口はナカミの充実!?
山納さんは「シクミ」から「ナカミ」へ関心を移したこと” -
カフェというツールを用いてコミュニティ形成を図ることはよくあるけれど、それを主たる目的にすると上手くいかないよね、という文があった。「コミュニティカフェ」なんかはその典型例なのかもしれない。本当にやりたい人がやって、その方が作る空気感などを心地よく感じ、その結果、コミュニティは次第に自然と作られるんんだよね。またイベントなどを通して、コミュニティをある程度流動的にして場の雰囲気を帰ることも大事だなと感じた。店も人も飽きないような商売ができるとgood。
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本書の著者である山納さんはアートや街づくり等、様々なテーマで人が集まる場づくりを実践されてきた方だが、「コミュニティカフェ」の紹介本の執筆を依頼されたのが、本書を出版するきっかけだそうだ。コミュニティカフェは地域社会の中で「たまり場」「居場所」のような場所(多くはカフェの業態)と定義されているようで、最近は自治体が運営面を補助するケースも増えているらしい。しかし、山納さんは取材活動を続ける中で、コミュニティカフェよりも多様な人がつながる「場」の奥深さに魅かれたようだ。
特定のテーマに興味のある人たちが集まるような「~カフェ」は、始めから共有されている価値観があるから場の運営が比較的容易だが、コミュニティカフェはコミュニケーションが難しい人でさえも受け入れられる懐の深さも求められる。
山納さんは本書の出版記念イベントで「多様な人を受け入れられる度量はどのように身につくか?」を話題にしていたが、個人的には「人に対する好奇心」と「対人距離の保ち方」にポイントがあるような気がする。コーチングでいう「傾聴」スキルのように学習によって後天的に身に着けることはある程度、可能かもしれない。逆に先天的に対人スキルの高い人は、コミュニケーション能力に長けているあまり閉じたコミュニティを作りやすいような気がする。
本書にはカフェという業態に関わらず、人がつながる場の様々な事例が紹介されているので、場づくりに興味のある人には一読をお勧めする。 -
場作りに興味があるため読了。
作者様の経験がかかれた本であり、いくつか問いかけがあるのが良い。
個人的には人間性が大事なんだと再確認。
コミュニケーション力があっても場はできないんだと
整えるだったり、自己成長を捨てない等の先人の実践知が学べて良かったです。
別の作家様の作品"サードプレイス"も高いけど買おうか検討したくなっちゃいました。 -
3.人が出会うときの機微
そもそも日本では、立場や背景が違う人と臆することなく話ができる人は少数派です。
(略)そんなシャイな人間どうしをつなげるために、場づくりに取り組んでいる人たちは、以下のような配慮をしているはずです。
1紹介する
両者を知っている人がうまく紹介してくれれば、話しやすい
2共通の話題を提示する
同じ趣味や興味関心が見えていれば、話しやすい
3環境を用意する
ワークショップや少人数のディスカッションなど、話をするのが自然な環境が用意されていれば、話しやすい
(略)人を紹介するときには、それは相手にとって迷惑かもしれないという感受性を持つこと、そして”場づくり”においては、出会うこともできるし、出会わないという選択肢も残されているということが大事です。
そういう場(サロンやカフェなど)には、当たり前ですが「つながりたい人」が集まります。ただ、そこに集まる人たちは「出会いたい人」であるとは限りません。
そのため、つながることを前提にした場はやがて、「行きたい場」ではなくなる、というパラドックスが起こります。イギリスのコーヒーハウスやフランスのカフェなど、かつて盛っていた場所が魅力を失っていった背景には、こういう原理が働いています。
<店主について>
関わった人たちとのやりとりを通じて、店主も次にやりたいこと、やるべきことが見えてくることがあります。その結果、場を作っている人自身が、そこから卒業していくということも起こり得ます。
場所を立ち上げ、運営していく間に訪れる「モチベーション・クライシス」にいかに対処するか。それが「成長する場としてのカフェ」を長く続け得ていく上でのポイントだと、僕は思っています。
<「芝の家」>
終わりの話し合いでやっているのは、反省会というより、感情のシェアです。
<「バザールカフェ」>
カフェは、多くの人が出入りできる、閉じていない場所、リラックスする場所、自分の立場をハッキリさせなくても、しゃべれる場所、という共通認識が、多くの人たちの中にすでにあります。それをうまく使えば、「特殊性を帯びない特殊なカフェ」というものが可能なのではと考え、呼びかけを始めました。
(略)カフェがあると、労働が提供でき、努力すれば経済を生み、自立できる可能性もあります。ただ、効率を上げることが自立とは考えていません。(略)資本主義的な「労働とその対価」ではなく、「労働に対する満足」を評価すること。即応型のシステムではない、未来に利く何かです。
<カウンター>
通常のお店では、カウンターの中は聖域であり、立ち入るべからざる場所です。しかし入ってみると、カウンターの中は、なかなか居心地のいい場所です。
客席側だと、知り合い同士が盛り上がっていて、自分だけがそこにいる場合には、所在なさから本を読んでいるフリ、スマホをいじっているフリをしたりすることがあります。
それが、役割を持ってカウンターの中に入ると、状況は全く変わります。「つねに全体に気を配っている人」というポジションが得られるのです。
<カフェ>
盛る場に集う人の中には、そこに「楽しさ」を求める人と、「意味」を求める人とがいて、前者は楽しければそこにとどまり続けるけども、後者はそこにいく意味を失えば、場から遠ざかっていく。そういうことではないかと。
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673.9
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読み物として面白いだけでなく、ある種斜に構えた語り口を備えながら、十分な博識を踏まえて場づくりの知識を提供してくれる良い本。創発的なアイデアを幾つか産むことができた。
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コミュニケーションの場を作ることを主眼においた本。
人と人がつながる場みたいのがあると面白いけど、現実的にはなかなか難しいのでは。
イマイチ刺さらなかった。 -
ここでいうカフェは憩いではなくコミュニケーションの場所という扱いです。
ご紹介されているような書籍で、もっと、勉強しなければいけませんね。