働くための学習―「教育基本法」ではなく「学習基本法」を

  • 10人登録
  • 3.33評価
    • (0)
    • (1)
    • (2)
    • (0)
    • (0)
  • 3レビュー
著者 : 田中萬年
  • 学文社 (2007年10月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784762017278

働くための学習―「教育基本法」ではなく「学習基本法」をの感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  •  私は学校が嫌いだった。もっというと教育が嫌いだった。それが今ではこんな職についているわけで気分は複雑なのなだが、そうならそうで、今自分が何をしているのかは知っておきたいと思う。

     教育に対して私がどうしても嫌だったのは、
    (1)自らを型にはめてもらう権利、という倒錯した、まさに性的倒錯としか言いようのないようないやらしさ。
    (2)そしてその性的倒錯に無自覚であることの汚らしさ。
    (3)教育には権力の行使が不可欠であるのに、権力を行使している自覚も覚悟もないことのずるさ。
    ということによる。私にとって学校とはこういうものであり、教育というのはこういう構造的ないやらしさ・汚らしさ・ずるさを内包したものであった。
     この仕事に心理的に距離を置いておきたいというのはここに由来している。

     この本は、これに対して明快な説明をしてくれる。まさに目から鱗だった。

    (1)教育をうける権利というのは日本独自
    「受ける権利」ってなんだよ、と思っていた。子供は自然なので馴致されなければ使いもにならない。将来使い物になるために型にはめてもらう権利である、ということなんだろうけど、筋は通っているがあまりにも暗い。諸外国はそうではないということをを知って、曇天が晴れるような気分であった。

    (2)生存権⇒労働権⇒学習権
    基本的人権はまず生きていくという生存権がなければならない。これは当然だ。死んでしまっては人権もなにもない。
    生存権確保のためには労働権が保障されなければならない。身分によって飯が食えることを否定したのならばこれもまた近代社会としては当然の要請である。しかし近代社会では何の訓練も受けずに仕事ができるものではないから、労働権を保障するために、職業訓練を受ける学習権が必要である。

    非常に分かりやすい。もっともである。世界人権宣言も各国の教育権もこういう構造になっている。

     しかし、これでリミッターが外れたってわけじゃないにせよ、少なくとも理論的支柱を得たことは事実だ。生存権⇒労働権⇒学習権の順序で考える限り、そこには(1)のいやらしさと(2)のずるさはない。(3)は依然残り続けるが、それは権力行使に自覚的であればいいということだけだ。

  • 生きる為に働く。働く為に生きる。

  • 教育に関するマクロな問題(主に教育改革、教育法)について、
    「労働」や「就労」と関わらせて述べた一冊。


    著者が主として述べていることは、
    現在の日本の教育議論は個人に焦点が当てられすぎ、
    社会や労働と切り離される傾向にある、ということ。
    そしてその原因は日本国憲法が制定される時点で
    労働権と教育を受ける権利との関連が無視されたからだと、
    西洋の教育政策と比較した上で論じている。

    確かに、現状は個人の発達に重きが置かれすぎて
    労働を含めた社会の現実を踏まえた議論がされにくい感がある。
    その意味では、労働の視点を踏まえた本著の意義は大きいと思う。


    他方、筆者は「教育」と“Education"の言語学的な意味合いの違いから
    「教育」の用語を用いることの問題を強調している。
    しかし、現状として
    「教育」の意味は特に突き詰められずに用いられることを踏まえると、
    この本の記述は
    教育の実態を無視した言葉遊びの論になっている印象は否めない。
    用語の捉えなおし自体は必要であるが、
    実態と切り離して「教育」という用語の問題を論じている点は残念に思えた。

全3件中 1 - 3件を表示

田中萬年の作品

働くための学習―「教育基本法」ではなく「学習基本法」をはこんな本です

働くための学習―「教育基本法」ではなく「学習基本法」をを本棚に登録しているひと

ツイートする