白熱講義 これからの日本に都市計画は必要ですか

  • 学芸出版社 (2014年5月26日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784761525712

作品紹介・あらすじ

日本の都市計画は何をしてきたのですか?近代都市計画とは何だったのですか?3.11で何が変わるのですか?今、私たちが引き受ける課題は何ですか?1930年代生まれのベテラン都市プランナーへ、1970年代生まれの若手が投げかける、差し迫った問いと議論の応酬。都市計画の現実、矛盾と展望を明らかにした現役世代に訴える一冊。

感想・レビュー・書評

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  • 1回目
    ■背景
    これからの自分がどこへ向かっていけばいいかよくわからなくなった
    身の回りに散在する自分と関わりの深いキーワード(日本、グローバル、観光、伝統産業、建築、都市計画、まちづくり)とどう向き合っていけばいいかわからなくなっていた…
    ■あらすじ
    総合的な取り組み、幅広い領域が学習の対象である近代都市計画(都市デザイン、交通計画、住宅計画、ランドスケープデザインなど)の現代の違い
    設計主義から〇〇へ(住民参加とか)
    震災によって、成熟と老化のみを考える時代から部分的な成長のプログラムも必要であるという考え方に変わった。
    ■講義編
    日本の都市計画は何をしてきたのか
    ・都市計画はエンジニアリングではない。アーバンプランニングではなく、アーバニズムのように社会現象である。
    ・都市計画は成長のためのツールであり、成熟のためのツールとしての考え方は希薄である。
    ・日本には都市計画がない。三次元の空間計画でないものは都市計画ではない。日本は二次元的な区画整理といったもので考える傾向が強い。
    ・都市計画に携わる人は交通、住宅政策についての意識が希薄である。
    ・世界的な視点も欠けている。開発途上国と比較しなければ、日本の立ち位置や特異点はわからない。

    近代都市計画の出発点は無政府主義。つまりコミュニティー。しかし、理想主義であり、現実はうまくいかなかった。
    →これが、テクノロジーによってうまく機能する時代が来ようとしているのかもしれない。
    成熟した社会では、市場性が大事であり、民活主義がよい。かもしれない笑。都市開発は起こしにくいが。どのように質を担保するかも課題。
    金融市場主義にどのように対応するか。空間的にはおかしいが経済の活性化には繋がること、東京への集中投資による地方の疲弊。
    我々は道を間違えないためにも、正確に描写することを常に心がけながら、現場に入った時にどう行動するかという問題を考えなければならない。
    明治政府はそれまでの地域コミュニティーを破壊して国家を作った。無縁社会が100何年かのうちにできあがってしまった。こうした問題も解決しなければならない。
    コミュニティvs地域の空間的な形の応答問題
    地域自治権の拡大や地域共同体の再生を考える上で観光というツールはどのように使えるだろうか
    日本人は無縁社会的な都市に住もうとする人もいる。しかし、どこに住んでも隣人との付き合いなど、無縁の世界は存在しない。日本にとって望ましい都市とは一体何なのか。
    日本には町家での都市生活という長い歴史がある。マンションの歴史はここ30年の話。どちらがいいのか考えなければならない。
    ー町家と高層マンションと観光。
    交換価値と使用価値。それと観光笑
    グローバリゼーションという競争によって地域特有の文化を推し進めていくとか考えるのは地域社会にとって必ずしもいいことではない。選別的にすべきである。
    ブータンに行きたい。農村社会で自給自足。ついこの間まで都市はなく市しかなかった。
    欧米は小さな自治体の力が日本より優れている。
    本来の目標は、地域住民の福祉支援と生きがいの充実。
    経済のグローバル化と情報化の問題。
    マスタープランは必要か
    空間的総合調整機能が必要
    ー川と後背建築物などを一体的に開発する
    銀座のまちづくり
    なぜ面で計画するのか
    歩くことを優先する立場からのモビリティデザイン。
    学校や駅は文化的背景から社会的吸引力が高い。
    地元じゃないといけない店。価値ある
    「街のイメージ」の向上
    コンパクトシティについて
    集約思考からネットワーク思考への転換
    都市はどのように縮小していくか
    超小規模化、多方向化、場所のランダム化
    空き家活用まちづくり計画
    ー空き家が空き地が再利用され、小さな不動産事業が復活することを目指す
    不動産業は不動産を交換する手間賃で食っていたが、これからはなにを交換するのか見定めなければならない。空き家の再利用など交換するものを変える必要がある。一つ一つは個別的で効率の悪い仕事だが、パターン化を見つけられれば大きな仕事になる。長期的に考え、ゆっくり業態を変えて、応用していかなければならない。
    行政は、組織のサイジングに課税、公共事業、規制の3つをどう組み合わせるか考えるべき。
    ー自治体、学校などの破綻や崩壊が起きないように。また、市民の個別ニーズに合わせて
    これからの都市計画は現場ごとに計画して、試行錯誤を繰り返して、マニュアル化を目指すべき。

    都市計画はなぜ人と自然の関係性から出発しないのか
    地形図などから地域環境の特性を把握し、それに合わせた住まい方をするべき。そして、土地管理をどのように行うべきか考えなければならない。土地の活用可能性、管理の必要性、土地の将来像を考える必要がある。
    近代都市計画にはなかった新しい視点
    一概に森林というのではなく、生物多様性や固有種など、保全すべき森林を保護する。
    環境保全と住環境の改善の2つの視点を持つ。つまり保全だけではなく、都市側とのやりとりも考えなけばならない。
    自然立地的土地利用計画
    食の物々交換や土地の共有は経済的価値では測れない幸福をもたらす
    ー農家は地域の自然環境をよく知っている。講義ができるよね。
    ドイツの土地利用計画(Fプラン)と環境保全計画(Lプラン)
    欧米の自然は単純で脆弱。一方で、日本は生物多様性に優れている。そのため西欧では自然を守らなければならないという意識が強いが、日本はほっとけば育つという土地の良さが裏目に出ている状態。
    地球環境への危惧などから、都市の将来を考えるよりも今ある状態をどう改善するかが計画の主要な役割となっている。一方で、現実的で短期的なプロジェクトをやりつつ、それが長期的にどう変わって行くのかを考えることを忘れてはならない。

    都市計画は時間にどう向き合っていくのか
    今、私たちは無邪気に新しさに溢れた都市空間よりも過去を豊かに包含する生活環境に価値を見出そうとしている
    時間を消し去ろうとした近代化の過ち。
    地域の内発性を感じる建築
    循環型の死生観。「みえてはいるが誰もみていないものをみえるようにする」ということは時間の蓄積という視点で都市空間を見ればもっと豊かになれるということ。
    ーどうやって可視化するか。
    時間は多様性を担保する技術の1つ
    段階的に都市を形成してって、時間概念を生み出す技術。

    地域共同体の復活。
    ー超高齢化社会、相互ケアー
    都市の固有な魅力の損失。
    林業は、森林生産の効率性だけでなく、治山治水、自然生態系、生物多様性の維持など総合的な政策判断が必要。
    ー役割は一つじゃない。市場優先主義になると視野が狭くなる。目的に合わせた手段が必要。
    農家は営農を通じて、環境保全機能を担っているという社会的認識が必要。
    ー食料自給率という概念は国際的にはなく、農家と農協を守るためだけのものだから、農業の議論ではない。
    ー農業や林業を生産ベースではなく、自然環境の維持、国土管理というベースに切り替える必要がある。
    これからは漸進主義。少しずつ変えていく。
    ■調べること
    IBAエムシャーパークプロジェクト
    ー展望的漸進主義

  •  読み終わって、また、読み返して、を繰り返している一冊。4月からまさに都市計画と向き合う仕事になって、日々、葛藤しているからだ。
     「都市再生」の名のもとによる民間大規模開発の相談案件を毎日目のあたりしていると、だんだん「麻痺」してくる感覚になる。事業の採算が取れると判断すると、ヒューマンスケールを超える企画がポンポンと出されてくる。確かに、マスタープランで表現されている都市機能や土地利用が図られているのかもしれないが、このような空間的感覚がそこには語られていないことに問題があるのだろうか?
     また、今までの都市計画は時間軸があってないようなもの。今の都市計画図ははたしていつを想定しているのか?立て続けに出されるリアルプランの前に、時間軸が読みとれない計画図が体をなさなくなってしまっている感もある。
     拠り所となり得る「都市計画」が、今、本当に必要だと思う。

  • 6/24(火)白熱講義〈演習編・関西版〉開催!
    日時:2014年6月24日(火)18:30-20:30(開場18:00)
    会場:学芸出版社3階(京都駅より徒歩5分)
    会費:1000円
    定員:80名(お申込み優先)
    http://www.gakugei-pub.jp/mokuroku/book/5463/event_2.htm

    学芸出版社のPR
    http://www.gakugei-pub.jp/mokuroku/book/ISBN978-4-7615-2571-2.htm

  • ふむ

  • 1部 日本の都市計画は何をしてきたいのか
    p.040 現代の都市開発のイメージは、こうではないですか?世界的な金融資本が金を回さねければならないといけない。だからニューヨーク、ロンドン、東京などの特定のところに不動産投資をしていく。しかし、巨大な集中投資をすると、地方が疲弊するだけではなく、東京の別の場所は空室がどんどん出てきて腐っていくんですよ。

    p.094 企業社会が主流である現代社会の中で、どうやって共同体を再生させるのか、企業社会が変質していくとしても世界的に見れば時間がかかる話です。

    p.96 クリス•アンダーソンは「メーカーズ」で「IT技術と加工技術の組み合わせで昔のような職人的製造業が発生しうる可能性があるのではないか。しかもそれが直ちにIT技術を使ってマーケット化される」と議論しており、これはありうるシナリオです。

    2部 演習編
    p. 152 一般論として「都市を本当に計画できるのか」という問題があるからこそ、「都市はなぜめんで計画されるのでしょうか」という問題が出ているんだと思います。施設に還元されることで計画が収斂するらなそれ自体良いことでしょうけれどもではなんおための収斂なのかを確認する必要があります。

    p.157 都市計画分野で語られるコンパクトシティは、郊外へのスプロールをよくせし、公共施設や病院などの都市機能や居住機能を中心部に集約させることによって、中心市街地の活性化、公共公益サービスの効率化、財政支出の縮減を目的としています。

    p.216 計画概念に対する疑念が強まるあまり、全体像を描くこと自体を放棄しミクロの議論に逃避する傾向に抗して、実践的にバックボーンを与えます。

  • 九州産業大学図書館 蔵書検索(OPAC)へ↓
    https://leaf.kyusan-u.ac.jp/opac/volume/1464595

  • とてもおもしろかった。空間のコントロールという点では、森林も都市も同じ。
    政策手法や社会状況の変化など共通点が多く大変勉強になった。
    参考文献も豊富に紹介されているので、今後も勉強できそう。

  • [評価]
    ★★★★☆ 星4つ

    [感想]
    都市計画は新たな街を生み出すための学問だと考えていたから、現在の都市に対する計画も含んでいることは読んでいる途中に改めて気がついた。高齢化に対応した街づくりや古くなった建築物の立て直しは現状を維持しつつ、暮らしやすくするという事は改めて重要だなと感じたよ。
    一方で少子化に対応した街づくりも中々に面白かった。ただ、もう少し日本の街における自治の誕生辺りを知りたいんだけど、ヨーロッパのような自治都市はあまりなかったのだろうか?

  • レクチャー形式ゆえに問題点がわかりやすいので都市工学を学ぶのの最初にいいと感じた

  • 問いに満ちた本。蓑原さんの気迫に感じ入る。

  • 都市計画は単なる技術ではない、社会現象や文化現象である
    日本では住宅政策が都市計画と切れている
    アメリカはゾーニングの国、プランニングの国ではない
    日本の都市マスは1992までなかった。一体的なビジョンの必然性が外国に比べて弱い?

    横浜の田村明、人と金を動かす力に能力が備わった

  • 都市計画の歴史を詳しく振り返る第一部とその展望を震災後の日本社会と都市計画の現状から批判的に議論を重ねた第二部によって構成されている。第二部には従来の都市計画に対する批判に加えて具体的にどのようなあり方があるべきか、模索しながら議論が展開されていて示唆的である。明示的な結論とは言い難いが、一点にまとめて論じることなく都市計画が地域的、時間的な違いを取り入れながら思考停止することなく詳しく議論され進化をしていくべきであることを明快に述べている。

  • 都市計画の中で重要とされているマスタープランもコンパクトシティも参加型プランニングも、先入観を持たずに議論をしている。

    そのような時に都市計画が必要なのか、その中でもどのようなプランニングとその実現手法が必要なのか、このような自由な議論のなかから生まれてくるように思う。

    特に、都市の単純なコンパクト化ではなく、スポンジ化の中で新しい産業の創発が生まれてくるという指摘、東日本大震災のようなタブラ・ラサの状況においてはマスタープランに基づく都市のデザインが必要だという指摘は、目からうろこが落ちた。

  • 蓑原敬と都市に関わる若手の人たちがテーマを決めて議論する本。

    甘えが無くてとても勉強になる。全員勿論真剣なのだが、蓑原敬になんか圧倒された。勿論良い意味で、これぞまさに昭和の官僚だ、と思った。

  • 蓑原敬氏および若い世代(40年差)の建築家・都市計画家たちのゼミ形式での意見交換の議事録の本となっている。議事録形式の本は情報に対する文献などの提示がなく、それでいて情報量が多いので自分は読むのが苦手であった(遅かった)。
    答えの出ない問いに対しての白熱した議論を見ることができるが、白熱「講義」とあるだけに、先生である蓑原氏を立てるスタンスが見える(人によっては反駁したくてもできない感じの様相を浮かべている部分もある)。

    蓑原氏が若手メンバーに対して講義を行う講義編、若手メンバーがそれぞれ問いとリサーチを持ち寄ってそれについて全員でディスカッションを進めていく実践編の二つに分かれた構成である。講義編は第1〜3講に分かれているが、ちょうどこの間に東日本大震災が起こっているのが興味深い。


    講義編の内容は、第1講が読書指南およびそれらをベースにした近代都市計画についての考察、第2講が震災を踏まえた日本の都市計画の見直し、第3講がこれからの都市計画にあたる課題の確認となっている。
    近代都市計画に対する様々な知識(特に近代・これからの展望についてのもの)を初学者がつけるにはちょうど良いものであった。
    多岐にわたる上に読むのに時間がかかったせいで所々忘れているのでまとめ・感想は追記…

    実践編においては大きく分けて3種類の問いがなされていた。
    一つは設計主義を乗り越える現代都市計画論を模索した問い。「都市計画にマスタープランは必要ですか?」、「計画よりもシミュレーションに徹するべきではないですか?」がこれにあたる。価値観が多様化し都市像が拡散していく中、これらの事柄については明快な答えはない(少なくとも本書には)。ただしこのような状況の中では、ルールではなく空間イメージを用いた合意形成ツールが必要であって、さらにシミュレーションはその一端を担うことができる。
    次に、都市像を定めるに当たって構想が必要になってくる人々のハビタットのパターンについての問い。「都市はなぜ面で計画するのですか?」(点とそれをつなぐ線ではいけないのか、)、「コンパクトシティは暮らしやすい街になりますか?」といった既存の概念に対する疑問を呈するもの、「都市はどのように縮小していくのでしょうか?」という時間軸も含めた議論がこれに当たる。都市計画はコンパクトシティのような実体性を欠いた概念の議論だけではなく、広い視点から現実の都市の動向の把握を通して行われるべきであるという主張にこれらの問いは帰結する。
    最後に「都市計画はなぜ人と自然の関係性から出発しないのでしょうか?」(新たな知見としてのランドスケープへの言及)、「都市計画は時間とどう向き合っていくのでしょうか?」といった近代都市計画への批判の問い直し。これは3・11という不連続点を経験した後でもなお、タブラ・ラーサという割り切りではなく土地の文脈を紡ぐことにこだわるべきだという若い世代の意思表示としての問題提起であったように感じられる。
    都市および計画を行う上での都市像の必要性、コミュニティの重要性、また技術としての都市計画から脱却し、個別の事案に対応を行っていくことが不可避であること、などへの帰結はどの問いに関しても見られた。

    知識を手に入れるだけではなく、この本全体の議論を深く理解し自分なりの答えを出すためには、多くの事例を通して基礎知識をつけたあとにもう一度読み返すべきであると感じた。

  • プランナーとしての自我がむき出しにぶつかったり表出しているようにも感じて鼻につくような気もするが、いろいろな論点が提示されているので、視野が広がるようで、有益だった。

  • 都市計画のイメージと言えばシムシティ、道路を作り住宅地、商業地、工業地を指定し公園や学校を作る。このように地域ごとに利用規制を課す方法をゾーニングと呼んでいる。都市計画法では市街化区域と市街化調整区域に線引きが行われ調整区域では開発が抑制され開発を行うためには都道府県知事の許可がいる。

    近代の都市改造の例は例えばパリ改造で道路の幅を広め道路沿いの建物のデザインを統一した。エベネザー・ハワードの田園都市は日本にも影響を与え主に東急や西武などの私鉄が沿線の開発を行った。そしてル・コルビュジエの「輝く都市」の高層都市は六本木ヒルズの構想の元になっている。

    これまでは人口が増え、住む場所を増やすために都市開発を行っており、その方法に一定の枠組みを作るのが都市計画だった。とは言え現実的にはシムシティのように更地にゾーニングを行ったところよりも、自然発生的にできた街がスタートになっておりうまく機能してきたわけではない。歴史的には明治維新、関東大震災、戦災、東北大震災などのたびごとに設計主義的なマスタープランが要請されてきたのだが、ストック(既建造物)とフロー(新築)を比べた際にフローが圧倒的に多くなるタイミングでは設計主義的な公共投資主導型にならざるを得ない。例えば幅員5.5m以上の道路は1960年には5万5千km弱しかなかったのに2008年には33万kmを越えた。1960年代の道路の舗装率は3〜4%しかなくそこに鉄道や道路、港湾や団地を作ってきたわけだ。マスタープランと実行計画がうまくできたかどうかはともかく、そう言う方法でしか対応できなかったと言うことだ。

    一方で今後のことを考えると人口は減り、高齢化し街には空き家が増えていく。都市が拡大するときには使えたゾーニングでは縮小する都市にはうまく対応できずストックが大きくフローが小さくなると現実に即して漸進的に一歩づつ進めていくしかない。古い木造建築物が集積している地域や耐震性が足りない建築物を作り替えないといけないのだが一気にできるわけではない。だいたい成長期のマスタープランに基づいた都市計画で作るはずの道路が用地収容が進まないために何十年たってもできない所も多い。

    こう言った現状をふまえ、1960年代から都市計画に携わった蓑原氏と1971年〜76年生まれの7人が2010年から始めた都市計画についての勉強会の議論をそのまま活字化したのがこの本で、門外漢からするとあまり親切な本ではない。都市計画を作ろうとすると農業、林業を含めた産業政策まで広がるし、一方で驚いたことには日本の場合マスタープランには道路や駅は入ってこないらしい、蓑原氏は反対したそうだが「用途地域甸
    図こそが計画であって、道路や鉄道を含めたマスタープランはありえない」のだそうだ。マスタープランを実行するための「都市計画図」に鉄道や道路が含まれてくるのだろうけど何もない更地ならともかく、既に開発された土地をどうするかと言うことに対してゾーニングを中心にマスタープランを作っても役に立たないのはわかる。ゾーニングがうまくできたとしてもその中に作る施設が縦割り行政の元では効率的には出来てこなかった。

    こういう時代に対応してコンパクト・シティとかスマート・シティが出てくるのだがアラブのマスダールにしても中国の天津生態城や曹妃甸にしても更地に設計主義的に作ったもので日本とは違う。天津なんか人が入らずガラガラの様だが。高齢者が歩かなくて住む様に中心部にインフラを集めるというのはうまくいくのだろうか。地域内の交通網とコストのバランスでどこかに落ち着くのだろうが一方では街の中心の商店街が衰退し、より広域圏を商圏とする郊外型スーパーとコンビニがインフラ化しているというのも事実だ。

    では都市計画が全く無力化と言うとそうではなく、実験的に設計主義で作った幕張ベイタウンは文字通り学校と地域、教室と廊下の壁をなくした打瀬小学校の人気もあり子育て世代の流入が耐えない。目先の最大の課題は東北大自身の復興なのだが人口減が続く漁村を元に戻そうとしても残念ながら上手くいかないだろう。高さ三倍の防潮堤を作ってもそこに住む人がいなければ何のためなのかとなる。住んでる人が喜ばない都市計画は上手くいかないのだけど、住んでる人の希望を全部叶える金はどこにもない。どこで折り合いを付けるか、正しい答えはなくどう選択するかでしかないのだろう。難解だ。

  • 期待して購入。書いてあることは何やら頭良さげでカッコいいのだけれど、何故か心に響くところがなかった。閉じたサロンの中の議論という感じがどうしてもしてしまう。

  • タイトルに惹かれて衝動買い。
    都市計画系の本を読むのは7年ぶりぐらい❓かな。

    全体的に感じたのは、日本ではまだ都市計画の分野について、成熟してないのかなということ。
    ただ逆に言えば、まだまだ学問分野として成長する余地は多いにある訳で。

    とりあえず、大学で都市計画を学んだ身としては、日本に都市計画という分野が根付く日が待ち遠しくなりました。

  • 必要なんだか必要じゃないんだか結論はよくわからないんだが、ともかく今の都市計画論の慨論になっててありがたかった。

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著者プロフィール

1933年東京生まれ、福岡育ち。東京大学教養学科アメリカ科卒。日本大学理工学部建築学科卒後、1960年建設省(当時)入省。住宅行政、建築基準行政、都市計画行政の政策立案と法案作成に従事。ペンシルヴァニア大学大学院で都市計画を学ぶなど、多くの国際経験を経る。1985年建設省住宅局住宅建設課長で退官。その間茨城県で住宅行政、都市計画行政の現場を経験。1989年(株)蓑原計画事務所設立、広範な分野でのコンサルタント業務に従事、今日に至る。2004年日本都市計画学会石川賞受賞。主著に『街づくりの変革』『成熟のための都市再生』。共著に『街は、要る!』『自然講義 これからの日本に都市計画は必要ですか』(いずれも学芸出版社)、『建築家 大髙正人の仕事』(エクスナレッジ)『まちづくりの哲学』(宮台真司との共著・ミネルヴァ書房)など多数。

「2017年 『「間にある都市」の思想』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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